「つむじ風食堂の夜」
クラフト・エヴィング商會の吉田篤弘原作の映画化ということで、
否応が上に期待したのだが・・・。
本ではあれだけ、魔力が宿ったように魅力的な雰囲気を漂わせていた世界が、
それこそつむじ風によってたちまち散ってしまった・・・
思い入れが強い分、なにか一人取り残されてしまったようで非常に残念。
確かに原作の良さは、吉田さんの紡ぎだす美しいコトバたちにある。
何気ないコトバたちが放つイメージの渦、
そして行間に漂うあの何ともいえず心地よい空気感。
大事なのはその雰囲気を損なわずに伝えることではなかったか。
なのに、「第○章」というスケッチ画をインサートして
安易に場面の切り替えをしてみたり、
スーパーで原作の文章を出してみたり。
それでは映像化の意味がないではないか。
そして一番の問題は、セリフ。なにしろ脚本が悪い。
一言一句原作の文章を完全にトレースしているが
果たしてその必要があったろうか。
本として書かれた文章をそのまま役者が口にしてしまうと、
自然な言い回しでないから、まるで国語の授業での発表のよう。
役者がきちんと自分のセリフを消化して発してないように感じ、
全てが棒読みに聞こえる。
そうなるともうせっかくの美しいコトバも陳腐に感じてしまう。
そしてどのシーンのどのセリフも長い。
原作を朗読しているのかというほど長い。
それだけセリフを言わせるとクドく、説明くさく感じる。
セリフを聞くことに観客は集中せざるをえず、
肝心の雰囲気を味わうという余裕がなくなる。
なぜ、そんなに原作の文章にこだわる必要があったのか。
せっかく映像化するのにコトバで勝負したら意味がないし、
原作に勝てるわけがない。
映画は映画として、たとえ原作どおりではなくとも、画で見せるべきだ。
観たかったのは、つむじ風食堂のあるあの街の”空気”なのだから。
そして残念なのがその映像の脆弱ぶり。
まず、つむじ風食堂で出される料理がおいしくなさそう。
わずかなシーンでしか登場しないけれど、
まるで料理などどうでもいいじゃないかと邪険に扱われているかのよう。
そのわずかな部分をおろそかにしてはいけないと思う。
そして原作でも重要な意味を持つエスプレッソマシーン。
魔法の機械が放つ妖しく黄金色の光に、主人公は魅了され、
そして読者もまた魅了された、あのエスプレッソマシーン。
それが本当にアレでいいんでしょうか!
ありあわせの小道具、ありあわせのセットで、
大体の雰囲気を出せばいいってもんじゃない。
もっと丁寧に映画を作って欲しい。篠原哲雄監督ちょっとダメだ。
ただし、ほんのわずかではあるが、空気を感じ取れる場もあった。
煌々と光る裸電球に照らされた玉のようなオレンジが並ぶ夜の果物店。
寝静まった函館の街を走る路面電車のシーン。
何気ない場面ではあるが、”何気ない”でいいのだ。
物語を追うことに終始せずに、空気を切り取ればよかったのに・・・
役者はそれでもがんばっていたと思う。
主演の八嶋智人は、本のイメージからすると、ちょっと軽すぎに思えたが、
それはそれでいい味を出してたと思う。
ダメだったのが、チョイ役だが、”タブラ”というとても大事な役を演じた
スネオヘアー。全く演技駄目。セリフ棒読みだし、
セリフ言うので精一杯というのがこれほどあからさまでは・・・
しかもめちゃデカイ。スネオゃなくてドラえもんみたいに丸い。
でもこの映画で唯一、ひときわ魅力的だったのが、
帽子屋の下條アトム。
ひょうひょうとした演技、そして活き活きとしたセリフ回し。
本当にあの街の住人なのかもと思えるほど自然で、まさに適役だった。
↓文庫も出てますが、やはり単行本で雰囲気を味わって欲しい
- 作者: 吉田篤弘
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2002/12
- メディア: 単行本
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