記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

姫路は夢前、愛山の圃場にて

これまた日にち前後します。
書けるものから順々に。
先週、お仕事で姫路へ播磨日本酒プロジェクトの視察。
担当者が都合がつかず、じゃあ酒といえば誰だ?
ということでご指名がかかりました。
いつからそんな酒キャラになったのやら@@


新大阪で集合してそこからバスで向かったのは夢前町(ゆめさきちょう)。
姫路市街の北部に位置し、明峰雪彦山のお膝元。
町内には国道も鉄道も通っていませんが、
全国で唯一地名に「夢」がつきます。
そんな田園地帯広がる肥沃な地域で、
酒蔵から、コメ農家、ブドウ農家、野菜農家、宿泊施設に飲食店、
ジャンルの垣根を越えて地域の担い手が横の連携を強めて町おこし。
一般に全国レベルの相手に対抗する手段として
同業者が手を組んでということでスタートすることが多いのだけれど、
このケースはまず同じ地域、沿線(県道沿い)で
商売や生業をしている人たちが自然発生的につながったという点が特徴的。
第1生産者、卸売り、PR会社まで、いろんなジャンルが集まっていることで、
活動の幅が大きく多面的にとれるという点と、
やはり地元を何とかしたいという共通の意識で結びついているということで
非常に魅力的な活動に感じました。


様々な活動の中で、
今回は日本酒と米というところにテーマを絞ってのご案内でした。
まずは、地元でコメ農家を営んでいるファームハウスさんの圃場へ。
若くして地元でコメ作りにいそしむ
飯塚さんの熱いメッセージを聞きながら
まずは、その米を使った壺阪酒造さんの播磨古今でカンパ〜イ。
それから酒米・愛山の収穫体験で稲刈り。
自分は毎年の恒例行事でやっているのでお手の物。


米農家も当然大変だそうで、
1反(1000平米)の米の収穫で約10万円の売り上げ。
その中から経費を差っ引くとわずか4万円にしかならないそうです。
なにせ現代日本では1人当たりの年間のコメの消費量がわずかに60キロ弱。
つまり1日1合も食べないということになります。
(ラモスに怒られそう…)
そうするとただ、米を作って売るだけではやっていけないので、
食米ではない利用価値の高い商品を、ということで、
酒米やもち米なども作っていくことになったそうです。
また、清算の担い手が減少したり、設備投資の難しさなどもあり、
1農家が単体で生産するのでは限界があるため、
地域の生産者同士が必然的につながりをもって、
機械や労働シェアを行っていかないと
生き残っていくことができない、
それが今の日本の現実なんですね。


↓左がコメ農家の飯塚さん、右が壺阪酒造さん


↓播磨古今


↓カンパ〜イ♪


↓刈り刈り


↓愛山


↓実り


ある程度済ませたら、今度は酒米の実食体験。
酒米は一般にはほとんど流通していないので、
それを炊いて食べるというのは実はなかなかに貴重です。
隣のドラム缶に、もみ殻を燃料に炊いていただきました。
酒米は食用米と違って、酒にする際に、
外側を大きく削ることが前提としているので
粒立ちが非常に大きくて、
もっさもさとした食感です。
普通の食用米にはほとんど大きくなりませんが、
酒造好適米には米粒の中心に心白(しんぱく)と呼ばれる、
白色不透明な部分ができます。
この部分が酒造りには肝心で、
心白はタンパク質の含有量が少なく、
また、磨いても砕けることがないよう粘度が高く、
醪(もろみ)によく溶けるという性質があります。
(食米は平均1.56mm、酒米は2.1mmだそうです)


↓もみ殻で炊飯


↓愛山を実食


↓平和だあ


近くのホテルで昼食外ののち、次は壺阪酒造さんへお邪魔。
雪彦山」「金壺」の2ブランドを造られていますが、
ここは壺阪さんを含め二人杜氏で酒を下ろしていて、
350石=タンク28本、一升瓶で35000本の生産量という小さな酒蔵さん。
創業360年ほどで、現在の地に根を張って酒造りを始めたのが210年前、
壺阪さんで第24代に当たるそうです。
その当時の酒蔵の建物が今でも現役で使われていますが、
姫路市の都市景観重要建築物に指定されています。
空調設備もないので、
酒造りの際は扉の開け閉めだけで温度管理を行っているそうです。
雪彦山のふもとの自然を巧みに生かして造られる酒はまさしく絶品!


↓壺阪酒造


↓銘酒・雪彦山


↓杉玉


↓蔵を見学


↓二階


↓これで撹拌


↓200年前の造りそのままだそうです


↓記念撮影


そこからバスで宍粟市(しそうし)へ移動。
全国にいくつか日本酒発祥の地と称する場所がありますが、
そのうちの1つに庭田神社があります。
播磨風土記に、米で作った酒(日本酒)に関する日本でもっとも古い記述が残っています。
大名持大神大国主大神)が国土経営の大業をなされ
伊和の地で最後の交渉を終えられた時、
諸神を招集して酒を醸し山河の清庭の地を選んで慰労のため饗宴をなしたという。
その地がこの庭田神社で、もとは庭酒神社と呼ばれており、
庭というのは宮中を表す字で、庭の酒、宮中に納める酒の神社という意味だそう。
庭田神社の裏にあるぬくい川に乾飯(かれいい。)を漬けていたところ
カビが生えておいしいお酒になったという記述があり、日本酒のルーツの所以となっています。
ナドホド〜。


↓庭田神社


↓ぬくい川


↓播磨風土記に日本酒発祥の地とある


つつがなく視察を終え、
ファームハウスさんからいただいたお米と、
壺阪さんでどっさりと購入したお酒を満載して帰路につきました。
播磨はほんとうに奥が深くて、興味津々。


↓おみや