記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

いざ槍へ 2日目 奇跡の晴れ

前日は絶不調で夕食後18時には寝床に付き、
熟睡というよりも落ちる感覚で眠りにつき、起床する4時まで全く記憶なし。
それくらいひたすら寝たことで具合はずいぶん回復した。
5時前にはすでにズラ〜っと朝食の列ができていて、K先生と一緒に並びます。
食べれなかったら今日は体力持たないなと思っていたが、
食欲はしっかりとあって少し安心する。
Kさんはモリモリお替わり。さすがっす。


↓朝食


食後、荷造りの前に外の様子を見に小屋を出てみたら、見事な青空。
前穂の上部が赤く焼けておりました。
寝室へ戻り、体調万全で意気揚々としたKさんとともにいざ出発。
ロビーでは多数の出発者でごった返し。
ほとんどの人は涸沢か穂高方面へ行くツアー客だった。


↓焼ける前穂


いざ出発し、森の中へと進んでいきます。
しばらくはアップダウンもほとんどなく、のんびりとした森歩き。
沢の水量は意外と多くて、ゴオオオと音を立てているのを聞きながら
ずんずん進んでいきます。
しばらくして堰が組まれているところに出ます。
そこが槍見河原と呼ばれるところで
木々の間からわずかに槍の穂先を確認できました。
しかし、槍が堂々と姿を現すのはまだまだ先で、ラスト1,2km地点までは
本当に槍へ向かっているのかと疑いたくなるほど姿を見せません。
それだけにところどころだけ槍が見えるポイントがあるのが、
本当に地理的マジックとしかいいようがありません。


↓槍見河原


そのうち、沢の支流をなぞるようになり、緑も濃くなってきました。
その先で古い橋を渡ったところが一ノ俣。
コースタイムよりも早めに進んで順調に来ています。
そこから再び緑深い森をずんずん進んで、簡易的な橋を渡って二ノ俣到着。


↓一ノ俣


↓二ノ俣


二ノ俣からは梓川の上流の流れのすぐ横を歩いていきます。
やはり8月の長雨のせいなのか、水勢がすさまじい感じでした。
少し川の水に触れてみましたがとても冷たかった。
そこからもずんずんと進み、にわかに斜度が上がったかなと思ったら
槍沢ロッヂに到着しました。
ここではトイレ休憩。
体調は7割ほどは戻ってきている感覚で大丈夫かなあと思うのだが、
いつもならトイレのたびに放出するはずが、ひどい便秘なのが困る。
いつこの溜りまくったものが一気に押し寄せるのか、
それが槍の穂先の渋滞中だったらと考えると恐ろしい。
お腹の中に潜む爆弾を抱えて非常に不安な山行でした。


↓水量が多い


↓槍沢ロッヂ


いつもならトイレ以外はほとんど休憩を取らないのですが
今回はKさんもいるということで要所要所で眺めの休憩を入れます。
Kさんがタバコをくゆらせていると、
下から昨日見た外国人部隊が続々と上がってきました。
渋滞に巻き込まれるとやっかいだろうということで、
そのタイミングで出発。


ロッヂを過ぎると斜度が少し上がり、
岩がゴロゴロした歩きづらい道となります。
いつもなら枯れている沢にも少し水が流れていて、
そういった沢をいくつか越えていくとテン場に到着。
どうも新しいトイレが作られたばかりのようでした。
ここはそのままスルーしていきます。


↓槍沢のテン場にて


前方に立ちはだかる屏風のような山を
ゆっくりと右側にかわすような形で登山道は続きます。
徐々に沢の本流から高度を取りながら、進んでいき、
勢いよく流れる支流の沢をじゃばじゃば越えていきます。
ちょうどでっかい雪渓が沢をふさいでいるところが大曲りで
ここで少し休憩。
ここからさらに上部、これから登っていく沢の全景が見えますが
すきっと晴れた青空に映える緑色が美しく、見事な山歩き日和となりました。
コースタイム的にも順調で、Kさんもまだまだ元気いっぱい。
いよいよここから本格的な登りへと入っていくことになります。


↓大曲り


そこからは東鎌を右手になぞりながらゆっくりと大曲りをし、
東鎌と天狗原に挟まれた広大な谷を上がっていきます。
この辺りになると、槍沢発の登山客や、後ろから追ってきた人たちなど
登山道は賑やかになっていきます。
下山してきた人たちに話を聞くと、前日はかなり天候が悪かったらしく、
気温もぐっと冷えて低体温症の人も出たほどらしい。
沢の右手に設けられた登山道をえっちらおっちら歩きながら、
去年のことを思い出してみたら、
ちょうど天狗原の分岐の直下は、雪渓歩きだったはずなのだが、
今年は長雨のせいなのかすっかり雪は消えてなくなってしまっていました。
雪渓だと直登できるのだが、
登山道だとジグザグと何度も何度ものぼりが続くので難儀です。
途中で、休憩入れますかと聞いたのだが、
天狗原分岐を指してあそこまですぐだからあそこまで頑張るとの返事。
でも見えてからが長いのが山のあるある話。
実際、目の前に見えている分岐までなかなか到達できず、
しのいでしのいでどうにか分岐に到着し、長めの休憩。


休憩していると、さっきの外国人部隊が到着。
話を聞いてみるとなんとノルウェーからのツアーのようでした。
遠路はるばる北欧から日本アルプスに登りに来てくれるなんてうれしいですねえ。
このノルウェー部隊もそれほどペースが速いわけではなく、
お互いに休憩をはさみつつ、抜きつ抜かれつがしばらく続いていくことになります。


↓天狗原分岐


ここからは沢の上部に棚のようになっているグリーンバンドのところまで
急登が続く区間となります。
すぐそこに見えてはいるのですが、ここがなかなかにしてしんどい。
徐々にペースが落ちるK先生に、
あそこまで行けば槍見えますよ!とエールを送りつつ、
自分も何度も押し寄せる九十九折れにしぶとく足を出していくような感じ。
一定間隔をあけて登っているKさんの様子を確認するために振り返るたびに、
徐々に高度があがってきているのを実感します。
そうしてようやくグリーンバンドまで到達し、
見上げると堂々たる槍がねぎらうように顔をのぞかせてくれました。
それにしても見事な晴れ!


↓ずいぶん登ってきました


↓坊主岩小屋のグリーンバンドにて。ようやく槍が!


そこでいったん休憩をして、さらに一段上にある岩小屋まで進みます。
ここからは大きな岩がゴロ〜ゴロ〜とした道となり、
マークに従ってえっちらおっちら上がっていきます。
すっきりと晴れた空をバックにそびえる槍を正面に、
テンションもすっかり上がってペースが上がってしまいますが、
Kさんは天狗原付近から一気にペースダウンをして追いついてきません。
とりあえず岩小屋で待ちますと先行していくと、
ちょうど播隆上人が槍ヶ岳を開山した記念登山を行っている一行と合流します。
ちょうど岩小屋の中でお坊さんがお祈りをしている貴重な場面に立ち会えました。


↓ヤリホー


↓坊主岩小屋


その様子を岩小屋の中で見ているうちに、
K先生が自分を見失って先行していたので慌てて追いかけます。
ここからはKさんのバックについてサポートしながらどうにか進んでいきます。
殺生ヒュッテへの分岐地点で、Kさんが悲鳴を上げていったん休憩を入れます。
本当にラスト2kmで一気に標高を獲得するので、
この急激なコースの変化に満身創痍といった感じでした。
しかし、もうゴールはそこに見えているし、
これほど登頂に適した天気に遭遇するなんていうのはラッキーでしかないので
がんばりましょう!と声をかけ、少しずつでいいので前進することにします。


↓奇跡の青空バック


↓殺生ヒュッテ分岐


殺生ヒュッテの分岐から、肩の小屋まではわずかに1.25km。
しかしここから最後に壁のようにそびえる斜面を登りきらねばなりません。
100m単位でマーカーがされていてカウントダウンされます。
ここは集中を切らさないように、そして無駄な疲労をためないように、
テンポ一定で上がります。
最初のうちは振り返ってKさんの様子を確認していたのだが、
さすがの急登で自分もしんどいので、ペースを保ちながら、
もう少しですよとか、天気がいいので登頂できますよとか、
あれこれしゃべりながら上がっていたら…
振り返ってみると、会話しているはずのKさんの姿がありません。
あれれ?遅れた〜?と思って、姿を探すと、はるか彼方に小さくKさんの姿。
しかもよ〜く目を凝らしてみると、岩に座り込んで、
ザックから何かを取り出してむしゃむしゃ食べているではありませんか!?


↓K先生いずこ〜!?


さすがにあそこまで引き返すほど余裕もないし、ゴールは見えているので
自分はとりあえず先に肩の小屋を目指します。
とにかく長時間ザックを抱えた状態だと動いてなくても体力が失われるので
いつものペースまで一気に上げて、しんどい区間を最小タイムで切り抜ける。
一足先に肩の小屋に到着したのが12:30でした。
さすがに山上はたくさんの人。
でも、去年のピーク時に訪れたのと比較すれば、全然問題ない数。
穂先のほうを見ても、自然渋滞は起こっているけど、
ダラダラと行列が続いていることもなく、
お天気も1時間やそこらで急転するようなこともないので、
これはもう登頂には絶好のコンディション。
さすがにこれだけの好条件を予想していなかったので
本当にラッキーとしか言いようがありません。


槍ヶ岳山荘とうちゃこ〜


しばらく休憩して息を整えたら、小屋前にザックをデポし、
ひとまずK先生を救出に上がります。
さすがにラストのところで見捨てるわけにもいきますまい。
ということで、身軽になってとっとこと来た道を下っていき、
小屋まであと400mほどの地点にさしかかると、
まさしく限界間近のオーラバリバリで、
K先生が重い足を引きずって上がってきました。
これはちょっとかなり厳しそうな感じで、
ザックをお持ちしますよと助け舟を出したのだが、
殊勝にも「大丈夫だ!」と一言。
ゆっくりとそばでサポートをしながら、ゆっくりと着実に上がっていき、
13時にはようやくK先生も肩の小屋まで到達することができました。
ナイスファイト!


↓満身創痍のK先生。ファイト!


↓ラストスパート!


とにもかくにも休憩が必要です。
ちょうど昼時、激闘を終えてお腹もペコペコなので、
ひとまず14時にアタックを開始することにして、食堂で休憩します。
自分は今回は牛丼を注文。がっつり米でパワーをチャージします。


↓昼飯は牛丼


さあ、腹ごしらえも済み、トイレも済ませていざ穂先へと進みます。
K先生もずいぶん回復し、気合十分。
ザックをデポし、サブバッグに最小アイテムだけを詰め込んだら、
持参したヘルメットとグローブを装着しいざ!
去年登ったときはこの小屋の前まで大行列が伸びていたが、今回はそこまではない。
ただ自分たちが準備をしているうちに、播隆上人を偲ぶ僧侶たちが上がっていっているので
きっとどこかで少し混むだろう。
でも、まあ慌てずまいりましょう。


↓いざ挑まん!


とりつきの付近は全然前方に人がおらず、Kさんを前に行かせて、
慎重に岩場を上がっていきます。
途中から上下線が分離し、そこから岩場をトラバースする形で進んで、
一つ目の梯子の手前で小槍の側へと回り込みます。
そのあたりから渋滞が始まりました。
やはり1発目のはしごのところはどうしても詰まるし、
その先で上下線が交差するので仕方がない。
慌てても仕方がないし、のんびり写真を撮りながら、前が進むのを待つ。
そのとき事件が起きた。


↓ここからは岩登りになります


↓小槍


自分たちが行列の最後尾で、そこからしばらく後方は空いていたのだが、
前はなかなか進まず、待っているうちに後ろからどんどん人が上がってきた。
自分たちよりも、4〜5人ほど後方のおっさんが、急に大声をあげて
「お前ら何タラタラのぼっとんじゃ?アホども早くせい」
と、前方詰まっている行列に向けて悪態を浴びせかけたのだ。
それ以外にも、「こんなしょーもないとこでモタモタして迷惑な奴らや。槍に上る資格がない」とか
「わしらの晩飯に間に合わなかったどうしてれるんだ」とか、
いったいおお前は何様なんじゃと思うような悪態を堂々と山頂まで聞こえるように叫び続ける。
それで山頂までのルート上の空気が一気に凍り付く。
前方には、僧侶の方が登山の恰好ではなく修行の格好で必死で登っておられ、
それ以外にもあこがれの槍に上りたくてやってきたビギナーの方(本格的な岩礁を登るのが初めての方)、
高所の恐怖と闘いながらガイドさんにザイルでつながれて必死に登っている女性の方などもいて、
その人たちが明らかに緊張感を増して、混乱が生じる。
自分がどれだけのキャリアで経験豊かなのかは知らないが、
ああやって無駄なプレッシャーを人に与えてもしそれで焦って手を滑らせる人がいたら、
落石を発生させて不必要に自己を生じさせたりしたら本当に一大事だ。
そもそも、お前らだけの山など存在はしないし、
それこそ槍なんて老若男女、様々なスキル・キャリア・レベルの人たちがこぞって集まる山で、
多少はあれど山頂付近はルートの性質上混むのが当たり前の山だ。
そんな当たり前のこともリサーチできてないのか?あのバカは。
もし混むのが嫌なら、どうぞ空いている北鎌尾根でも登ってこればいいし、
あるいは誰もいない極寒期に登ってこればいい。
あれだけ偉そうに声をあげれるのだからさぞかしすごい山の経験がおありなのでしょうから、
わざわざ人の多いシーズン、コースに来ることもないでしょう?
そうでなくても、あと30分でも早く肩まで上がってきていれば渋滞に巻き込まれることもないわけで、
ダラダラ下から登ってきて、自分がのノロマなことを棚に上げて文句言ってんじゃねえよ、バカ。
大体このルートも、ルート上にある梯子や鎖やもろもろ整備されているすべては、
小屋の人たちを筆頭とした山を愛する人たちが、
一人でも多くの人が素晴らしい槍に登れるように整備してくれているもので、
それを使わしてもらっている側の一人として、
さも自分の道であるかのように偉そうなこといってんじゃねえよ。
だったらルート以外のところ使って自力で登れよ。
大体お前の晩飯に誰が興味あんねん。アホか。
あまりに腹が立ったので、下って文句言ってやろうとしたのだが、
真後ろにいたベテランの方が「相手にしない方がいい。放っとけ」とたしなめられ、
確かにこんな足場の悪いところひと悶着起こして事故でも起こればただじゃすまないし、
今回はKさんも一緒にいて迷惑をかけれないのでぐっと我慢をする。
ルート上にいるほかの人たちも全く相手にすることなく、
各々冷静に山と対峙して慎重に上り下りをしていました。
1つ目の梯子の直下はちょっと大きな岩を乗り越えるよう格好になるので慎重に進み、
その先岩に打ち込まれたボトルを足場にして進んだら、上下線の共通部分。
その先に待ち受ける最後の二連梯子を登り切れば、いよいよ山頂です。
この最後の梯子は2本ずつ設置されていて、登り専用と降り専用とに分かれています。
しかし、登りがこれだけ詰まっているのに、下り側から全く人が下りてきません。
山頂はそんなに広い場所ではないので、これは相当上が詰まっている様子。
きっと亀頭が少し時間がかかっているのだと思われ、梯子の直下でしばらく待機が続きます。
すると、さっきのアホどもが再び暴挙に出ます。
再び流れが停滞して、
「前の奴らはアホやな、隣の梯子使ったらいいんや。雑誌かで登り・下りと書かれてあるからって
真に受けて本当にアホや。さっさと隣の梯子使って登頂しよや」と、
仲間のもう一人と一緒に、下り側のルートを無理やり鎖を使って登ってきて、
そのまま降り専用の梯子を伝って上部へと上がっていきました。
安全上の理由で明確にルール付けされている事柄を、
自分の解釈や都合で勝手に曲げて、
そのせいでほかの人間が危険にさらされたり迷惑がかかることをなぜ考えないのか。
片側一車線の高速道路で、前の車が遅いからと車が走っていない反対車線を逆走するような行為に等しい。
もしあれで、上から何も知らずに人がどっと降りてきたらどうするのか。
そもそも山頂に限りがある以上、そこから降りルートを使って人を下ろさないと、
待っている人が登頂できるはずもないのに、そのルートをお前が塞いでどうすんねん。
その行為を見た、明らかにビギナーの若者が、「あっちも登っていいんだ〜」とか言って
真似をしてそちらへと向かおうとしていたので、さすがにそれには声をかけて、
「あいつらキチガイやから真似したらあかん」と制しました。
ただでさえ緊張を強いられる場面で、ああいう無法者が勝手な暴挙を行えば
本当に危険な状況になります。
ただ、この場面で先へ行ったおっさんを追うことはできず、
ラストの梯子で少し緊張気味のKさんに、足場の指示を下から声をかけたり
サポートに集中をして、どうにかこうにか登頂を果たしました。
おっさんどもはどうも、そのラストの梯子で悪戦苦闘している間に、さっさと下って行ったようでした。


↓山の犯罪者(ストライプのバカが主犯、オレンジが共犯者)


↓軽い渋滞


山上は本当にものすごい人で、混乱の世界でした。
前回は登りの梯子から、奥のお社をUターン地点として、
下り梯子まで輪を描くように行列が並ぶように整理されていましたが、
そういう交通整理が全くなく、奥へ進みたい人、降りたい人、とどまる人が
本当に狭い狭い頂上で30人ほどがひしめき合っていて、非常に危険でした。
とりあえず奥へ行きます!と声を出して周囲に認知させながらゆっくり奥へ進みます。
その間にもバシバシと360℃丸見えの眺望を撮り続けます。
本当にこれだけ周囲が見渡せるなんて期待していませんでしたが、
先月に歩いた裏銀座はもちろん表銀座の方や、穂高の方まですべてが見渡せます。
するといきなりガッと脇から手をつかまれ、危うくバランスを崩しかけましたが、
どうにか踏ん張ります。
何事と思ったら、さっきガイドさんにアンザイルされていたおばあちゃんが、
恐怖で足がすくんで、思わず自分にしがみついたのでした。
さすがに不意だったのでちょっとびっくりしましたがな。
本当に誰からふらついて人とぶつかったら、狭い山頂からはじかれそうなほど、
ぎゅうぎゅうで足場がない感じでした。
どうにか最奥まで行き、手早く記念撮影を済ませたら、一気に降り口へと進みます。


↓大混雑の山頂


滞在時間わずか5分ほどでしたが、
とにかくものすごい山頂が溢れかえって危険なので降下します。
降りの方が梯子での反転とか、下を見ながら進むということでやはり若干難易度が高まります。
それでも臆することなくK先生はたったか降っていきます。
降る途中からモクモクとガスがあがってきてしまいます。
慎重に岩場をトラバースしながら下っていくと、途中で前方の列が停止します。
何事かと思ったら、小屋の人の合図で、もうじきヘリが来るので周辺を封鎖しているようでした。
そういえばヘリの爆音が近づいてきます。
しかしガスのせいで近づけないようで、しばらくして遠ざかり、ガスが開けた瞬間に舞い戻って、
荷をマーキングされたスポットへどんと置き、小屋の人が手早くロープをほどき、
それを確認してヘリはあっという間に飛び去って行きました。
すると再びガスがあがってきて、再び白い煙幕に包まれます。
その間5分もかかっていません。まさにプロのお仕事ですな。
そうして封鎖が解除となり、無事に小屋まで降りてきました。


↓降下開始


↓慎重に降下中


無事に肩の小屋まで降りてきたのが15:30。
登頂記念のツーショット写真を、大混雑の山頂では撮れなかったので
ここで近くにいた人にお願いをして一枚パチリ。
誇らしげなKさんの笑顔を見れて自分も大満足であります。
さて、そろそろ宿の支度をせねばなりません。
当初の予定ではこのまま槍ヶ岳山荘に宿泊する予定でしたが、
通常の土日に比べれば大したことがなさそうだが、
この日は播隆祭があって団体さんが多そうで、
少なくとも一人1枚ということはない感じ。
それから翌日の天気があまりよくなさそうで、
少なくとも雨が降る前に安全地帯(横尾)まで到達していたい。
混雑を避け、かつ翌日へのマージンを稼ぐという意味で、
殺生ヒュッテまで降りるのはどうかとKさんと相談。
体力的にもそこまで下る分には全然問題がないということでその案に決定。


早速、先ほど相当苦労して上がってきた急登を下り始めようとしたら、
小屋の方に、またヘリが来るのでしばらく待機してくださいと声がかかり、
そうこうしているうちに、再び荷揚げのヘリが飛来して、
あっという間に飛び去っていきました。
ここ数日、数週間は本当に雨続きで物資が供給されなかったんだろうなあ。
それくらい限られた晴れ間をフルに利用して、
この日は何度も何度も荷揚げのヘリが
あちこちの小屋に向けて飛び回っておりました。


↓またヘリが来た


ボチボチと急登を下りながら、殺生ヒュッテに向かいます。
翌朝、ガスガスの状態でヘッデンをつけてここを下るリスクより、
今日のうちに下っておいたほうがやはりいいだろうなと思いました。
のんびり30分ほどかけて殺生へと降りてきました。
上から見ていてテン場もガラガラ状態だったので、
きっと人は少ないだろうなと思ったら、予想通りガラガラで、
かなり大きく区切られた1区画をまるごと2人で貸し切れるという
なんともありがたい状態でした。
小屋のご主人も物腰の柔らかい山男さんで、好感が持てます。


↓殺生ヒュッテ


夕食までのわずかの間、日暮れを楽しみましたが、
すぐに槍沢から雲が黙々と上がってきてしまってすぐに退散。
9月ともなると、もう山上は秋〜冬の入り口に差し掛かり、
結構寒く感じてきたので持参してきたダウンジャケットを羽織る。
その際にザックをごそごそ整理していたが、なぜか替えの靴下を4セット、
Tシャツを3枚とか無駄に入れていて、
逆にレインウェアの下が入ってなかったり(家にもなかった…)、
もう荷造りが全くなってないことに気付いた。
まあ今回は支障がなかったけど、無駄な荷物は減らしたいよねえ。


1階に降りてストーブに当たって夕食を待っている間に、
壁に雨晴表が貼ってあって、確認してみたら、
実にお盆からずっと雨マーク、曇りマークが続いている。
どうりでヘリもフル稼働しているわけだ。
翌日も天気が崩れる見込みだし、
この日は本当にピンポイントで唯一スカッと晴れた日だったようで、
本当になんてラッキーなんだ。


↓日が暮れて一気に雲が!


じきに夕食となり1階へ。全員合わせても今宵の宿泊客は30人ほど。
これだけ大きな小屋でゆったり贅沢。
夕飯もおかずがいろいろあっておいしくいただきました。
体調がまだ不安だったので、あるこほおるは自粛。
ちょうど席をご一緒した、老夫婦の方と、
翌日槍アタックを予定している同世代の男性二人組と、大いに盛り上がり、
食後もストーブに当たりながら一期一会を楽しみました。


↓本日の夕食


夕食後は一気に周囲も暗くなり、気温も下がってきました。
K大先生はさすがに長丁場の戦いでぐったりですぐに寝床へと入られ(前日と全く逆転だ)、
自分は引き続きロビーでみなさんと談笑しつつ、
ニュースで翌日の天気予報をしっかりと見守る。
やはり朝イチはどうにか天気はもってくれそうだが、
どう頑張っても10時、11時くらいから雨は避けられなさそう。
本格的に降ってくる前に、せめて急斜面区間は終了して横尾辺りまで来ていれば、
あとは難しい個所もないし、林の中を進むのでそれなりに雨でも軽減されるだろう。
そうするとやはり、明日も早がけをして先行逃げ切りを図りたいところである。


↓本日の寝床


ということで、19:30には寝床へ戻って寝支度を始めたのだが、
随分前にお先にと寝床へ消えたK大先生が、
もう地下鉄工事が横で行われているかと思うような大イビキを小屋中に響かせている。
しかもこの夜にイビキをかいているのがK大先生だけだったので、
同行者としては、ほかの宿泊客に申し訳がないというか、
いつクレームが来るのかとひやひやしてしまいました。
そんなこんなで、なかなか寝付けることもできず、2時間おきに目が覚めてしまう感じ。
夜中には小屋全体を震わせるような強風が吹いているようで、
果たして翌日は天気が持つのか心配しながら一夜を過ごすのでした。