記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

国立民族学博物館40周年記念公演 『めばえる歌〜民謡の伝承と創造〜』

土曜日は、長女と二人で
万博公園にある国立民族学博物館へ行ってきました。
いつも応援しているクレオールの歌姫・松田美緒さんのHPで、
民謡に関する研究発表があるとの告知があり、
大急ぎで申し込みをしたのでした。


万博記念公園


みんぱく


今回の発表は、国立民族学博物館の准教授である
川瀬慈さんの映像プロジェクトで、
『めばえる歌〜民謡の伝承と創造〜』というテーマ。
かつては日本全国で、各地域の生活の場で歌われ
共有され、伝承されてきた民謡は、
その地域の暮らしぶりや食生活、自然や風土、
四季折々の生活の知恵や教訓、祈り、
仕事ぶりや遊びなどを伝えるれっきとした文化であった。
しかし、過疎化による担い手の衰退や、
高度成長期以降の生活様式の劇的な変化というものの影響を受けて、
生活の中から失われつつあり、
あるものは、土着の暮らしから完全に切り離されて、
観光資源の文化財として
”隔離(生活から切り離して保護される)”されたり、
あるいは自然消滅的に淘汰される運命にある。
そういった環境の中で、その地域社会の外部からやってきた歌手が、
忘れゆく民謡を掘り起こし、自らのやり方で咀嚼したうえで、
歌に新しい命を吹き込み、地域に還元してゆくという、
新しい伝承の事例が生まれてきた。
その”歌づきあい”に密着したドキュメンタリーとして、
第1幕では60分間の映像作品の上映、
第2幕では実際にその作品に登場する、井上博斗さんと、
松田美緒さん(+山口亮志さんのギター伴奏)のパフォーマンス、
そして第3幕では製作者・出演者によるトークセッションという、
3部構成で行われました。
今回のプロジェクトと研究発表はとても意義深く、
またそれを深く考察すべき対象として捉える必要があります。
ということで、研究発表で展開されたお話を
自分自身の解釈も交えながら、
できるだけ記録してみたいと思います。


国立民族学博物館40周年記念公演 めばえる歌〜民謡の伝承と創造〜


↓レジュメ


まずは郡上八幡における『わらべうたの会』の活動を中心として、
郡上や揖斐川水系のわらべ唄や作業唄・踊り歌・祝い唄の
伝承をライフワークとしている井上博斗さん。
幼少のころから故郷の香川で祭りの獅子舞になじみ、
音楽に陶酔(トランス)する楽しみや、
繰り返される囃子のリズムに乗って
ループすることの気持ちよさを原体験としてもち、
大学生の頃から音楽家桃山晴衣さん・土取利行さんが主宰する
「立光学舎」で学び今に至るそうです。
その学びの中で、日本の歌のキホン、ルーツが
「わらべうた」にあるということに気づき、
地域のお年寄りの方々を訪れては、昔の歌を採集するなかで、
歌い継ぐこと、世代を超えて伝承することの重要性と難しさに直面し、
その橋渡し的な役割をライフワークに、
”トンビの兄ちゃん”として引き受けるようになったそうです。


岐阜の歌で最もポピュラーな題材として扱われているのがトンビだそうで、
そういった自然や動物に向けて歌いかけるような歌、
その多くが生活の中から、自然と湧き上がってくるような、
つぶやきの延長のようなものほど、
それを歌う場も、人も失われて真っ先に滅んでゆくというのが現状だそう。
祭事や遊び、踊りといった行動を伴うわらべ歌や民謡は、
そういった催しの場で披露されることがあったり、
そういう文化の保存運動の一部分として保護されて、
かろうじて歌い継がれていくが、
そういうネイキッドな歌ほど絶滅の危機に瀕してしまっているというのは
非常に残念なことだと思います。
でも少し見方を変えれば、
その歌が、自然に生まれてきたのと同じ理屈で、
自然に消えていくというのもまた、決して悪いことではないのでは?と
個人的な経験に基づいて感じました。


個人的に、自分はよく鼻歌を口ずさんだり、
ぼわっとメロディに乗せてつぶやいたりという習慣が昔からあり、
今では特に子供のお世話をするときにはその傾向が強く出ます。
例えば、「はーみがーきしましょ♪」「お風呂にはいりましょ♪」
「保育園に行きましょう〜♪」みたいな感じです。
日々のいろいろなことが節をまとって、
それが時にはちょっとした歌になったりします。
子どもたちが、「や〜め〜て〜」「あ〜そ〜ぼ」とメロディをつけて
語りかけるのと同じような感じです。
(つまりメロディをつけるというのは人間の普遍的な行動といえますね)
そして大体生活の行動に合わせて
お決まりのレパートリーが決まってきて、
何度も何度も生活の中で歌うことになります。
うちは上の娘と下の娘が結構年が離れているのですが、
下の娘が生まれたときに、それらの歌を思い出そうとして、
あれ?上の娘の時に歌ってた鼻歌ってどんなだっけ?という風になりました。
あの頃、あれだけ毎日口ずさんでいた歌なのに、
すっかり忘れてしまっているのです。
歯磨きやお風呂をするときに、
何か歌を歌ってたということは覚えていても、
実際にどんな歌だったかというのは全く思い出せないのです。
なぜならそれは、その行動をするために歌われるもので、
長女が大きくなって、それをする必要がなくなったからです。
(つまり、一人でお風呂に入り、一人で歯磨きできるようになった)
そしてその歌は特に記憶にとどめておくようなものでもなければ、
歌い継ぐという意識もないから、
跡形も消え去ってしまったのです。
とはいえ、次女の時には次女の、同じような行動歌が生まれてきていて、
今では生活の一部となっていますし、
おそらくきっと、それらの歌もまた、そう遠くない将来に、
自然と消え去っていくのだろうと思います。
この現象というのは、ある意味で、
その歌がきちんと役割を終えて成仏したのだという風に
肯定的に捉えることもできるのではないでしょうか。
歌もまたある種生き物であり、そこには生も死もある。
そういう歌の在り方もまた、自然の成り行きではないかなと。
たとえ、歌が後世に伝承されていったとしても、
その歌と結びついた動作や遊びと切り離されて、
まるで延命装置を張り巡らされたような形で生き永らえたとしても、
それは本当の意味で生き生きとした歌とは決して言えないでしょう。


もちろん、歌い継ぐということも大事なことで、
井上さんや、次に紹介する松田さんの活動は、
単に現存するわらべ歌や民謡を掘り起こして、
冷凍保存するというのではなく、
現代の観点に則した価値観や役割、
地元民の視点ではなく外部のまなざしによって獲得される
可能性を新たに歌に吹き込むことで、
再び歌に命を吹き込むことに成功しています。
そのことを差して”めばえる歌”という風に
川瀬さんはテーマをつけたのかなと解釈しました。


しかし、このような歌の持つ寿命の短さを考えると、
よほど意識的に残すということをしなければ、
蜃気楼のようにいなくなってしまうということでもあり、
伝承の難しさの根源はここにあるように思います。
しかし、さらに言えば、そもそもそのような性質であっても
長らく歌い継がれ脈々と生きながらえてきた歌というのは、
それだけ魅力がある強い歌なのだろうし、
実際歌い継がれてきたからには
何か大きな根拠が隠されているような気がします。


そうやって、日々の生活の中で
自然に生まれ、自然に消えていく歌のサイクルのようなものが
正しく機能していればよいのですが、
この現代社会において、
”唄う”という環境やシチュエーションが
日常生活の中に実際にはそうありません。
商品としての音楽は街中にあふれていて、
それを歌うための施設(カラオケ)があったり、
学習としての音楽の機会、
学校での発表会などの”体系化”された音楽の場はあっても、
こういう素朴な意味で”唄う”ということはなかなか難しい。
町中や電車の車内でいきなり歌いだすような人はいませんもんね。
(自分はそれをちょいちょい無意識でしてしまって驚かれることがよくある@@)
そういう唄う場が失われると、
歌いたいという気持ちや動機が芽生るということもなくなってしまいます。


井上さんの会では、比較的若いお父さんお母さん世代の親子が参加されて
一緒にわらべ歌を歌うそうなのですが、
歌を覚える際に、大人は頭で覚えないと、覚えられない一方で、
子どもは単純に耳で、感覚で覚えてしまうそうです。
実際の会では、大人たちが一生懸命覚えながら声を出して歌う一方で、
子どもたちはマジメに歌ったりしません。
あちこちで、わーきゃーと騒いだり、遊んだりして、
一つも歌わずに帰ってしまうのだそう。
でも、それでも帰宅してみると、ちゃんと歌を覚えていて、
口ずさんでいたりということがよくあるそうです。
つまり、子どもたち、言い換えれば全ての人間の初期段階において、
歌は学習して習得するようなものではなく、
もっと身体的経験、感覚的なものとして吸収されるもので、
だからこそ、自然や日常から受け取ったものをそのまま歌にしてしまったり
(それは大人ではなかなかできなかったり、思いつかないもの)、
あるいは、世相をそのまま鏡のように返して、
戦争ネタを盛り込んだり(軍艦、軍艦、沈没〜♪)、
誰それが殺された、死んだ、取られたといったように、
死や残酷な事柄をピュアに受け取って歌にしてしまうようなものがあったりします。
そうやって、ある意味で子供らが、
生活や自然からインプットした情報を、
ある種の成長・学習の通過儀礼としてアウトプットする一つの形態が
”唄う”ということなのでしょう。
しかし、先に述べたように、
歌う場が失われ、歌う機会をなくした現代の子供たちは
かつての子らが歌にしたためたような思いや感情を、
いったいどこに向けているのでしょうか。


井上博斗さんと


もう一人が、土地土地に宿る地霊(ゲニウス・ロキ)を敏感に感じ取り、
その念が宿りし音楽を吸収し、それらを見事に表現してきた松田美緒さん。
色々な事情で祖国から遠く離れて暮らす人々、そしてその子孫たちが、
海を渡り、国を渡る日々の営みの中で、
祖国の文化と現地の文化を幾重にもミックスして編み出してきた
混合文化=クレオールに着眼し、
ポルトガル、ブラジル、アルゼンチン、カーヴォベルデ、ギリシャなど
大西洋から地中海にいたる幅広いフィールドを舞台として、
様々な民族音楽や民謡を高らか歌い上げてきた現代の吟遊詩人です。
彼女が、自らのルーツである日本という国に着目し、
全国各地から採取された膨大な民謡のカセットテープの山の中から、
まるで運命の糸に導かれるようにしてたどり着いたのが、祖谷の民謡でした。
祖谷は平家の落人伝説が今なお息づく、
四国山地の極めて急峻で山深い集落ですが、
「粉引き歌」「花とり」「木びき歌」「草刈り節」など、
そこは民謡の宝庫と言われています。


松田さんの経験上、いい歌があるのは、
水田耕作のできない険しい土地が多いそうです。
そういった土地では、常に自然や天候に翻弄されるような営みがあり、
そういった自然に対しての祈りや恨み節、
あるいは過酷な農作業や山仕事の大変さを紛らわせるための、
ある意味、生活の知恵として民謡が生まれてきたということがあります。
しかし、高度成長期以降、
あらゆる農作業や山仕事が機械化されてしまい、
過酷な作業から解放されたことや、業務の短縮により、
歌う必要性や、歌う間さえ失われてしまい、
そういった仕事歌はどんどん廃れてきてしまったそうです。
この祖谷の地域でもまた同じような時代の流れを受けてきたそうですが、
そういった民謡の良さや重要性を理解して
歌を記録してきた平石金雄さんのような存在がおり、
その記録が偶然にも松田さんとつながって今に至るという幸運に恵まれています。


映像では、松田さんが祖谷の歌い手たちを訪ね、
吾橋小学校の子どもたちや地元のお母さん方との交流を追っていきます。
最初は、松田さん自身も、その土地に根差した歌が、
別のところからやってきた人によって別の命を吹き込むということに対して、
地元の人たちの反応がものすごく怖かったと吐露されていましたが、
一緒に口ずさんだり、踊り始めたり、
極めて自然に受け入れられていく様は、
まさしく歌が新しい使命を帯びる決定的な瞬間だなと思います。
それがそのようにして受け入れられたというのは、
やはり同じ日本人として、
どこかに同じような音の原野が共有されているからなのだろうと思います。
祖谷にしても、郡上にしても、非常に山深く交通が不便な土地で
今と違って、わらべ歌や民謡が生まれてきた時代というのは、
人やモノが頻繁に行き来できたはずもなく、
よその土地から文化がどっと押し寄せることというのもなかったと思います。
それでも、日本全国各地で、同じようなものを題材にして、
ある一定の音階だったり、音律だったりを共有しているかのような歌が
同時多発的に育まれてきたということはまさしく、
その証拠になりえるのではないかと思います。


伝承という観点からいえば、
この映像の中で新しい可能性を感じさせる場面がありました。
小学校の担任の先生の発案で、子供たちがもっと自らの感覚や経験として
民謡を実感できるようにと「子ども民謡」なるものが行われたシーン。
昔の民謡は、つらい労働や環境を紛らわす術として歌われてきましたが、
例えば、背負った木材が重いとか、夜なべして粉を引くのは眠くて仕方がないとか、
現在ではもはや行われていない作業ばかりで、
子供たちは実際、それがどれだけ大変な作業なのかが実感としてわかない、
どういう思いで歌われてきたのかというところまで思いが至らない。
それならば、民謡のメロディーを拝借して、替え歌をするような形で、
自分たちが今実際にしんどいな、つらいなと感じるものを題材として
民謡を作って唄ってみようじゃないかという試みです。
子どもたちはそれぞれ、宿題が嫌だ〜とか、毎日急な坂道を登校するのはつらい〜だとか
唄う様は、とても面白かったと同時に、
しみじみと実感として歌われた歌は、実に生き生きと感じられました。
これが、プロのミュージシャンや研究家がトップダウンで指示するような形ではなく、
元々の地元の人たちから湧き上がってきたというところがまず、素晴らしいことで、
昔の民謡が生活の中から生まれてきたのと全く同じようにして、
現代版の民謡が実感として”めばえて”きた瞬間でした。


松田美緒さんと


今回の研究発表全体と映像作品についても。
こういう発表の場合には、つい、
民謡賛美、啓蒙といったような安易な結論づけをしてしまいそうですが、
そういった完成形を一方向的に投げかけるという乱暴なやり方ではなく、
伝承することの難しさや、紆余曲折、道のりを記録することを重視して、
じゃあどう伝承していけばよいのか、
あるいは伝承されないとしたらどういった風になるのか、
滅びゆく民謡をどう看取っていくのか、
という投げかけという形でまとめられているのが、
非常に大切な視点だと感じました。
つまり、この発表を単に一過性のイベントとして
消費するだけに終わらせてしまっては、あまり意味がないからです。
はからずも、映像作品の中で、
徳山村の踊りを伝承する年配の方がそれを指摘していました。
踊りの体験教室的なものは、よく学校訪問などをしているのだが、
結局それが続かない、根付かないのだと。
継続すること、伝承することの難しさこそ、
今回の発表で描くべきテーマなのではないか、
そしてそれが適切な形で表現されていた発表だと感じました。


これは個人的な意見というか直感なのですが、
最終的に日本人は音頭や民謡、わらべ歌に帰着するのだろうと思います。
実際、今回の松田さんや井上さんはもちろん、
大友さんも、細野さんも大滝さんも、みんなそこに帰っていった。
これらの歌というのは、いわゆるドレミファの西洋音楽のように、
後天的に教育されたり、訓練されたりするような、
「音楽」という明確にカテゴライズされるようなものではなく、
我々日本人が、何百年、何世代にもわたり、生活の一部として歌い継がれて
まさにDNAレベルで脈々と我々の肉体や魂に刻み込まれた体感(体幹)であって、
日本人の音の原野なのであろうと思います。


そもそも、音というのは人間にとってはとてもプリミティブな感覚で、
我々は命を宿した時点から、
お母さんのお腹の中でお母さんの鼓動や息遣いの音を聞いて育ちます。
「見る」ということをするよりもずっと以前に、
まず音の世界から生命はスタートする。
生れ出てからも、赤ちゃんがお母さんの腕の中でねむくなったり、
子どもが不安な時にピタッとすり寄ってくるのは、
胎児の頃の安心感を得ようとするからだといわれています。
つまり、我々は音やリズムの世界に
安心感や幸福感を得る感覚をあらかじめ備えているのであって、
決して無音の世界では生きてゆくことはできない。
むしろ様々な音を敏感に感じ取り、
時にそれらを積み重ねたり、編み上げたりすることで、
様々な表現やコミュニケーションを形成するのが人間であり、
音楽というのは極めて原始的で自然な営みであり、
さらに本来は生活に密着した文化形態なのだといえます。
なので、アフリカではアフリカの、中東では中東の、
ロマにはロマ、南米には南米の、
生活・文化様式によってそれぞれ育まれた独自の音の原野があり、
それらはみな等しく各地域の人たちのルーツと直結する重要な要素なのです。
そして我々日本人にとってのそれは、
まさしく盆踊りや音頭、民謡のに横たわるリズムやテンポなのだということでしょう。



素晴らしい発表の後、井上さんと松田さんにご挨拶。
松田さんは5月の本町でお会いしたことを覚えていてくださっておりました。
また年明けにライブを企画しているそうなので、ぜひ。
そしてまた、11.26日の深夜25時から
日テレNNNドキュメントで放映される
『移民のうた ー歌う旅人・松田美緒とたどる もう一つの日本の記憶ー』も楽しみです。


発表後は、閉館わずかに10分前でしたが、
せっかく来たので、ほんの一部だけでも民博みたいなあということで突撃。
おそらく中学生とかそれ以来ぶり。
こどもの頃は、よくわからないガラクタが
いっぱい置いてあるなあくらいの感じでしたが、
大人になってみると、民族学なんてロマンにあふれまくって面白過ぎるし、
これほどまでに貴重な品々が、
ご近所に収蔵されているなんていうのは本当に夢のような話です。
まるで地球がまるごとパッケージされた宝箱。
初めて訪れた娘にも、駆け足でしたが、色々と熱っぽく解説をして、
これはまたきちんと再訪せねばなりません。
そしてミュージアムショップ。あそこは危険すぎる。
あれもこれも、気になるものが多すぎて、だめだめとわかっていながら、
つい買い過ぎてしまいました@@


ざっとでしたが、民博のお宝を見て思ったこと。
民博には世界各地の生活の品々や
祭事の道具、楽器、衣装など様々なものがありますが、
祭り事というのは、まさしく生活に直結するもので、
自然に対して祈願する(雨乞いや五穀豊穣、天変地異を治めるなど)、
神や死者といった自分たちの世界のものとは別次元の存在と交信するための
重要な儀礼であり、
それが、どこか1つのオリジナルがあって、
それが世界中へ伝播したのではなく、
世界各地で同時多発的に文化として芽生えたことを考えれば、
人間は祭りをする動物だと言い切ることもできるでしょう。
そしてその祭りに際して、
神や死者や動物などと交信するための手段として用いられてきたのが
歌や踊りであり、それを行うにふさわしい衣装や仮面というものが
生み出されてきました。
半ば強引かもしれませんが、その文脈でいえば、
先日のアンサンブルズ東京や多治見で、
被り物をするという行動自体は、あながち間違いではなかったのかなと。
つまり、祭りという非日常のハレの舞台に
ある意味最もふさわしい衣装だったのではないかなと思いました。





さまざまな重要な示唆を与えてくれた万博公園と民博。
これから足を運ぶ機会が増えそうです。


太陽の塔


↓EXPOCITY