『ショローCLUBの回春行脚2018新春プチツアー』 at ムジカジャポニカ
待ちに待った金曜日の晩。
なんと、わが家のすぐご近所に、大友さんがやってくる!
これはもう見逃す手はないでしょうと、
手みやげに力餅のおはぎをもって馳せ参じました。
扇町公園のすぐそばの雑居ビルに、
何やらディープなライブハウスがあるのは知っていましたが、
「ムジカジャポニカ」さん、今回初めてお邪魔しました。
何やらアングラな空間が
現実から遠いアウターゾーンに来たような感覚に陥ります。
ただ、このビルが耐震問題で春で取り壊されるのに伴って、
移転されるそう。(といってもご近所らしい)
↓ムジカジャポニカ
今回は、大友さんと盟友のドラマー芳垣安洋さんと、
ベーシストの不破大輔さんとの、還暦目前トリオによる
ショローCLUBとしてのライブ。
いつもアンサンブルズで指揮をしている姿だったり
『ロング・グッドバイ』『あまちゃん』『 LIVE! LOVE! SING!』
といった映像作品にまつわるサントラを聴いて得るイメージが強いような
大友ファンとしてはまだまだペーペーの身なので、
ノイズやフリージャズのステージで、
ギターを炸裂させる”本業”の大友さんを
ようやく生で見ることができる絶好の機会となりました。
まずは、リーダー?芳垣さんのMCからスタート。
アンサンブルズのでの非常にストイックな様子を
伺ってからの勝手なイメージで、
何やら気難しくて鋭くて近寄りがたい方とお見受けしていたのだが
冗談も含めて非常に軽やかなにトークを進めていて、
びっくりしました。
ただ、大友さんも不破さんもおっしゃってた通り、
やっぱり、きっと誰も逆らえないんだろうと思います。(笑)
そうして演奏がはじまります。
芳垣さんの繰り出す
絶対的に力強く、微塵の迷いもないリズムと大胆な崩しに、
切れ味抜群の大友さんのギターが鳴きに鳴く。
その二人の殴り合いのようなセッションを
黙々とどっしり下支えするかのような不破さんの野太いビート。
あ、うんの呼吸でスパイラルを続けるトライアングルは、
どんどん、どんどん拡張し続け、トランスの境地へと羽ばたく。
いつでもかかってこい、ほら、もっと来いと言わんばかりに
芳垣さんのスネアが煽り続け、
それを冷静な面持ちで受けて立つ大友さん。
まるでギターが自分の意思を持ち出して、
あらん限りの声で叫び続け、フロア中にノイズが充満する。
その奥では、じっと目をつむり、
時折、唸り声をあげながら、
仙人のような面持ちでスラッピングを続ける不破さん。
ほとばしる汗。はじき出されるビート。破裂する音。
トリオであることの、相乗効果と絶妙な間合い、
その蜜月の関係性が可視化されたような
濃密な空気がフロアを圧倒する。
実にスリリング。実にクール。
大友さんカッケー!芳垣さんカッケー!不破さんカッケー!
つい、子供のようにはしゃいでしまいます。
正直言って、これほどエネルギッシュで破壊的で、
かっこいいことされたら、もうなすすべがありません。
ご本人たちは、自虐を込めて”ショロー”と名乗っていますが、
酸いも甘いも一切合切を駆け抜けてきたからこそ出せる
”味”と”深み”が沁みに沁みまくった音楽に対して、
若い世代の人は何やっても負けてしまうんじゃないかくらいに熱かった。
初老というよりも、むしろカッコよくて正しい大人という方が
言葉としては正しいような気がします。
こういう大人、先輩がいればこそ、
目指すべき人が道を指し示してくれるからこそ、です。
兎にも角にも”音”が”楽”をして、それにもう、
ダイレクトに胸を撃ち抜かれてしまいました。
1曲がおそらく20分以上だったと思いますが、
演奏する側もオーディエンス側も、一切集中力が切れることなく、
音の渦にどっぷりと浸かって、
気づけばもうこんなに時間が経ってたのかと
浦島太郎状態のような感じ。
そんなこんなの濃密な3時間でした。
アンコール含めて6,7曲くらいだったと思いますがその中でも、
チャーリー・ヘイデンがチェ・ゲバラに奉げた『Song for Che』
そしてチリの伝説的フォルクローレ歌手、
ビクトル・ハラの名曲『平和に生きる権利』がとても印象的だった。
音楽にはいろいろな意味や作用、役割がありますが、
根源的に、今生きていることの主張・表明なんだと思います。
それは誰かに想いを伝える恋の歌でも、
明日への一歩を踏み出す人への応援ソングでも何でもそうなのですが、
特に、音楽を通じて政治的なメッセージを訴える、
熱意や不満を表明するということは
一井の人々にとっての極めて重要な武器にもなりうるし、
心のよりどころにもなりうる。
そう考えれば、自己検閲によって
徹底的に滅菌殺菌された今日の日本音楽シーンがいかに陳腐であることか。
そして、この目の前にいるお三方が、まさに戦う音楽をしているか、
ということがひしひしと伝わってきました。
大友さんはちょうど年末に南米ツアーをめぐってきたところで、
そのみやげ話もいくつか披露されていましたが、
その中で、先述のビクトル・ハラさんの話も。
この偉大なチリの歌い人は、
歌を通じて社会変革を目指した「ヌエバ・カンシオン(新しい歌)」運動の
中心的な役割を担った人で、チリ国民に絶大な人気があったのですが
1973年、ピノチェト将軍による軍事クーデターで反逆者として祭り上げられ、
多くの市民が連行・監禁されたスタジアムで、大衆の前で射殺されました。
ちなみにこの政変を裏で操っていたのが、何を隠そうアメリカという国で、
現地の国民の平和や幸福ではなく、アメリカの国益のみを価値基準として
他国であらぬ暴挙に出るというのが、あの国の常とう手段です。
それはもはやトランプ個人がどうというよりも、昔からそうで、
中南米の国々や、中東、東南アジア各所で、
同じような過ちを繰り返してきました。
次は、日本を含む極東アジアがそうならないことを祈るばかりですが…。
その後のチリはというと、アメリカ政府の庇護のもと、
独裁者ピノチェトによる長い軍政が敷かれ、
アメリカによる搾取に国は疲弊することになります。
この歴史的事件については、
1982年にジャック・レモン、シシー・スペイセクが出演した
『ミッシング』という映画(パルムドール作品)で描かれていますので
興味のある方はどうぞ。
一旦中休みの際に、ステージ裏のトイレに向かうと、
休憩中の大友さんとバッタリ!
向こうから、あれえ?東京タワーの人!!と見つけてくださいました。
いと嬉しや!!
お土産と、娘から手紙を預かってるので、
後でお渡ししますとお伝え。
そして、ステージ終わりに、少しお話。
家が近くて、せっかく大友さんが近所に来ているので、
娘も会いたがっているとお伝えすると、
まだしばらくここで飲んで待ってるから、いいよと言ってくださり、
大急ぎで娘を迎えに行って、久々のご対面!!
プロジェクトFUKUSHIMA in TAJIMIで盆踊りを踊ってぶりです。
大友さんから開口一番「いい笑顔してるええ〜」と言われ、
娘はいつものようにふにゃふにゃに顔が溶けてしまいました。
↓大友良英 with チーム動物園
いつもお会いしても
忙しいスケジュールの合間で
なかなかお話しする機会がなかったのですが、
この日は少しだけお話しすることができました。
ちょうどこの日の1週間前が1.17阪神淡路大震災の日で、
例の震災ウォークの話だったり、
『その街のこども』という作品でいかに救われたかということを
ご本ににお伝えすることができ、
ようやく直接お礼することができました。
大友さんも、あの作品は自分にとってもものすごく大切で、
あそこで、震災とどう向き合うかということを
大真面目に悩んで作り上げたことが、
東日本大震災とどう向き合うかに繋がって、
『あまちゃん』にも反映できたとおっしゃておられました。
あの作品の一番最初の放映の時は、ラストシーンが生放送で、
そこに何をどう音を乗せたらいいか、相当悩んだんだよなあと。
無難にインストだけでもよかったんだけど、
あそこはどうしても歌を入れたくて、結局ああなったそうで、
今思うとそれが一番最良の選択だったと思います。
20周年の時に初めて、1.17のつどいに出るため、
東遊園地を訪れたそうですが、
あまりの人と圧倒的な静寂の空気感に圧倒されて、
公園に入れなかったということでした。
また来年でもその次でも、ぜひ来てください。
すみません、なんかライブの話から逸れまくって
湿っぽくなってしまいましたが、
とにかく、とてつもないエネルギーをいただきました。
そして、今年は初っ端から大友さんにお会いできて、
なんだか縁起がいいぞぅ!!
今年もまたいろいろとお世話になります!!