夏至カレー
昨日6/21は夏至でした。
数年前から、夏至にカレーを食べるという新習慣を全国に広めよう、
ゆる~い運動がSNSでありまして、京都の知り合いがたくさんコミットしてます。
夏至にカレーを食べる。何ならもう夏至じゃなくてもカレーを食べる。
カレーを食べたらもう気分は夏至。
ただそれだけなのですが、じわじわと広がっております。
ということで、昨日は我が家もカレー。
今年はおうちカレーでも、スパイスカレーでもなく、
町中華風カツカレーをこさえました。
これがなまらうまくて大成功♪
中華スープベースのとろみがついたカレーあんかけは、
お野菜の旨味たっぷりで。
辛くなく優しい味わいで子供たちにも大好評でした。
カツを上げるのは手間だけど、
カツなしなら、超スピードメニューなのもGOODなのです。
本能寺の変 光秀行軍ルート 実踏チャレンジ 【PR】
この春から、これまでの仕事に加えて、WEBライター的なものをするようになり、自分で企画して記事を書いています。それもあって、なかなかこのブログの更新ができないでいるのだけど…。同じネタを2度書いてもしょうがないので、あちらで書いた記事については、こちら側からリンクを張っていくことにします。ぜひリンク先でも読んでほしいと思います!!
まず第1弾は、「本能寺の変」について書いた記事です。天正10年6月1日、羽柴秀吉の中国攻めに加勢するため西国へ向かうために、丹波亀山城を出陣したはずであったが、京へと進み、あろうことか本能寺にいる主君・織田信長を討ったのである。日本史上最大の事件である本能寺の変である。光秀がなぜそのような大胆な行動に出たのか、その理由はさまざまな説が唱えられているが、今もって大きな謎に包まれたミステリーである。
光秀が何を思いながら、本能寺へと歩みを進めたのか?実際に行軍したといわれている老ノ坂峠越えルートを、同日同時刻(ただし旧暦の6月1日は現在の6月21日ではあるが)に、実際に歩いて、当時の光秀に思いを馳せながら、本能寺を目指すチャレンジをしてきました。丹波亀山城から本能寺まで約25kmの道のり、徹夜でのチャレンジ、漆黒の峠越えなど、いくつもの試練を乗り越えながら、果たして史実通り、本能寺へたどり着くことができるのか!?その実録レポです。
かなり長大な記事になっていますが、今回歩いた「老ノ坂峠越え」以外にも説のある、「からと越え」「明智越え」の2ルートについても実際に歩いて説を検証しています。本能寺の変直前の光秀に迫った記事としては、迫真ある、中身の濃い記事に仕上がっていると思います。歴史好きの方はぜひご一読くださいませ!!
箕面までポタ
GWのこと。緊急事態宣言と雨で、
ほとんど自宅か、近所の公園くらいしか出歩いていないのだが、
大人でもなかなかストレスがたまるのに、
遊び盛りの子供たちのそれはいかばかりか。
特に、中学校に進学した長女の方は、学習量が一気に増えたこともあり、
体が鈍って仕方がないらしく、
軽く近所でも行くかと誘い出してポタリング。
娘はしまなみ以来のチャリンコです。
とはいえ、世の中の状況が状況だし、
そんなにガッツリ遠征とかできないので、
午後縛りで近所。とりあえず当てもなくブラブラしてたのだけど
どっかないかと思案して、箕面大滝まで。
新大阪から神崎川CRに出て西へ。豊南で天竺川に出る。
それで緑地公園まで。
この天竺川は中学の時代からよく使っているルート。
緑地公園から八坂橋、熊野町と北上し、上野坂で裏道へ右折。
県道43号は交通量が多く、ロードサイドへの出入りも多いので回避です。
少路の急坂をやっつけて、中国道をくぐり北進。
北緑丘のマンション群を抜けて、西脇公園の所からR171をまたぐ。
桜並木の坂道をのぼって、箕面駅まで。
箕面公園の入り口にマシンをデポして、
そこから約5kmほどの歩き。
そして久々に箕面大滝になってきました。
もう時刻も17時近くて、みやげ屋も閉まる頃なのに、結構な人出です。
この遅々の時間なら人もまばらだろうと、
時間をずらしてきたのに、目論見が外れました@@
施錠しているとはいえ、
離れた場所にマシンを置いてきているのも心配なので、
しばらくしたらすぐに引き返します。
マシンを拾って、まだ空いていたおみやげ屋さんで、
せっかくなので名物のモミジの天ぷらと、
モンちゃんせんべいを買って帰りました。
40km弱のポタリングでしたが、娘も久々に
体を動かして、満足気でした。
岐阜攻め 岐阜城&犬山城
またまた時間を巻き戻して、3月の事。
長女とのしまなみチャレンジの大成功も束の間ですが、
中学校生活が始まるまでの間に、
もうひとつやっておきたいことが。
この1年ほど、長女が歴史、それも戦国時代に大変興味を持ち、
なんでかは何度理由を聞いても理解できないのだが(笑)
以前に別記事でも書きましたが、
クリスマスプレゼントとしてサンタに信長グッズを希望され、
わざわざ岐阜まで買い付けに来て、随分苦労させされました。
(その記事は下記よりどうぞ)
で、春休みに行きたいところ、やりたいことを娘に聞くと
当然信長ゆかりの地へ行きたい!ということだったので、
それではと岐阜への1DAYトリップを敢行した次第。
(まさか半年たたずに再び岐阜城を訪れるとは…)
自分一人ならば貧乏旅行で在来線鈍行もありなのだが、
娘に不憫はさせられないので、新幹線利用。
がらがらのひかり号で岐阜羽島まで。
枝線ですがなかなかのローカル感。
岐阜駅からはバスで岐阜公園へ。
途中、柳ケ瀬の辺りでアナウンスのCMで
「ダンス!ダンス!ダンス!」と軽快に入るのを聞くと
ああ、岐阜に来たなと思いますね(笑)
まずはロープウェイ乗り場の裏手にある信長公居館跡へ。
ここは今も発掘調査が行われている場所です。
金華山の西麓にある槻谷周辺は信長によって造地された場所で、
谷の中央に流れる川の左右に、段々地形を造り、
そこに金箔をあしらった住居建物が配置されていたそう。
また背景には、2つの大滝を借景とした池をもつ京風庭園も設けられ、
天下人にふさわしいお屋敷風情が広がっていたそう。
長女は興味津々であちこち写真を撮っておりました。
そしていよいよお目当ての岐阜城へ向かいます。
ロープウェイもありますが、自分と長女の事ですから、
やはり自分の足で登ります。
金華山は色々なルートがあるのですが、
長女が選んだのはやっぱり自分と同じで、
一番険しい馬の背登山道でした笑笑
丸山まではジグザグと緩やかな山道で、
そこから一気に岩の壁を登るような急斜面です。
長女は足場を丁寧に選びながらも、
サクサクっと登っていきます。
この日はなかなか気温が高い日で、
上着を脱ぎ脱ぎしても汗だくでした。
40分ほどかけて無事に山上へ上がってきました。
すると見事な青空バックの岐阜城がドドーンとお出迎え。
アッパレかな~。
斉藤道三によって本格的に城郭として整備されました。
その後、1567年の稲葉山城の戦いののちに、
小牧山城から信長が当城へ本拠地を移し、
その際に、天下布武の足掛かりとなる地として、
当地名を井之口から岐阜に変えました。
その後、要城として戦国の舞台に登場しますが、
石田光成率いる西軍方についた
信長の嫡孫にあたる秀信(かつての三法師)は、
付近からの援軍が間に合わず孤立し、わずか1日で陥落しました。
そして翌年には家康の命で廃城となります。
展示の品々を見ながら、娘にレクチャーします。
ほくほく顔で聞く娘。
我が家では長女にならって信長のことを、
親しみを込めて「のぶちゃん、のぶちゃん」と言っているのですが、
他の見学者がそれを聞いて大笑いしてました笑笑
そして天守のてっぺんへ。
全快は天気が悪かったのだけど、
この日は最高も最高、スッバラシイ眺望が!!
西の方を見やれば、南から連なる鈴鹿山系の切れ目のところが関ケ原。
その少し北側に1つ突き出た峰が伊吹山。
そして眼下を流れる大河が木曽三川の1つで、
鵜飼いで有名な長良川。
こうしてみると、この城が理にかなった立地しているのがわかります。
まずは、背景を大河が流れ、急峻で頑丈な小高い岩山にあるという
防御面での利点、
そして交通の要所である関ケ原の様子を常に監視できる戦略的な利点。
城下の様子もここからであれば、何かあればすぐに察知できます。
ただし!です。
この一見鉄壁で難攻不落な岐阜城ですが、
実は戦国時代に何と6度も落城の憂き目に遭っているのです!泣笑
賤ケ岳の戦いによる落城、関ヶ原の戦い前哨戦)
これは、決してこの城に弱点や欠陥があるというよりも、
それだけ歴史的に極めて重要な地点で、
常に壮絶な争奪戦が繰り広げられてきたが故の宿命といえるでしょう。
南側はまっ平らな濃尾平野が海までひたすらに続きます。
こちらも知多や岡崎あかりから伊勢方面への
東海道筋の様子まで見えますね。
そして城から少し行ったところには木曽川が流れていて、
それもひとつの外堀としての機能を果たします。
北側の景色は、南側の広大さとは打って変わり、
川の対岸からすぐに山間部が続いていきます。
はるか向こうに、白雪をかぶった御嶽山、
そしてさらに奥に北アルプスの山並みがうっすらと。
夏にはまた帰りたい場所です。
ゆっくりと絶景を満喫したのち、
城の横にある資料館ものぞきます。
展示されていました。
さて帰りも当然、人力です。
色々あるルートのうち、娘が選んだのは、
ロープウェイ乗り場の横から下る百曲りコース。
もちろん「百曲り」とは、
それほど曲がりくねった道という比喩的な表現ですが、
こうなると、ほんまに百曲がりしてるのかと、数を数えだす娘。
しかし、どこかどこまでをカーブとカウントするのか、
明かなクネクネの部分もあるが、
大抵はほぼまっすぐなコース。結局下まで数えて、
明らかな曲がりは40もなく、
「なんやねん!」と娘は突っ込みを入れていました笑
”坂道姉ちゃん”にはちょっと物足りなかったかな??
下ってきて、ロープウェイ乗り場の売店で、
しこたま関連グッズを買う娘。
うれしすぎてウホウホしてる。
わが娘ながら変わっとんなあ…
さて、岐阜公園を後にし、いったん岐阜駅前へ。
せっかくなら、もうひとつの名城へご案内と、
犬山城の閉館時間が16:30で、
間に合わないとせっかく足を延ばした意味がなくなるので、
お昼ご飯を取らずにとりあえず移動優先で来ましたが、
おかげで時間の余裕ができたので、
犬山城下町の中心部である本町通りで遅めのランチ。
犬山といえば、今売り出し中なのが団子です。
いろんなお店で、いろんな団子がアピールされてました。
そのうちのひとつで休憩。
何とカラフルな団子&生麩田楽たち。
ここは言わずと知れた現存十二天守のひとつで、
国宝五城のひとつです。
1537年に信長の叔父である信康によって築城され、
当時のまま現存する最古の天守閣を持つ城は、
実は2004年まで代々城主を務めてきた
成瀬家による個人所有でした。
小高い丘の上に建てられた「後堅固の城」は、
また中山道と名古屋道に通じる交通の要衝として栄えます。
豊臣(当時は羽柴)秀吉が小牧・長久手の戦いで入城し、
本陣を敷いて徳川方と対峙、
また関ケ原の戦いの前哨戦で、西軍型の拠点であったが、
先の岐阜城が落ちると東軍に占拠され、
徳川家康が天下分け目の戦いにむけて勢いを増すことなるなど、
三英傑がこの城を舞台に活躍した、
歴史上きわめて重要な城でもあります。
では早速中へ入ってみましょう。
自然石をそのまま積み上げた「野面積」の石垣を、
急な階段で登ります。
他のお城では登りやすい階段や、エレベーターがあったりしますが、
当然そんなものはありません。
こうやって急で狭い造りにしているのは、
侵入者が容易に上がってこれないようにするためです。
ひとまず順路に従って、まずは最上階の四階の望楼まで。
この日はかなり風が強くて、吹き飛ばされそうなほどで、
コロナ対策の換気十分です笑
南側はすぐ下に城下町が広がり、
なだらかなスロープのように下っていきます。
そして目と鼻の先には小牧山城があり、
秀吉軍と家康軍が激しくやり合った地が見渡せます。
西側は木曽川が目前まで迫る見事な眺望。
対岸の伊木山、そして手前に架かるはライン大橋。
このライン大橋は濃尾用水の取水用の可動堰にもなっています。
そしてはるか西方の奥にある山にちょこんと、
先ほど訪れた岐阜城のシルエットも。
北東側は、対岸に鵜沼の街並みがあり、
その奥には数年前に縦走した各務原アルプスの山並みが連なります。
また東側は日本モンキーセンターのある一帯。
いかにも風光明媚な場所ですね。
さて、犬山城は外観3重、内部は4階、地下2階の構造です。
4階の望楼は回廊となっていますが、
これは成瀬氏によってのちに増築されたものとされています。
3階は破風の間。
2階は武具の間となっていて武具を置く棚が中央にあり、
それを取り囲むように武者走りが巡っています。
1階は、中央に武将が陣取る上段の間、
それ以外に納戸をふくめ3つの間があり、
城の急所である南東の角には付櫓が張り出して、
側面攻撃が可能な造りになっている。
また北の両隅には石落としも備えられています。
娘の付き添いで始まりましたが、
城めぐりもなかなかに興味深くて面白いですね。
それぞれ戦国の世に重要な役割を果たした
2つの城をめぐることができました。
娘も大満足の様子で何より。
あとは、帰るだけなのですが、
名古屋で新幹線に乗り込む前に、
ぜひとも寄っておかねばならない場所が。
名古屋の常店・のんき屋の串カツを
食べて帰らないわけにはいきません!
ということで、こちらへ。
もうずっとずっと食べたくて仕方なかったのだけど、
なかなか名古屋に行く用事もなし、
コロナの影響もあるし、本当に久々にこの味にありつけて嬉しや。
娘も、ここの絶品のどて焼きや串カツ、ホルモンにメロメロ。
そうでしょ。そうでしょ。
こんなん近所に遭ったら毎日でも通うわな。
もう次から次へと注文して腹がちぎれるまで食べました。
ああ、これを書いてるだけで、
またすぐにでも食べたくなる@@
ということで日帰り歴史トリップ、
大満足のうちに終了です。
岡山ポタ 倉敷&児島
4月初旬のこと。
奥さんのお誕生日があるのだけど、
彼女はあまり物欲がなく、
毎年プレゼントに何をあげてよいか悩みどころ。
今年も間際までプランがなく、困っていたのだが、
いつも同じお店でセレクトするのも変わり映えがしないので、
今年は別の所でと、色々思案して、
かわいらしいものなら、倉敷なら色々あるあるはずと思い立って、
そちらへ出かけることに。
ついでに仕事の用事も一緒に片づけてしまいます。
せっかくなら、密を避ける意味でも、健康のためにも自転車で。
とはいえ、あくまで主目的はプレゼントゲットなので、
時間もないため、途中のわずらわしい市街地は
電車でショートカットして、おいしいとこ取りで走ることに。
昔はストイックに全自走して、走行距離を稼ぐことに必死でしたが、
もうそういう追い込み方をして、燃え尽きてしまうと、
チャリがまた遠のいてしまうので、
気軽に、ついでに、楽しく走れる分を、と力を抜いて。
ということで、始発のJRで輪行して姫路駅まで。
そこまでの100kmはトラフィックの多い、
見どころのない市街地ルートで、
もう目をつむっても走れるほど
走り倒しているのでショートカットです。
本当は面倒なので、姫路よりもう少し先まで楽をしようと思ってたら、
少し先で踏切事故が発生。
しばらく車内で待機していたのだけど、
かなり時間がかかりそうだったので、ここからスタートすることに。
(その先が復旧したのは3時間後だったようで、好判断でした)
姫路からJR線に沿って進み、はりま勝原まで。
そこから裏道を伝って、王子橋の所で揖保川に出る。
川を渡り、県道441号に入り、浦部で右折。
少しの登りをこなし竜野方面へ。
そこから再び少し登ってから、新幹線をくぐり、
R2には出ずに裏道。
相生には向かわず、
そのまま裏道で旭大橋のところで県道64号に入る。
そのままドンツキのボート公園前まで向かい、
R250に入って少し進むと、道の駅 あいおい白龍城。
なじみの場所ですが、久々です。
ここはトイレ休憩だけ。
工和橋を渡り、R250を引き続すすんで、
にぶいにぶい高取峠の登り。
そこそこ交通量があり、みなかっ飛ばしているので、
ひやひやしながら、峠をこなします。
反対側をダウンヒル。
意外とコーナーが多く、また減速帯のガタガタがあるので、
余り飛ばしすぎず慎重に下ります。
5年前にできたばかりの坂越大橋で対岸へ渡り、
のどかな千種川を南下していきます。
それにしてもいいお天気。絶好のライド日和。
しばらく進んで播州赤穂駅。
引き続きR250。
JR線をくぐって、大きくヘアピンを描きながら、
市街地を回り込むように進みます。
天和の先で1つ目の登り。
えっちら登って、JR線をまたぐ。
備前福河の集落の先で県境の登りへ入る。
いよいよ岡山県に突入です。
反対になだらかに下って、寒川・日生と進みます。
ちなみにカキは食べれないので、
日生に来てもいつも普通のお好み焼きやエビオコを食べる。
せめて片上大橋が自転車通行できたらいいのになあ。
そのままおだやかな東備港をなぞりながら西へ西へ。
リスタートして、不老川をなぞって伊部駅。
R2をまたいで、旧街道へ入る。
大ヶ池をなぞりながらのんびりと。
長船のところで、吉井川とぶつかるので、
ここでR2に入る。
交通量が多い幹線道路はできるだけ手早く進む。
備前大橋で対岸へ。
しばらく進むと、R2はバイパス化するので、
R250方面へ。
この先路肩が狭く、轍も多いので、
砂川橋を渡ったら、新幹線の方へ曲がって旧山陽道へ。
百間川を渡り、県道402号に入る。
そのまま直進し、JR線をまたいで岡山駅西口へ。
岡山駅はそのまま通過して、県道242号をひた走ります。
ちょうどお昼時ということもあってか、車の交通量がかなり多く、
ストレスフルで路肩を進む。
岡山西バイパス、笹ヶ瀬川を渡ると、
道は新幹線直下の側道となる。
ここはいつも信号によく捕まるのでストップ&ゴーになる。
本当は倉敷でお昼でもと思っていたのだが、
余りにお腹が減ってしまったので、
途中のファミマでガッツリ補給。
リスタートして、道は新幹線と別れて左手に折れ、
井田の敷地をなぞって、その先で倉敷JCTをくぐる。
ここから大通りはまたまたっ車だらけになり、慎重に抜けていく。
そうしてようやく倉敷に到着。
駅から裏道を伝って、美観地区へ。
時刻は13時。
途中からとはいえ、すでに130kmほど走ってきました。
お久しぶりの倉敷美観地区です。
なかなか盛況なようで、かなりの人出がありました。
時間もないし、人の多いところは避けたいし、
何より今回の目的は観光でも自転車でもなく、
プレゼントゲットなので、そちらのミッションを。
色々かわいらしいお店を何軒か見て回り、
最終的に本町通の入り口にある、ご存じ林源十郎商店さんへ。
そこでいい感じのイヤリングを発見してそれをゲットしたのだけど、
たまたまこの週末だけやっていた
京都のMORIKAGE SHIRTさんの展示販売があって、
そこで奥さんに絶対に合うワンピシャツを見つけてしまったものだから、
それも合わせて。
プレゼントが2つになってしまったけど、
まあ日頃頑張ってくれているし、いいっかな。
合わせて仕事の用事も済ませ、
倉敷で何か食べようかとも思ったけど、
さっき補給したばかりだったのと、
自転車を置けるところがなく、
人もどんどん増えるので早速離脱。
それよりも行きたい場所があり、そちらへ。
倉敷川に沿って進む県道22号で南下します。
R2バイパスをくぐり、
向こう側に見える小高い山並みに向かって
一直線の道を進みます。
粒江小東の先、瀬戸中央道までのところが急な登りで、
それをやっつけると短いトンネルをくぐる。
細かいアップダウンで丘を越え、反対側へ下る。
水島ICまで下ってから、県道21号を登り直し福林湖を通過。
そのまま反対側へ下って、徐々に市街地へ入ります。
しばらくして児島駅に到着。
ちなみにこの駅がJR西日本とJR四国の管轄区の境になります。
鷲羽山や下津井にも立ち寄りたかったのだけど、
そこまでの時間的な余裕がなかったのでそちらは断念して、
R430で児島港をなぞりながら東へ。
田の口で道が直角に折れ、そこから海際の道になる。
いや~い気持ちいいねえ。
さて、ここから目的地の王子が岳までのヒルクライムです。
R430を曲がると早速の登り、ぐんぐんと高度を上げていきます。
右にゆっくり弧を描きながらかなり急な斜面をヒ~ヒ~言いながら。
途中で車幅が狭くなる辺りまでは、結構な急坂。
そこをどうにかクリアし2連エアピンを抜けます。
少し斜度が緩み、2つほど分岐を見送って、
海側と反対の東斜面に取り付きます。
こちらもなかなかしんどい斜度が続き、
いくつかアップダウンを抜けて、
ようやく展望台に到着。
久々にキッツい登りでしたが、どうにかこうにか@@
展望所からは瀬戸内海の絶景が!!
南東の方向に対岸にうっすら高松の市街地が、
そして南西の方向には瀬戸大橋。
お見事です。
展望所からさらに少しのアップダウンをこなして、
新割山の駐車場へ。
そこからダートで先に進んで、
目的地の王子ヶ岳パークセンターに到着。
この中にある、belkさんで絶景を眺めながらコーヒーを一杯♪
と思ってきたのだけど、もう予約待ちがズラリで、
入れず@@@@
やっぱり人気なんだなあ@@@@
店内は入れませんでしたが、でもこの周辺は絶景だらけ。
景色だけでも堪能します。
この辺りはパラグライダーもできるほど、眺望が抜けているので、
本当に素晴らしい景色が眼前に広がっています。
瀬戸内海は、陸から海から島から山から、
色々なスポットからの景色を見てきましたが、
ここは3本の指に入る絶景です。
絶景にしばし見惚れているうちに、
時刻は17時になろうとしている。
そろそろ戻らないと遅くなってしまうので帰路につきます。
展望台の所の分岐を、来た方と別の方を選択し、
県道462号へ。
くねくね下って、おもちゃ王国を横切り、
県道427号に入って北進。
天王池まで下って県道62号を岡山方面へ。
秀天橋で幹線道路を離れ、直進して裏道へ。
JR宇野みなと線に沿って東へ進みます。
この一帯は児島湾をせき止めて作られた一大干拓地。
夕暮れで世界が黄金色に輝くなか、
一大平地をひた走ります。
そよぐ風以外にほとんど音がなく、
ただひたすらに世界が平和。
ああ、ずっとこんな時間が続けばいいのになあ。
ぐるっと湾をなぞって児島湾締切堤防で対岸へ渡ります。
この西側が淡水の児島湖、東側は海水の児島湾。
ちょうど湖の向う側に夕陽が落ちてゆきます。
道なりに大通りへ進み、洲崎で県道40号へ入り北上、
すぐにR2バイパスをくぐる。
ここからはトラフィック地獄。
十日市でR30に入るとさらに大混雑。
清輝橋でたまらず裏道へ。
そうして岡山駅へ到着。
本当はもっと走って帰ろうかとも思ったけど、
すでに200kmを越えているし、日没サスペンデッドということで。
とはいえまだ19時で、慌てて帰る事もないので、
のんびり在来線で帰宅。
<後日談>
奥さんの誕生日に無事プレゼント。
とても気に入ってもらえて、
わざわざ買いにいった甲斐がありました。
それから、ディナーはイチボのステーキ、
そして年に1度、奥さんのためだけにケーキ作り。
今年は白桃と桜桃のレアチーズケーキを。
子連れツーリング しまなみ海道
3月の事。
長女が無事に小学校を卒業しまして、
中学校入学の合間まで少しの自由な時間。
中学に入ると、
勉強だけでなくクラブ活動や色々なお付き合いなどで
忙しい日々に入ってしまうので、
小学校のうちにやっておきたいチャレンジとして
前々から温めておきながら、
コロナのせいで延び延びになってしまっていた
「しまなみ海道 親子ツーリング」。
コロナの状況がまだひっ迫する前に、
駆け込みで行ってきました。
しまなみ海道といえば、
アイランドホッピングをしながら海を渡る、
サイクリスト憧れの聖地です。
今回は、日程の都合もあり、
まずはオレンジフェリーで
そこから尾道を目指していくルートになります。
なので、アプローチを含めると
おおよそ100kmのチャレンジになります。
島と島をつなぐ大橋ごとに、アップダウンがあり、
島の中間での峠越えもあり、
小学生にとってはなかなかのハードさになりますが、
回転木馬のアワイチでも、
厳しい急坂を足つきなしで登り切って
みんなを感動させた、
”坂道姉ちゃん”の異名をとる娘なので、
本人はがぜんヤル気満々です。
3月はなぜか週末ごとに雨でなかなか予定が立たず、
ヤキモキしていましたが、
密を避ける効果も考えて、日曜版に出立して、
平日月曜日に走る行程に切り替えて手配。
そして当日。かなりの大雨で、
本当は自宅から南港まで走っていく予定をあきらめて、
自宅から輪行。
自分のカーボンバイクはまだいいのだけど、
娘のアルミMTBの重いこと重いこと。
時間をかけつつ、電車を乗り換えて出港の30分前に到着。
受付を済ませていざ乗船です。
自転車は輪行袋に入れて荷物扱いだとチャージ不要でした。
いざ乗船すると、見事なエントランスロビーで、
まるで船であることを忘れて、どこかのホテルみたい。
早速チェックインをして、スイートへ。
入ると、十分すぎるしつらえで、娘とびっくり。
翌日の大冒険にむけてゆっくり体を休めることができます。
とはいえ寝るにはまだ早いので、船内を少し探検。
甲板に出て22時の出港を。
船旅はこの離岸の刹那が旅情を演出してくれますね。
丸一日降った雨がようやくこの自分になって止み、
低く垂れこめた雨雲を見送って、船は西へ西へと、
暗闇を進みます。
船外は風がかなり強くて、すぐに体が冷えてしまい、
暖を取る意味でもレストランで温かいものを食べる。
22:30ラストオーダーぎりぎりセーフ。
それからしばらくはロビー辺りで、
地図を見ながら、翌日のコースを説明したりしていると、
そろそろ、明石海峡大橋をくぐる頃。
再び強風の甲板に出て、大橋をくぐりました。
それから、明日に備えて就寝です。
翌朝は5時少し前に起床。
色々と準備(特に自分はザックに娘の荷物を入れているのでパンパン)して、
レストランで朝食。
オレンジフェリーは朝食に力を入れているので楽しみにしていました。
娘は和食、自分は洋食。
自慢のマーマレードや、厚切りのハム、パンがおいしくて、
なるほどなるほど。
船は6時ジャストに東予港に到着。
とはいえすぐには降りれないので、
下船口で輪行抱えて待ちます。
そして下船の合図で船を降り、
すぐに駐車場でマシンを組み立てます。
当初、娘の負担を少しでも減らすために、
今治まで可能であれば電車で移動を考えていて、
最寄りの玉之江駅から6:33に電車があり、
頑張れば間に合うかと急ぎましたが、
ここを出発時点で6:15をすぎており断念。
ということで気を取り直して、いざ出発!!
田んぼを貫く直線道を西へ。
他のサイクリストたちはみなR196に入って、
そのまま今治方面へ進んでいきますが、
我々は玉之江駅方面へさらに西へ進みます。
R196はすでにこの時間でも交通量が多く、
しかも大型車が多い上に、
路肩が狭く、轍も多くて走りづらい、
おまけに河原津海岸の所の登りが裏ルートより斜度が急なので、
フレッシュの際にも利用した、
勝手知ったる裏ルートへ迂回するためです。
壬生川の図書館や新聞社などが並ぶ大通りに出て、
車のほとんど来ないノーストレスで、
東の空からオレンジの光を浴びながら、快調に北上します。
今治小松道をくぐり、ファミマの所の交差点で左折し、
県道159、150号へ入ります。
川を越え、しばらく進むと予讃線をまたぎます。
もう一度小さな川を渡ると、
向こう側にアンパンマン列車が走っていくのが見えました。
もう一度予讃線とクロスしてトンネルをくぐると、
徐々に登り基調になります。
わずかに急な坂を上ると県道159号へ合流し、右折して、
世田薬師さんの所の峠越え。
本日1発目の登りも、なんなくクリアして、
向こう側へとダウンヒル。
下りきった先でR196と合流します。
ここからしばらくは交通量の多い国道を行くしかないので、
辛抱して進みます。
リスタートして、その先の長沢の交差点で右折し、
県道38号(今治街道)へ入ります。
この日は平日ということもあり、
通勤の車や通学の自転車がそこそこいて、
慎重に路肩を進んでいきます。
頓田川橋を渡り、喜田村交差点で右手の産業道路へ入ります。
このところ娘は歴史、それも戦国時代に興味津々なので、
せっかくなので歴史スポットもめぐる予定にしていました。
まずはその1つ目として、今治城に寄り道です。
時刻は8時ジャスト。
今治城は言わずと知れた城造りの名人、
藤堂高虎により築城されました。
慶長7年(1602年)に築城開始、完成がその2年後、
つまり戦国末期のものなので
実際には戦のための城ではなく、
統治の政のための城だと考えられます。
別名、吹上城。
高虎が関ケ原の戦いの武功でこの地にやってきた当時の城は、
今の伊予富田の南にある唐子山の山頂にあった国府城であったが、
より海上交通ににらみを利かせられるポイントとして
今の場所に新たに築城したのが今治城です。
海の間近に建てられたこともあり、堀には海水が引き込まれ、
当時は船が直接城を出入りできるようになっており、
日本三大水城の一つに数えられています。
この城が凄いのはその地盤の埋立技術。
当時はこの一帯は今張と呼ばれ、
つまり遠浅海岸を埋め立てた新開地で、
地盤が弱く、それらを考慮して、
杭打ちなどで地盤を固めた上に築城しているのだ。
当時の再選他の土木技術が結集したのがこの今治城なのです。
残念ながら、まだ開館前だったので、
内部は見学できませんでしたが、
城好きの娘は大満足の様子でいた。
さて、寄り道もほどほどにして、先へ進みます。
市街地を通り抜けて、R317へ入ると、
少しずつ緩やかな登り。
えっちらおっちら上って西瀬戸自動車道をまたぎます。
この辺りからいよいよ、道に、自転車向けの案内用として、
ブルーラインが引かれています。
それに沿って、県道161号へ入ります。
その先のファミマで、小休止して、食料等々の買い出し。
ここまでですでに20kmちょいほど走ってきました。
時刻は8:30。
10分ほどの休憩ののちリスタート。
ここから目と鼻の先に、いよいよしまなみ海道の案内板があり、
そこからがいよいよ大冒険の本番!!
しょっぱなから、登りがはじまります。
糸山までは、そこそこ急な登りを
くねくねと回りながら登っていきます。
娘のペダリングにも力が入っています。
頑張れ、頑張れ!!
この辺りはまだ体力十分で、
余裕で足つきなしで登り切りました。
せっかくなのでサンライズ糸山にも寄り道。
ここから、このあとすぐに訪れる来島海峡を眺めます。
のっけからハイライトです。
長女もそのスケールの大きさにおおっ!となっていました。
売店だけ開いていたので、少しだけ覗いて、
おそろいの安全のお守りステッカーシールを購入し、
それぞれのマシンに張り付けました。
そしていよいよ、アイランドホッピングへとスタートです。
サンライズ糸島から、先ほどの本線に戻り、
ぐるぐると回廊を回りながら少しずつ登っていきます。
そしていよいよ高速道路の高さまで上がってきて、
来島海峡を渡ります!!
イヤッホイ!!
全長が約4.1㎞もあります。
下を覗いてみると潮がぐるぐると渦巻いていたり、
複雑な地形に海水がぶつかり合って
白波を立てているのがわかります。
それにしても高い@@@
娘も興奮気味に、下をのぞいたり、景色を取ったり。
この日は黄砂のせいで若干遠くがかすみ気味でしたが、
それでも絶景を十分に満喫できるいいお天気。
途中途中で、立ち止まって景色を楽しみながら、
ゆったりと渡り切りました。
まず1つ目の橋を渡り切って、大島に上陸しました。
自転車用のループを伝って海岸線まで降りたら、
道の駅よしうみいきいき館で少し休憩して、
渡ってきた来島海峡大橋をバックに写真撮影。
まだ時間が早かったし、この後の時間もないので、断念したけど、
本当は渦潮クルーズとか乗れたら、娘を喜ばせることができたんだけど。
今回は完走第一で、それはまた次の機会に。
よしうみいきいき館を出発すると、すぐに急な登りです。
他のサイクリストも四苦八苦で登っていますが、
ここで娘にええカッコ見せたろと、
後からゆっくりおいでと言い残して
大人げなくフルアタックで、全員ぶち抜いて一等賞!!
(しかも今回はビンディングじゃなくトレランシューズで)
登り切ったら、すぐに下り返して、娘を迎えに行くと、
娘がすごいすごいと言いながら、笑ってました。
そういう娘も、意外と早く登ってきてて、足つきなしでクリア。
流石です。
高速の入り口の交差点からは向こう側に、
緩やかに長く下り。
気持ちよく風を切りながら、
島の中心部を通り過ぎていきます。
そしてしばらく進むと、
橋の上り下り以外ではおそらく一番の登りになる
宮窪峠にさしかかります。
ここはゆっくり娘のペースに合わせながら、
慌てずじっくり攻めます。
娘もギアを落として、自分のペースを守って、真剣モード。
ここも無事足つきなしでクリアです。
(後で聞いたら、ここが一番しんどかったそう)
高速の真下で峠を越えたら、
宮窪の集落へ向けて一気の下り。
難所をクリアした後の油断でダウンヒルが一番危ないので
娘に注意喚起しつつ、慎重に下ります。
下りきって海のところを本来は左折するのがしまなみルートですが、
今回はそこを右折します。
集落を抜けた先に、
ここも歴史好きの娘のお楽しみにとやってきたのですが、
月曜休館!!
あらま、残念でしたが、
ここから見える海の真ん中にある能島(のしま)を眺めながら、
色々歴史をレクチャーしてあげました。
この一帯は、南北朝から戦国時代にかけて、
海の上での最強軍団と言われた海賊ですが、
海賊といっても無差別に往来する船を襲撃して、
金品を奪うようなものではなく、
どこの国にも属すことなく、自分たちの自治をもち、
周辺を運航する船から通行料を得る代わりに、
複雑に入り組んだ地形で生み出される、
難しくて速い潮が流れる海域を安全に通過できるように
水先案内を担ったり、
周辺の国々からの依頼を受けて、
海での戦に参加したりしていました。
信長の石山本願寺攻めの際には、
毛利からの依頼で石山本願寺側につき、
第一次木津川口の海戦では、早船を駆使して
信長軍を撃退する大活躍を果たしました。
当時の政の中心地であった、京都や畿内に直接つながり、
西国の国々に面する瀬戸内海の制海権を握ることは、
天下統一の極めて重要なポイントであり、
村上水軍は歴史舞台の様々な場面で、
鍵となる役割を果たしました。
残念ながら博物館は閉まっていたので、リスタート。
少し戻って、先ほどの分岐を直進して、
しまなみルートの本線に戻ります。
しばらく進むと、村上水軍の本拠地である能島が目の前に。
ここで再び立ち止まって、歴史のお話を。
すぐ目の前、まるで海というより大河のように、
激しく流れる海面のど真ん中に、平らな小島がポツンとあり、
それが村上水軍の本拠地・能島。
見た目の通り、いくつもの島と島の間を激しく出入りする潮流が、
予測がつかない複雑な流れを作り、
またその流れには一見してわからない、
浅瀬や岩の突起が海面下に潜み、
容易には近づけない魔の海域の、まさに只中に位置しています。
あそこにもいつか娘と上陸したいなあ。
能島を後にして、引き続き海岸線をなぞっていきます。
しばらく進むと、大きな橋が見えてきました。
あそこまで再び登らないといけません。
いったん橋をくぐり、その先の自転車道の登りまで。
そこからぐるぐるとスロープを回りながら高度を上げていきます。
この時は、風が結構強く吹いていて、
登りのアゲインストに四苦八苦しながら、
ここも足つきなしで娘さん、登り切りました。
そうして、橋を渡って2つ目の島・伯方島上陸!!
橋を降りるとすぐ下に伯方ビーチと
道の駅 伯方S・Cパークがあり少し休憩です。
時刻は11:30、ここか次の道の駅 多々羅しまなみ公園かで
お昼をと思ってたのですが、
小腹も減ったのでこちらで軽く食べることにしました。
中のレストランは結構混んでいて、
せっかくならビーチで食べようと売店で購入。
結構風が強かったのだけど、
自分は焼豚玉子飯、娘は鯛塩ラーメン。
伯方といえばの伯方の塩。塩ソフトクリームが有名だけど、
寒かったのと、あとでアイスは食べるので今回はなし。
腹ごしらえをすまして、リスタートです。
しまなみルートは伯方島の西岸を軽くなぞるだけなので、
あっという間です。
造船所横のちょっとしたのぼりが若干急で、
それを乗り越えたら、高速の下で交差して、自転車道へ。
ここはダラダラとした登りで進み、
一番最初に架けられた大橋(1979年完成)で、
海峡部に架けられたものでしまなみ唯一のアーチ橋。
この日も風が強いせいで、
海面にはいくつもの白波が立っていました。
それがまるで『この世界の片隅に』で、
すずさんが絵に描いた白波の兎のようでした。
娘にそれを伝えると、「ほんまや!」と嬉しそうでした。
大三島橋からは長い長いスロープを海岸線まで下るのですが、
ここのスロープはとても長くて、
しかも細かく先の見えづらいカーブの連続なので、
センターラインをオーバーランして
対向車と正面衝突しないように
慎重に下ります。
スロープを降り切ると、
R317に復帰してほぼまっすぐな道を進みます。
大三島の東端をなぞって走ると、
徐々に前方右手にある多々羅大橋が大きくなってきます。
さっき補給をしたところなのですが、せっかくなので、
橋の入り口にある道の駅 多々羅しまなみ公園へ立ち寄ります。
少しお土産を見て回ったのち、この施設の裏側にある
サイクリストの聖地で記念撮影。
平日でしたが、たくさんのサイクリストがいました。
さすが、世界中のサイクリストあこがれの地です。
しばしの休憩ののち、先へ進みます。
時刻は13時を少し回ったところ。
順調なペースで来ています。
橋の上部まで、スロープの登りをこなし、
多々羅大橋を渡ります。
1995年完成当時の世界最長の斜張橋です。
この橋は設計の段階で、
周囲の景観や環境保全、橋のデザイン性なども重視されたため、
とても美しいシルエットをしています。
この橋のちょうど中間地点で、しまなみ海道も折り返しです。
そして、橋の中央が県境となっていて、
さらば四国!!
瀬戸内レモンの発祥の地として有名ですね。
国産のレモンの5割が広島県産で、
さらにその3割がここ生口島で栽培されています。
柑橘類の畑がたくさん見られますが、
それは瀬戸内の温暖で穏やかな気候に加えて、
島の約50%が急峻な山の斜面になっていて、
レモン栽培に適していたためです。
ここ生口島(瀬戸田)ではなんと約100年前(1928年)から
レモン栽培がおこなわれています。
この生口島には何かと深い縁がございまして、
まだ西瀬戸自動車道が全通する前から、
たびたびこの島を訪れてきました。
なにしろ大事な親戚筋の生まれ故郷でもあり、
第2の故郷といってもいいくらい大切な大切な場所です。
20年前は、忘れ去られた島のように、本当に閑古鳥が鳴いて、
でも逆にそのおかげでとても静かでのどかで、素朴な町でしたが、
今ではサイクリストも含めて
たくさんの人が訪れる人気の島となりました。
大学の卒業にサークルのメンツで卒業ドライブに出かけ、
その際に奥さんが人生最初で最後、
公道を自分で運転した(といってもわずか500m)場所で、
娘にそれを教えると、「なーそれ」という反応でした。
当時からある島ごと美術館のアート作品が、
しまなみコースの途中にもありますが、
自分はこの「波の翼」が一番好きです。
さてさて、サンセットビーチを過ぎ、
島の西海岸をなぞって、
ここも昔はかなりさびれた町でしたが、
今はなかなか人気のようです。
(コロナのせいか、名物のタコ料理を出す、
大好きなお店が潰れてたのはショック…)
しおまち商店街をゆっくりと通過し、
耕三寺前のいつものドルチェで一服いれます。
本店はもう少し行った町はずれにありますが、
自分は必ずいつもこちら。
さて時刻はもうじき14:30です。
残りの距離も40kmを切りましたが、
そろそろ娘も自分もお疲れモードになってきているし、
あまり悠長にはできないので、名残惜しいですが
瀬戸田の町を後にします。
また来るよ~。
リスタート後は、生口島の北側の海岸線を進みます。
そうして次の橋、生口橋が見えてきました。
ここはこちら側からだと少し、
自転車道への入り口がわかりづらいので慎重に。
えっちらおっちら登り詰めて、橋を渡ります。
遠くの島と島に、
両島からつながっていない建設中の橋桁が見えました。
さて、橋を渡るといよいよ因島です。
西岸を北上して、岩鬼の所でコースが2つ分かれるのですが、
間違って内陸コースを選んでしまって、
高速までの余計な峠越えを1つ2つ。
娘の体力を考えれば海岸線コースの方がよかったのだけど、
痛恨のミスです。
それでも、気合を入れて娘さん、
ここも足つきなしでクリアです。
因島北ICの横を左折し、県道367号を少し進み、右折。
フラワーセンターの横を通過し、再び登りをこなせば、
後は海までまっしぐらのまっすぐな下り。
ここも気持ちがよい。
しかしこの先、大浜から因島大橋の入り口までが、
直線的な急坂。
そろそろお疲れ気味の長女にとってはかなりきつい状況だったが、
弱音を吐かず、黙々とペダルをまわし続け、
ここもついに足つきなしで登り切りました!
わが娘、タフだな!!
そして、本格的な登りはこれがラストでした。
よく頑張りました!!
そして最後の橋、因島大橋へ向かいます。
(もう1つ先の尾道大橋は自転車では渡れないので)
ここは、自動車の走行部分の下に、
自転車・歩行者用が設けられていて、
橋桁の間を抜けていきます。
そしていよいよ最後の島、大島に上陸です。
島の南側へ降り、
そろそろ夕暮れて黄金色に輝き始めた海岸線をゆっくりと。
渡ってきた因島大橋をくぐる手前に小さな海岸があり、
そこで名残惜しく、少し休憩。
海がとても穏やかで、世界がキラキラ輝いてて、
波と風のほかに音はなく、
短いながらもものすごくいい時間でした。
大島の西海岸をゆったり進み、
左手の対岸に岩子島を見ながら
東山繁多寺のあたりで道は海に別れを告げて、
右に折れ市街地へと向かっていきます。
徐々に周囲も町らしくなり、車の往来も増えてきました。
もうゴールは目前ですが、油断して事故はいけないので、
最後の最後まで気を引き締めていきます。
富浜橋の交差点で左折し、ドンツキの渡船場に到着。
自転車ライドはここまで。よく走り切ってくれました!
しばらくして船が到着し、乗り込みます。
愛する尾道の町と千光寺山の美しいシルエットに向かって
ゆっくりゆっくり、町の営むのと同じ速さで、
海を渡ります。
なんてすばらしい時間。
美しい船旅もつかの間。あっという間に尾道に到着。
そうして、桟橋に降り立ち、
これにていよいよ、しまなみ海道サイクリングの全完走です!!
娘ちゃん、よくよく頑張りました!!
朝6時15分に出発し、夕方16時55分到着、
所要時間10時間40分のライドでした。
アプローチも含め、登りあり下りありで、
約100kmの大冒険を、
自らの足だけで、それも足つきなしで完走してくれました。
もうそれ以上も以下もなく、本当にそれにつきます。
しまなみ海道は何度も何度も走っていますが、
娘と走る今回は、今までとは全然違う経験で、格別でした。
願わくば、この経験が、彼女のこれからの糧になってくれたら、
なお嬉しいなあ。
さあ、大冒険を完走したのも束の間、
帰るまでが遠足です。
今日中には帰宅しないといけないので、
まずは帰りの新幹線の手配です。
2020年5月から特大荷物については、
車両最後列の座席の予約が必須になったので
それを確保しておきます。
それからせっかくなので、
おみやげと夕食を。
コロナの影響もあり、また月曜日ということもあって、
たくさんの店が閉まってたのだけど
尾道へ来たら必ずと言っていいほど立ち寄る
「みやち」さんは開いてました。
ということで、中華そばを。
疲れた体に優しいスープが沁みるわあ。
お腹を満たしお土産も無事ゲットして、
マシンをばらして輪行へ。
在来線で福山まで向かい、そこから新幹線さくらで新大阪。
再びマシンをセッティングして、自宅まで油断なく自走。
22時には無事帰宅。
お疲れ様!!
三田村管打団?春!桜!「絹う研」ミーティング 合言葉はソーシャル・レジスタンス!!
4月の頭。
おととし初めて参加して、ものすごく幸福で印象深く、
素晴らしい春の思い出となった
絹延橋うどん研究所での三田村管打団?ライブ。
去年もとてもとても待ち望んでいたのだけど、コロナの影響で、
やむなく中止になってしまい、本当に残念でした。
たまたま去年夏の「冬にわかれて」のライブで、
絹う研の永尾さんをお見掛けしてお声掛けした際にも、
開催できなことがとても悔しい様子で、
来年こそはとお話をしていました。
↓2019年の記事
そしてずっとずっと待ち望んでおったのですが、
今年は皆さん並々ならぬ意気込みで、
ソーシャル・ディスタンスならぬ、
「ソーシャル・レジスタンス」と銘打って(なんていいスローガン!)、
人数も少数限定、あらゆるコロナ対策を講じ、
窓は大開放のバッチリ換気で、
ささやかながらも、祝祭の宴を催していただけることになりました。
その一報に思わず「やったぁ!!」と小躍りしたのはナイショです。
当日はあいにくの大雨。
桜散らしの雨です。
ライブでは、演奏後に参加者みんなそろって
桶うどんをつつくのがセットなのですが、
残念ながら今回はさすがにそれはなし。
でもでも、せっかくなら絶品のうどんをいただきたいので、
ライブ前にお店のランチ営業へ。
言わずと知れた大阪のうどんの名店、
絹延橋うどん研究所です。
時々ロードバイクで立ち寄っては、
絶品のうどんをいただいてきましたが
何度でも通いたいお店です。
食材にもこだわり、有機野菜などの自家栽培にもこだわった
安心安全なうどんは、本当に滋味深くおいしいのです。
この日も、バラエティ豊かなメニューに相当悩んだのですが、
悩みに悩んで、レモンうどんの冷や!
お出汁の豊潤な味わいに、すっきりとした無農薬レモンの風味。
うれしいのは追いレモン用のレモン付き!
そのお出汁に決して打ち負けることのない
石臼全粒粉の面の旨味・天然の甘味。
これを最高といわずに何と言えよう。
おいしゅうございました。
家族もみな大満足でスマイルでしたが、
特に次女はあまりの美味しさに大人サイズをぺろりと平らげて、
お店の方がそれを見てとても喜んでおられました。
お腹いっぱいになったら、2階へ。
ライブまでは少しだけ時間があり、各々まったり。
この日は本当はお天気が良ければ、おととしのように、
猪名川沿いの桜並木のもとで、
まるでクストリツァの映画のように、
楽隊が祝祭の歌を響かせる、
そんな夢のようなシチュエーションが再び見られたのですが、
あいにくの雨で、今回は室内のみ。
それでも、この2階の空間がまたとっても素晴らしくて、
眼前には五月山の緑が飛び込む大きな窓、
たくさんの本やおもちゃや雑貨の類、
そして色々と漬けられたおいしいもの達が出番を待つ瓶の数々。
ああ、こんな家いいなあといつも思います。
ライブまでの間に一杯。
娘たちは自家製のいちご水。
横から少しいただきましたがこれがとっても甘くて美味!!
さてさて時間となり、いよいよライブスタートです。
今回は、機材の関係などもあり?、
今回は打楽器対不在で、
管楽器隊オンリーの珍しい編成です。
そして各々のパートの楽器に加えて、
色々なトイ楽器も手元に用意されていて、
いろんな楽しい音がポンポンポンと沸き起こって
お祭りがスタートです。
三田村管打団?の音楽はまさに音が楽していて、
自然と体がリズムを取ってしまったり、
つい一緒に何か音を出したくなってしまいます。
実際、こっそり持ってきていたトイ楽器を
娘たちと一緒に後方から鳴らしておりました。
とにかく楽しい音が鳴っていれば、万事OKというか、
どんな音も取り込んで、ごった煮して、おいしくしてしまう、
そんな大きな大きな炊き出し鍋のような楽隊で、
実際、子供たちが騒いだり、叫んだり、怒ったり、
泣いたりしているのやら、
お客さんがわいのわいのと楽しそうにしている音やら、
食器がカチャカチャなったり、
外で鳴り響くサイレンやら、
そんなのもまるで絶妙の合いの手となってゆくのです。
だって生きていれば、音ってのは自然と出ちゃうもので、
それを否定も拒むこともできないのです。
だったら音が鳴ること自体をまるっと受け入れて、
音が鳴る喜びを純粋に楽しもうじゃないか!?
そういう無邪気さが自由の風となって、
そこかしこに吹くのです。
音よ鳴れ、音よ集まれ、鳴らせよ生ける証!!
ああ、楽しくないはずがない!!
↓アザ・ブランカ
あっという間に前半が終り、少しの休憩タイムです。
リーダーで旧グッゲンハイム邸の管理人さんでもある森本アリさん、
そしてトロンボーン担当の清造さんが、物販に立たれていたので
お久しぶりのご挨拶。
我々ちょうど、「途中でやめる」の服を着ていて、
それに興味津々のようで、色々お話ししました。
アリさんも、「途中でやめる」に感化されたそうで、
今日着てるTシャツ、
着なくなったTシャツを切り貼りしてリ・デザインしたのだそう。
みんな気になるところはおんなじだなあ。
そしてさっきMCでお話しされてた長屋レシピと、
かわいらしい三田村管打団?Tシャツを見つけて、
早速購入しました。
休憩をはさんでも、楽しい音楽は続きます。
そういえば、今回は残念ながら永尾さんの演奏がなかったですが、
それはまた次回のお楽しみに。
そしてそして、三田村管打団?の中でも一番好きな
『キネンジロー』です。
お客様の中にトライアングルができる方おりませんか~?
のアナウンスもありましたが笑、
いつものように、清造さんの超絶トライアングルが炸裂してました。
↓『キネンジロー』
音楽というのは本当に人の心に直接作用する素晴らしいものですが、
素晴らしい音楽というのは、技術的に完成されているかどうかとか、
広く世間に認知され売れているかどうかとか、そんなことではなく、
ただ、その音楽が鳴り響く空間、居合わせた人たちの間に、
どれだけ心地よい場を生み出すか、その1点に尽きるのだと思います。
三田村管打団?のライブを体感する(決して一方的に見るではない)たび、
ああ今とってもハッピーだな、今日1日いい日だったなあと
しみじみと感じられるとともに、
老若男女を問わず、
思わずみんな笑顔になってしまうのですから、
本当にいい音楽、いい場が繰り広げられているのです。
あれこれ言いましたが、何が言いたいかというと、
それは、三田村管打団?が愛すべき楽隊だということです!!
いやあ、素晴らしい時間でした。
2時間があっという間。
すっかりお腹も心も満たされて、ほかほか気分です。
この1年、コロナや邪悪な大人たちの悪行や、色々な人の訃報やら
気の滅入ることばかりの日々で、
この春もまだまだ予断を許さないなかで、
ほんのひと時、それらをすっかり忘れて、
心地の良い音楽耳をゆだねることのできる幸福な時間でした。
そして、やっぱりこの生の体験こそが、
ほんのわずかに残された、
だけども間違いなく明日へとつながる希望です。
まさに合言葉はソーシャル・レジスタンス!
名残惜しい気持ちを引きずりながら、
終演後は、雨の中、猪名川沿いを歩いて、
散りゆく桜を見送りました。
来年もぜひ開催されることを!
数日後、お土産に買って帰った全粒粉を使って、
奥さんがうどんを打ってくれました。
全粒粉だけだと、まとめづらいかもと、
サービスでいただいた別の小麦粉(さぬきの夢)をブレンドして
娘たちと楽しくコネコネしたもの。
全粒粉ならではの香りとほのかな甘味、
そして程よい嚙み心地に大満足でした。
永尾さんに感謝です。
<余談>
5/14からシネリーブル神戸で、
三田村管打団?のみなさんが活動拠点にしている
(というよりほぼみなさん出演してる)
神戸・塩屋の旧グッゲンハイム邸を舞台にした映画
『旧グッゲンハイム邸裏長屋』が劇場公開されます。
おととし、映画完成会で一足早く映画を見たのだけど、
ほのぼのとした日常が丁寧に描かれていて、
とても良かった!またお目にかかれるのが楽しみです。
きっと気に入るはず!
それにしても、それにしても、塩屋の暮らしは憧れです@@
公式HP