記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

『ブラック・スワン』 by D・アロノフスキー

観たい観たいと思いながら、腰をやったりして行けず、
昨日ようやく公開終了ギリギリで駆け込みで観た。
もうやってるところが少なく、夜中にわざわざなんばパークスまで行ったが
その価値ありで間に合ってよかった。


しかしこれはすごい。
確かに、極度のプレッシャーと内なる悪魔の恐怖に苛まれ、
ついには呑みこまれて奈落へと落ちてゆくN・ポートマンの演技はオスカーに値する迫真だった。
でも、それよりもすごいのは観る者が嗚咽してしまうほどの強迫観念を表現するために、
緻密に企てられた演出方法だ。
何と言っても、極端な寄りのショットを多用することで感じる圧迫感。
(本作の半分くらいはN・ポートマンのドアップで、しかもほとんど画面からはみ出しそうな具合)
常に流れるノイズ音と、生理的不快感を覚える音、
例えば間接が捻じ曲がる音やツメを切る音の誇張によって生み出される嫌悪感。
おまけに常に画面が手ぶれし、時にガラス越しのショットでは画面そのものが歪む。
それだけでもいびつに屈折した世界を表現するのには十分だが、
そこからさらに観客は不安に陥れられる。
得体の知れぬ恐怖と闇が、彼女の眼前に具体的な姿として現れているはずなのに、
カメラは執拗に彼女の恐怖に怯える顔をアップで捉えるのみで、
彼女の向かい側はもちろん、周囲がどうなっているのか、シーンの全体像がはっきりしない。
あるいは誰かの怪しい動きの断片が垣間見えるのだが、
手前にあるモノ(焦点は後ろなのでボケている)のせいではっきりと確認できない。
何か間違いなく恐ろしいコトが起こっているのに、それが何なのか・・・
捉えどころのない不安と不気味さに陥られた観客の心理状況は
まさしく主人公のそれとリンクする。
そこに皮膚が隆起したり、目が充血したりといった肉体的な苦痛が
視覚的に描写されるのだからたまったもんじゃない。
ヒトによってはひたすら苦痛に感じるだけの作品かもしれないが、
実によくできている。


N・ポートマンがオスカーを受賞したことで、彼女ばかりがスポットを浴びてしまっているが
実は脇役陣たちも素晴らしいの一言だった。
特に、演劇に対して非常にシビアなコーチを演じたV・カッセルはハマリ役だった。
(助演あげてもいいくらい)
異常なステージママを演じたB・ハーシーが威圧的でサイコだし、
極めつけは、かつては脚光を浴びたスーパースターでありながら転落の道を歩む元プリマドンナ
W・ライダーがまさに地で演じていて説得力がすごかった。


何から何まで重苦しく胸が詰まるのだが、
痛いのがわかっていながらかさぶたをめくるのが止められないような感覚が味わえる、
究極のサイコスリラーだと思う。