記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

ブログ停まっていますが、元気です

ネタがないわけでもないのだけど、

3月末でずっとブログが止まっております。

なにやらとっても忙しく。

記事を書いているヒマがないのです。

コロナで色々と暮らしぶりも大きく影響を受けている次第で

どこにも行けなかったり、誰にも会えなかったりしていますが、

おかげさまで大変充実した生活を送っております。

 

社会一般的にもそうですが、自分自身にとっても

オンラインやネット、SNS、あるいはリモートといった類のものが

これほどまでに重宝されることはなかったかと思いますが、

そんな局面でさえ、逆に、いかにリアルが肝要か、

ということを極めて強く痛感している次第です。

 

ネットやオンラインの有効性や可能性を否定するつもりはないし、

その恩恵も多分に受けてはいますが、それでも、

やはり自分はリアルに生きる人間なのだということです。

物理的に繋がれない状況なら、むりに繋がらなくてもよい。

そして、むしろ無理をして繋がるようなことをせずとも、

大切な人も大切な情報も、あらゆる重要なものは

やっぱりリアルから、ダイレクトに自分のもとにきちんと届く。

不特定多数が混沌と欺瞞と悪意と憎悪に溢れるSNSや、

でまかせだらけのマスメディアなどに依存せずとも、

世界とのチャンネルを維持・構築できる。(役得役得)

 

むしろ、今やデジタルの世界の方が、

不確かで虚無感に溢れていて、

リアルによい作用を及ぼすというよりも、

悪影響の方が大きくなりつつある。

そういった場所で無理に立ち回らなくとも、

今、目の前に物理的にあるモノコトだけでも

やらなければならないことは山ほど抱えている。

それを確実にこなすこと、それを満たすことだけでも、

存分に楽しい暮らしであり、

それはコロナ以前では十分に手を尽くせなかったモノコトで、

ようやくそれらに十分に時間も手間もかけられるようになった、

ということだけだ。

 

もちろん、大切な人、大切な場所へ容易にアクセスできなくなった

ということはとても残念だし、

それらが危機的な状況に陥っていることに対して、

ささやかに援護・援助することしかできないのが

歯がゆいということもあるのだが、

もう少ししたら、それらにはリアルの世界で再び。