記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

『私が殺したリー・モーガン』 by ガスパー・コリン監督

1972年2月19日深夜、極寒のNY。
Manhattanの一角にあるJAZZCLUB「Slugs'」は猛吹雪にも関わらず盛況。
稀代のトランぺッター率いるクインテットは、
今日も熱狂的な演奏を続けていた。
ミッドナイトに差し掛かる頃、
濃密な空気が充満する室内に風穴を開けるように、運命のドアが開く。
吹き込む吹雪とともに、一人の女。
駆け寄る男たちを押しのけて、ステージへ。
おもむろに手がバックの中へと差し伸べられる。
そこにはスポットライトの真ん中で、
次の演奏までのつかの間の休息を楽しむ男。
そして振り向きざま…
聞きなれぬ乾いた音がこだまする。

外は依然として猛烈な雪。
凍り付いた街並みを切り裂ようにして響くサイレンの音。
夜の闇はいまだ深く、もう二度と朝はやってこない。
男の名は、LEE MORGAN
世界を熱狂させた稀代のトランぺッター。
その成れの果て。


ジャズ史上最悪の事件として、
今なお深い傷跡を残し続けているリー・モーガンの射殺事件。
運命の引き金を引いた内縁の妻ヘレン・モーガン
生前に残したカセットテープの独白と、
親交のあった様々なジャズミュージシャンたちの証言インタビューを軸に
33歳で突然、世界からフェイドアウトしてしまった
リー・モーガンの最期について迫るスリリングなドキュメンタリー。
全編に、都会の風を体現するような乾いた珠玉のトランペットが鳴り響き、
60’70’のアメリカを切り取った印象的なショットの数々がスクリーンを飾る。
JAZZな男にふさわしいJAZZな作品でした。



もはや説明不要なほど、ジャズ界の伝説的トランぺッターですが、
リー・モーガンについて少しだけ解説。
若干18歳で、ディジー・ガレスピーによって発掘された逸材で、
同年にジャズの名門ブルーノートからデビュー。
大先輩や大御所にも物怖じせず、果敢にプレイするスタイルは
瞬く間に熱狂の渦を作り出します。
しかし、他の多くのジャズメンがそうだったように、
ドラッグの深刻な罠に陥っていきます。
早世の栄光はもはやはるか彼方の遺物となりつつあるような
どん底の日々から彼を救ったのが、
NYのジャズメンの世話焼き姐さんとして慕われていたヘレンだった。
彼女との二人三脚の円満な日々によって立ち直ったモーガンは、
名盤『Sidewinder』で華々しくカムバックを遂げます。
時代はもはやJAZZからROCK全盛へと移り変わる頃。
ロックテイストをふんだんに盛り込んだ変速ブルースは、
一世を風靡しました。
しかし、ジャズ界きってのヤンチャ坊やは、
年上女房の不安をよそに
再び甘い甘い罠に手を染めてゆきます。
夜な夜なスポーツカーを乗り回しては、
どこかの街角で、どこかの女とドラックに興じる日々。
若いガールフレンドに破天荒な生活を続けるモーガンに対する
ヘレンの焦りといら立ち、
それを母親のようにしかりつけるヘレンを疎ましく感じるモーガン
はたから見れば堅い絆で結ばれているかのような二人の間に
徐々に冷たいすきま風が吹き荒れてゆきます。
そうして運命の夜。
死へのカウントダウンはその前から始まっていました。
若いガールフレンドを乗せ、
「スラッグス」へ向かうフォルクスワーゲンが、
大雪に足を取られてスリップし、カーブを曲がり切れずに大破。
モーガンは楽器だけを抱え、身も凍る思いで店にたどり着きます。
一方、ヘレンは長らくモーガンの演奏場所へは顔を出すことがなかったが、
この日は別の店へ別の演奏を聴く道すがら、
「スラッグス」へタクシーを走らせました。
彼から護身用にともらったピストルをバッグに忍ばせて。
そして悲劇は起こったのでした。
普通に考えれば、女たらしでだらしのない男の哀れな末路。
よくある色恋沙汰なのですが、
そこはそれ。
JAZZによって彩られた悲劇は
一段とドラマチックに感じられます。




ザ・サイドワインダー+1

ザ・サイドワインダー+1


トゥー・サイズ・オブ・リー・モーガン

トゥー・サイズ・オブ・リー・モーガン