記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

『濃い味、うす味、街のあじ』 by 江弘毅&奈路道程

関西カルチャーを鋭くえぐる雑誌
Meets Regional』を創刊し、
長年編集長を務めてきた江さんが、
なじみの店を中心に紹介しながら、
街や店がもっている場のチカラや
空間の魔力とでもいうようなものを
”味わい”というキーワードでざっくばらんに語った一冊で、
元々は毎日新聞の連載を取りまとめたもの。
表紙や挿絵には、長年タッグを組んできた
奈路さんの強烈インパクトを残す
ジャックナイフのようなイラストが用いられ、
この一冊自体が鍛え上げられた個性と
関西気質に彩られていて、
もう表紙から”ええ匂い”させてます。


濃い味、うす味、街のあじ。

濃い味、うす味、街のあじ。


しょっぱなに登場する中津の「いこい」さんやったり、
京都の「百練」さんやったり、
宝塚南口の「アモーレ・アベーラ」さんやったり、
あるいは西成の「難波屋」さんなど
自分も行ったことがある店、
長年お世話してもろたお店が登場するんで、
店の味、街の味とは何たるかちゅうのが
実感としてよーわかる。
そういう味わいを身に着けるんは一朝一夕ではいかへん。
長年、店のご主人や常連さんが
一緒になって育んでこその結晶であって、
それが店の佇まいやら、店の人の所作、
常連さんのワイガヤのあちらこちらに、
ジワ〜っと染み出て、それがええんですな。
その場所、空間を彩ってきた歴史の只中にポーンと身を置いて、
”時”と”人”がようしゅんだ酒呑んだら、
旨いに決まってる。
ほんで、自分もまたその店やら街の
歴史を飾る登場人物の一人にさしてもろたら、
これほど贅沢な幸せはあれへんわけです。
これ、間違いない。


なんでか?
大層な話、ビールなんてのは、
全国どこでも同じ規格で作られてんねんから、
何処で飲んだって同じ味がするはずやけど、
でもそれをより旨いと感じられたり、
マズイと感じられたりするのは、
成分がどうのこうのではなく、
それを飲む場所やったり、
シチュエーションやったりを
どこかで確実に感じ取って、
総合的な感覚として旨いとかマズイということになるんとちゃうかな。
そういう感覚的なもんっていうんは、
5段階評価で何点と杓子定規に数値で測れるもんでもないし、
ネットやメディアで盛り上がっているかどうかとか、
又聞きの他人の物差しで推し量れるもんでもない。
そういう感覚こそがまさしく、人間的な部分なんやろし、
そういう感覚というものは、常に磨いてないと鈍なる。
で、人間味の薄い人間はやっぱ色々あかんのですわ。


時々、飲むんならどこでもええ、
ファミレスでも牛丼屋でも飲めるでとか、
酒なら何でもええ、酔えたらそれでええとか
あっさり言わはる人がいますが、
それって、単にアルコールという化学物質に、
神経やられたいっちゅうことだけでしょ。
そういうのって心底センス(=感覚)あれへんなあと思うわけです。
呑むということの”ハレ”の空気だったり味だったり、
あるいは店ごとの違いだったり歴史だったりを
敏感に感じ取って、時間や空間を楽しむというのがええんと違いますの。
わしゃ、酒に酔いたいんとちゃう、
人に酔いたい、店に酔いたい、街に酔いたいんやと、
こない思うわけです。
それはやっぱりネットやスマホの世界にはない生の感覚やし、
どっちがオモロイねん言うたら、そら決まってますやん。
知らんけど。


というわけですわ。
あ、別に酔うてません。あしからず。