記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

子を護る義務、子を思う愛情

最近、子供に対するひどい虐待や、事故・事件のニュースが多い。
今日も2歳の子供を虐待しさせた女の判決が下った。
この女と、そしてダンナのした罪の内容はあまりにヒドい。
まるでゴミのように扱い、育児・養育を足かせか何かとしか思っていない。
ひどいのは自分のストレスの吐き出す道具としてしか見ていない。
そんな人でなしが、なぜ懲役10年やそこいらなのだろう。
そのあまりにも軽い刑罰に大いに疑問を感じる。
自分の子を殺すことは殺人ではないのか。
殺人罪ではないということ自体がまるで、
子供は親の所有物だから、それをどうこうすることは
いわゆる殺人よりも刑が軽いと言わんばかりだ。
相手は声を上げたくてもその術を知らず、まして体力的にも経済的にも、
悪魔のような親であっても頼らざるを得ないような小さい子供。
そんなような弱い人間を相手にした、卑劣で、汚い犯罪こそ、
もっと罪が重くても良いのではないかと思う。


親は子を生んだ以上、立派に育て上げるに絶対的な責任がある。
それは子が親を思うということ以上に絶対的なものだと信じる。
生活能力や家庭環境はそれぞれだから、
人並み以上の生活は望めない家庭もあるかもしれない。
でもそういうことじゃない。
大切なことは愛情をもって接するということ。
でもそれって、いちいち人に教えられることでもなければ、
後になって学ぶものではないのではないか。
例えば、自分の意図せずできちゃったという場合であれ何であれ
自分がお腹を痛めて産んだ子に対して愛情を抱けないというのは、
根本的に病気ではないのか。
確かに出産・育児は相当大変で、ナーバスになったり、鬱になったり、
フラストレーションが溜まることもしばしばだ。
でも、そういう状況にあったとしても、子に対する愛情というのはなくなるはずがない。
なくなるわけがない。
もし出産や育児に夢を抱いている人間がいるなら、
そんな勝手な妄想で命をどうこうしないでほしい。
子供はおもちゃじゃない。軽はずみな気持ちでできちゃった♪なんて言わないで欲しい。


そしてまた社会は、未来の担い手である子供たちを護る絶対的な義務がある。
これまで一体どれだけ、同じ悲劇が繰り返されてきたのだろうか。
学校、保健所、警察等、その度に後手後手にまわる対応に言い訳をするだけだ。
すでに起こってしまった事件を処理するだけなら警察は要らない。
すでに起こった事件を裁き、刑罰を与えるだけなら法は要らない。
警察も法も、人命を護ってこそはじめて成り立つのではないのか。
自宅に閉じ込められ、肉体的にも精神的にも奴隷となってしまった子を救い出す、
小さい命を救い出すことに何を及び腰になる必要があるのだろう。
まだ公にされていない事件がたくさんあり、
今現在先の見えない恐怖に震えている子供たちがいるはずだ。
本当になんとかしてほしい。


それにしてもニュースを見るだけで激しい怒りがこみ上げてくる。
悲しすぎる現実を小さな体で受け止め、
その無垢な瞳からみた世界は一体どう映ったのだろうか、
それを考えると、心が張り裂けそうになる。
心がどうにも落ち着かない。
どうして同じ人間に、しかも自分の子にそのような仕打ちができるのか。
もう人間に絶望してしまう。
こういうニュースを見るだけで気持ちがどうにもおさまらなくなる。
どうにかならないものか。やり場のない思いをブログにぶつけるしかないのか。
せめて我が子、そして少なくとも自分の回りにいる子供たちだけは護ってやろうと心に誓う。
大人一人一人が、そう思うだけで、悲しい事件がなくなる。


コハに対して、護る義務、育てる義務をもてたことを誇らしく思うし、
やんちゃ娘の世話は大変だが、人生の大きな喜びだ。
今はただ、はやくコハに会いたい。