記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

門出

月曜日は、お祝い事のダブルブッキング。
昼は東京へ前の会社の同期の結婚披露宴へ。
”兄弟”と呼びあえる数少ない一人であるAがいよいよである。
正直、とても嬉しい。


Aとは前の会社の入社研修で初めて会った。
研修で、会社のプレゼン資料を作成して、
社長や役員の前で披露するという指令が下り、
同じチームに入ったのがきっかけ。
年は一つ下なのだが、実直でパワフル、
器のデカさはすぐにわかり、アニキと呼んでいる。
研修の途中で、とことんまで議論しあい、時にはガチの喧嘩にまで発展したこともあった。
互いに思いのたけをストレートにぶつけ合い、受け止めた。
純粋によくしたい、こんなことをしたい!そうじゃない!妥協は一切なしだ!
腹の探り合いではなく、腹を割ってノーガードで真正面から殴りあった。
そうして自分の意見が通った部分もあるし、こちらが完敗した部分もあった。
でも勝ち負けの問題じゃない。
その結果、禍根を残すのではなく、熱い情熱をもたらし、
そこには当然深い信頼関係が生まれた。
お前スゲーな。いやいや自分こそ。
とことんまでやったからこそ、つまらない殻や建前のツラをぶち破ることができた。
よっしゃ!じゃあとことんまでやってやろうやんけ!と大いに盛り上がった。
ちなみにその結果、そのプレゼンは大成功を納めることができた。
今から考えたらたかが研修で出された大したミッションではない。
でも、右も左もわからない新社会人だった当時の自分たちにとって、
役員たちの度肝を抜かせたことはかなりすごいことだった。
あれがあったからこそ同期全員が一つにまとまったと今でも思っている。
あそこで変に妥協したり、穏便に事を済ませようとしていたら、
きっとダメだったろう。
目の前に立ちはだかる壁を迂回せず、自分たちの力で乗り越えた、
だからこそ生まれた絆だと思う。
最年長だった自分が、会社を去る時、Aに同期のみんなのことを託した。
そうして、彼はその持ち前の器のデカさで本当にみんなをよくまとめてくれた。
年月を経て、自分と同様に会社を去るものが出、
あるいは世界各国へ赴任して散って行ったあとでも、
誰一人欠けることなくこの同期の輪はもう一生モノとなった。
早々に社を離れ、年に1度連絡を取り合うか会わないかの自分も、
しっかりと忘れずにその中に入れてくれている。
あいつは俺の誇りだ。そうして同期のみんなも。
回りの目を気にしたり、つまらない上っ面だけの仲の良さを保とうとしたり、
大人になればなるほど本音を言い合える人間がどんどんいなくなる。
だから、こんなことは本当にラッキーだったのだと思う。
この間インドネシアから戻って来たかと思ったら、8月からホーチミンだそうだ。
次会えるのはまたしばらく先になりそうだが、
根っこさえ大丈夫ならば、いつだってどこだってつながっている。


そんな感傷に浸りながら、昼間から大量に酒を浴び、
名残惜しさを隠してみんなにお別れをして、即効新幹線でとんぼ返り。
今度は義弟の結婚パーティーを内々で。
身内が言うのもなんだが、このカップルはかなりの美男美女カップルでお似合いなのだ。
かわいらしいお嫁さんが、また新しい家族として増えるのはとてもよいことだ。
こうやって関わりをもてることに感謝感謝の一日だった。