この休日はもういっちょ用事がありまして、
あっちょから学祭へ行かないかとお誘い。
嫁子は自分の山行の合間に北九州へ旅行へ出かけてフリーだし、
山行のダメージで遠出も難しいし、ちょうどいい余興。
卒業後も教授の付き合いとかでちょこちょこ大学に入っていたけど
それでも10年ぶりくらいに母校へと行くことになった。
昼前に関大前で待ち合わせ。
向こうは一家そろっての参加。
大学前の大通りは結構様変わりをしていた。
昔入り浸っていたゲーセンや雀荘、安食堂、
お世話になったコピー屋や古本屋などはほとんど姿を消し、
どこぞのフランチャイズやらコンビニやらに取って代わられた。
特に、そんなにいらんやろというぐらいラーメン屋ばっかりでびっくりする。
あそこにはアレがあったよなとか、ここであんなことあったよなと、
記憶をほじくり返しながら、あっちょと昔話に花が咲く。
↓久々の関大前
そうしてようやく正門に到着。
たくさんのビラを持った各団体の客引きが待ち構えていて、
勧誘が次々と。
そこからはキャンキャンした若者たちがごった返す人ごみをウロウロ。
いやあ、しまった、
こういう祭のドンチャンを尻目に、
あえて隅っこで怪しく遊ぶアングラ気質の人間には、
こういう人ごみが一番苦手だった。
こうなるともう楽しみは、学生時代の面影を発掘すること。
ということで、4年間のほとんどを過ごした部室の様子を見に行く。
自分は怪しい自主映画サークルに入って、
3回生からは部長をしていたのだが
自分たちが卒業して10年くらいはサークルは存続していたのは確認していた。
だが、部室棟を建て替えるということになって、
そのタイミングで、正規のクラブとして大学側から承認を得ていない団体は
全て部室を明け渡すということになって以降、どうなってしまったのか。
少なくとも部室は召し上げられ、
たまり場がなくなった時点で自然消滅したのかもしれない。
自分たちの部室は、
クラブ棟の建物の入って真正面という超好立地にありながら、
その怪しさで誰も寄り付かない真の巣窟のようなところで、
部屋全体が真っ黒に塗り固められ(上映のために光を遮断するため)、
ヒジョーにあやしかった。
その部屋いっぱいにビールケースが敷き詰められ、
その上にベニヤ板で高床がこしらえてあり、
部屋の中央に会議用のテーブル。
隣は工学ラグビー部の部室となっていたのだが、
実は大会議室を無理やりベニヤ板で間仕切りしただけだったなあ。
ほとんど講義にも出ずにここでマリオカート大会したり、
映画製作をしたり、どんちゃん酒盛りしたり、
本当に大学4年という貴重な時間のすべてが詰まった部屋でした。
久しぶりに訪れてみると、当時の面影はなく、
真っ白な壁に塗り替えられて、建物の管理室になっていました。
なんとも寂しや。
2時間ほどプラプラしてあっちょ一家とお別れし、
戻りつつ出店を見るが、結局何にも手を付けずに正門を出る。
とはいっても昼過ぎで小腹が減っているので、思い出の飯で腹ごしらえ。
ということで、学生時代に大好物で足しげく通っていたカフェ・ゲリラへ。
怪しい雑居ビルの奥2Fにあるお店で、当時のまんまでした。
ここのドライカレーがとてもおいしくて、
ドライカレーなのに、ルーまでかかってダブルでおいしく、
つけあわせの山盛りのサラダと一緒くたに食べるのだ。
12年ぶりに食べたけどやっぱりうまし。
↓名物のドライカレー。青春の味がする
大学からいったん帰宅し、頃合いを見て、嫁子のお出迎えに。
時間も余っているし、ちょっと神戸でいきたい店があったので、
新大阪ではなく新神戸から乗り込んでびっくりさせてやろうと一計。
1時間半前には到着して、元町の気になっていた立ち飲み屋さんに寄る。
なかなかええ店でつい長居をしてしまい、気づいたら新幹線の時刻が!
これで乗り遅れたらそれこそ元も子もないので、
酒でフラッフラになりつつ、元町から来た野坂の激坂をダッシュして、
どうにか3分前に新神戸駅に到着。ゼエゼエ。
すっかり酔いも覚めてしまったわい。
↓新神戸なう
無事に新幹線に乗り込み、嫁子をすぐに発見。
しばらく背後から怪しく様子をうかがってから、声をかけると、
案の定ええリアクション。
まあこれがやりたかっただけっす。
あと、まあ身重なので乗り降りのかばん持ちしないといけないのでね。
ということでドッキリ大成功。