記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

Music Life にほんのうた

そろそろ音楽活動も復帰したいところだが、
まだ少し左手の違和感がぬぐえず、騙し騙し弾く感じ。
リハビリを兼ねて最近弾いているのが日本の古い歌。
年を取り、子を授かった心境の変化なのか、
最近は民謡とか童謡とかの素晴らしさに気づかされることが多い。


古くから伝わる民謡・童謡は、
必ずしも西欧の音階のルールに縛られるのではなく、
むしろ大和国独自のリズムや階調だったり音色がして、
日本人の心にダイレクトに響く。
また、商業的に創作された音楽ではなく、
生活や風土の中から自然発生的に生まれ、
伝承されてきた歌というものには、
その土地に根ざした力強いメッセージが宿り、
極めてシンプルな音数で無駄がなく美しい。
それは日本の歌に限ったことでは決してなくて、
南米のボサノヴァやタンゴ、南欧のフラメンコやファド、
ロマのジプシー音楽、ケルト音楽、サルサ・サンバ、
アメリカ南部のカントリーブルースなど、
音楽の根元に共通して流れている大きな何かだと思う。
それは、コード進行がどうだとか、
テクニックがどうとか表象的な話ではなく、
音楽というものの持つ本質的なもの、
つまり、歌やリズムがなぜこれほどまでに
人間を煽動し、欲情させ、熱狂させるのか、
という根っこの部分である。


上の娘もそうだが、下の娘はとても歌が好きなようで、
歌っている間は機嫌がよく、ギターの音も気になる様子。
それで最近はよく弾き語りをしてご機嫌を取ることが多い。
そこで今回紹介するのは、子守唄を2つほど。
子守唄は、まだ口のきけない赤子とお母さんを繋ぐ
大事なコミュニケーション手段です。
と同時に、音楽がこれほどまでに実際に作用を及ぼす(この場合、眠らせる)
という点ではなかなかに興味深い。
ある意味究極のイージーリスリング、ヒーリング音楽ですね。


さて、1つ目は、「ゆりかごの歌」。
子守唄と聞けばこの歌を真っ先に思い出す人も多いのではないでしょうか。
大正10年に北原白秋が発表した唄です。
当時は多くの文人が童謡を制作していたらしく、
その中でも非常にわかりやすく丁寧な言葉づかいで人気だったそうです。
他にも「待ちぼうけ」「ペチカ」「あわて床屋」などを残しています。
ゆったりとしたテンポで、「ね〜んね〜こ♪」とやれば、
本当に心地よく眠りの世界へと落ちていきます。


↓ゆりかごの歌


続いては「竹田の子守唄」。
とても抒情的で深く美しい曲です。
京都の竹田地区で歌われてきた民謡で、
クラシック作曲家の尾上和彦によって再発見されたのち、
50〜60年代の政治・労働運動の一環として盛んとなったうたごえ運動や
のちのフォーク・ブームに乗り、
1969年に「赤い鳥」によって歌われたことで全国的に広まった曲。
この曲は時代や政治的な事柄によって翻弄されてきたという
とても悲しい歴史をもっています。
この歌の歌詞の中に「在所(ザイショ)」という言葉が出てきます。
意味としては、一般的な地方の田舎、または郷里を指すのですが、
それとは別に「ブラク」を指す言葉としても用いられることから、
それが当時のメディアから放送禁止歌として
長らく封印されるという憂き目にあってきたのです。
歌詞の意味としては、
奉公に出された子が、奉公先の赤ん坊の世話をするのだが、
この赤子がまたよく泣いて困るし、
お盆と言えば昔は楽しい思い出があるが、
今となっては楽しみなど1つもなく、ただただ痩せる思い。
早く奉公を終えてすぐ川向こうに見えている親の家に帰りたいが
こんなに近くても遠い存在だという内容。
もちろん赤ちゃんを優しくあやすための子守唄もたくさんありますが、
子守をする側のつらい想いを描いた子守唄というのも意外とたくさんあります。


↓竹田の子守歌