記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

あれから25年 阪神淡路大震災 追悼ウォーク

多くの経験者がそうであるように、

自分にとっても人生の大きな転機となった忘れられぬ日、

それが1995年1月17日。

そう、言わずと知れた阪神淡路大震災が起こった日。

あれから25年。

 

震災当時、高校受験を目前に控えてた中学生だった。

余りの衝撃と惨劇に、

まだまだ若く無力な自分はただなすすべがなく、

状況に飲み込まれ、流され、生きるのに精いっぱいで、

何も思考する状況じゃなかった。

ただ死が目前に横たわっているという生々しい感覚や、

どこへも向かわずにただ自分の中で湧き上がる

えも言えぬ悲しみや恐怖や無力感といった感情を、

どうにか抑え込んで、明日を向くしかなかった。

 

あれから行く年も重ねていくにつれ、

当時よりもずっとずっと震災について深く考えることが

多くなってきたような気がする。

東日本大震災が起こったことで、

若い記憶が鮮明にフラッシュバックしてしまったということもあるし、

大人になり、家族を持ち、子どもができて、

一層守るべき人・モノが増えたということもある。

また必ず起こると言われている

南海トラフ地震への備え、防災、

あるいは毎年のように繰り広げられる自然災害に対する意識もある。

しかし、一番は、あの時、まさに自分の若く未熟で無力で、

ただ自分と自分の家族の身を護るという、

ただそれだけしかできなかったという、

無念さや一種の後ろめたさがそうさせているのだということは、

自分でもはっきりと感じている。

今更、何を考えても、対策をしても、

あの地震も被害もなくならないし、

亡くなった人が帰ってくるわけでもない。

でも考えてしまう。考えざるを得ない。

 

とてつもなく寒かったあの日、5:46に地震が起こった。

それによって、突然命を奪われた人がいる。

でも幸いにして自分は助かった。

そのあと電気もガスも水道もなく困難な生活が待ち受けていたし、

友人・知人で亡くなった人、家を失った人、たくさんいる。

でも自分は助かった。こうやって人生を続けられている。

その違いは何だったのだろう。何で助かったのだろう。

知りたいのは建物の構造がどうだとか、

街の仕組みとかそういう事じゃなく、

もっと運命的な違いのようなものについてなのだけど、

そんなことわかる訳もなければ、答えなどある訳でもない。

それはもう重々わかりきってはいても、

それでも頭の中では常にあの日のことを考えてしまう。

それを考え続けることが、

ある意味自分の人生の一側面であり続けてきたし、

これからもきっとそうだろう。

それはもうあの日から決まっていることなのだ。

 

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かれこれ10年以上、

毎年この日に向けてやっていることがある。

前夜に出発をして、夜通し歩いて

追悼のつどいが行われている

神戸・三宮の東遊園地を目指す追悼ウォーク。

静かな夜の街を歩きながら、当時に想いを馳せ、

時に未だひっそりと残る震災の傷跡に遭遇したりしながら、

今現在の街の様子を写真に収める。

そうして5:46の黙祷へと赴くのだ。

 

それを始めたころは、夜中に歩いて何の意味があるの?

無意味だし、そんな自己満足では何も変わらないと

揶揄する人もいました。

でも自分の中ではもはや意味とか価値なんてとっくに越えていて、

それは自分なりの祈りであり、一種の儀式として、

自分の中で重要なものに位置付けている。

 

転機になったのは、

2010年にNHKで震災15周年ドラマとして放映され、

その劇場版としてこの時期になると上映され続けている

その街のこども』という作品に出会ったことだ。

脚本は渡辺あやさん、音楽は大友良英さん。

この映画では、森山未來さんと佐藤江梨子さん演じる

自分と同じようにあの日地震を経験した若者が、大人になり、

あの日から背負ってしまった人生の重荷を分かち合いながら、

ただ神戸の夜を彷徨い歩く。

一度は逃げるようにして飛び出した神戸の街と向き合い、

あの日の朝に想いを馳せながら、

今を、そしてこれからを生きていくための拠り所を探し続ける。

ちなみに一番最初のドラマ放映時のラストシーン、

1.17追悼のつどいの行われる東遊園地へ向かって、

主人公・美夏が横断歩道を渡っていく背中のショットは、

実際にその年の1.17の早朝、現場からの生放送だった。

 

この作品を初めて見た時、

ああ、これはまさしく自分のことだ、

自分の映画だとはっきりと受け止められたし、

自分がやってきた追悼ウォークが

なんだか初めて認められたような気がして、

本当に救われた思いがしたのであった。

地震の惨状や、そこからヒロイックに立ち上がっていく様を追った作品は

たくさんあるけれど、

こんな風にして、市井の人達の震災のその後を

同じ目線に寄り添って、あの地震の”いま”を考える作品なんて、

それまで見たことがなかったし、

あの地震があの日あの時起こった

過去の歴史の一部分なんかじゃ決してなくって、

あの日あの時からはじまって、

今もまだ続いているものなのだと

はっきり自覚することができたし、

だからこそ、これからも自分の中で、

あの日のことを考えるという事を

決してマイナスに捉えたり否定しなくていいんだと、

自分自身を認めることができたのです。

 

その後、縁あって大友さんとお話しする機会があり、

この作品についてお話しすることがありました。

色々なドラマの劇伴を担当されたり、

震災や災害に関する様々な取り組みをされている大友さんにとっても

この作品は特別な思い入れのある作品だそうで、

この経験が、のちに代表作になる『あまちゃん』へとつながる

第1歩でもあり、

また自らのふるさと福島が震災に見舞われた際に、

自分が何をすべきか、何ができるかを考えたときに、

その指針となるべきものになったとおっしゃっておられました。

 

また、去年は渡辺さんにも念願かなってお会いすることができ、

この作品に出会ったことの思いと、

この作人によって救われたことへの

深い感謝を直接お話しさせてもらえて本当に感無量でした。

 

さて、震災ウォークについて。

震災ではあらゆるライフラインが寸断され壊滅的な被害を被り、

JRが再び運行を開始したのが4月、

よりダメージの大きかった阪急・阪神は6月に復旧しました。

その復旧のスピードはあれだけの被害を考えれば、

驚異的な速さで、

それは決してあきらめず前を向くという

被災地の不屈の思いが結集してのことだったし、

実際、電車が復旧してつながるという事は復興の大いなる光でもあった。 

しかしそれまでの間、電車がたどり着けるのは西宮北口までで、

神戸へ支援や救援に向かうにも、神戸から逃れてくる人も、

みなこれだけの距離を歩いて移動するしかなかった。

震災ウォークでは、

それを追体験することであの日に寄り添うということなのだが、

毎年歩くルートを変えながら続けていて、

今年は節目の年という事もあり、

一番最初に始めた時と同じ阪急西宮北口駅を出発地とすることにした。

 

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終電2つ前の電車で阪急西宮北口駅へとたどりつく。

すでに日付変わって1月17日。

予報では雨だったが、幸いにして降りそうな感じはない。

それよりも、本当に今日がその日かと疑ってしまうくらいに

とても暖かい。

毎年なら、末端がキンキンと冷たくかじかむほどに

厳しい寒さのなか歩くのだが、

この日は歩くと着てきたダウンジャケットが暑いくらい。

ちょっと信じられない。

 

慌ただしく最終電車に乗り換えをする人たちや、

駅閉めにせわしない駅員、

客待ちするタクシーの列を横目にいよいよ歩き出す。

いつものようにルートは決めず、その場で道を選びながら、

夜に誘われるままに足を運ぶ。

南口から離れて、まずは津門川を渡って西へ向かうが、

すぐに御手洗川(東川)にぶつかって、川沿いに進むことにする。

そばにあるマンションの空き地から、

野良猫の大合唱が聞こえるが、それ以外は平和に眠る街。

 

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大きく蛇行に合わせてカーブをなぞりながら

JRをくぐり、R2もまたぐ。

ここまで来れば、福男で有名な西宮戎を

避けて通るわけにはいかないとそちらまで。

 

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そこから阪神高速を越えて、浜の方へ向かうことにする。

白鶴の大きな工場を横目に南下し、前浜町へ。

ここが川と海のちょうど境に当たるところ。

さらに直進して、黒くそびえる防波堤をなぞりながら、

西宮マリーナに出る。

数年前はここからさらに跳ね橋を渡って、

湾岸線へ出て、西宮浜~南芦屋浜~深江浜と大橋を渡って行ったが、

今回はそちらへは向かわずに御前浜公園へ向かう。

 

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前方の西宮浜の人工島によって、大阪湾から切り取られて、

大きな水溜まりのようにして沈黙に滞る西宮港。

休日の昼間などは、

近くのヨットハーバーからマリンスポーツを楽しむ人が繰り出し、

近所の人たちがゆったりと時を過ごす憩いの場なのだが、

夜の顔は一転して、まるで世間から忘れ去られたかのように、

ぽっかりと一面黒い水面がのたりのたりと淀み、

それに合わせて遠くの眩しすぎる灯りが

本性を晒すかのようにしてメラメラと揺れ動く。

世界が止まってしまったかのように、音のない世界。

足元の柔らかい砂地をゆっくりと歩く。

浜の奥には、江戸時代末期に建造された砲台の遺構が残されているが、

その円筒形の重厚なコンクリートの塊はもう目覚めることはない。

岸辺の灯りを収めようと思い立って、

水面に近いところへと足を踏み入れると、

突然、眠りを邪魔された野鳥たちが、ひどい鳴き声を上げながら、

慌ただしく飛び立ち、水面が暴れる。

そしてまた静寂。 

 

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季節外れの生暖かい風を受けながら、

反応しない無機質な水と、

そこに反射する人工的な発光物の姿を、

黙々と納め続ける。

死んでいるのか生きているのか。

時だけが静かに停泊し

街は静かにそこにあった。

気付けば随分な時間をそこで過ごしていた。

 

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御前浜公園を横断し、その先で夙川に行く手を阻まれる。

いったん浜を離脱して通りへと戻る。

打出浜のところから、芦屋浜を東西に横断する中央緑道へ入る。

緑豊かな一本道を歩いて行くと、

前方に無機質で近未来的な風景が目に飛び込んでくる。 

70年代に設計された芦屋浜団地だ。

鉄筋とプレハブの組み合わせによって形作られた

独特な外観の集合体。

さながら、銀河鉄道の夜のジョバンニとカンパネルラのように

まるで歪んだ時空を彷徨うかのようにして、

インダストリアル団地を抜けていく。

 

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中央緑道の橋までたどり着くと、

神戸港が目の前に広がり、そこから先へは進めない。

一旦芦屋川を遡上してR43へと戻る。

しかし、ここまでで随分と時間を擁してしまい、

すでに3時になってしまった。

まだ西宮を発って芦屋川、少し寄り道が過ぎてしまった。

残り2時間と少しで三宮までとなると、写真撮影よりも、

真面目に歩かねばならない。

ひとまずR43をなぞって目的地を目指す。

この強大な鉄筋コンクリートの構造物が空を遮る。

しかし、これほどの屈強な物体が、

まるで赤子の手をひねるようにして大地に寝転ばされたというのは

本当に信じがたいことだが、紛れもない事実なのだ。

 

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深江あたりで、R43を外れ、1つ北の筋へ上がって、

阪神電車沿いを歩く。

この辺りはようやく高架化が完了し、

地上の線路が撤去の日を固唾を飲んで待ち受けている。

魚崎で住吉川を渡り、そのまま御影へ。

ずっと黙々と歩いてきたため、

空腹を覚え、駅前の牛丼屋で小休止。

時刻は4時を回った。

 

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残り1時間と少しで、あまり時間の余裕はないのだけど、

どうしても立ち寄りたい場所があり、

まっすぐ西には向かわずにJR六甲道方面へ上がる。

そうしてたどり着いたとある公園。

近くへ用事がある時は、大抵立ち寄って想いを馳せる大切な場所。

 

ここ、六甲風の郷公園は、

六甲道駅北地区の震災復興土地区画整理事業により、

平成18年に完成した公園。

この界隈は元々密集住宅地であったが、

震災で多くの建物が倒壊、延焼し、沢山の人が亡くなった。

今この穏やかな光景からは全く想像もできないような

悲劇がまさにこの場所でも起こったのだ。

 

実はこの公園、先に紹介した『その街のこども』で

ある重要なシーンで登場する。

それは主人公・美夏が過去と向き合い、

それを涙と笑顔で手を振って見送るという、

彼女の人生にとって間違いなくターニングポイントとなる瞬間。

彼女が彼女自身に許しを与える場所なのだ。

 

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時刻はすでに4時30分を過ぎている。

再び神戸を目指して歩き始める。

新聞配達の人、パン屋で仕込みをする人、犬の散歩をする人、

そろそろ街が目を覚まそうとしている。

山手幹線通りの一つ下の通りを歩いて、王子公園へ出る。

一旦JRをくぐって、あとは高架沿い三宮へと出た。

 

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三宮に出ると、多くの人が同じ方向を目指して歩いている。

みなこの日だけは早く起きて、東遊園地へと巡礼するのだ。

きっと当時はまだ生まれてもいなかったような

若い世代の人、学生たちの姿も多くいる。

 

追悼の集いは誰でも参加できる。

冷やかしでもいいから、ぜひ一度足を運んでほしいと常に思っている。

あの、公園に一歩足を踏み入れた時から感じる、

ピーンと張りつめたような空気、それに触れるだけでもきっと、

何かを汲み取って感じることができると思う。

それは単にこの地で何があったのかという事を知識として得るだけでは

到底語り継ぐことのできない、震災の生の肌感なのだ。

そういうものこそ、後世に語り継いでいかねばならないと

ずっと思い続けている。

そしてそこに宿る信念や志こそが、

地震を含め毎年のように自然災害が襲い来る我が国の

根っこにならなければならないものだとも思っている。

 

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会場には無事に間に合って5:20に到着した。

今年は平日だったが、周年という事もあってか

例年よりも相当に多い人出に感じた。

記帳を済ませて、いつも手を合わせる場所へ向かい、

ロウソクでまだ火の点いていない燈篭に火を分けていく。

 

この火をじっと眺めていると、悲しさ、寂しさ、温かさ、安堵、

言葉では到底説明のつかない色々な生の感情が沸き起こってしまって、

その場から動けなくなる。

それはきっとこの暖かな炎のひとつひとつが

命であり記憶であり、祈り、だからだ。

そしてきっときっと希望の光であってほしい。

 

そして5:46。黙祷。

 

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今年のテーマは「きざむ」でした。

25年という決して短くはない年月の中で、

風化というものに抗いながらも、

決して心の中から消え去ることのない震災の記憶。

日々の忙しさの中では、表層に浮かび上がってくることはない

震災への思いを、この日ばかりは掘り起こして、

ゆっくりと向き合い、改めて心に”きざむ”ための

大切な儀式として、来年もその次もずっと、

この日が来るたびに、また夜の街へと歩きだす。

 

ということで、無事に今年もお参りを済ませることができました。

本当は呼びかけに応じてくれて知り合いが追悼に来てくれていて、

お会いできればよかったのだけど、

子どもたちが起きて送り出す時間になる前に帰宅しないといけないため、

セレモニーの前に公園を離れました。

 

駅へ向かう道すがら、頭の向こうの山に、

「KOBE.1.17」の光が力強く灯り、街を見守っていた。