記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

映画『嵐電』 at 出町座 (舞台挨拶付き)

先週の話。

少し前から『嵐電』という映画をやっていて、

ずっと気になっていた。

ポスターに大きく書かれた”嵐電”という

その文字づらがすでに大いに興味をそそり、

しかも最近特に注目している実力派俳優の

井浦新さんがこちらにまなざしを向けている。

これは観るしかない。

 

京都という町は、

それ自体が既にドラマチックな要素を内包していて、

町の佇まいだったり、そこに住まう人たちの息遣いだったり、

いちいちが絵になる(思わずそんなような気になる)。

なかでも、京都の西っかわを

ゆったりのったりと行き交う路面電車のある風景は、

とびきり味わい深い。

 

いきなりの余談だが自分も大学時代、

映画製作サークルに属していて、

嵐電を舞台にしたショートショートの作品を作ったことがある。

独特のゆったりとした時間や、

その時間に沿って流れる風景や暮らしの様に、

ついキャメラを向けたくなるのは実によくわかる。

 

本作は鈴木卓爾監督がメガホンを取り、

京都造形芸術大学の学生たちが参加する

「北白川派」によって制作され、

プロと学生、あるいは沿線の人達も参加して撮影された

とても地元に根付いた作品。

 

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映画は、嵐電が行き交う町の景色を舞台に、

主に3組の男女の心の交わりやすれ違いを描いてゆく。

何か特別大きな事件や出来事が起こるわけでもない

日常のやり取りが、

時にファンタジー的な描写も織り交ぜながら

丁寧に写し取られ、

ただ静かに登場人物たちに寄り添ってゆく。

 

心のどこかになにかひっかかったものを抱えたままの

井浦さんの所在無げなまなざしや佇まいの

圧倒的な存在感はさすがの一言。

あの深いまなざしはいったいどこまでを射抜いているのだろう。

 

そして、大西礼芳さんの独特の空気感。

自分の中心にしっかりとした芯はあるのだけど、

外の世界に対してそこに自信がいまいち持てずに、

ふわふわと浮遊しているような、

相反する心境が共存した女性が、

まるで役柄ではなく

大西さん自身ではないのかと感じられるくらい

極めて等身大の演技が素晴らしかった。

 

他の多くの役者さんは、

大学の映画学科に在籍している人たちで、

まだまだ青々しい演技ではあったけど、

それがこの映画では逆に味になっているというか、

フィクションというよりも青春ドキュメンタリーな

映画の雰囲気をうまく醸し出すことに成功している。 

またその青々しさは、京都の町の寒い冬の景色と

とてもよく合うのだ。

 

そして劇中に時折流れるあがた森魚の音楽が、

実に心地よく響き渡り、

いつまでも完結しない物語が、

どこまでも不完全なまま

嵐電の奏でるガタゴトに乗って、ずっと続いていく。

なんとも不思議な後味を残していく映画でした。

 

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せっかくの『嵐電』なので、

京都で観るのがよろしかろうと出町座にての鑑賞だったのだが

この日は舞台挨拶に、たくさんのキャストが勢ぞろい。

(残念ながら朝の回のサイン会は、完売で参加ならず)

鈴木監督、井浦さん、大西さんをはじめ、

みなさん、作品に対する熱い思いや京都愛を語っておられました。

このキャスト陣スタッフ陣、

きっとめちゃくちゃ仲がいいんだろうなあというのが

はっきりわかる一体感でした。

 

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井浦さんには、今回もここぞという唯一のチャンスで

絵をお渡しできました。

日曜美術館の進行をずっとされていて

すごい聡明で感性のある人だなあと気になっていて、

数々の映画やドラマでも佇まいだけで

すでに絵になる存在感を発揮されていて注目していました。

今年に入って、震災ドラマや朝ドラなどで

ますます気になっていた矢先に、

こんなチャンスがめぐってくるなんて。

実際の井浦さんは思ったよりも背が高く、

ばりばり役者のオーラが漂っていました。

 

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