記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

【PR】難読地名」・難読駅名クイズ 大阪編

WEBライターのお仕事の方で、こんなん作ってみました。

なかなかどうして地元の人間でも読めない地名がたくさんありますねえ。

それにしても地名の由来を紐解いていくと、

その土地の地理や文化を知ることができるだけでなく、

歴史的な出来事や、はたまた太古の伝説にまでたどり着くことができるって、

地名は奥が深い!!

さあ、あなたは何問正解できるかな?

 

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『パリは燃えているか』 by 加古隆 ~NHKスペシャル『映像の世紀』~ / 『El Derecho de Vivir en Paz(平和に生きる権利) 』 by Víctor Jara(ビクトル・ハラ)

1995年に放映されたNHKスペシャル映像の世紀』が

今夏は再放送されていたので、再びシリーズを通してみている。

 

初回放映当時中学生だった自分は、

阪神淡路大震災を経験し、オウム事件を目撃し、

ユーゴ紛争でのサラエボの悲劇を知り、

世紀末的な鬱とした時代の雰囲気を受けながら、

自分の関心の範疇から大きくはみ出した社会の在り方というものに

否応なく考えさせられていた頃であった。

当時は、明確な方法や対象をはっきりと思い描いていたわけではないが、

いわゆる受験勉強や学校で学ぶようなこととは別に、

世界のなりましや、なぜ戦争が生じるのか、といったことについて

きちんと学ばなければならない、

知っておかなければならないと思っていた。

そんな頃にとてもタイムリーな番組として放送され、

今まで知らなかった様々な事柄を知って衝撃を受けたことを

昨日のことのように覚えている。

その衝撃は、それから色々な節目ごとに、

映像の世紀』を見るにつけて、

決して変わらないままである。

 

今年の再放送は、自分からの夏の宿題として

中学生になった長女にも一緒に観てもらっている。

正直少し早いかなあという心配もあるのだけど、

自分がまさに同じ年代に観たこともあるし、

色々なシーンを分かりやすく横で解説をしながら、少しずつ観ている。

今もって日本の教育現場では、受験的な要素がまだまだ重視されるし、

古い時代から順番に授業をして、近現代史は最後の最後、

十分な時間もなく簡単に片づけられてしまっている。

自分の今現在生きている時代や世界とまさに地続きにある、

ほんの2世代3世代前の時代がどのようなものであったか、

今現在の世界の在り方が一体どんな理由で成り立つようになったのか、

これらを知ることは、いついかなる時代でも極めて大切なことで、

まず何より身につけておかねばならない教養だと思っている。

(そしてこの基本的な教養を身につけないままの大人がどれほど多いことか)

 

我が国が直接的に体験した最後の戦争である太平洋戦争から76年である。

遠い過去であることは間違いないが、でも少し見方を変えてみよう。

自分がここまで約40年生きてきたということは、

実は自分が生まれた時代からたった30年ちょっと前の出来事なのだ。

長女らの年代からみれば、

ちょうど我々(親)が生まれた時代に戦争があったということになる。

そう考えれば、戦争はそう遠い過去の遺物ではない。

そして、この76年の間にも、そしてこの現代にあっても、

この地球上から戦争はなくなってはいないし、

むしろ局地化、複雑化、巧妙化、先鋭化の一途をたどり、

決して対岸の火事ではない。

 

映像の世紀』は文字通り、

カメラの発明によって映像というものが生まれた

20世紀初頭からスタートするのだが、

その20世紀は第1次世界大戦で幕が上がる。

まさに映像の世紀は戦争の世紀である。

その第1次世界大戦という未曽有の大戦で

両陣営ともが極度に疲弊をし、

戦争の残酷さもむなしさも悲劇も十分すぎるほど経験をし、

二度と同じ過ちをしまいと誰もが誓ったはずが、

そのわずか20年後にはWWⅠですら足元にも及ばないような

史上最悪の第2次世界大戦が引き起こされたという事実、

そしてそれどころか、いかに効率的に人を殺せるか?

という技術や思想や作戦が、あの短い年月の間に、

どれだけ加速的に発達をしていったかという事実が、

いったい何を意味するのか。

その疑問こそが、戦争の本質を解く鍵ではないかとずっと考えてきた。

(どの国が悪いとか、誰それが悪いとか、

そういうわかりやすく批判の対象を見つけ出して、

結果論的(もし勝敗が逆転してたら評価が変わるのか?)に評価して、

議論を単純化することは本質を見えづらくしてしまう。

もちろん、罪は罪だが、ここでは個別の事より、

もっと大きな戦争そのものの概念についての議論をしたい)

 

映像の世紀』が生々しい映像でもって我々に知らしめるのは、

人間という種は、内包する欲望や芽生えた野心を実現するために、

同じ人間同士で容赦なく争う生き物であるということだ。

人間はそれ自体、聖なる存在ではなく、

そういう凶暴性や暴力を誰もが内に抱えているし、

生活の様々なシーン

(例えば受験、就活、スポーツ、様々なコンテストやコンペ、営業活動、

あるいはいいねの数やフォロワーの数といったものまでetc)

で生じうる「競争」に参加させられ、あるいは自ら飛び込んでは、

その種としての本能を、ある意味で希釈して無毒化した状態で、

多かれ少なかれ発揮したり、排出したり、されたりしている。

その「競争性」が人類に大いなる繁栄や、発展を

もたらしてきたことは疑うべくもないが、

それは極めて危うい諸刃の刃であって、

その強大なエネルギーが負に向かえば

大いなる悲劇をもまた生じさせてきた。

多くの人がそれを信じて疑わないが、しかし実際は残念な事に、

人類の歩みは必ずしも前進のみ、向上のみの一方通行ではない。

それは歴史が証明をしている。

実際、人類の歴史は、まさに戦争の歴史だ。

争いごとのない時代の方が実は稀有なのだ。

 

おそらく、この人間が種として抱えている、

暴力性・凶暴性をそなえた「競争性」がなくならない以上、

つまり人間が人間同士で争う生き物である以上、

戦争はきっとなくなることはないだろう。

その事実をまず受け入れ、そこを出発点として物事を考えていかないと、

いけないような気がしている。

つまり、人間はいつでも凶暴化したり、暴走する危険がある。

それを何かのきっかけや、誰かのそそのかしによって、

一つの大きなうねりとして収斂させられたり、

まんまと利用されてしまえば、

戦争はいとも簡単に実現してしまうということだ。

つまり、戦争は過去の遺物でもTVの中のショーでもなく、

いつでもどこでも我々の生活の中にとどまり続ける大いなるリスクなのだ。

そのリスクをリスクとして自覚し、認識し、そのうえで、

日々、いくつもの予防線を張り、兆候を監視し続けることが、

そのリスクに対抗しうる我々一般市民のもちうる対応策なのだと考える。

 

実際問題、事実として、

人類の歴史を鑑みてみれば、戦争はいったい誰が起こすのかといえば、

ほとんどの場合は国家であり為政者である。

もちろん、民衆や一般市民が蜂起することで、

革命や一揆という形の争いが生まれることはある。

しかしそれだって、既存の政権や権力者による圧政や弾圧がまずあって、

それが跳ね返って表出したものである。

 

言い換えれば、戦争の発案者は、戦争の主体は、

我々一般市民ではなく、国家であり、

実際にはその国家を操る為政者や一握りの権力者や政治家、

それらに取り入るゴマスリ者

(その多くは思想や理念に深く共鳴して賛同するというよりも、

極私的な虚栄心を満たすため、

あるいは既得権益を享受したいだけの者たち)

であり、我々一般市民は彼らの操り人形として消費させられるにすぎない。

彼らにとって国民などというものは、

人権がありそれぞれ人生や暮らしのある尊重されるべき存在ではなく、

勢力として数えられる頭数、数字に過ぎない。

(今まさにコロナ禍で感染者数、重症者数、死者数と、

数の追いかけっこばかりして、その数値に一喜一憂して、

医療の現場も、一般市民の生活も顧みられていないことは、

まさにこのことを如実に証明している)

 

一般市民はいつだって、どの戦争においてでも、

突然戦争の開始がお上から告げられ、メディアや有力者から唆され、

訳も分からないうちに加担させられ、

そうであることが素晴らしいと優しくささやかれ教育させられ、

次第にその状況を強制的に受けれさせられ、

気付いた時には逃げ場を無くし、

現実を受け入れるため=現実を肯定する(せざるを得ない)ために、

自らが進んでその状況にのめりこみ、

自分がようやく受け入れた現実が、

実は間違っていること

(それは実は知りつつも、もはや一番聞きたくないこと)を

何度も思い起こさせようとようとする厄介者を

排除したり罰したりするようになり、

ついにそこまでたどり着いてしまえば、

もはや後戻りはできなくなり、

開き直って過激化し、歪んだ正義が完成する。

そうして突き進んだ先に待ち受ける暴力や分断や恐怖や貧困や死に

無抵抗なまま傷つけられてゆく。

もう取り返しのつかない段階になってようやく目が覚めた時には、

全ては失われるのだ。いや失われてきたのだ。

最低限の暮らしも、人間的尊厳も、隣人愛も、

友情も、本当の意味での正義も希望も、

そして愛する人々も。

 

そして、まさに今、この国はどんどんおかしな方向に進んでいる。

自分は戦争を起こすことも、加担することも、

巻き込まれることもはっきりと反対だと、

ここではっきり表明しておく。

戦争を始めるのは、いつだって為政者である。

そしてその為政者が戦争を行えるのは、

我々一般市民(有権者)が油断した時、

権利を自覚できないほど堕落した時である。

そこには大いなる責任が発生する。

そして時計の針はいつも一方向であり、巻き戻しはできない。

このことは誰しもが肝に銘じておかなければならない。

 

さて、前置きが随分長くなってしまいましたが、

映像の世紀』の素晴らしいものの一つに、

日本を代表する音楽家加古隆さんの作曲した

テーマ『パリは燃えているか』があります。

今年は8.6の広島に原爆が落とされた日に、

黙とう代わりのレクイエムとして弾き語りをしました。

珍しく、リードギターとソロとの二重録りです。

2台のスマホで原始的に録音したので少し音質はよくありませんが、

よかったら聴いていただけると嬉しいです。

 

ちなみに背景には、写真というもう一つの眼で

20世紀を目撃し記録し続けてきた『LIFE誌』の表紙たちと、

自分が中学時代からずっと関心事として関わってきたユーゴスラビア

(ちょうど『映像の世紀』が放映された1995年には内戦がおこっていた)

現在のボスニアヘルツェゴビナの首都サラエボを訪れた際に購入した

ライフルの薬莢を用いました。

 


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せっかくなのでもう一曲、弾き語りした曲を紹介します。

チリのフォルクローレ歌人で、

エバカンシオン(新しい歌)運動の代表的存在であった

ビクトル・ハラの代表曲『平和に生きる権利』です。

アメリカを影の後ろ盾とした独裁者ピノチェト将軍が引き起こした

1973年のチリ・クーデターの際、

軍によってチリ・スタジアムに連行されたハラは、

最期まで歌で抵抗を続け虐殺されたといわれています。

(チリ・クーデーターについては、

ジャック・レモンシシー・スペイセク出演の

1982年パルムドール作品、『ミッシング』で描かれています)

当時、激化するベトナム戦争の惨劇が連日世界に駆け回る中、

インドシナに暮らす市井の人達への思いをしたためた、

この暴力に屈しないこの平和の歌は、

その血塗られられた歴史とともに、

語り継がれ歌い継がれるべきものです。

市井の人間として、そして歌い手の端くれとして、

この歌を発信します。

 


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『El Derecho de Vivir en Paz(平和に生きる権利) 』

by Víctor Jara(ビクトル・ハラ

 

El derecho de vivir,
poeta Ho Chi Minh,
que golpea de Vietnam
a toda la humanidad.
Ningún cañón borrará
el surco de tu arrozal.
El derecho de vivir en paz.

 

Indochina es el lugar
más allá del ancho mar,
donde revientan la flor
con genocidio y napalm;
la luna es una explosión
que funde todo el clamor.
El derecho de vivir en paz.

 

Tío Ho, nuestra canción
es fuego de puro amor,
es palomo palomar
olivo del olivar
es el canto universal
cadena que hará triunfar,
el derecho de vivir en paz.

 

La, la, la, la, la, la, la
La, la, la, la, la, la, la
La, la, la, la, la, la, la
La, la, la, la, la, la, la

 

es el canto universal
cadena que hará triunfar,
el derecho de vivir en paz.

 

el derecho de vivir en paz.
el derecho de vivir en paz.

 

平和に生きる権利を

 

詩人ホーチミンは歌う

ベトナムの空から

 

どんな大砲の弾も

あなたの稲田に刻まれた畝を

消せはしないだろう

平和に生きる権利を


インドシナの地は

広い海の向こう

そこはジェノサイドとナパーム弾で

花が踏みにじられる地

 

月ほどの大きな爆発が

みんなの叫びをひとつに

平和に生きる権利を呼ぶ声となる


ホーおじさん、ぼくらの歌は

純粋な愛の炎

鳩小屋のハトに

オリーブ畑のオリーブに

それは世界に響く歌

平和に生きる権利が勝利するためのひと鎖


それは世界に響く歌

平和に生きる権利が勝利するためのひと鎖

 

平和に生きる権利を

平和に生きる権利を

ブログ絶賛停滞ちう

ブログかなり停滞しています。

おかげさまで忙しくて、

なかなか写真や記録を取りまとめることですらままならないほど、

やること、やったことが取っ散らかっております。

どうしてもこれからやるべきこと、やりたいことを優先して、

前へ前へとやってしまって、

すでに終わったことをまとめたり振り返ったりができないでいますが、

やりっぱなしは本意ではないというか、

やった以上はきちんとした形で何か残したいとは思うのです。

が、いかんせん時間がない!

そして以前のように体力も集中力も持続しない!年を取ったのだ!

ということで、時間が経過していく間にも、

色んなものが零れ落ちていってはいますが、

わずかに残ったものだけでもいいので、

残していきたいと思っております。

大阪の渡し船 【PR】

WEB記事のお仕事の方で、

このサイトではおなじみの大阪の渡し船について書きました。 

いつもウォークやポタリングで大阪の港湾地区を訪れては、

よく利用する渡船ですが、どこかで一度、

きちっとすべてをまとめたものを書きたいと思っていたので、

ちょうどよい機会でした。

ご一読&拡散いただけると幸いでございます。

 

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シオヤプロジェクトの勝手にまち探検 Vol.31 五色山編

カレンダーを遡って4月のお話。

 

今や愛する神戸の文化的発信基地となっている塩屋。

その中心はなんといっても森本アリさんが管理人を務める

旧グッゲンハイム邸なわけですが、

その界隈もまたいろいろと、面白い人、面白い場所にあふれています。

音楽やアートといった分野が盛んなのはもちろんですが、

場所の在り方や、まちづくりといった

より面的な捉え方で色々な活動もされています。

 

その一つがこのシオヤプロジェクト。

塩屋を拠点として、自分たちが暮らし、自分たちの文化が根付いている

”まち”のあれこれに注目し、

”まち”を歩いたり観察したり遊んだりすることで、

自分たちの生活の中に様々な気づきや再発見をして、

それを再び”まち”へ還元する、そんな取り組みです。

 

今では、神戸市の文化事業となって、

塩屋というホームを抜けだし、神戸のあらゆる場所へ出かけていって、

活動の場を広げていっています。

 

地理、まち歩き、まちづくりをずっとメインでやっている自分にとって

これほど魅力的で面白そうな企画はありません。

このプロジェクトには前々からずっと注目をしてきたのだけど、

いかんせん、平日ど真ん中の開催という、

会社勤め人にとっては大きすぎるハードルのせいで、

ずっと参加が叶いませんでした。

このコロナの影響で、業務形態が変わったこともあり、

31回目にしてようやく参加と相成りました。

 

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今回の舞台は、五色山、西垂水エリアになります。

神戸市の西の端、

六甲からずっと山並みが続いてきて、

いよいよ瀬戸内海へと山が没する際の部分で、

起伏にとんだ丘陵地には、いくつもの斜面と階段と坂道があり、

実に楽しみな町です。

 

集合場所は、JR垂水駅(=山陽垂水駅)。

集合時間に向かうと、ド平日というのに、

20人ほどの参加者がいてびっくり。

まずはシオプロの小山さんとアリさんにご挨拶。

ざっと、レクチャーがあって、早速出発します。

 

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まずは駅の北東に広がる垂水廉売市場へ。

駅前再開発の対象区域となったため、

残念ながら今年中に90年もの歴史に幕を閉じることになりました。

ここは昭和9年に24店舗が集まって始まった市場で、

当時は別荘地であったため、

そちらへの御用聞きが主たる営業スタイルだったそう。

それから戦後の高度成長期には、神戸のベッドタウン地となり、

最盛を迎えます。

2000年に入り、駅の東西の再開発事業が活発化し、

両サイドを挟まれるようにして残ってきたこの市場も

ついに解体されることになりました。

 

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市場の内部は迷路のように通路が張り巡らされ、

両脇には店舗がひしめき合っています。

さすがに老朽化が著しく、多くがシャッターが閉じられていましたが

それでもまだ頑張って営業されている店舗もありました。

 

この市場は、1995年の阪神淡路大震災の際に

ダメージは奇跡的にほとんど受けなかったそうで、

こういうど昭和な空間が今もなお残っているわけですが

子どもの頃に、同じような地元の商店街に

お使いに行っていた自分としては、

とても懐かしく、妙に落ち着くのです。

 

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市場を後にし、小学校の脇を北上すると、四つ辻に出ます。

ここには池姫地蔵尊が祀られています。

これは北東の台地に2つの池があり、

昭和の初めに埋め立てられた際、

池の底から発見されたお地蔵さまに池姫と名付けて祀ったところ、

行き場を失ったお地蔵さまが集まってくるようになって、

現在のようになったそうな。

色とりどりのニット帽をかぶってかわいらしい。

 

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その辻を西に取り、陸ノ町へ。

ちなみにこの地名「くがのちょう」と読み、かなりの難読地名です。

この辺りは平地と山地とのちょうど境目辺り。

 

この先にある児童公園で、一度集合して、

今回の参加者の顔合わせ的に自己紹介タイム。

ほぼほぼ参加しているつわものや、

遠く東京から旅行の都合に合わせての参加者まで

バラエティに富んだ方々が参加されていました。

 

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さて、公園をリスタートして旭が丘方面へと登っていきます。

この日は4月とは思えぬ陽気で、汗だくです。

マンションや寮のある一帯を越えて、

その先の階段を上り詰めると、

とても見晴らしの良い場所に出ました。

 

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色とりどりの屋根の向う側には明石海峡大橋が顔を出し、

海を渡って淡路島へと連なっています。

まるで青春の1コマでも走り出しそうな、素敵な風景ですね。

 

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ここから一旦急な山道を降りて、再び登り返して、

丘陵地ならではの地形を味わいます。

山並みの末端という立地に加え、

人工的に削り取られたり埋め立てられたりして、

実に複雑な地形となっています。

そのうえで、神戸市という大都市が抱える人口問題に対応すべく、

海と山に挟まれた限られた土地を、最大限有効に利用しようと、

地形に合わせてびっしりと家屋が立ち並んでいて、

おもしろい景観を形作っています。

 

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旭が丘を後にして、

商大筋(かつて沿線にあった神戸商科大にちなむ)を渡って

西側の霞ヶ丘一帯へ向かいます。

地形を生活に合わせて巧みに利用して、

道をつけたり、家を建てたり、庭を造ったり、

そういう人間の営みのバイタリティだったり、

創意工夫ぶりが町並みのいたるところに露出していて、

そういうのを発見するのが楽しいですね。

 

途中、主催の方のご実家のお庭を拝見させていただきました。

こちらも斜面の脇の土地をうまく活用して、

見事な緑のガーデンを造られていて、

実に居心地の良い空間でした。

 

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車が通ることのできる坂道のほかに、

住居と住居の間を生活通路としていくつもの階段があります。

段差も凸凹、道幅もまちまち、

すき間を縫うようにして存在する階段は、

複雑な地形や区画をうまく穴埋めする

調整弁的な役割も果たしていて、

それがこの界隈の景観の重要なファクターになっているようでした。

 

そして景観を彩るもう一つの要素は、

各住戸に植えられた花や緑たち。

これらはまるで、もともとは自然の山だった斜面を、

人工の建造物で埋め尽くしてしまった、

その埋め合わせをするかのようです。

 

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さらに、斜面にへばりつくようにして建ち並ぶ住宅地を縫っていきます。

南側に向かっては、海へとまっしぐらに続く直線的な道が走り、

その通りを中心として、左右に住宅街が、階層的に連なって、

それが谷筋にぶつかる際の部分では、

地形に合わせて道も土地も複雑に組み合わされているようです。

 

霞ヶ丘の東端からは、商大筋の向こうう側の旭が丘の街並みが、

山にびっしりと張り付いている様がよく見て取れます。

色とりどりの屋根がまるで

イタリアのアマルフィ?のようだというと少し大げさですが、

人間の営みが作り出す景観の面白さがよく表れていますね。

 

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さて、そうこうしているうちにも随分と山の上の方まで登ってきました。

いくつも横道、抜け道を発見しては、そちらへと折れて、

町の奥深くまで探検しながら、いよいよ台地の上までやってきました。

星陵台と呼ばれるこの一帯は、非常にフラットで広々とした住宅地で、

そこを走るバス通りは、予想以上に栄えた場所になっていました。

場所的には、各駅からも離れているうえに、高台の上で、

主要な幹線道路からも離れた場所ですが、商店やレストランなどが充実し、

一つの独立したコミュニティを形成している様子でした。

ここでちょうどお昼時、いったん解散をしてそれぞれに昼食を取り、

参加者のお一人のアトリエに再集合することになりました。

 

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ここまでで結構な距離を歩いて、アップダウンもあり、

なにより暑さで結構お疲れモードだったのですが、

めったに来るエリアでもないので、休憩を惜しんで、

今回の範囲外の所まで少し足を延ばして、散策。

星陵台の西側にある舞子台の方へ向かい、

途中にあったパン屋さんで買ったパンをかじりながら散策。

この辺りはちょうど住宅地の真下を

あの神戸淡路鳴門自動車道のどでかいトンネルが貫いているのです。

舞子台緑地の辺りをうろうろしてから、

星稜高や神戸商高辺りまで足を延ばして

時間までに集合場所へ向かう。

その道中、はるか向こうで、

あっちこっち出入りしている見覚えのある姿があり、

近づくとやっぱりアリさん。見るからに怪しい笑笑。

そのままおしゃべりをしながら集合場所に戻ってきました。

 

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さて、午後の部です。

バス通りをまたいで、再び霞ヶ丘の南側の斜面へ向かい、

山のてっぺんと海とを一直線でつなぐ主要道と主要道の合間を

東から西へ、路地をローラー作戦で埋めていくように、

ジグザグと縫っていきます。

 

そうして一本の大きな通りに出ます。

ここは市道西垂水249号線で、通称”愛徳坂”と呼ばれる通りです。

ちょうどてっぺんにある愛徳学園高校のすぐ東を通ることから、

そういう愛称で親しまれています。

(JRや山陽の車窓からも愛徳学園の看板がよく見えます)

 

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この愛徳坂、坂の街神戸でも屈指の激坂で、

勾配はなんと17.3%(100mで17.3m高くなる)。

この坂が有名なのは、山側から海側へと下る際、

いったん先ほどのバス通りから

坂のてっぺん(愛徳高校の玄関)まで登ってから、

南側斜面へと折り返す形状になっているため、

下り口の向う側がいったんブラインド状態で見通せません。

つまり、まるでジェットコースターのように、

一度トップまで登りきって、

一気に真下に急降下するような、

スリリングさが味わえるとして、

TVなどのメディアでもよく取り上げられる名物坂なのです。

もちろん、そういった面白さとは別で、

まっすぐに海まで伸びる一本道と、

その先に広がる絶景は、それだけでも一見の価値があります。

 

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愛徳坂を過ぎ、歌敷山のブロックに入ります。

ここのとあるお宅のステンドグラスは、

なんとアリさんが手がけたものだと教えてくれました。

少し大きな通りに出ると、

ちょうど真横あたりが神戸淡路鳴門自動車道で、

下った先から明石海峡大橋が顔を出しています。

日常の風景に、こんな巨大な建造物が当たり前のように存在するというのは

いったいどんな感覚なんだろう?

いや、自分も大都会の真ん中に暮らしていて、

高層ビルや巨大建造物に囲まれて暮らしてはいるけれど、

やはり明石海峡大橋はあまりにスケールがでかく、

そしてこの住宅地が連なる風景の中にあってはやはり唐突な存在なのです。

まあ、住民にとってはこれが当たり前の風景なのだろうけど、

やっぱり面白い。

 

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坂を下って、もうひとつ下、中腹を通るバス通りへ出て、

今度は西から東へと歩みを進めます。

歌敷山中学の脇で、

個人所有なのかな?小さなプラネタリウムを発見しました。

 

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バス通りをさらに進み、愛徳坂をまたいで再び霞ヶ丘地区へ。

いったん中腹の児童公園で休憩が入りました。

 

こういうフィールドワークは慣れてはいるし、

もともと距離を歩くのも平気けれど、

それにしても、シオプロのみなさん、

ここまでの本気度、好奇心旺盛ぶりとは思っていませんでした。

いやあ、よく歩く、そしてタフです。

そして、よく細かいところ(家の軒先の様子やトマソンなど)に目が行く

観察眼も素晴らしいです。

町は、一見してどんなに平凡で退屈な住宅地だったとしても、

よくよく目を凝らしてみれば、必ず何かが見つかります。

なぜなら、どんな町や景観でも、

誰かの意図で何かの目的で造られた以上、

必ずその痕跡や念が刻まれるからです。

その些細な痕跡、わずかな目印に気付けるか気付けないかで、

”まち”を遊べるかどうかが決まります。

 

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さて、西から東へと中腹を進んで、

星陵台の交差点から海へと下りる一番東の筋に出て、

海側へと下ります。

途中には、江戸前期の播磨国明石城主の松平日向守信之公の供養墓がありました。

この播磨一帯はもともと台地で水に乏しい土地であったのを、

信之公が積極的に新田開発、掘割開削に尽力し、

この一帯を豊かな土地にしたことから、

「日向さん」と親しまれているようです。

 

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坂をずずっとまっすぐに海へと下っていくと、

その突き当りに広い空間が現れます。

これが今回のゴール地点となる五色塚古墳です。

小さい頃に遠足か何かで訪れて以来、久々にやってきました。

 

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日本全国には約16万基の古墳があるといわれていますが、

実は全国で最も古墳が多い都道府県は実は兵庫県で、

19000近い数が存在しています。

その中で、県下最大の古墳がこの五色塚古墳で、

全長が194m、前方部の幅82.4m、高さ13m、

後円部の直径125.5m、高さ18.8mの規模を誇り、

周囲に周濠を巡らしています。

 

4世紀の終わりから5世紀の初めに築造されたとされる前方後円墳で、

立地的に見ると、明石海峡とそこを行き交う船を

見下ろすようにして築かれていて、

海上交通の要所を支配した有力者がその権威の大きさを示すために

このような墓を築いたのではないかと推測されています。

 

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たまたま、この日どこかの遠足があったようで、

そのために学芸員の方がおられたので、

せっかくなのでと色々と解説を聞くことができました。

 

3段に築かれた墳丘のうち、下段は元々の山を前方後円形に掘り返していて、

中段・上段は盛り土をされています。

使用された石の総数は、223万個・総重量2784tと推測されています。

当時は、2000体以上もの埴輪が周囲に張り巡らされていたそうです。

 

この古墳は、国の史跡整備の第1号として補助金を得て、

昭和40年から10年の歳月をかけて現在のような形に整備されたそうです。

多くの古墳が敷地の中に入れないことが多いのに対して、

この五色塚古墳は古墳の敷地内に入れるどころか、

てっぺんにまで登って景色を楽しむことができます。

 

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古墳の上に上がると、すぐ目の前には明石海峡と淡路島をのぞむ

絶好のロケーションです。

そして真下にはJRと山陽電車が東西に走っています。

綺麗に整備が行き届いた古墳で、海から風が吹き抜けて

とても心地の良い場所です。

 

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翻って、山の方を見渡せば、

この日歩いてきた霞ヶ丘や歌敷山の様子を一望できます。

また東の方には六甲山地が少しずつ海から隆起して

奥へ奥へと延びていく様子も見えます。

ちょうど山のてっぺんに白い建物が見えているのが、

須磨山上遊園のある鉢伏山なので、その手前を降りていけば塩屋です。

 

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五色塚古墳のすぐ真横には、

もう一つ小さな芝生に覆われた小壷古墳があります。

五色塚古墳の別名が「千壷」なので、

その対比的に名称がつけられているようで、

その名の通り、本当に小さなかわいらしい古墳です。

こちらも五色塚古墳と同時期に築かれたものだそうですが、

五色塚古墳と異なり葺石は葺かれておらず、

こんもりとした丘のようです。

五色塚古墳の周囲にはこのような小規模な古墳が

いくつも点在していたようです。

 

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思った以上に、感動的というか、素敵な場所でした。

さて、一応今回のまち探検の目的地に無事到達しましたが、

残り垂水の駅まで戻りながら、さらに探検を続けていきます。

 

近くに 面白い場所がありました。

なんと、暗渠が一般の住宅の中を貫いていました。

小さいながらも川が庭の間を抜けていくというのは、

あまり見ない光景です。

ひょっとして、川が付け替えられた影響だったりするのかな?? 

 

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それから、参加者の中には数十年前からこの地域に住んでいる方がいて

この辺りには昔小さいけれど牧場があって、

そこから牛乳が配達されていたんだよというお話をされていたのですが、

なんと、その牛乳がいまもなお健在していました。

さすがにもう牧場はなく、牛もいませんでしたが、

今は牛乳の集配施設が建っていました。

形は変わっても、歴史は受け継がれていくのだなあ。

 

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五色山を後にしていよいよ垂水駅方面へ向かって進みます。

商大筋を少し山へ戻ると、遊女塚なるものがあります。

これは、沖合で船から転落した遊女を不憫に思い、

建てられた供養塔と言われています。

元々はもっと海側の西国街道沿いにあったものを、

鉄道開通の折にこちらへ移されたのだとか。

このような特殊な形の塔を宝篋印塔(ほうぎょういんとう)といい、

峠や村境に、安全を祈願するものとして建てられたものなのだとか。

 

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さてさて、いよいよ垂水駅付近に戻ってきました。

今朝方、自己紹介をした児童公園でお開きです。

朝の10時に出発して16:30まで、

みっちり歩いて西垂水エリアをまち探検してきました。

こんな機会でもなければなかなか歩くことのないエリアで

色々と新鮮でした。

そしてそして主催のシオプロのみなさんも、参加者の皆さんも

なかなかの健脚ぶりで充実した1日となりました。

ありがとうございました。

 

 

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解散後、元町へ出て、もう一つのお目当てへ。

一度、コロナの影響もあって閉店してしまった、

神戸ぎょうざの名店「ひょうたん」さん。

閉店のニュースを聞いた時は心底がっかりしたのだが

その後、常連客やファンからの声に後押しを受けて、

復活再開されました。

復活後、すぐにでもあの味を楽しみたかったのだけど、

緊急事態宣言などでなかなか神戸に行けず、

悶々としていました。

久々に味わうぎょうざに感無量です。ああ、会いたかったよ@@

神戸は味噌だれで味わうのですが、これがもう最高すぎます。

末永くこの味を守ってほしいです。ごちそうさま!!
 

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ということで、シオプロのみなさんと行く、

西垂水・五色山エリアのまち探検でした。

平日開催なので、なかなか毎回というわけにはいきませんが

チャンスがある時はまた参加しようと思います。

 

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年に一度の水防訓練 淀川・神崎川及び左門殿川防潮扉点検操作訓練 

毎年7月第1日曜日の深夜は、水防訓練で、

淀川河口域に設置されている防潮扉の開閉訓練が実施されるので、

見学してきました。

 

戦後、室戸台風やジェーン台風などで

高潮による甚大な被害を受けた

大阪市やその周辺部では、

いくつもの防潮鉄扉が設けられました。

特に大阪西部の河口部は、

淀川や神崎川などの大きな河川に囲まれた低い土地であるため、

常に河川の氾濫による浸水の恐れがあります。

台風による高潮対策はもちろん、豪雨による洪水や、

南海トラフ地震による津波に対しても備える必要があり、

これらの防潮鉄扉は、地域を浸水被害から守る重要な設備なのです。

 

防潮鉄扉は、堤防よりも高さが低くなっている部分、

淀川に架かる国道2号線淀川大橋国道43号線伝法大橋、

阪神なんば線淀川橋梁、

それから神崎川に架かる国道2号線神崎大橋、市道の千船大橋、千北橋、

左門殿川に架かる国道2号線の左門橋に設置されており、

空の箇所で一斉に実施される訓練には、

国土交通省近畿地方整備局、関連自治体、警察、消防等々、

28もの機関が合同で参加する大規模なものです。

 

この訓練のために、国道2号線国道43号線という2本の大動脈が、

深夜1時間ほど完全に封鎖され通行不能になります。

 

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実際に防潮扉が閉鎖される午前1時に合わせて、

0:30に、国道2号線淀川大橋南詰(左岸側)にやってきました。

すでにたくさんの関係者(管轄行政の担当、警備、作業員等々)が集結し、

道路封鎖の段取りや、防潮扉の動作確認等々が行われていました。

 

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10分ほど前になると、鉄扉が徐々に立ち上がってきました。

アラート音が鳴る中、少しずつ少しずつ立ち上がり、

ちょうど一番垂直の状態で、時間まで待機。

 

1時を少し過ぎて、川の両岸で、

橋の1つ手前の信号で車の往来を完全に遮断して、

道路封鎖を完了したのを確認して、

鉄扉が少しずつ下がってきました。

巨大な鉄の塊がゆっくりと下りてくるのを、

現場にいるすべての人が固唾を飲んで見守っています。

目の前だとなかなかの迫力です。

 

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そしてついに、国道2号線、完全閉鎖です!!

作業員の人たちはきちっと、

隙間がないか、問題がないかを点検しています。

 

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ここで暫くは閉鎖中なので、ほかの現場にもいってみることにします。

まずは左岸をそのまま下って、国道43号線へ。

先ほどの淀川大橋の鉄扉が、180度上下に回転して下りてくる方式に対して、

こちらの伝法大橋の鉄扉は、そのまま真横にスライドして引き出す形式でした。

 

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続いて、国道43号線のすぐ脇を走る阪神なんば線の方も、

小さいながらに鉄扉があり、そちらも閉鎖されていました。

この阪神なんば線の淀川橋梁は極めて河口に近い位置にありながら

淀川に架かる橋梁の中でもっと橋桁が低く、

両岸の堤防を切って、線路が敷かれている状態で、

その高さは計画高潮位を下回っているため、

ほかの道路と同じように鉄扉が設けられています。

ただし、この問題を解消するため、淀川橋梁を改築事業が決定し、

橋桁を高くすることで、ゆくゆくはこの鉄扉は不要になります。

 

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さて、ここで時刻は1:30。閉鎖時間は残り30分~1時間程度です。

せっかくなら神崎川、左門殿川の現場も確認したいと思ったのだが、

いかんせん橋が閉鎖されてしまっているため、淀川を渡れない!!

仕方がないので、いったん十三大橋まで大きく迂回。

なかなか時間がない!!

十三を経て、大野川緑陰道路を伝い、歌島橋の五差路へ。

そこから国道2号を飛ばして、神崎大橋へ。

道路はまだ閉鎖中でしたが、すでに鉄扉は収納されていました。

 

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そろそろ閉鎖が解かれる時間になったので、

左門橋へは向かわず、

国道2号を引き返して、淀川大橋北詰に戻ってみると、

ちょうど鉄扉の収納作業中でした。

 

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しばらくして、いよいよ閉鎖が解かれて、

橋を渡ります。

無事に訓練は終了したようで、現場には安どの空気が流れていました。

 

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くしくもこの週末は、集中豪雨により、

静岡の熱海での土石流発生をはじめ、

全国各地で自然が猛威を振るってしまいました。

梅雨もまだ明けず、たっぷりと水分を含んだ土壌はまだまだ予断を許しません。

そして今年も必ず台風が上陸し、各地に被害をもたらしてしまうかもしれません。

この記事が、今一度、防災というものについて深く考える機会になればと思います。

改めて、ご自分の住んでいる地域のハザードマップを確認したり、

実際に避難が必要になった場合の手順・動線の確認など、

事前の備えと心構えを万全に。

レイディオ体操

このところ全然睡眠が安定せず、不眠症気味。

すっかり眠り方を忘れてしまっている。

いや、単に寝るという行為ならできる。

ぶっ通しで作業をしたりして、力尽きれば、落ちる。

だけども、社会的な生活を円滑に送るという前提で、

それに合わせて眠るということができないのだ。

色々試行錯誤しているのだけど、一向に改善しない。

 

眠れないなら、その間、無理に寝床で格闘するより、

いっそ運動不足解消時間にあてることにして、

夜中や早朝に散歩をしたりポタリングをするようになった。

一般的な人の活動時間と大きくずれていて、人と接触しないし、

ちょうどよい。

 

真夜中や明け方に、ほとんど人のいない大阪の街を徘徊している。

最近は、ほぼ週3、週4くらいで通っているのが、

早朝の大阪城天守広場。

ここでは昔から、お年寄りを中心としてラジオ体操をやっていて、

それに参加している。

それにしてもこんな早朝5時6時に、これだけの人出。

体操をリードする大きな団体さんが2組ほどあって、その中には入らず、

少し離れた場所で一緒に体操している。

 

寝不足(というより睡眠障害)や、自宅ワークで、

鈍く重い体をほぐすのには、ぴったりなのだ。

このままいけばほぼ日課になりそうな勢い。

 

 

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体操後は、奥さんと娘たちが家を出る前に帰宅せねばならないのだけど、

その前に、お腹が減るので、朝うどん、朝そばなぞ。

パン屋さんはこの時間だとぎりぎり空いてないところが多くて、

空いていてもまだ品ぞろえがそろっていないのだ。

 

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体操プラス15kmほどのポタリング日課の健康的な生活で、

少しずつですが、睡眠障害も改善傾向。