記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

『兵庫県立横尾救急病院展』 at 横尾忠則現代美術館

ちょっと病院へ行ってきました。

といっても、この病院、普通の病院じゃあないんです。

主治医は横尾忠則

言わずと知れた日本アートの巨匠。

自身、数多の事故や怪我、病気を患い、

日々是闘病を自負し、

無類の病院好きとしても知られる横尾さんが、

自らの美術館をそのまんま病院に仕立てて、

病や老いや死でさえも、

人生や創作の糧として展示してしまおうという

底知れぬどん欲さを見事に芸術へと昇華させる試み。

まさに肉体のアート。いやアートな肉体?

 

そこに、まさかまさかのコロナ禍がやってきて、

まさに病や死が我々の日常生活に直結するような事態に発展し、

図らずもタイムリー過ぎるテーマとして

話題となっている展覧会。

そしてコロナ禍に反応して、様々なビジュアルに

マスクや口腔のイメージをコラージュする《With Corona》を

同時に展開、増幅していく生きた展覧会でもあります。

 

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ということで、神戸は王子公園にある

横尾忠則現代美術館へ行ってきました。

まずは入館に際しては、コロナ対策で検温します。

美術館のスタッフの皆さんがテーマに合わせて

白衣を着て医療者に扮しているので、

本当に病院にかかりに来たかのよう。

それも、大きくてひんやりとした廊下やロビーが、

さながら大学病院のようです。

この遊び心というにはイタズラが過ぎるようにも思えるが、

いたって大真面目というところは、

自分のモットーである『マジメにアソブ、マジメをアソブ』

にも通じてとても共感するところ。

 

 

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展示場は2F&3F。

病室のように真っ白なフロアは、

波打つように静かなのだが、

その場の静寂を華々しくぶち破るようにして、

エネルギーに満ち満ちた巨大な絵が並んでいる。

絵の横には、まるでカルテや処方箋のような様式で、

絵にまつわる解説が記されていて、

いついつ、どこどこで骨折をした、病気を患った、

事故に遭った際にインスピレーションを得て、

描いたものだということがわかるようになっていて

実に面白い。

 

作家の年表も面白くて、

普通だと生い立ちだったり、転換点となるような出来事、

作品のバイオグラフィーが並んでいるのだけど、

何歳でタクシーのドアに挟まれて足を骨折したとか、

どこどこへ旅した時の料理にあたって中毒を起こしたとか、

横尾さんの事故・ケガ・病気の経歴が

つぶさにわかるようになっている。

 

展示には、横尾さんが実際にかかっている病院の診察券やら

ご本人が克明に記録した闘病日記なども展示されているのだが、

本当に病気だらけの人生で、

それについてマニアックなほどの興味を示しているのがわかるし、

そうやって己の肉体的・精神的に生じる作用や変化についての

鋭い関心が、横尾さんの創作の1つの原動力となっているのだと。

わが肉体の内なる部分から発せられる

無尽蔵のエネルギー(それはプラスもマイナスも一切合切)を

そのままキャンバスに放射しているような

混じりけのない純真さ(それは時に狂気と感じるほどの)を

ひしひしと感じることができます。

 

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とにもかくにも、元気をもらうどころか、

あまりのエネルギーの当てられて、 

逆に元気を吸い取られてしまうんじゃないかというくらいに

すごい展示でした。

御年84歳にして、そしてこのコロナ禍において、

ますます意欲満々、病んでる場合じゃあないぞと、

血気盛んな横尾さん。必見です。

 

さて、ここからは余談。

 

そういえば、古い記憶をふと思い出した。

高校の美術の授業で、

夏の思い出を描く、みたいな実にありがちな課題が出された。

自分は画用紙にいくつもの色を駆使して満天の銀河を描いた後、

おもむろに絵の真ん中にカッターを突き刺し、

八方に裂け目作り、破れた穴の向こう側に当て紙したところに、

限りなく透明な眼を描いた。

なんでそんな絵を描いたかというと、

阪神淡路大震災の翌年の夏だったことにも関係がある。

それはさておき、周りにいたクラスメイトは、

いきなり絵を裂いたヤバイ奴だという空気で

ドン引き、騒然となった。そらあそうだ。

授業の後で、教師に呼ばれ、これは怒られるのかなと思ったら、

この人知ってるかと、とある画集を手渡された。

それが横尾忠則との出会いだった。

ただ、当時はまだアートやらなんやらに興味はなかったし、

他のこと(バンドで音楽やる、映画を作る)に興味があったし、

何より、クラスメイトにドン引きされた反応が怖すぎて、

絵を描くことをある種のタブーとして自分の中に封印して、

長い間描くことをやめてしまった。

いわゆる”常識”ってやつに従って、

自我を封印したってことなのだが、

(といってもそこまでの意識は高校生で持ち合わせていたわけではないが)、

今思えば、少なくともクラスをざわつかせる程には、

常識や固定概念を揺さぶったという意味で、

あの絵は自分の中でも数少ないアートな瞬間だったのかも知れない。

と思うと、何かとてももったいないことをしたのかとも思うし、

本気でヤベーだけだったのかも知らない。

という余談でした。