記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

お七夜

土曜日はお七夜でございました。
生まれてからもう一週間も経つのか!
ドタバタドタバタとあっという間でした。
お七夜は、その名の通り生まれて七日目に行う赤ちゃんにとって初めてのお祝い事で、
健やかな健康を盛大に願うと同時に、
命名披露をして一族・社会の一員の仲間入りをする大事な儀式。
どうやら平安時代からある習わしだそうです。
この日は毎度贔屓にしている仕出し屋さんから料理を取って、
一族そろってお食事会。
そこで正式にお名前を披露して、手形と足型もどうにか取れました。
こうやってみんなに見守られながら、慌てずゆっくりと成長してほしいものです。
この日は赤ん坊を含め4人の子供たちが勢ぞろいして、かなり賑やかな夜になりました。



子供のころはよくわからず、面倒だなあと思っていましたが
こういう節目節目の催しとか、季節のイベントって
本当に大事なことだなあと、大人になるにつれ、ひしひしと実感するようになりました。
こういうところにちゃんと気を使って生活できるかできないかというのは
精神的にも経済的にもゆとりがあるかどうかということにつながります。
また、周囲の人間としっかりとしたコミュニティを築くということにもなります。
何より人生において要所要所で節目を作るということが本当に大事だと感じます。
人生というのは一方向に絶え間なく流れ続けるもので、
ただその流れに身を任せてダラダラと日々を浪費するのではなく、
季節が変わるごと、あるいは人生のターニングポイントできちっと区切りを設けて
キビキビと生活することは、とても健全なことだと思います。


話はちょっとそれますが、古くから代々、
何十年と何百年と引き継がれてきた伝統が非難されたり、
中身を変更させられたりするようなことが多くなりました。
時代を越えて、長い年月受け継がれてくるものたちというのは、
その事実自体がすでに重い価値を持っているわけです。
その長い年月の間には、価値観が一変するような変革や、
文化の波が幾度も押し寄せてきて、
その度にそれらを乗り越えて現代まで続いてきているわけです。
それを、たった半世紀そこそこしか経験していない人間が、
無駄だとか、意味がないとか、その存在に異議を唱えるというのは、
本当に低俗な暴力でしかないと思います。
そういう人間に限って価値観の多様化とか、時代にフィットさせるだとか、
もっともらしい理屈をすぐに振りかざしているけど、
実際はその伝統に対して己が無知だったり、関心がなかったり、面倒なだけでしょう。
そんな個人の怠惰・堕落によって伝統が損なわれるのは悲しいことですね。
そういう馬鹿ほど、SNSというでかい拡声器で目立っているだけなのにね。
声のでかい奴が正義でも主流でもなんでもないのに。
おかしな世の中になりました。


個人において、こういう伝統と格式を重んじる人というのは
やっぱり粋ですし、品格があります。(ちなみに教養と品格は金では買えないものです)
家族においても、きちっとこういう習わしを大切に生活しているご家庭は
夫婦円満だったり、健やかなお子さんが間違いなく多い。
地域でも、日本古来の風習や伝統が今なお生活の中に息づいているようなところ、
例えば熊野などは本当に素晴らしいですよね。
こういうことっていうのは、
単にいるかいらないかというような価値観(あえて言い換えれば0か1かのデジタル)
の範疇を越えたところにあるように思います。
今はやりの”ルーティン”もこの一種かもしれません。
それ自体するもしないも大した意味はないかもしれないが、
物事を行う準備だったり、心構えだったり、生活のリズムを作るというか、
物事を組み立てる方法をしっかり築けるかどうかということですね。
結果や成果、答えや利益だけを追い求め、損得勘定するような生き方よりも、
プロセスや組み立て方を重んじるような丁寧な生き方をしたいものです。