記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

自転車復帰に向けて


土曜日の夕方に2年ぶりに木馬へ行ってきました。
そろそろ山シーズンも終了に向かい、復帰に向けて、
休業中全く手を付けていなかったマシンを完ぺきな状態にするため
フルメンテをお願いしに行った。
油も差してないし、ワイヤーチェーンもノビノビ、
それどころか埃をかぶって汚れまみれなので、
さすがにこれではあまりに心もとない…
お久しブリーフな店長とFUNさん、それからT城さんもいらっしゃいました。
いろいろ遠征やイベントのときは必ずお誘いをしていただいていたのに、
ずっとお断りしていて申し訳なかったのですが、
またお世話になります!
あれこれ経緯を説明して、マシンの状況もお伝えして、
フィブラ君を預けてきました。
ちょっと混んでいるようなので、しばらくかかりそうですが、
年内いっぱいはどのみち山優先なので、気長に待ちます。


来年は第2子の誕生も控えていて、山の遠征はたぶん回数は減ってしまう。
車なし・小屋泊まりの山行が基本なので、
奥さんが産休の間は金銭的にも厳しいし、
1泊も2泊も家を空けられる状況はあまり想定できないので。
(それでも行くときは行くつもり!)
その代わりと言ってはなんだけど、入れ替わりに自転車の復帰なのだ。
200,300kmくらいなら、1日で済ますことができるし、
何より交通費も宿泊費もいらないので山に比べてずっと手軽で済ますことができる。
だからといって復帰後いきなり200,300やれんのか?というのはある。
正直、清滝でさえまともに登れるか不安でいっぱい。
体力的には、自転車休業前に比べて落ちたわけではなく、
過酷な山行にも耐え、水泳も始めて運動量は決して落ちていないのだが、
やはり自転車には自転車特有の筋力・体力があり、
そちらは完全に失われてしまっているからだ。


体力的な不安と同時に、おそらく最大の問題はモチベーション。
これがたぶん相当に厄介。
あれだけ自転車漬けの毎日を送ってきて、
雨が降ろうが熱が出ようが走り倒していたのに、
やむなく長期休業をして、
いよいよ待ち望んでいたはずの復帰なのだが、全くワクワク感がない。
自分でもびっくりするくらい。
ああ、走れる!といったエモーションが湧いてこないのだ。
やはり某アニキと同様、
本当にタマシイを山に置いてきてしまったのかもしれない。
必死で登り詰めた頂から眺める360度の大パノラマの感動とか、
冷え込む山上で待ちに待ったご来光を迎えるあの得も言えぬ幸せとか、
早朝からの大格闘の末に小屋にたどり着いて飲むビールのうまさとか、
何より、自然の圧倒的なデカさに対して自分がいかにちっぽけな存在かを
全く何の遠慮もなく思い知らされることとか、
本当にこれぞ冒険と呼べる世界。
それに対して、オンロードでたどり着ける世界は、
いくら走ったって人間世界の範疇。
山で味わってきたのと同じくらいの感動とか手ごたえとかを
味わえる期待感が正直もてそうにない。
まして近所のお決まりのエリアやコースを、
毎週末ぐるぐるめぐるというところに楽しさを感じない。
それなら六甲パトロールのほうが発見があるし、
嫁子とおでかけするほうがいい。
より一層時間が限られるようになる中で、
その時間をできるだけ有効に有意義に使いたい。
そう考えると、自転車で果たしてどれだけのことができるのか、
ちょっとまだ全然イメージができていない。


あと体力的に不安だからと言って、
もう競技的な走り方や練習はやらないと思う。
単純につまらないからだ。
タイムとか数字とかっていうのは、
モチベーションを維持したり、目標設定としては、
もっとも単純で原始的で手っ取り早いものではあるが、
そこから先の世界の広がりをすでに知っている身としては
数字にのめり込むことには陳腐さや白けを感じる。
足を止めれば確実に生き死にの問題なるようなシチュエーションだったり
わずかな足場しか頼りがないような絶壁や難所で、
自分のスキルを最大限に発揮し、自分の弱い心に打ち勝つといった、
ある意味究極の自分との戦い・挑戦に比べれば、
坂で1秒2秒タイムを削ることが今の自分にとってはそれほど魅力的に映らない。
まして他の人と競い合ったりということも、あれこれもう面倒でしんどい。
幸か不幸か、極上の楽しさを知ってしまった代償として、
どうも完全に不感症になってしまったようだ。


とまあ、これから復帰だというのにネガティブなことばかり書いてしまいましたが、
それならなぜ自転車復帰するのか?
やっぱり自転車が好きだからだと思う。
好きだから、単に運動するということだけにとどまらない何かを
ただ単に暇をつぶすだけではない何かを
自転車に求めるがゆえに、複雑な気持ちになっているのだと思う。
それまでのめり込んできたものをやめる、
あるいは自然と回数が減ってしまうことには、
それなりにやっぱり理由があります。
自分はのめり込む性分なので、
やりきってしまうとどうしても
燃え尽き症候群的な感覚に陥りやすいこともある。
何にせよ、いったん止めてしまい、
それをしないことが当たり前の毎日になってしまうと
なかなか再びやってみようと腰を上げることが難しくなってしまいます。
好きだからこそ、
自分の中で無駄に期待値を上げてしまうのかもしれませんし、
その期待値と現実とのギャップを感じて、
「こんなはずでは…」という事態になることを
極端に恐れているのかもしれません。
例えれば、同窓会で、昔好きだった女の子に久々に再会するといった感覚に近いかも?
ただ、こういう現象はこれまでにも何度かありました。
実は山もそうでした。そして音楽もそうです。
今では自分に切っても切れないメインの活動ですが、
どちらもある理由でその道をストップし長いブランクを経て、再び帰ってきました。
その前例と同じように、自転車もなれればいいと思っています。
要は自分の気の持ちよう次第・遊び方次第だと思うので、
好きだというところをエネルギー源として
自転車もぼちぼちでやっていければいいかなあと。