『幕末の青嵐』 by 木内昇
変革の嵐吹き荒れ、刻一刻と情勢が急転する幕末の世。
時代の大きなうねりに翻弄されながらも、
若き日に見た夢を求め、恩義を貫き通した漢たち。
誰もが変わることを求められた時代に、変わらないことの難しさ。
たとえその末路が悲劇だったとて、
彼らが駆け抜けた壮絶な物語に微塵の嘘もない。
だからこそ遠く時代を超えて彼らは語り継がれるのだろう。
新撰組関連の書物の中でもひときわの名作だと思う。
一読の価値あり。
実に43回主観がチェンジするという本の組み立ては非常にユニークであると同時に、
この個性的な集団の物語を紡ぎあげるのにこれほどまっとうな方法はないだろう。
一方で1つの強固な組織・新撰組の物語であると同時に、
主義もスタイルも人格も異なる独立した個性の寄せ集めでもあるからだ。
名の通った近藤や土方、沖田だけが決して新撰組ではない。
そこに集うすべての志士たちが歴史の主人公なのだ。
”STAND ALONE COMPLEXな集団”を多角的に捉える手法として、
”個”に目をつけた著者にアッパレ。
- 作者: 木内昇
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2009/12/16
- メディア: 文庫
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数多く登場する志士の中で、誰に一番思い入れがあるかといえば
即決で土方だろうなと。
近藤のように、武士という”身分”に憧れたりせず、
純粋に大きな器を広げて同志を束ねるというわけでもない。
芹沢のように豪傑でグイグイと正面を闊歩していくタイプでもない。
ただ剣で生きると既に決めている斎藤や永倉のような気高い意志もない。
あるいは山南のような大らかな人柄でみなを惹きつけるでもない。
沖田のように自然の姿で自由を謳歌するような軽やかさもない…
人と迎合することをせず、時代に飲まれず、人の物差しで立場を変えない。
尊王とか攘夷とか佐幕とか、そういった流行りごとの思想などは一切持たず、
ただ確実に自分の中にある一つまみの信念だけをもって動く。
それは多くの人の共感を得ることもないが、
ひとたび決めた目標は、時に冷徹と揶揄されようとも、
いかなる手段をもってしても遂行する。
保身とか名誉とかそういう益のためではなく、
また単に互いの傷をなめあうだけのなれ合いでもない。
自分がやっていることやろうとしていることが面白いように転がればいい。
ただその”面白いように”のただ1点のために、
いかなる犠牲もいとわず、どこまでも大真面目。
それはひたすらに不器用で、救いがたい孤独な男の生きざまだ。
しかし最後の最後まで新撰組という旗印を掲げ、
戦場に散った彼こそ、まさに新撰組そのものだったのだと思うし、
その結末がどうであれ、そしてそれを歴史がどう評価しようとも、
彼が彼自身を全うしたのは間違いがない。それが孤高というものだ。
そこに確かな憧れを感じる。