記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

★★勝手にクライマーフェア★★ 『ソロ』 by 丸山直樹 ・『初代竹内洋岳に聞く』 by 塩野米松・『風を踏む』 by 正津勉

ソロ  単独登攀者 山野井泰史 (ヤマケイ文庫)

ソロ 単独登攀者 山野井泰史 (ヤマケイ文庫)


山を愛し、山に愛されし者、山野井泰史
彼が向こう見ずで荒削りだった山好きの若者から、
どのようにして世界トップクラスのソロクライマーへと登りつめていったのか。
すでによく知られた数々の輝かしい業績・足跡を再びトレースするのではなく、
彼が、自らを取り巻く環境で、いかに周囲の人々と対峙してきたのか、
決して器用とは言えない、むしろ失敗続きの人間関係にスポットを当て、
彼の青年期における人間的・内面的な成長を追ったルポ。
イメージとすれば、ソロという強烈なイメージがあり、
誰も寄せ付けない孤高の存在のように思われるが、決してそうではない。
むしろ人柄はとても穏やかで、その人懐こい笑顔はたくさんの人たちに愛されている。
しかし、他の人からは想像もできないほどの山に対する熱い、熱すぎる情熱や、
真似することのできない圧倒的なスキル・体力ゆえに、
他の人が彼について行けない、あるいは理解できないという状況を生み出す。
時にそれは深刻な衝突や軋轢を生みだす事態にも発展する。
そういったもどかしい状況に、焦り、怒り、もがき苦しむという過程を経て、
それでも、山に登る、困難な岩壁を制することへの純粋な欲求、喜びを
唯一自らを動かし続ける糧として、より尖鋭的に山へと向かっていく。
それは正直とても不器用ではあるが、
妥協なく遥かなる高みを目指すということはつまりそういうことなのだろう。
ご本人は単に好きなことを好きなだけやっているという
極めて”普通”という感覚でありながら、
しかしその偉業を見る一般のオーディエンスはそれを”特別”なこと、
彼だからできること、自分たちとは別のところにいる人間であると評価し、
本人と周囲との意識のギャップが大きくなればなるほど、
彼自身はより自らの内へ内へと閉じこもってしまう。
孤高の人はかくして生み出されていく。
しかし、山野井さんがすごいのは、そういった一切のしがらみを乗り越えてしまって、
ただ山だけを見る、山だけに向き合うという一貫した姿勢である。
これは単にストイックと言う表現ではなく、完全にピュアな人間なのだろう。
そしてまたとてもラッキーだったのは、
妙子さんという唯一無二のパートナーであり完全なる理解者を得たことだろうと思う。


初代竹内洋岳に聞く

初代竹内洋岳に聞く


2012年5月、日本人初の14サミッターとなった登山家・竹内洋岳さんへの
インタビュー取材を書き起した一冊。
取材時は、ガッシャーブルムⅡ峰での雪崩遭難から復帰し、
記録達成まで2座を残した時点のもの。
タイトルに”初代”と銘打ったのは、
きっと事故以前・以後という意味合いもうかがえる。
ところで、14サミッターとは、地球上にたった14座しかない8000m峰の山を
全て制覇した者の称号で、世界的にもまだ29人しか達成していない偉業である。
ちなみに、14座とは、世界最高峰エベレスト(8848m)、
K2(8611m)、カンチェンジュンガ(8586m)、ローツェ(8516m)、
マカルー(8485m)、チョ・オユー(8188m)、ダウラギリ(8167m)、
マナスル(8163m)、ナンガ・パルパット(8126m)、アンナプルナ(8091m)、
ガッシャーブルムⅠ峰(8080m)、ブロード・ピーク(8051m)、
ガッシャーブルムⅡ峰(8034m)、シシャパンマ(8027m)である。
生いたちの話から始まって、登山に関する事柄、14サミット制覇について、
道具のこと、天気のこと、事故のこと等々、インタビューの内容は多岐にわたるのだが、
一貫して極めて合理的なものの考え方をしていて、
また自分の登山について主観的な考えとは別に客観的なまなざしを持っているところが
非常にスマートさを感じるし、好感を抱くところである。
また、日本においては、これまで登山と言えば、
根性と情熱といったファイト一発!的な精神論に寄るところが多かったのに対し、
ネットや衛星電話などといった電子器具といった最新技術を積極的に山に持ち込み、
綿密なタクティクスを導入して、世界レベルにまで引き上げたと言う点で
日本登山のパイオニア的役割をに担ってきたという点もすばらしい。
これはご本人が石井スポーツの店員として
様々な最新器具に触れてきたという土壌もあるのだろう。


ところで、1つ前の山野井さんとこの竹内さんはまぎれもなく、
日本登山界の今を牽引しているお二人であり、
技術も理念も超一級品であることは言うまでもないのだが、
2人は登山に対する姿勢が面白いほど違っている。
それが最も顕著なのは、山野井さんが登山をもっと崇高な行為であると捉えているのに対して、
竹内さんは登山を一種の”スポーツ”として明確に表現している点である。
山野井さんがアルパインソロというところに非常なこだわりがある一方で、
竹内さんの場合は、それはある種の理想として認めながらも、
ピークを落とすという結果を間違いなく得るために、それが最善の方法であれば
必ずしもアルパインスタイルに固執しない。
大所帯で攻める極地法であれ、酸素ボンベを使った登山であれ、
それがその山を登るベストであればそうすることを躊躇しないが、
自らの速さを生かした上り方を最大限に生かそうとすれば
自ずとアルパインスタイルを採用するというスタンス。
それはどちらがいいとか悪いとか、正しいということではもちろんなくて、
それこそが彼ら自身のスタイルなのだと捉えるべきである。
コロコロロミックばりの厚みの本ですが、インタビュー書き起こしということもあって
非常に読みやすく、示唆に富む一冊でした。


風を踏む―小説『日本アルプス縦断記』

風を踏む―小説『日本アルプス縦断記』


時は大正デモクラシー
舌鋒鋭き3人の論客、すなわち、
天文学者・一戸直蔵、俳人河東碧梧桐、新聞記者・長谷川如是閑が、
物見遊山とばかりに、北アは針ノ木峠より、未踏の山々をたどって、上高地まで。
いざいざ。北アルプス大縦走に参らん。
そこはそこ、未踏の地。地図もなければ、道もなし。
険しき山肌をかき分け、絶壁に取りつき、まこと骨の折れる。
残雪で沸かした粥に腹を下せば屁も出る。
そうであっても、天上から見上げる景色のなんと素晴らしきこと。
賑やかなりし御一行は軽やかに風跡を踏みしめて行くのであった。
いやはや、宜しいかな。宜しいかな。