記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

1.17鎮魂ウォーク

今年もまた1.17がやってきた。
改めてあれから20年も経ったのかと思うと、
長かったような短かったような。
1つだけはっきりしているのは、
あの日のことを一度も忘れたことがないということだ。
忙しい日々の中でいちいち記憶の表層に上がってくるわけではないけれど、
完全に自分の体の一部に浸み込んでいるというか。
忘れてはいけない。忘れたくない。
忘れずにいること、そしてあの瞬間を経験した記憶を次の世代にも引き継いでいくこと、
それが今となっては一番大きな役割のような気がしている。


毎年この時期は体調が悪く、去年は相当にひどくて断念したのだが、
今年はまた東遊園地まで歩くことにした。
今回もスタートは西宮から。
前にもその理由を書いたが、震災後に電車が通じていたのがそこまでだったから。
前回は山手幹線沿いをメインに歩いたので、今回は浜側を歩こうと思い、
最終の阪神特急に乗り込む。
スタート地点に降り立ったのが、0:30。
この日は寒さはきびしくなく、比較的暖かいのだが、ちょっと空模様が微妙。
しかしもうすでに退路は絶ったし、何が何でもたどり着かねばならない。
よしっ!と軽く気合いを入れて歩き始める。


阪神西宮駅からスタート


まずはR43に出る。すぐに西宮戎前に出た。
ここはほんの数日前に福男を決める恒例のバトルが繰り広げられたところだ。
当然この夜はヒッソリ寒としていた。


↓先日激闘が繰り広げられた西宮戎


旧国道を少し歩いて香櫨園駅のところで夙川を渡る。
そして一旦R43に戻る。
それにしても、これだけ強大な構造物である阪神高速
いとも簡単になぎ倒されてしまったあの光景は本当にショックだった。
人の想像をたやすく超えてしまう自然の驚異。
それはこの地球上のどこかでまたいつか必ずやってくるのだ。


阪神高速


打出辺りから、単調なR43を外れて、
阪神線の一本北側にほぼ一直線に続いている生活道路を歩くことにした。
宮塚公園のあたりからポツポツと雨が降ってきた。
レインウェアを羽織りひたすら歩き続けるが、
芦屋川を渡るころには結構本格的な雨になってきた。
大急ぎで、駅前のコンビニに飛び込んでビニール傘を購入。
この状態ではカメラが濡れてしまうので、撮影はあきらめてザックに仕舞いこみ、
とにかく前進することにする。
真夜中の雨は冷徹に冷たい。


↓On the road


深江を少し過ぎたところで、名も知らない小さな川が出現する。
こういうのには思わず興味が出てきて、少しだけ寄り道。
阪神間の川はおおむね、六甲山からほぼストレートに神戸湾に流れ込むのだが、
この川はなぜかわざわざ阪神線の手前で一旦大きくシケイン状に蛇行をしている。
もちろん何か理由があるのだろう。(まさか神戸大のキャンパスを避けるため?)
地形や町割の成り立ちは探ってみるとおもしろいのだが、
調べてみてもよくわからなかった。


↓名もなき川


そこから元の道の戻り、西へと進んでいく。
青木を過ぎたところで北側を見ると、高校と光を放つアーケードが見えた。
ここが甲南本通で、東灘区でも特に被害が大きかったところ。


↓甲南本通


この辺りで時刻は2:30。
2時間ほど歩いたせいもあり、結構空腹感を感じてきました。
雨のせいで体が冷えて疲労も溜まってきたので、
ちょっとどこかで腹ごしらえをすることにする。
コンビニでは外で補給となり寒いので、できれば温かいものを。
そうなれば無性にラーメンが食べたくなり、R2をひたすら西へ進んで、
御影公会堂の向かいにある「神戸もっこす」さんへ。
3時クローズのギリギリ10分前に飛び込みセーフで、中華そばをいただく。
中から温まり元気が出ました。


3時を少し回ってリスタート。
R2を渡って石屋川駅から阪神の高架沿いを歩く。
この先に阪神の車庫があり、そこも震災直後に、
ひどい脱線の様子が印象的に映し出されていました。
そこも写真を収めようと思ったのだが、上から見渡せるような場所がなく、
下から仰ぎ見てもよくわからないので断念して先を急ぎます。
新在家を過ぎると、雨はいったん小康状態。
そのまま大石まででます。
この駅の直下を流れる都賀川に降りてみます。
ここは15周年に制作されたNHKドラマ『その街のこども』でも出てきました。
数日前に再放送されていましたが、やはりジーンとくるものがあります。
前にのレビューを書きましたが、
震災直後の悲惨な状況や、救助活動にスポットを当てるのではなく、
震災を経験した普通の人たちのその後を描くという視点はとても新鮮で、
主人公たちの心情が自分にもぴったりとあてはまります。


都賀川


ドラマのことを思い出したこともあり、あの公園へ行ってみようと思い立つ。
あの公園とはそのドラマで、主人公の女の子(佐藤江梨子はいい女優になったと思う)が、
震災で亡くなった同級生のお父さんのマンションを訪ねる重要なシーンで出てくる公園である。
現在地からどう向かうかわからなかったので、コンビニで地図を確認。
少し来た道を戻らねばならないのだが、やはり行ってみたい気持ちが勝り、バックする。
R2を東へとバックし、山手幹線まで進むとありました、六甲風の郷公園です。
この公園もまた震災復興によって造成された公園です。
ここで結構雨脚が強くなってきたのだが、ここまで十分に撮影もできなかったので、
せめてここでがんばろうと三脚を出してちょっと遊んでみました。
やってみると簡単そうでなかなか難しい。


↓六甲風の郷公園


↓1.17


公園を出発したのが4時過ぎ。
三宮まではまだ7kmほどあり、ちょっと急ぐことにします。
山手幹線に出てペースを上げて進んでいきますが、
向かい風が強くてビニール傘が押し戻されてなかなかしんどい。
王子公園を過ぎて神戸高速線の高架下をなぞって進んでいきます。
予想外の雨もあって、思った以上に疲労しながら、どうにか三宮に到着します。
そこからフラワーロードで東遊園地を目指しますが、
例年以上に多くの人たちが向かっていて、すでに軽い行列のようになっています。
ここ数年でこれほどの人出は見たことがありません。
20年目という節目ということや、
土曜日で休みの人が多いということが影響しているのだろうと思います。
おそらく直接的に震災を経験していないであろう若い人たちも数多くいました。
なかにはお祭り気分で騒いでいるようなのもいましたが、
それでも自分たちの住む町でこんなことがあったんだということへの関心が
少しでもあって、セレモニーに出てみようという気持ちなったことは大切です。
東遊園地の入り口で記帳と募金、それから献花をいただき、公園内へ。
するともう、前後左右身動きできないくらいぎゅうぎゅうの人だかりでした。
すでに竹筒の蝋燭への点火は済んでいて、ゆったりと暖かな火が揺らめいていました。



人ごみを少しずつ進んで、いつもの場所にたどり着き、
そこで時が来るのも待ちます。
これだけの人たちがひしめいているのに、周りは驚くほど静かで、
独特の張りつめた空気が漂っていました。
そうして時報がアナウンスされ5:46を迎えました。黙とうを捧げます。




黙とうを終えると、献花セレモニーのために大移動が始まります。
しかしあまりの人数でほとんど身動きができない状態で、
場内整理のスタッフもいないため、出入り口付近は大混雑していました。
自分は奥さんが仕事に出かける前に帰宅せねばならないので、
セレモニーの出席はあきらめて帰ろうとするのですが、
この大移動にはまって公園から脱出するのに30分以上かかりました。
そうして三宮から阪急に乗って帰宅したのが7時を少し回ったところでした。
思った以上に疲労が出てしまいましたが、
今年は無事にお参りができてよかった。
そうしてまた一歩、前へ進んでいこうと思います。