記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

摂津ポタ

いつぞやのポタリング

緊急事態宣言下で、おおそれと遠征もできないが、

体力維持のための運動は欠かせないので、近場をぶらり。

この日は、正雀・相川エリアへ。

 

淀川を渡って、淡路界隈を抜けて、神崎川へ。

この辺りは相川の地名の通り、

いくつもの川や水路がう複雑に交差する一帯。

淀川から分岐してきた神崎川と、

北摂から流れてきた安威川が合流するところが

まさに相川です。

 

このちいさなデルタ地帯に設けられた相川の街は、

実は駅を中心に放射状に街路が敷かれ、

かの田園調布のように整備されています。

これは鉄道会社がこの地の宅地販売の戦略として行ったのですが

実はこれは阪急ではなく京阪の業績です。

なぜ、阪急京都線の駅前なのに、京阪?と思われるかもしれませんが、

実は、現在の阪急京都線は、もともとは京阪の路線でした。

(実際には京阪の子会社・新京阪電鉄

戦時中に、陸運調整法により、京阪と阪急は強制合併されられ、

戦後に再び分離する際に、

なぜかもともと京阪の路線であったはずの新京阪線

阪急側に譲渡されることになりました。

これにはいろいろな説がありますが、

勢力に勝る阪急側が半ば強奪するような形で接収したというのが有力になっています。

 

現在の阪急京都線が京阪の者でったという名残は今もいくつかあり、

相川駅を出てすぐ西側、安威川に架かる橋の名は、新京阪橋です。

また、阪急の主要3路線が並走する十三~梅田区間で、

唯一京都線だけ中津駅がないのも、もとは別々の路線が並走していたからです。

 

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さて、相川の東側へ戻り、井高野方面へ。

ここは安威川と並走するように、高槻の芥川から引かれた水路が並走します。

なぜ、一本の河川に合流させないのか、色々な事情があると思いますが、

水路が並走したり合流したり、あるいは水路が水路の上を横断したり、

細かい水路が網の目のように張り巡らされていて、この辺りは実に面白い。

それだけこの辺りでは、農作用に水が重要だっただろうが、

逆にこれほど土地の低く緩い地盤の地で、治水的には問題ないのだろうか。

それぐらい水路の街といってよい。

 

ひとつ面白いのが、淀川を除いて、

この界隈ではもちろん、北摂最大の川・安威川は、

淀川水系に属しているのだが、直接,淀川に流れ込んでいないのだ。

安威川京都府亀岡市の竜ヶ尾山辺りを発端とし、竜仙峡を流れた後、

茨木市を南北に貫いてから新幹線と並走し、

相川で神崎川と合流,最後は中島川となり大阪湾へ注ぐのだ。

この辺りの河川、例えばお隣の高槻を流れる芥川なども、

残らず最終的には淀川へと吸収合併するのに、なぜ安威川だけ???

この川は昔から治水に難のある川だったが、であればなおさら、

淀川に繋げた方が何かとよいはずなのだが…

完全に意図的に淀川には接続していない。

 

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さて、安威川をなぞっていき、

近畿道大阪モノレール・中央環状の大動脈をくぐると、

そこに今回のお目当ての目的地、新幹線公園があります。

ここには初代0系新幹線が展示されています。

またその横には広大な鳥飼新幹線車両基地があり、

フェンスの向う側にはいくつもの新幹線がズラリ。

もう少しよく見えればいいのだけど…

 

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車両基地の東側は、新幹線がグラウンドレベルで走る区間で、

真横の道から、滑走する新幹線を体感できます。

写真を何度もトライしますが、ほんの一瞬なので難しい!!

 

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そろそろ帰路につきます。

いったんダイキンの広大な工場をひとまわりしてから、

鳥飼大橋の西側に新たに設けられた歩道を使って対岸へ渡る。

途中で定番おやつも忘れずに。

 

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北摂酒蔵イド

GWのこと。緊急事態宣言で発動で、

好き勝手にいろんな場所へ行けなくなってしまったのだが、

仕事の用事で行かなければならないところがあり、

春先からずっと言っている自身の健康管理の問題もあり、

運動せねばならないので、全く引き篭もっているわけにもいかぬ。

単独チャリなら、三密回避もろもろクリアできるだろうし、

趣味と実益を兼ねて、越境しない形で(といってもちょっとはみ出し)、

走ってきました。

 

いつものように大阪空港をかすめ、猪名川CRを北上。

池田にやってきました。この辺りは江戸時代に大いに栄えた街で、

その面影を今も残す酒蔵2つ、大阪を代表する呉春、そして緑一へ。 

 

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池田を後にして、いったん川西側へ渡り、県道12号を北上。

多田銀橋を渡って、R173へ。

交通量の多い能勢街道を進んで、一の鳥居で右折しR477。

鈍い登りをこなしてときわ台を越える。

妙見山を右手にアップダウンを繰り返して、

お久しぶりに野間まできました。

チャリ全盛期には、週2週3で来てた場所ですが、何年ぶりでしょうか。

余りほかのローディーさんがたくさんいるところは

何かと面倒なので避けるようになってしまいました。

ひさしぶりに野間の大ケヤキでパチリ。

 

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野間からさらに北上して倉垣橋を過ぎて、

ここを越えればもう京都府亀岡市というひいらぎ峠の手前にある

秋鹿酒造さんへ。

大好きな酒蔵さんです。

 

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まるでここが大阪かと思うようなのどかな奥能勢の田園地帯を戻ります。

どこから戻るにしても、もう一度山を越えていかねばなりません。

いっちょ、足試しと、この辺りでもとりわけ激坂の堀越峠西側へアタック。

途中、工事信号があったけど警備員さんがうまく誘導してくれたこともあり、

足つきせずにアタック成功。まだまだ鈍っておりません!!

 

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堀越峠を東側へ下ってR423へ出ます。

余野のファミマで小休止。

ローディーやバイカー御用達のコンビニで有名だけど、

余りに人が多すぎ。

 

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余野からは、県道110号へ。

希望がないことで有名な希望が丘を左手に、峠を越えて、

そこからは一気のダウンヒル。日が暮れてそろそろ風が冷たい。

泉原を過ぎ、ここからはテクニカルな高速ダウンヒル

すっかり冷えてしまいました。

 

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中河原でR171に出て、そのまま茨木ICをくぐって、東進。

摂津富田にやってきました。

この富田郷も酒蔵があり、

エルマークで有名な國乃長、そして清鶴さんがいまも現役。

 

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さてさて帰ります。

裏道を使って、富田から茨木市へ進み、

そこからは新庄ガード南から、元茨木川だった緑道を南下。

沢良宣で右折して千里丘方面へ。

そこから神崎川に出て、あとはよしなに。

 

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ということで、大阪北部の酒蔵を巡ってきました。 

ひさびさに山岳ルートだったのでちょっと疲れましたが、

思ったより鈍ってなかったのはよかった。

 

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これらの収穫した情報は下記の記事にまとめました。

酒に罪なし、コロナでピンチをむかえている酒蔵を応援するには、

お酒を買って飲むのが一番!

ということで、地元大阪北部の全酒蔵を紹介しています。

 

www.mapple.net

 

 

梅しごと

梅雨から初夏にかけての季節といえば、やはり梅しごとです。

我が家も家族みんなで梅干しづくりをしました。

 なぜだかみんな、梅のなり口にあるヘタ取りという地味な作業が大好きで

半ば取り合いながら、競いながら、ヘタ取りをしました。

下ごしらえをして、少し早いのだけど、梅を天日干ししているところです。

食べごろになるまでまだ、あと3か月ほど。待ち遠しいなあ。 

 

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ついでにと言ってはなんだけど、

この時期、市場で手に入る実山椒でしょうゆ煮もこさえました。

こちらも実を枝から取るという作業が大人気。

なんて地味な一家笑笑

こちらは簡単に完成です。ちょっと茹でが足らず硬めで、刺激強めですが、

白飯がススムこと間違いなし。

 

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レシピはこちらで公開しています。

ってPRかい!!

 

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料理は、自立して一人暮らしを始めてからだから、かれこれ20年以上。

コロナ禍になって、完全に我が家のキッチンをフルで任されるようになりましたが、

今は何より料理をしていることが一番楽しいというか、気分が落ち着きます。

ギターを弾けば、そうじゃないとか、ヘタクソだとか、

俺の方がうまいと文句を言われ、

絵を描いたら描いたで文句を言われ、

自転車も山も群れてる連中から、あーだこーだ言われ、

それで金をもらっているわけでもプロでもなきゃ、

完全に自己満足の趣味の世界で、

なんでこんな窮屈な思いをせにゃならんのだと滅入ることばかりのなかで、

料理は完全に自分と家族のためだけのもので、すぐに結果が出るし、

自分なりに色んな選択肢が取れるし、

何より奥さんや子供たちがおいしい美味しいと食べてくれたら、

もうこれ以上の満足感はないわけです。

これがまたお店をするとなると全然違う話で、

客からオーダーされたものにこたえる、

何なら毎日同じ料理を同じクオリティーで出し続ける、

なおかつコストや採算を考えてうまく回していくというのは、

単に料理がうまいだけではやっていけないことなので、

プロの料理人やお店の人というのはさぞかし大変だろうというのは

容易に想像できます。(だからこそこのコロナ自粛がいたたまれない)

なので、自分はあくまで我が家の専属料理人であります。

夏至カレー

昨日6/21は夏至でした。

数年前から、夏至にカレーを食べるという新習慣を全国に広めよう、

ゆる~い運動がSNSでありまして、京都の知り合いがたくさんコミットしてます。

夏至にカレーを食べる。何ならもう夏至じゃなくてもカレーを食べる。

カレーを食べたらもう気分は夏至

ただそれだけなのですが、じわじわと広がっております。

 

ということで、昨日は我が家もカレー。

今年はおうちカレーでも、スパイスカレーでもなく、

町中華風カツカレーをこさえました。

これがなまらうまくて大成功♪

中華スープベースのとろみがついたカレーあんかけは、

お野菜の旨味たっぷりで。

辛くなく優しい味わいで子供たちにも大好評でした。

カツを上げるのは手間だけど、

カツなしなら、超スピードメニューなのもGOODなのです。

 

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www.geshicurry.com

 

 

本能寺の変 光秀行軍ルート 実踏チャレンジ 【PR】

この春から、これまでの仕事に加えて、WEBライター的なものをするようになり、自分で企画して記事を書いています。それもあって、なかなかこのブログの更新ができないでいるのだけど…。同じネタを2度書いてもしょうがないので、あちらで書いた記事については、こちら側からリンクを張っていくことにします。ぜひリンク先でも読んでほしいと思います!!

 

まず第1弾は、「本能寺の変」について書いた記事です。天正10年6月1日、羽柴秀吉の中国攻めに加勢するため西国へ向かうために、丹波亀山城を出陣したはずであったが、京へと進み、あろうことか本能寺にいる主君・織田信長を討ったのである。日本史上最大の事件である本能寺の変である。光秀がなぜそのような大胆な行動に出たのか、その理由はさまざまな説が唱えられているが、今もって大きな謎に包まれたミステリーである。

 

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光秀が何を思いながら、本能寺へと歩みを進めたのか?実際に行軍したといわれている老ノ坂峠越えルートを、同日同時刻(ただし旧暦の6月1日は現在の6月21日ではあるが)に、実際に歩いて、当時の光秀に思いを馳せながら、本能寺を目指すチャレンジをしてきました。丹波亀山城から本能寺まで約25kmの道のり、徹夜でのチャレンジ、漆黒の峠越えなど、いくつもの試練を乗り越えながら、果たして史実通り、本能寺へたどり着くことができるのか!?その実録レポです。

 

 

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かなり長大な記事になっていますが、今回歩いた「老ノ坂峠越え」以外にも説のある、「からと越え」「明智越え」の2ルートについても実際に歩いて説を検証しています。本能寺の変直前の光秀に迫った記事としては、迫真ある、中身の濃い記事に仕上がっていると思います。歴史好きの方はぜひご一読くださいませ!!

箕面までポタ

GWのこと。緊急事態宣言と雨で、

ほとんど自宅か、近所の公園くらいしか出歩いていないのだが、

大人でもなかなかストレスがたまるのに、

遊び盛りの子供たちのそれはいかばかりか。

特に、中学校に進学した長女の方は、学習量が一気に増えたこともあり、

体が鈍って仕方がないらしく、

軽く近所でも行くかと誘い出してポタリング

娘はしまなみ以来のチャリンコです。

 

とはいえ、世の中の状況が状況だし、

そんなにガッツリ遠征とかできないので、

午後縛りで近所。とりあえず当てもなくブラブラしてたのだけど

どっかないかと思案して、箕面大滝まで。

 

新大阪から神崎川CRに出て西へ。豊南で天竺川に出る。

それで緑地公園まで。

この天竺川は中学の時代からよく使っているルート。

緑地公園から八坂橋、熊野町と北上し、上野坂で裏道へ右折。

県道43号は交通量が多く、ロードサイドへの出入りも多いので回避です。

少路の急坂をやっつけて、中国道をくぐり北進。

北緑丘のマンション群を抜けて、西脇公園の所からR171をまたぐ。

桜並木の坂道をのぼって、箕面駅まで。

 

箕面公園の入り口にマシンをデポして、

そこから約5kmほどの歩き。

そして久々に箕面大滝になってきました。

もう時刻も17時近くて、みやげ屋も閉まる頃なのに、結構な人出です。

この遅々の時間なら人もまばらだろうと、

時間をずらしてきたのに、目論見が外れました@@

 

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施錠しているとはいえ、

離れた場所にマシンを置いてきているのも心配なので、

しばらくしたらすぐに引き返します。

マシンを拾って、まだ空いていたおみやげ屋さんで、

せっかくなので名物のモミジの天ぷらと、

モンちゃんせんべいを買って帰りました。

 

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 40km弱のポタリングでしたが、娘も久々に

体を動かして、満足気でした。

岐阜攻め 岐阜城&犬山城

またまた時間を巻き戻して、3月の事。

長女とのしまなみチャレンジの大成功も束の間ですが、

中学校生活が始まるまでの間に、

もうひとつやっておきたいことが。

この1年ほど、長女が歴史、それも戦国時代に大変興味を持ち、

なんでかは何度理由を聞いても理解できないのだが(笑)

大の織田信長ファンとなり、寝ても覚めても信長。

以前に別記事でも書きましたが、

クリスマスプレゼントとしてサンタに信長グッズを希望され、

わざわざ岐阜まで買い付けに来て、随分苦労させされました。

(その記事は下記よりどうぞ)

 

arkibito.hatenablog.com

 

で、春休みに行きたいところ、やりたいことを娘に聞くと

当然信長ゆかりの地へ行きたい!ということだったので、

それではと岐阜への1DAYトリップを敢行した次第。

(まさか半年たたずに再び岐阜城を訪れるとは…)

 

自分一人ならば貧乏旅行で在来線鈍行もありなのだが、

娘に不憫はさせられないので、新幹線利用。

がらがらのひかり号で岐阜羽島まで。

そこから名鉄羽島線に乗り換え。

枝線ですがなかなかのローカル感。

笠松駅名古屋本線に乗り換え名鉄岐阜駅に。

 

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岐阜駅からはバスで岐阜公園へ。

途中、柳ケ瀬の辺りでアナウンスのCMで

「ダンス!ダンス!ダンス!」と軽快に入るのを聞くと

ああ、岐阜に来たなと思いますね(笑)

15分ほどで岐阜城直下の岐阜公園にやってきました。

 

まずはロープウェイ乗り場の裏手にある信長公居館跡へ。

ここは今も発掘調査が行われている場所です。

金華山の西麓にある槻谷周辺は信長によって造地された場所で、

谷の中央に流れる川の左右に、段々地形を造り、

そこに金箔をあしらった住居建物が配置されていたそう。

 また背景には、2つの大滝を借景とした池をもつ京風庭園も設けられ、

天下人にふさわしいお屋敷風情が広がっていたそう。

長女は興味津々であちこち写真を撮っておりました。 

 

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そしていよいよお目当ての岐阜城へ向かいます。

ロープウェイもありますが、自分と長女の事ですから、

やはり自分の足で登ります。

金華山は色々なルートがあるのですが、

長女が選んだのはやっぱり自分と同じで、

一番険しい馬の背登山道でした笑笑

 

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丸山まではジグザグと緩やかな山道で、

そこから一気に岩の壁を登るような急斜面です。

長女は足場を丁寧に選びながらも、

サクサクっと登っていきます。

この日はなかなか気温が高い日で、

上着を脱ぎ脱ぎしても汗だくでした。

 

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40分ほどかけて無事に山上へ上がってきました。

すると見事な青空バックの岐阜城がドドーンとお出迎え。

アッパレかな~。

 

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岐阜城(旧名:稲葉山城)は、鎌倉時代以来の歴史を持つ城で、

斉藤道三によって本格的に城郭として整備されました。

その後、1567年の稲葉山城の戦いののちに、

小牧山城から信長が当城へ本拠地を移し、

その際に、天下布武の足掛かりとなる地として、

当地名を井之口から岐阜に変えました。

その後、要城として戦国の舞台に登場しますが、

関ケ原の戦いの前哨戦となる岐阜城の戦いにおいて、

石田光成率いる西軍方についた

信長の嫡孫にあたる秀信(かつての三法師)は、

東軍型の池田輝政福島正則の猛攻にあい、

付近からの援軍が間に合わず孤立し、わずか1日で陥落しました。

そして翌年には家康の命で廃城となります。

 

さて、岐阜城天守閣の資料館へ。

展示の品々を見ながら、娘にレクチャーします。

ほくほく顔で聞く娘。

我が家では長女にならって信長のことを、

親しみを込めて「のぶちゃん、のぶちゃん」と言っているのですが、

他の見学者がそれを聞いて大笑いしてました笑笑

 

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そして天守のてっぺんへ。

全快は天気が悪かったのだけど、

この日は最高も最高、スッバラシイ眺望が!!

 

西の方を見やれば、南から連なる鈴鹿山系の切れ目のところが関ケ原

その少し北側に1つ突き出た峰が伊吹山

そして眼下を流れる大河が木曽三川の1つで、

鵜飼いで有名な長良川

 

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こうしてみると、この城が理にかなった立地しているのがわかります。

まずは、背景を大河が流れ、急峻で頑丈な小高い岩山にあるという

防御面での利点、

そして交通の要所である関ケ原の様子を常に監視できる戦略的な利点。

城下の様子もここからであれば、何かあればすぐに察知できます。

 

ただし!です。

この一見鉄壁で難攻不落な岐阜城ですが、

実は戦国時代に何と6度も落城の憂き目に遭っているのです!泣笑

土岐氏の家臣による謀反、竹中半兵衛による落城、

織田信長による攻略、本能寺の変後に明智光秀側による落城、

賤ケ岳の戦いによる落城、関ヶ原の戦い前哨戦)

これは、決してこの城に弱点や欠陥があるというよりも、

それだけ歴史的に極めて重要な地点で、

常に壮絶な争奪戦が繰り広げられてきたが故の宿命といえるでしょう。

 

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南側はまっ平らな濃尾平野が海までひたすらに続きます。

こちらも知多や岡崎あかりから伊勢方面への

東海道筋の様子まで見えますね。

そして城から少し行ったところには木曽川が流れていて、

それもひとつの外堀としての機能を果たします。

 

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北側の景色は、南側の広大さとは打って変わり、

川の対岸からすぐに山間部が続いていきます。

はるか向こうに、白雪をかぶった御嶽山

そしてさらに奥に北アルプスの山並みがうっすらと。

夏にはまた帰りたい場所です。

 

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ゆっくりと絶景を満喫したのち、

城の横にある資料館ものぞきます。

こちらには大河ドラマ麒麟が来る』に関するものが

展示されていました。

 

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さて帰りも当然、人力です。

色々あるルートのうち、娘が選んだのは、

ロープウェイ乗り場の横から下る百曲りコース。

もちろん「百曲り」とは、

それほど曲がりくねった道という比喩的な表現ですが、

こうなると、ほんまに百曲がりしてるのかと、数を数えだす娘。

しかし、どこかどこまでをカーブとカウントするのか、

明かなクネクネの部分もあるが、

大抵はほぼまっすぐなコース。結局下まで数えて、

明らかな曲がりは40もなく、

「なんやねん!」と娘は突っ込みを入れていました笑

”坂道姉ちゃん”にはちょっと物足りなかったかな??

 

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下ってきて、ロープウェイ乗り場の売店で、

しこたま関連グッズを買う娘。

うれしすぎてウホウホしてる。

わが娘ながら変わっとんなあ…

 

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さて、岐阜公園を後にし、いったん岐阜駅前へ。

せっかくなら、もうひとつの名城へご案内と、

そこから名鉄各務原線に乗り、のんびり犬山へ。

 

犬山城の閉館時間が16:30で、

間に合わないとせっかく足を延ばした意味がなくなるので、

お昼ご飯を取らずにとりあえず移動優先で来ましたが、

おかげで時間の余裕ができたので、

犬山城下町の中心部である本町通りで遅めのランチ。

犬山といえば、今売り出し中なのが団子です。

いろんなお店で、いろんな団子がアピールされてました。

そのうちのひとつで休憩。

何とカラフルな団子&生麩田楽たち。

 

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そして国宝犬山城(別名・白帝城)へ。

ここは言わずと知れた現存十二天守のひとつで、

国宝五城のひとつです。

1537年に信長の叔父である信康によって築城され、

当時のまま現存する最古の天守閣を持つ城は、

実は2004年まで代々城主を務めてきた

成瀬家による個人所有でした。

 

日本ラインと称される木曽川の流れの速い峡谷を背後に従え、

小高い丘の上に建てられた「後堅固の城」は、

尾張国美濃国の国境に位置し、

また中山道と名古屋道に通じる交通の要衝として栄えます。

戦国時代には、織田信長織田家一族の領地争いを繰り広げ、

豊臣(当時は羽柴)秀吉が小牧・長久手の戦いで入城し、

本陣を敷いて徳川方と対峙、

また関ケ原の戦いの前哨戦で、西軍型の拠点であったが、

先の岐阜城が落ちると東軍に占拠され、

徳川家康が天下分け目の戦いにむけて勢いを増すことなるなど、

三英傑がこの城を舞台に活躍した、

歴史上きわめて重要な城でもあります。

 

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では早速中へ入ってみましょう。

自然石をそのまま積み上げた「野面積」の石垣を、

急な階段で登ります。

他のお城では登りやすい階段や、エレベーターがあったりしますが、

当然そんなものはありません。

こうやって急で狭い造りにしているのは、

侵入者が容易に上がってこれないようにするためです。

 

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ひとまず順路に従って、まずは最上階の四階の望楼まで。

この日はかなり風が強くて、吹き飛ばされそうなほどで、

コロナ対策の換気十分です笑

 

南側はすぐ下に城下町が広がり、

なだらかなスロープのように下っていきます。

そして目と鼻の先には小牧山城があり、

秀吉軍と家康軍が激しくやり合った地が見渡せます。

 

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西側は木曽川が目前まで迫る見事な眺望。

対岸の伊木山、そして手前に架かるはライン大橋。

このライン大橋は濃尾用水の取水用の可動堰にもなっています。

そしてはるか西方の奥にある山にちょこんと、

先ほど訪れた岐阜城のシルエットも。

 

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北東側は、対岸に鵜沼の街並みがあり、

その奥には数年前に縦走した各務原アルプスの山並みが連なります。

また東側は日本モンキーセンターのある一帯。

いかにも風光明媚な場所ですね。

 

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さて、犬山城は外観3重、内部は4階、地下2階の構造です。

4階の望楼は回廊となっていますが、

これは成瀬氏によってのちに増築されたものとされています。

3階は破風の間。

2階は武具の間となっていて武具を置く棚が中央にあり、

それを取り囲むように武者走りが巡っています。

1階は、中央に武将が陣取る上段の間、

それ以外に納戸をふくめ3つの間があり、

城の急所である南東の角には付櫓が張り出して、

側面攻撃が可能な造りになっている。

また北の両隅には石落としも備えられています。

 

娘の付き添いで始まりましたが、

城めぐりもなかなかに興味深くて面白いですね。

 

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さて、この日は岐阜城犬山城

それぞれ戦国の世に重要な役割を果たした

2つの城をめぐることができました。

娘も大満足の様子で何より。

 

あとは、帰るだけなのですが、

名古屋で新幹線に乗り込む前に、

ぜひとも寄っておかねばならない場所が。

名古屋の常店・のんき屋の串カツを

食べて帰らないわけにはいきません!

ということで、こちらへ。

もうずっとずっと食べたくて仕方なかったのだけど、

なかなか名古屋に行く用事もなし、

コロナの影響もあるし、本当に久々にこの味にありつけて嬉しや。

娘も、ここの絶品のどて焼きや串カツ、ホルモンにメロメロ。

そうでしょ。そうでしょ。

こんなん近所に遭ったら毎日でも通うわな。

もう次から次へと注文して腹がちぎれるまで食べました。

ああ、これを書いてるだけで、

またすぐにでも食べたくなる@@

 

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 ということで日帰り歴史トリップ、

大満足のうちに終了です。