記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

『全体主義の起原』 by ハンナ・アーレント

大好きな番組に、NHK教育でやっている「100分で名著」という番組がある。
25分×4回/月で、取り上げた著書を掘り下げて解説するというもので、
進行役の伊集院光さんが、専門家の解説を誰にでもわかりやすい言葉に変換したり、
示唆に富む論点や視点を提供してくれたり、
その考察力と解説力に毎回脱帽する。
自分の中で、最も難解かつ底知れぬ深さを持っていると感じる文章の1つに、
宮沢賢治の『春と修羅』の序文があるのだが、
その時の回のあまりのわかりやすさに、
この番組はすごいと感じたのでした。



今月の題材は、20世紀を代表する政治哲学者である
ハンナ・アーレントの名著『全体主義の起原』。
自分が彼女の著作に触れたのは、大学時代の研究課題として
20世紀をテーマとして取り組んでいた際に、
ホロコーストとそれを指揮していたナチスの親衛隊の
アドルフ・アイヒマンについて学ぶ機会があり、
そこで彼女の著書『イェルサレムアイヒマン』を読んだのが最初。
そこでは、ホロコーストという人類史上まれにみる犯罪を行ったのは
決して特異な悪魔の仕業ではなく、
淡々と己の業務をこなす官僚的で陳腐な小役人であり、
残忍極まりない処刑器具や兵器ではなく、
書類とペンだけで大量殺戮が実践されてきたことを暴露した。
普遍的で凡庸な人間が、自らの罪を意識することなく、
残忍な行為に加担するメカニズムや社会的潮流といったものに、
鋭く迫った名著である。


その彼女が一躍脚光を浴びることになったのが
この『全体主義の起原』である。
自らがユダヤ人として生まれ育ち、
ある時からドイツ国内で明確に異分子であるとして
迫害され、祖国を追われることになったという視点から、
ナチスドイツに代表される「全体主義」がなぜ世界を征服し、
ホロコーストという「あってはならないこと」をもたらすに至ったのか、
国民国家(nation-state)という枠組みが社会的に成立した時代背景や、
第1次世界大戦の敗戦によって生れ出た大量の難民と
拡大する貧富の差がもたらした社会的緊張、
あるいは文化的、民族的背景を丁寧に検証しながら、
追究した名著。


なぜ、いまこの著書が改めて評価され、クローズアップされるのか。
それは昨今の世界情勢、そしてまさにこの日本国内でも、
”外敵”の存在によってたきつけられた
民族主義的な発想や全体主義のきざしが影を落としているからである。
単純なスローガンで大衆を扇動し、
国内外に明確な外敵を作り出すことで目標を単純化し、、
評価を得ようとする指導者と、
わかりやすい政治を求め、
白黒はっきりとモノ言う”強い””頼れる”人物に
仮想のヒーロー像を重ねる大衆との利害関係が一致したとき、
世論は一気に一方へと傾く。


そもそも政治や外交といったたぐいのものは、
わかりやすいものでも簡単なものではない。
その複雑怪奇で難解な仕事をいかにやってのけるかというのが、
政治家たる手腕が本来問われるべきところで、
国民もまたその複雑さや困難さを理解したうえで
彼らを評価すべきところを、双方がその関係性を放棄し、
既得権益の傘、世論の動向、突発的なムーブメント、
ネームバリューといった、
決して政治の本質的ではない部分、
だが、誰もがとてもカンタンに採点できる部分でのみ評価が下される。


本質が置き去りにされてしまった後は、
ただ「勝つ・負ける」「やる・やらない」「変える・変えない」といった
単純な2者択一の世界になり、
つまりそれは右か左かといった極端な構造として定着する。
そのどちらか一方が力をもって一方を駆逐した暁には、
強靭な全体主義が形成され、それが現実化した時点で
もはや思考は停止される。
それは決して、強い結びつきで結託した一枚岩という状態ではなく、
強きものが弱きものを従え、持つべき者が持ち、持たざる者が泣きを見る
いびつな社会である。


アメリカでは、トランプ政権への反対運動が時間を経るにつれて大きくなっている。
また、ヨーロッパでの右翼系の政党や立候補者への警戒が強まっている。
それはある意味、これまで人類が歩んできた歴史を顧みるにつれて、
今の風潮が続けば起こりうるであろう不幸
(それはすでに人類が経験してきたもの)を予測して、
ある意味、必然的に生れ出てきた良心の現れであろう。


一方、わが日本国はどうだろうか。
政治的なものに対するアレルギーがひどい国民性、
ムラ社会としてはぐくまれてきた国家的な性質から脱却できない日本では
政治的な発言や、政治思考をひけらかすだけでも、拒否反応を起こされる。
これではいつまで経っても、政治的に国家は成長できない。
そんな国民をあざ笑うかのように、
様々な政策が失敗しても、様々な疑惑や不祥事が起こっても、
またそれらについてほとんど明快な反省や検証、弁明もされぬまま、
北朝鮮や中国といった野蛮な隣人がいるおかげで
アベさんがいまだに生き残り続けているというのはなんとも皮肉だ。