記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

それで本当にいいのか

あの少年Aが手記を出版するらしい。
少年Aとはあの神戸連続児童殺傷事件を引き起こした「酒鬼薔薇聖斗」のことだ。
それについて大きな波紋が起こっている。
以前から、遺族側はそういったメディア的な発信をしないように
加害者側には要請をしていたそうだし、
今回の出版も事前に全く通知もなく寝耳に水だったらしい。
出版社側の「事件の根底にある問題を浮き彫りにする」という考え方は
そういう発想もなくはないと一定の理解はできるが、
たとえそうだとしても、被害者への配慮は絶対に必要だし、
他でも言われているように元少年Aとしてではなく実名で出すべきだ。
罪を犯したことへの反省からではなく、
モノを書きたいという個人的欲求を満たすためだけの手記の出版なんて
(どうも元少年側から出版社へ売り込みをしたらしい)
全くもって論外である。
本の出版についてはすでに色々な批判が噴出しているので、
ここではあえて別の観点の意見を。


日本の刑法の基本は矯正・更生である。
罰を与えるというよりもむしろ、道を誤った人間を教育、矯正して
まっとうな人間として社会復帰を目指すことが目的になっている。
当時少年Aは未成年であり、今後の将来を考えれば、
そういう方向にもっていくとは妥当だったんだろうし、
実際、再び罪を犯すこともなく、
世間に騒がれることもなく平穏に暮らしている。
(なかには結婚して子供がいるという話もある)
今の日本の刑法の観点からすれば、この少年Aの現状は、
きちっと矯正・更生させることができ、
社会復帰もしたんだから大成功、めでたしめでたしということになる。


しかし。しかし。
それでいいのか。本当にそれでいいのか。
それを被害者遺族が望んでいるのか。日本国民が望んでいるのか。
あれだけの猟奇的な事件を犯しておきながら、
世間の目にさらされることもなく平穏な生活を送っている。
そして本まで出版をして、書きたい欲を見たし、印税も入ってくる。
それでいいのか。
当然厳重な監視が四六時中あるだろうとしても、塀の中にもおらず、
通名・偽名を使って周囲から過去をとがめられることもなく
生活を送りつづけている。
それでいいのか。
被害者遺族も国民も、少年Aがまっとうな生活を送ることより、
彼が犯した残酷極まりない罪を
彼自身が彼自身のその後の人生(あるいは命)を犠牲にしてきちっと償うことを
望んでいるのではないか。
つまり、そもそも今の刑法の目指す方向性=矯正・更生という発想自体が
自体が間違っているんじゃないか。
罪には罰を与えるべきなんじゃないか。
将来を絶たれた被害者・遺族に対して、
加害者はあまりにも優遇されている。
それで示しがつくのだろうか。


意図的であれ、精神疾患・喪失といった病的な要因であれ、過失は過失である。
自分の起こしたことに責任を持つのは人間として当たり前、最低限のことである。
それを病気を理由に”差別”をして責任を取らせない、回避するのは
本当の矯正・教育ではないような気がする。
もし責任を追及するのが現在の法の元では難しいとして、
せめて社会的に抹殺されてしかるべきなんじゃないか。
少なくとも本を出したいと言えば、簡単に本が出せるような状況は間違ってる。