記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

『単独行者(アラインゲンガー) 新・加藤文太郎伝』 by 谷甲州

ついに読み終わった。
読み終わってしまった。
単に早く読み進めることはいとも簡単なことだ。
だが、この本の濃密さがそれを許してくれなかった。
少し進んでは立ち止まり、時には来た道を引き返したりしながら、
一歩一歩山道を踏みしめるように、このひと冬をかけて踏破していった。
あの不死身と讃えられた伝説の登山家・加藤文太郎は一体何者だったのか。
実に素朴で不器用な人柄に触れるにつれ、ヒロイズムに彩られた孤高の人ではなく、
むしろ一般登山者に近い存在として、よりその魅力に輝きが増していった。
そして山に挑む者たちへ示唆に富んだ山行の記録の数々。
そこから読み取られる単独行を選択することへの葛藤と覚悟、
強さ=自らの弱さを自覚しているということ、山と山に挑む者の気高さ。
そしてあれほどの強靭さと実力を持った加藤が
なぜ北鎌尾根で命を落とすことになったのか…。
確かな登山経験に裏打ちされた著者の力強い文章力と取材力、
そして史実の空白部分を穴埋めする豊かな想像力に導かれて、
私も極寒の冬山の深部へとたどり着くことができた。
まさしく本書は一生涯の書となったのである。


単独行者(アラインゲンガー)新・加藤文太郎伝

単独行者(アラインゲンガー)新・加藤文太郎伝


加藤文太郎
昭和初期の時代、登山といえばパーティーを組み、
地元の人夫ガイドを雇い入れるスタイルが大半を占める中、
その類まれなる能力を十二分に発揮すべく
単独行を身上としたソロアルピニストの先駆者である。
兵庫出身の自分にとっては、植村直己と並ぶ郷土の勇士であり、
ソロイストとしての憧れの存在。


新田次郎の「孤高の人」のモデルとして描かれたことはあまりにも有名で、
そのイメージがあまりにも一人歩きし、近寄りがたい気難しい人、
誰も到達し得ない特別な存在のようなイメージがまとわりついてしまっているが、
本書で描かれている加藤文太郎像は、もっと身近で素朴である。
興味深いのは、彼は初めから登山という道を決して目指していたわけではなく、
純然たるハイカー(徒歩旅行者)であったということ。
彼は人よりも歩くという能力に長けているということに気づき、
道の端から端へと歩くことの楽しさにのめりこんでいく。
しまいには兵庫県内の国道や県道を全て踏破するまでになるのだが、
家の近所に歩くべき道がなくなったことで、
近所の高取山へ続く山道を歩くようになる。
そうして、より高いステージへとステップアップする方向として、
山の世界へと深く分け入っていくことになったという次第である。
現在の六甲全山縦走を最初にはじめたのも実は彼で、
歩くのが非常に速かった彼は、早朝に須磨を出発して、六甲を縦走して宝塚に下った後、
そのまま上り返して須磨まで往復するという超人ぶりを発揮している。
岩登りやスキーといった専門的な分野から山を目指したのではなく、
ただ歩くというところを出発点としているというのが、
とてもユニークだし、親近感が沸く。
そしてまた彼は職業登山家ではなく、普通に職を持ち、
週末や休日を使って山を攻める「街の登山家」であった。
金曜日の終業後に夜行列車に飛び乗り、
月曜日の一番列車でそのまま職場に出社するという、
何とも弾丸な山行を繰り返したり、
有給をバンバン申請しては山に篭り、
そのせいで職場で肩身の狭い思いをしたりしている。
こういう風に見ていると、確かに能力は並外れてすごい人であったのは確かだが、
我々一般登山愛好家と全く同じ立場の人間であったのだとわかるし、
そうすると、これからの山ライフの展望が明るく開けてくるというものだ。
まあ文太郎さんのようにはなれないだろうけど。


単独行者となっていったのは、人付き合いがヘタだからとか、
団体行動を嫌ったからといったわけでは決してない。
普通の人ならば、1回の山行で1つの山を制覇するので満足するところを、
仕事の合間を縫って、限られた時間でどれだけ効率的にめぐるかを最優先に考える加藤は、
普通の人ならば根をあげてしまうような強行軍で、
一挙に複数のピーク・ルートを攻める過酷な山行になってしまう。
類まれなスピードと体力の持ち主である加藤にはそれが可能であったが、
それについていけるだけの人間が他にはおらず、
そもそもそんなことをしよういう人がいない。
そういう事情でパートナーに恵まれなかっただけのこと。
一言で言えば、欲張りさんで、変態さんということです。
しかしそういった特殊なことをする人間に対してはどの世界でも反発が大きい。
当時は単独で山へ分け入ることは無条件で危険なことであり
ルールに従わず山を荒らす者だとか、世間を騒がせるならず者だといった
誹謗中傷を少なからず浴びることとなる。
また現地ガイドを雇わないことで、
それで生計を立てている地元の人夫との軋轢も大きかったらしい。
しかし、パーティーと比べて単独行がことさら危険ではないと知っている加藤は
常識を堂々と覆すには、自らが強くあることでしか証明できないと考え、
その反動として、ますます単独行へと傾倒していったのである。
このあたりは、レベルは雲泥の差があれど、
自分の今の境遇と通じるところがあるなあと、おこがましくも思ったりするわけである。


一般的に、加藤が遭難死したのは、単独行者であった加藤が、
珍しくパーティーを組んでしまったために無理を強いられたからだと思われがちだ。
本作でも同行者とのコミュニケーション不足や、
実力差の大きすぎるパーティーで大きな負担を強いられたこと、
あるいは当時の山では絶対的な存在であった人夫たちとの軋轢といった点が、
直接的間接的な影響を及ぼしたという論調になっている。
確かに加藤は人付き合いが決して得意な方ではなかったかもしれないが、
それを死の第1要因にするのは、彼を否定することになるのではないかと思う。
実際、彼には山について語らう多くの友人・知人がいたし、
彼自身、集団登山の楽しさを知っていたわけだから。


では、遭難の要因はなんだったのかといわれれば、
一言で言えば焦りではなかったか。
日本登山の黎明期は、今以上に、
ピークハンティング、ルートハンティングの競い合いが激化していた時代である。
加藤が北鎌尾根を目指していたのとちょうど時を同じくして
複数の隊が極寒期の北鎌尾根から槍ヶ岳登頂を目指していた。
これまで世間の評判も省みずひたすらに単独行にこだわり続けてきた加藤にとって、
極地法という物量作戦で挑もうとしている他の隊の存在は
自らと全く対極に位置するものであり、彼らに先行されるということは、
加藤がこれまで築き上げてきた実績を無にするも等しい敗北でしかなかった。
少々の無理は承知で突っ込むことを余儀なくされたのである。
これまで記録や他人との競争原理とは無縁だったはずの加藤が、
この山行に関しては、そのスタイルを崩さざるをえなかった。
つまり単独行ではないことが問題ではなく、
この山行に限っては自然との対決ではなく人や記録との対決に終始せざるを得なかった、
そこに無理が生じてしまったことが彼を死に追いやる最大の要因ではないかと考える。
あれだけ自らの弱点を熟知し、それを克服するために用意周到に計画と準備を行ってきた、
それこそが強みであったはずなのに、
その強みを生かすことがそもそもできないという状況。
この山行に限ってはその焦りと迷いが、すべての歯車を少しずつ狂わせてしまったのではないだろうか。


最後に、加藤の死後残された、奥さんとわずか4カ月の娘さんのことを思うと、
何とも切ない。
いくら偉大な加藤文太郎といえども、やはり遭難死というのは敗北でしかない。
真の強さとは、誰かよりも速いとかうまいとかそういう薄っぺらいものではなく、
どれだけ困難で緊迫した状況下においても、
ただ生きて家に帰るという最低限のミッションを達成する、
それこそが真の強さなのだろうと痛感する。


ヤマケイで長く連載されていたものなので、既読の人も多数いるだろうけど
もし読んでない山のアニキがいれば、ぜひ読んでほしい一冊。