記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

あれから20年

写真を探していて1日遅れになってしまったが、
昨日5/1は音速の貴公子、アイルトン・セナの20回目の命日だった。
長かったような短かったような、
気づけばセナが没した年齢に自分も達してしまった。
タラレバをいっても仕方がないのはわかっているが、
もしセナが現役を全うしていたらF1の歴史はどうなっていただろうかと考える。
今のF1をどう見るだろうか。


↓’92鈴鹿でのセナ


あの時のイモラには間違いなく悪魔がうろついていたと思う。
最初の悪夢は、金曜日の予選で、
当時ルーキーだったバリチェロ九死に一生の大クラッシュ。
縁石に乗り上げたマシンが飛び、ノーズから地面にたたきつけられのだ。
そして、土曜日にシムテックのラッツェンバーガーが帰らぬ人となる。
F1サーカスで死亡者が出るのは実に82年以来のことだった。
日本のF3000でも活躍していたので、知っている人も多いと思う。
そして決勝当日。
スタートでJ・J・レートがストールしたのをP・ラミーが避けきれずにクラッシュ。
その際にマシンパーツが飛び、観客が数人負傷している。
当然セーフティーカーが出され事故処理に当たる。
そしてリスタートから2週目の超高速コーナー・タンブレロ。
セナが駆るウィリアムズFW16は、弧を描くことなく、
ほぼ一直線に外側のコンクリートウォールへ突撃する。
ヘリからの救助現場映像では、一瞬セナが首を動かしたようにみえ、
一度は安堵したのだが…即死だったという。
当時中学生だった自分はフジの放送を生で観ていて、
激しい衝撃を受けたのを覚えている。


20周忌を迎えて、各ドライバーが様々なコメントを出しているが、
そこにシューマッハの分がないのがとても残念だ。
あの時、セナの真後ろを走行し、衝突を目の当たりにしたライバルであり、
セナの優勝回数に並んだ時には感極まって泣いた男。
そしてセナを失ったF1サーカスのその後を、
セナが背負うはずだった分の様々な重責を背負って牽引してきた男。
往年のライバル、A・プロストと並んで、
セナに対して最も色々な想いを抱え込んで生きてきたはずだから。
セナの元に行くにはまだまだ早い。
早く元気になって戻ってこい!