記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

さよなら京都みなみ会館 ラストは『太陽を盗んだ男』 by長谷川和彦監督

京都で名画でを観るなら
東寺の近くにある「京都みなみ会館」が決まりでした。
映画小僧だった学生時代、
電車代をケチって京都駅から一駅よく歩いて通いました。
企画上映もよくやっていて、
オールナイトでW・カーウァイ監督やクストリッツァ監督の映画を
ぶっ通しで見てホヤホヤの頭で朝を迎えるなんていうのも
懐かしい思い出。
その思い出の映画館が、建物老朽化に伴い、3月末で閉館しました。
また別の場所での復活を模索しているというので、
しばしのお別れですが、
なじみの場所がなくなってしまうのはやはり寂しいことです。


↓閉館のお知らせ


京都みなみ会館


↓ゆかりの人たちによる惜別のメッセージ


↓スクリーンの方が高くなっていく独特な造り


ラストの1週間は、さよなら興行ということで、
これまで上映してきた数多くの作品の中から
えりすぐりの名画を40近くをラインナップ。
普段なかなかスクリーンで見ることのできない
あれやこれや満載の魅力のプログラムでしたが、
時間的に難しいため、悩みに悩んで1つだけチョイスして
ラストを締めました。
往年の映画ファンがこぞって来ていたので、
すごい混雑でしたが、なんとかラスト観に行けてよかったなあ。
また次のステージで会いましょう!


↓さよなら上映は大盛況


↓さようなら〜


で、そのラスト1本に選んだのが、
伝説の映画監督・長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』です。
ちなみに何が伝説かっていうと、
長谷川監督はまだたったの2本しか監督していないのですが(ともに70年代)、
その2つが日本映画界に激震を走らせ、
今なお多大な影響を及ぼしているうえに、
その2作以降40年近く新作を撮っていないという幻の監督さんなのです。


太陽を盗んだ男


主人公は都内の中学で理科を教えている平凡で冴えない男子教師・城戸誠。
しかし、社会見学の帰りに壮絶なバスジャックに遭い、
そこから彼の内側に眠っていた何かが目を覚ます。
彼は東海村原子力施設からプルトニウムを盗み出し、原爆を自作する。
絶大な武器を手に入れた彼は自らを9番を名乗り
(当時、核保有国が8つあり、その次の存在という意味)、
プロ野球のナイター中継を試合終了まで見せろ」
ローリング・ストーンズを日本に呼べ」と、
日本政府に無理難題を要求して挑んでゆく。
自分自身でも、自分が何者か、何がしたいのかわからない主人公が、
対決の相手に選んだのは、バスジャック事件で英雄的な活躍をした凄腕刑事・山下だった、
というお話。
当時人気絶頂だったジュリーこと沢田研二の気だるく危ういセクシーさと、
まるで銭形警部のように質実剛健でスポコン精神丸出し、
そしてゾンビの如く不死身の菅原文太の鬼気迫る演技。
そして原子力施設からプルトニウムを盗んで原爆を作るっていうコンセプトだけでも
もはや現代ではタブーに近いような話の上に、
皇居前でバスジャックするシーンをゲリラ撮影を敢行したり、
何でもありの無茶苦茶なアナーキーズムが、
全エネルギーとなってスクリーンから放出され、
もうそれを受け止めるだけでもお腹いっぱいというような、
史上稀にみる過激作なのです。


興味深いのは、決して筋書き通りの勧善懲悪で
ハッピーな終わりを迎えるのではなく、
漠然とした悪が勝ってしまうという点だったり、
そもそもこれだけの大犯罪を企てる主人公には何らその動機がなく、
原爆を持て余すという点。
しいて動機を挙げるとすれば、
誰かに自分という存在を知ってほしいという承認欲求だけという点が、
現代にも通じる病を思い浮かべざるを得ない。


あの常に眠たげなジュリーの瞳の沈んだ闇の深さや、
天皇に直訴を訴える老人のかっと見開いた形相、
そして全身に鉛を撃ち込まれてもなお不気味に突進してくる刑事の気迫、
どれを取ってもトラウマになる。


いやもう、この有り余る熱量は、言葉では語りつくせるものではなく、
実際に映像を目の当たりにしないとわからないので、
ぜひ一度観てみることをお勧めします。