記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

流儀を知れ

山行の帰り、帰阪が20時ということで、
晩御飯を済ませて帰ることにし、三番街のインディで大玉。
山帰りはムショーに食べたくなるのですヨ!
いつもと変わらぬ安定のうまさに大満足でございます。


↓大玉


週末のディナー時ということで、
7,8割くらい席が埋まっているくらいだったのだが、
自分が入店した時から、3人組が何席か向こう側に陣取っていた。
1人は知らないアニメのアクセサリーをじゃらじゃらつけた女で
他の2人は着古しているのに気慣れていないジャケットという
いかにも今風のオタクの男。
(それにしてもオタクが決まってこういう格好をするのは
せめて服装だけでもマトモじゃないと
自分でもまずいと知っていての一種の自衛手段なのだろうか?)
その3人がでかい声で、
ベラベラとオタク話に花が咲いているようでやかましい。
それはそれで迷惑なのだが、それはまあ許容範囲として、
どうも様子を見ると、
皿は下げられて、コップだけが置かれ手いる状態で
すでにカレーを食べ終わって久しいらしい。
いやいや、ありえんやろ?
おしゃべりをしたいなら、スタバでもファミレスでも行けばいいのに、
まさかカレースタンドで、
長々と居座り続けるなんてどういう神経なんだろうか。
お店の人もいつまでいるんだというような顔をしているが、
彼らはプロなので、当然何も言わない。
でもこれが時間が時間なら常連のサラリーマンに絶対怒られる。
結局自分が食べ終わって店を出る時もまだ店から出る様子はなかった。
そんなの初めて見た。


場所には場所の、店には店の流儀というものや、
長年根付いた文化というものが存在する。
それは街角にある古めかしい角打ちの店でも、
華やかな北新地や祇園でもどこでもそうだ。
ただ単に食事をする、お酒を飲むという行為をするとことではなく
そういう場の雰囲気や流れる時間、
あるいは一種のステータスを味わうということも
全部ひっくるめてのサービスなのに、
今の人はそういうことを平気で無視する。
というか気づいてさえいない。
文化というものに恐ろしく鈍感なことに本当に悲しくなる。
公共の場で、自分の立場や振る舞いが
他人にどういう影響を及ぼすのかということを
そもそも思考せず、すべて自己完結に動くことに恐ろしさを感じる。
哀しいかな、もはや日本は、中国か韓国なのかとさえ感じてしまう。
たかだか数十年の短い経験の
小さな小さな世界に閉じこもって、
その中の常識にだけとらわれて、
実は何十年何百年とあまたの人たちが培った
歴史や文化が存在することに対して自分が無知なだけなのに、
周りの方がおかしいとか、面倒くさいとか、
時代遅れだとか、見当違いの批判をして、
そういうことが最近は本当に多く感じる。
それは自分が年を取ったからかもしれないが、
ちゃんと年を取ってきているということならむしろ喜ばしい。
あとは、少なくとも自分の娘が
あんな恥ずかしい若者にならないようにはしないとなあ。