記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

オシムJAPANの幻想と岡田JAPANの慢心

何ださっきの韓国戦は。というより東アジア選手権全体。というより、かなり前から。
サッカー日本代表は明らかに目指すべき方向性を見誤り、強化プランを怠った。
トルシエJAPANのときよりも確実にレベルが下がっている。
ここまで4年間もあったのに、今まで何をやってきたんだと思う。
岡田監督の責任は重い。だがだからといってすべての責任をかぶせてはいけない。
選手も、協会も、そして我々サポーターにも責任がある。


問題はいくらでもある。
一番の課題は、中盤に頼り切るスタイル、つまり
両サイドの上りを待ちながら、中盤でまわし、一旦外にはたいてから、
センタリングを上げ勝負するというパターン。
長友、内田の両サイドバックは、試合を見ていても
結構頑張っているように見えるが、あれではだめだ。
両サイドラインぎりぎりで勝負してては遠すぎる。
もう少しゴールに近いところで勝負しないと、相手には何の脅威も与えられない。
なのに2人とも簡単にセンタリングをあげている。
それでは焼け石に水だ。
初めから外でしか勝負してこないとわかっている相手など、
中さえ人数をかければいくらでも対策できる。
FWが脆弱なのがわかっているなら、一旦外にはたいたうえで、中へ切れ込む必要がある。
現状のチームとして最大の課題は、中で待つFWと、
そこからセンタリングを上げるセンターバックの間にもう1枚いないこと、
もしくは、中で待つFWに連動して動くもう1枚。
それが足りない。要は、決定的なゾーンで仕事をする人間が足りない。
大事なのはあくまで中だ。
今の日本は、死にパスを中に送り込んでは、カウンターを浴び、それを嫌がった後半、
結局MF間でキープするだけのパスを回すだけの退屈な時間が過ぎるというサッカーしかしていない。
実際、ここのところ、キープ率では相手を圧倒的に上回りながら、
勝てないあるいは負ける試合ばかりだ。


どうしてこうなったのか。根本的な原因は2つある。
それはオシムの幻想と岡田の慢心だ。
そこには、今ももしオシムが監督だったら…という幻想が
選手の中にも、我々サポーターの中にも、そして協会自体にも、
まるで現実逃避するための麻薬として今も存在しているのではないか。
もしオシムが今も監督だったら、考えて走るサッカーが現実となっていたら、
きっとスペインやオランダのような、パスがつながっていく美しいサッカーが見れたのでは?と。
本当に実現できたかどうかという部分が抜けたまま、
不意に中断された高すぎる幻想、それも検証不能の幻想に誰もが引きずられたまま、
その幻想が甘い罠とも知らずここまでやってきてしまった。


そして岡田監督の慢心だ。
確かに急な監督交代で、下地となる貴重な時間がなかったことはかわいそうではある。
しかし、あらかじめ決められたレールをなぞるのであれば、コーチ昇格で十分だったはずだ。
あの時点では、まだ組合せや、新しい選手を試すだけの時間があったし、
そこから今までのスタイルから脱皮する挑戦ができたはずである。
しかし早々に中村俊輔との心中を選択してしまった。
ありもので間に合わせるだけの主張のないチームの出来上がりだ。
それとも協会は単に誰もが納得のいくスケープゴートとして、
岡田監督が適任だと判断したのだろうか。


日本はMF重視のチーム作りをしている。目指すチームがそうでったとして、
そういうチームとなるように、つまりMFを生かすためにチームを強化する上で
大事なことは一体なんだったのか。
戦術とは育成・強化は一対ではあっても別物だ。
日本は中盤が豊富だといわれる。でも本当にそうか。
豊富なのではなく、誰が出ても一緒だというだけではないのか?
中村俊、遠藤、中村剛、阿部、小笠原…。
屈指のパサーで、守備の意識が高く、芸術的なFKをけりこむ。
でも彼らはおぜん立てをするだけで決定的で直接的な仕事はしない。
パスの出し手が豊富でも、受け手がいなければ、
パス巧者同士で回すだけのサッカーになるのも仕方がない。
それはそれで個々としてみればいいのかもしれないが、
組織として同じスタイルの選手ばかり育つというのは大きな問題ではないのか。
今の日本代表はまるで、
内野ならどこでも守れる選手ばかりがそろって、試合を決めるパンチ力もなく、
弱いということ以外に特徴のなかった90年代最弱の阪神タイガースと同じに見える。


そんな中盤が日本の顔であり生命線として扱われているということはどういうことか。
それはまず、ほとんど流れからゴールするのではなく、
得点はほとんどFK頼みという現実。止まったボールからしか得点が期待できない。
そしてそれだけFWの存在感が薄いということ。
その印象は、今に始まったことではなく、ずっとそうなのだ。
ではなぜ、4年前の早い段階から、豊富なMFに頼り切るスタイルではなく、
その時は弱くても、中長期的なプランとして
ワールドカップに向けてもっとFWを育成してこなかったのか。
FW強化は永遠のテーマであり、日本の最大のテーマのはずである。
中途半端にMFが強かったために、そこそこ日本は強いんじゃないかとうつつをぬかししまった。
中盤を支配できれば、世界と戦えると勘違いしてしまった。
試合を組み立てるMFを司令塔と名付けて過度に重視し過ぎる日本の思想が生まれてしまった。
世界の司令塔を思い返してほしい。
C・ロナウド、カカ、ロナウジーニョはみな偉大だ。
でも彼らの成功は、ルーニー、メッシ、エトーシェフチェンコという
決定的な仕事をするFWと常にニコイチであることを決して忘れてはならない。
パサーがいかによくても、受け手が決めなければ意味がないのだ。
このMF偏重の傾向は、知名度や統制力はあったかもしれないが、
純粋な実力的に本当にすごかったとは言い難い、
少なくとも実は先述の世界のスーパースターと肩を並べるほどではない、
中田英寿が決定づけたものだ。その罪は大きい。
日本、アジアではなく、世界で本当に戦う気があるなら、
そして過去のJAPANよりも進歩したサッカーをするというのなら
MF重視の従来スタイルを見直し、
FWという決定的な弱点に目をそむけずにを直視しすべきだった。
強いFWの不在。すべての問題の根源はそこだ。
得点力不足も、パスを回すだけのサッカーも、
守備もロクにできないのに不用意に前線へあがり、
しまいにはしょーもない反則退場をしでかすアホなDFがいるのも
全部そのせいだ。
ビエリがいればマルディーニはあがる必要はないし、
ルーニーがいればファーディナントがあがる必要はない。
小手先の解消法、目の前の問題だけしか見ない対処療法では無意味、
いくらMFが充実しても問題は解消されない。
ラストを決める度胸もなく、パスをクルクルと回してたのは、
試合の中だけでなく、そもそもMF重視という考え方自体が、
決定力のない責任逃れの行為なのだ。
選手、監督、協会、サポーター、日本全体で中盤をクルクル。
中盤のあれこれはもういいのだ。


90年代阪神を再び引き合いに出せば、あの頃、選手はもちろん、
指揮する監督、そして補強するフロントさえもが、現状に甘んじて無策だった。
それが外部から野村・星野両監督、金本・下柳らを招へいしたことで劇的に変わった。
今必要なのは、これまでのセオリーを打ち破る発想と、それを実行する新しい血だ。
岡田監督はもう限界だし、現状のメンバーではない新しい勢いのある選手が必要だと思う。


今更ワールドカップ4強などとは笑い話だし、
グループ予選突破どころか1勝できるかどうかもあやしい。
世界クラスではなく、アジアクラスの日本だが、
とはいえワールドカップには間違いなく出場するのだから、
今現在最大限の努力をして、何らかの手を打つべきた。
今考えられる最大のメンバーと思われるのは、


    「岡崎」 「平山」
  「大久保」   「長谷部」
  「遠藤」    「稲本」
「長友」          「駒野」
  「岩政」      「中沢」  
       「楢崎」

スーパーサブ: 山瀬、森本、松井、本田
  

フォーメーションは、2-2-2-4。
大久保は1.5列ぎみで攻撃参加、長谷部は汗かき役。
一見、攻撃陣と守備陣の間にスペースができて、
中盤が間延びしてしまうように感じるかもしれない。
でも、中盤は日本の一番いいところであり、タマ持ちもいい選手ばかり。
遠藤と稲本とのコンビネーション、運動量、守備の意識があれば問題ない。
守備はその2人に加え、中沢、岩政の強さ、高さで対応可能だ。
右サイドを内田ではなく駒野なのは、どこでもできる
ユーティリティ・プレーヤーが1人ほしいから。
服部、明神のような何でも屋は絶対必要。
攻撃のキーとなる選手は、岡崎・大久保、長谷部、の3人。
運動量もあり、走れる3人がどれだけ中で勝負できるか。
とくに前半戦。そこで中をしっかりと意識させることで
長友・駒野の外からの上がりも生き、平山の高さが役に立ってくる。
リベリーやロッペンといった突破力のある選手を参考に強気で行ってほしい。
今日本に絶対的に足りないのは、彼らのような選手だ。
最後に、前からずっと言い続けてきたが、
玉田、中村俊、闘莉王、内田ははっきりといらない。