記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

NO MORE 広島の旅

随分時間が経ちましたが、
18きっぷ広島の旅の最終章を。


雨に沈む呉の町を後にし、
列車は広島湾をなぞりつつ、
活気あふれる広島タウンへと滑り込む。


↓呉を離れ一路広島へ


昼過ぎには広島を離れて岐路に着かねばならないが、
それまでの数時間で観光と、
やっぱりお好み焼きを食べて帰らないと。
昨晩、ずいぶん贅沢をしたツケで、お財布が心もとなく、
お土産代とお好み焼き代をざっと勘定してみると綱渡り。
ここは経費削減とばかりに、
広電は使わず、徒歩で中心部へと向かう。
まだぽつりぽつりとは降っていたものの、
気になるほどでもなく、駅前大橋、稲荷橋と渡り、八丁堀へ。
そこからアーケードを伝って平和記念公園へ。


まず訪れたのは、原爆ドームのすぐ裏手にある島病院。
言わずと知れた広島原爆の爆心地。
この上空約600mで原子爆弾リトルボーイ」がさく裂、
人類史上初めて実戦投入された原子爆弾の威力はすさまじく、
広島を瞬時に地獄絵図へと変えてしまいました。


原爆ドームの裏にある島病院


↓爆心地


そこからすぐのところにある原爆ドームへ。
当時、広島県産業奨励館としてモダンな佇まいを見せていた建物は
日光の数千倍の熱線と、
衝撃波を伴う秒速440メートル以上の爆風にさらされ
350万パスカルという爆風圧をほぼ直上から食らいました。
衝撃を受けた角度や、
窓が多く衝撃が外へ抜けやすい構造だったことなどから
その骨格だけは破壊をまぬかれ、
人類の負の遺産として残ることになりました。
灼熱の炎と想像を絶する衝撃にさらされた残骸は、
戦争の悲惨さや原爆の恐ろしさを伝える遺産でもあり、
ひいては平和を願うシンボルでもあります。
身の引き締まる思いがします。


原爆ドーム


↓生々しい衝撃


そこから見えている橋は相生橋
すずさんと周作が、ばけもんにさらわれて、
初めて出会った場所として描かれています。


相生橋


相生橋


平和記念公園へ足を踏み入れます。
かつてここには活気あふれる中島町という下町が広がっていました。
しとしとと涙色にくれる空の下、静かな緑の中を歩きます。
原爆の子の像のところには、全国各地、世界各地から届けられた
平和の祈りが込められた無数の折り紙の鶴が備えられています。
アメリア大統領として初めてこの地を訪問したオバマ大統領も
千羽鶴を折ったことで、注目を浴びていますね。


平和記念公園


原爆の子の像


それから黙々と灯り続ける平和の灯へ。
あの日街を焼けつくした炎と同じ火。
でもこの日は、あの日の思いを灯し続け、
一井の人たちのささやかな暮らしを照らし続けるための火。
なんといってよいやら言葉もない。


↓平和の灯


↓原爆慰霊碑


さらに独特な静寂に包まれた公園を歩きます。
重たすぎる歴史がこの場所に根差しているのがひしひしと伝わる感じ。
1.17の東遊園地のあの感じを思い起こします。
そうして広島平和記念資料館に立ち寄ります。


広島平和記念資料館


入ってすぐのところに、
原爆投下の様子を再現したCG映像があります。
かなり生々しくショッキングですが、
目を背けてはいけない事実。
動画を上げておきますが、
ぜひ一度現地で目の当たりにしてほしい。
あの日、あの場所で、息づいていた一井の人たちの暮らしが、
一瞬で跡形もなく焼き尽くされ、破壊されたのだ。


↓失われた人々の暮らし


↓ショッキング



核兵器の危険性(右は原爆投下命令書)


原子爆弾のモデル(ファットマンとリトルボーイ


本当ならもっとじっくりと時間をかけてみて回りたかったが
そろそろ時間的な余裕がなく駆け足になってしまいました。
それでもこの場所で起こってしまった事の重みと、
子供たちや次の世代へ自分がやれることは何かという自問と、
にわかに物騒になりつつある今の日本への憂国心とについて
深く考えざるを得ない。
人類の歴史上唯一の被爆国でありながら、
核兵器禁止条約に参加しようとしない矛盾。
”想定外”の大地震によって深刻な被害を被りながら、
原発を推進・再開し、原発ビジネスに依存し、
他国に技術を輸出し続ける矛盾。
そして、芸能人とは仲良く会食するのに
核兵器廃絶国際キャンペーンICAN)の事務局長とは会おうとせず、
アメリカの武器商人の言いなりで、
暴走を続ける現政権が、その危険が明らかなのに、
今もって権力の座を確固たるものにしてしまっている国民の意識の矛盾。
そろそろ本気で考えないといけないんじゃないかニッポン。


続いてお隣の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館へ。
地下へらせん状に続いていく通路を折り、
静まり返った慰霊所でしばし佇む。
外国のツーリストが多数訪れていて、
熱心に解説を読んだり、
目をつむって黙とうしているような姿がとても印象的だった。
まぎれもなく起こってしまった事実を目の当たりにすれば
戦争が、そして核兵器が、いかに悲惨で残忍でどれだけ野蛮なのか、
万国共通で理解できるはずだ。
あれこれ机上の空論を戦わせて、
一見して、さも高尚な理念や理屈を振りかざしてみても、
結局は誰かが、他人の犠牲を払って、己が利益を優先しているに過ぎない。
そしてそれが可能なのは、
一般の市民ではなく、権力のある人間に限られる。
だからこそその権力ある人間を、あらゆる手段・方法を用いて、
常にウォッチし、精査し、批判しなければならない。
それが自由民主主義によってもたらされた権利であり義務であるはずが、
その根本を政治家はもちろん、多くの国民が忘れ去ろうとしている。
自分の都合さえよければ、自分の利益さえ確保できればそれでよし。
それではもはや公共の理念は保てないし、国民国家の体をなしていない。
面倒なことは専門家に丸投げ、どうせ変わりようがないと投票を放棄して、
権利をドブに捨てているうちに、
実はそれが自らの意思で行使しないということだったのが、
いつの間にかその権利をはく奪されているということに、
巧妙にすり替わっていく静かなる恐怖。
それに気づいた時にはもうはや手遅れ、
などということにならなければよいが…


↓国立広島原爆死没者追悼平和祈念館


戦没者リスト


↓雁木


平和記念公園で一通り見て回り、
色々な思いを胸に秘めてそろそろ帰り支度。
そのまま広島駅を目指し歩きつつ、
どこかでお昼ご飯を食べてから出立。
有名店はどこも昼時は観光客の行列で、とてもじゃないが待てない。
どうしようかと路地裏を歩いていると、
空いているお店があったので飛び込みます。
「みっちゃん太田屋」さん。
あの有名な方の「みっちゃん」とはたぶんあまり関係がないです。
地元の人たちが主なアットホームなお店。


↓みっちゃん太田屋


↓やっぱ鉄板前はええです


スペシャル(生イカ・えび・肉ダブル・玉子)のそばと、
おビールを注文。
鉄板のカウンターに座りながら、
たくさんのお好み焼きが焼かれていくのを眺めつつ。
大阪のお好み焼きとは違って、広島のはほとんど生地がなく、
キャベツ焼きに近い感じ。
大きなコテでぎゅうぎゅう押し付ける焼き方も大阪とは全く違います。
ハフハフ言わせながら香ばしいキャベツと、
プルプルの麺を味わいました。


↓いただきます♪


あっという間に食べ終えて、大急ぎで駅へ向かいます。
駅の売店でおみやげをチャチャッと買って、
混雑する糸崎行の列車に飛び乗ります。
帰りはなけなしの所持金で買った
カープハイボールイカフライでチビチビやりつつ。
帰宅したのが20時ごろでした。


↓呑み鉄モードで帰ります


↓かすむしまなみ海道


尾道通過