現代演劇レトロスペクティヴ<特別企画> AI・HALL+生田萬『夜の子供2 やさしいおじさん』
それは偶然が偶然を呼び、
生まれた小さな奇跡だったのかもしれません。
土曜日の深夜にたまたま見ていたバラエティ番組に、
片桐はいりさんが出ていて、ちょうど流れで、
元々の出身はどこ?という話になり、そのとき発せられた言葉、
それが「ブリキの自発団」!
長年頭の中に漂っていた最後のミステリーの一つが、
ついに解き明かされた瞬間でした。
自分の文化的な嗜好に一番影響を与えてきたのが
実は母親だったというのがこの年になってよく思い知らされます。
うちの母親は音楽とか映画とかかなりマニアックな面があって、
いつもステレオからは、ジャンゴ・ラインハルトや、ピアソラ、
ムスタキなんかの曲が流れていましたし、
そういうのをまだ自己の記憶がはっきり形成される前、
小学生低学年の頃から、無意識の表層に植え付けられてきたようで、
それらが自分の原風景として今になってふっと湧き上がってくるのです。
ただそれらの中には、当然おぼろげなイメージだったり、
ほんのわずかな断片としてしか思い出せないものもたくさんあり、
その正体が何だったのか、誰の、何の作品だったのか、
検索しようにもそのとっかかりとなるようなヒントすらわからないものが
いくつもあります。
その中で、長年そのイメージだけが何度も押し寄せては増幅し、
その正体をつかみたいと思いながら、
全く手がかりのなかったもの。
それは、昔、母に何度も見せられていた演劇だったのだけど、
怪しげな仮面や衣装を着けた人たちがぞろぞろと練り歩く様子、
「全自動オートメーション工場」というフレーズ、
真夜中に子供たちが奇想天外な旅をするという話だったか、
とにかく誰が演じていて、どんなあらすじで、
どんな作品かは全く分からないまま、
そういったおぼろげなイメージだけが、
ずっと頭の中にモヤモヤとあったのです。
その作品はまさに、
80年代の小劇場ブームを席巻した劇団「ブリキの自発団」による
『夜の子供』という作品だったのです!
ちょうど観た映画『君の名は』のように
大切な存在だけど、夢が目覚めてしまえば思い出せない
その相手の名前・存在にやっと巡り合えたかのようでした。
一気に謎が解けて、あまりにうれしくなって、
さっそくネットでいろいろ検索をしていたら、なんと!
この週末に伊丹のAI・HALLで、
ブリキの自発団の主宰だった生田萬さんが、
『夜の子供2 やさしいおじさん』という作品を上演中というではないか!
30年来の謎が解けたちょうどそのタイミングで、
地元の劇場で、後継作品がやっているなんて、
これはもう行くっきゃない!
さっそくチケットを手配して伊丹のAI・HALLへはせ参じました。
今回の作品は、1986年、バブル絶頂期に生まれた『夜の子供』の続編として、
バブル崩壊期の90年に上演されたもので、
今回、作者の生田萬さんが、
オーディションで選ばれた関西の若手演者たちとタッグを組んで、
新演出に挑んだものです。
20世紀(ニジッセイキ)最後の大晦日の夜。
とある売れない少女漫画家ヤスベーが、
東京オリンピックを目前に控えた1964年の夏の日を追憶しながら、
マンガを描いていくうちに、
現実の世界と虚構の漫画の世界の壁が徐々に崩れ去り、
あの年眩しかった少年少女たちの甘酸っぱくも苦々しく、
とにかく得体のしれないエネルギーがスパークするような日々の情景が、
にょきにょきと目の前に現れるのでした。
「われ思う、夢にわれあり」
「さよならニジッセイキ」
「お座敷小唄」
「僕があの日飲まなかったコカコーラ」
「ペンシルキャップの宇宙ロケット」
「東京タワー舞妓さん付き灰皿」
ノスタルジックを掻き立てる極めて詩的な言葉の数々と
二次元的でダイナミックな表現方法。
2000年大晦日の現実と1964年の虚構を絶妙に行き来する
時代転換・舞台転換の面白さ。
そして何よりも、舞台に対する並々ならぬ熱意がビンビンと伝わる
なんともいえない生っぽさが、どうにもスバラシイ!
特に、主演のヤスベーを演じたサリngROCKさんのなんともいえぬ存在感が気になった。
ちょっとこれから演劇にも注目していきたいなあと思いました。
とにかく今はこの素晴らしい演劇に出会えた喜びを、
コカコーラで祝杯を挙げたいと思います!