記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

なんちゃってキャノンボール 第4区間:おちょぼさん〜大阪

さて、時刻は17:30になろうとしています。
お店もそろそろ閉店ということもあり、
いよいよ最後のセクションに向けてリスタートします。
門前町は煌々と明かりが光っていたので、
そんなにわからなかったが、
大鳥居のあたりまで来ると、すっかり日が落ちて真っ暗。
ここからは本格的なナイトライドになると同時に、
寒さが再び脅威となります。


大鳥居から出て、三郷の交差点から県道219号に入って北上します。
この一帯は全く対象物がなくて、
はるか先まで暗闇が支配しているような感じ。
風は相変わらず吹いていて肌寒い。
ここから揖斐川を渡らねばならないが、
渡れるのは福束大橋の一か所のみなので、
曲がりどころを間違えないように
慎重に交差点の標識を注視していたのだが、
西之川の1つ手前の五反郷新田で左折してしまいました。
まあオーバランするよりはいいのだが、
どうも様子が違うし、農業道路なので暗くて不安を誘います。
しかし方角は間違いないので、
とりあえず進んで、最後に帳尻を合わせます。
うめさんが、遠くに見える車の往来の光の線を指して
東海環状のJCTでしょうかと聞いてきたところが
我々が目指している福束大橋。
県道30号に入ると交通量が一気に増え、
トラフィックが困難なので歩道へと脱げ込み、
そのままぐいっと土手まで上がる。
そこでも野菜さんは少し遅れてしまいます。


↓福束大橋


福束大橋で揖斐川を渡ると、前方に、
より濃紺のシルエットを
闇に浮かび上がらせている山並みが見えてきます。
あの山塊を越えれば、滋賀は琵琶湖ですが、
その山並みに多い重なるようにして邪悪な雲が見え、
まさか、またもや雨の不安。
横曽根3でR258にぶつかり、
向こう側へ横断してから左折し歩道を行きます。
すぐに養老大橋で杭瀬川を渡ります。そのまま下って、
名もなき交差点を右折し、県道30号へ入ります。
この道も周囲に何もない真っ暗闇の道で、
気持ちがどんどん冷えてきます。
小さな川を渡るだけなのに、
立派なオーバーパスの上りを越え、
その先で東海環状道をくぐります。
そこから一直線に続く殺風景な道を進んでいくと、
前方にはいつの間にか
やたらでっかいドラッグストアや大型家電店などができて
養老の街が煌びやかになっておりました。
ここから先、米原までの山間部に突入する前に
一度、防寒等の準備をするため
下高田の交差点のところのコンビニにピットイン。


ウェアリングの変更や、トイレ、
アップダウンでの消耗に備えての軽い腹ごしらえをしていると、
野菜さんが意を決したように
「すみません。リタイヤします!」と宣言されました。
桶狭間で深刻なトラブルが生じ、
長島あたりからはその影響で走りにも精彩を欠きつつも、
どうにか騙し騙しここまで引っ張ってきたので、
もうあと少しでなじみの関西圏へ突入するし、
このまま多少時間がかかっても3人で完走できるかも、
というより、何とかそうしたいと、
自分もうめさんも思っていたので、
このタイミングで、正直びっくりしました。
もちろん、野菜さんも完走をしたかったろうし、
チームとしての立場を考えると
DNFを口にするのは葛藤があったと思います。
ただ野菜さん的には、もうメンタル的には限界が来ていたようだし、
せめてもの目標としていた「おちょぼさん」でのグルメも味わい、
ある意味での達成感を感じてしまって、
あとここから170km以上を走り続ける
モチベーションを維持できなくなったようでした。
こちらとしても非常に悔しく、
やはりチームとしてのゴールをしたかったですが、
チームと言えど、個人商店の集まりで、
自己責任が大前提ということを考えれば
本人がそう決断したことを受け入れるしかありません。
こちらとしては少なからずショックだったのですが、
それとは裏腹に、野菜さんやけに清々しくDNFを宣言され、
リタイアをする、これ以上走り切れないということを
ネガティブに捉えるのではなく
むしろここまで、自分とうめさんと
400kmにわたって走ることができたということが嬉しかった!と
そういう風に言っていただけたことで、
自分も野菜さんの決断を支持したいと思えました。
3人それぞれの目的やライドの意義は当然違っていて、
野菜さんにとっては、キャノボを達成することよりも
我々と一緒に走ること、
フレッシュ以上の感動と思い出を作るということが
何よりも大事だと言っていたし、
そこについてはもう十分達成できたからこそ、
無理やり引きずることなく堂々とリタイアを宣言できたのだと思います。


と、今振り返ってみれば、
そう冷静に考えることができましたが、
やはり現場でDNFを聞いたときは、
こちらも疲労などで思考力が落ちているし、
やっぱりショックの方が大きくて、
なかなか状況を飲み込めないというか、受け入れられないというか、
どうしよう、どうしようという気持ちの方が大きかったように思います。
やはり、東京〜大阪という長丁場で、
カニック的、気候的、難易度的、メンタル的、フィジカル的に
様々な困難が待ち受けているのだから
そんな、ハイ走りますといっても簡単に達成できないもので
それがスタート直後でも、ゴール間際でも、
ゴールテープを切る瞬間まで何が起こるかわからない。
そんな簡単なことじゃないんだと
言い聞かせるようにしていたと思います。
いずれにせよ、色々な感情が3者3様に駆け巡って
なんとなくエアポケットにはまってしまったような感じのまま
リスタートしました。


DNFといっても、今ここでサヨウナラというわけには行かず、
少なくとも野菜さんがきちんと帰宅できるような
場所、シチュエーションまではもっていかないといけません。
近くに養老鉄道が走っているとはいえ、
ローカル線は便数も少ないし、接続してちゃんと帰れるかもわからない。
なので、ここから先で間違いないのは、
少し登りをこなして約12km先の東海道線関ケ原駅
あるいは、さらにそこから20km先の米原まで行ければ、
新快速1本で帰阪可能だから、
どうにかそこまで行きましょうということで
リスタート。


すぐに養老鉄道をがたんとまたぎ、
その先の高田東町の交差点は少しシケイン状になっていて直進。
昭和感漂う商店街を抜けていくと、
だんだんと殺風景になり、暗さが増していきます。
少し上り基調となって牧田川沿いの土手へ出て、
さらにその先で県道56号(薩摩カイコウズ街道)に出ます。
この道は若干交通量があるのだが、
路肩が見えづらいのであまり端まで寄れず。
対岸に名神高速の渋滞を認めつつ、黙々と遡上していきます。
広瀬橋で川を渡り、道なりに進んでR365に入ります。
牧田一色の交差点からはさらにショートカットのルートがあるのだが
細く暗い道なので安全策で関ケ原を目指します。
にわかに上り基調となって、えっちらおっちら進みます。
フレッシュの時、獣が出たと大騒ぎしながら
我先に上った急坂をえっちらおっちら登って、高速をくぐるのだが
ここでも野菜さんは勢いづいて登り一等賞。
いやあ、本当は完走できるんちゃうんと思ってしまうほど。
関ケ原ICを抜け、新幹線をくぐったら関ケ原西町に到着。
時刻は19:20。
もうここからは何遍も走ったおなじみの道。
少し気が楽になります。


↓天下分け目の関ケ原


ここで左折をしてR21に入ります。
でっかいトラックやらが囂々と横をかすめていくので慎重に前進をします。
不破関の先で、しっかりとした登りがあるのだが、
ここで自分は変速が噛んでチェーンが外れてしまい出遅れてしまいます。
リペアに手間取ってるうちに、2人がどんどん先へ行ってしまうので
慌ててプッシュしてダンシングで追いかけたら、
またもや脈が飛んでしまい。気分が悪くなってしまいました@@
夕方から夜にかけての気温が一気に下がるところで、
うかつにも無理をしてしまいました。
いきなり運動をストップすると逆に危ないので、
停止せずゆっくりと時間をかけてクールダウンしながら、
どうにか2人の待つ滋賀との県境のピークへ。
ちょっとだけリカバリーの時間をもらって、ゲーゲー。
脈はどうにか収まったものの、一度脈が飛ぶと、
次いつ飛ぶのかというのがよぎってしまって、なかなかダメです。
メンタル的に気落ちしているというのも多少は作用しているようにも思います。
しかもここからは長い下り。
冷たい空気を浴びながらのライドとなるので
ちょっと心肺が不安。
ソロなら、そこのところ自分で塩梅を付けて加減できるが、
チームを組んでてノロノロもできないし。
とはいえ、前進しなければならないことには変わりないので、
呼吸を落ち着かせて、騙し騙しスタート。


滋賀県突入


万全ではないので、先頭を下りて、
うめさんの後ろで守ってもらいながら柏原の寂しい道を進みます。
そのうち左手から名神高速が寄り添ってきて、
その先からいよいよダウンヒル
うめさん先頭で下っていくが、なかなか暗いし、寒い。
こちらは発作が収まって間もなくで慎重に行きたいのだけど、
ダウンヒルは自然とペースが上がっていくし、
追尾するのがやっとこさ。
しかも、疲労で頭がぐにゃぐにゃなのか、
それともメンタル的なダメージが知らず知らず顕著になってきているのか、
まっすぐラインを貫いて走っているはずなのに、
どうもしっかりと地面をキャッチできてないというか、
視界が揺らぐというか、バランスがおかしい…
後になってパンクが判明するので、
この時点できっとスローパンクの症状が出ていたのでしょう。
今になって思えば、あの暗い下りでパンクしながら高速巡行で
よく事故らなかったなと、そっちの方がむしろ危険でした@@
でも、この時にはまさかパンクしているとも思わず、
さっきの発作もあって、視力まで狂いだしている、
疲労が深刻な状況だと、相当焦ります。
自分のことでもなかなかに精いっぱいの状況でしたが、
さらに自分の後ろにいる野菜さんは、徐々に遅れを見せ始め、
もうリカバリーが効かないというのが
手に取るようにわかるくらいになってきました。


もろもろの状況を鑑みて、
米原で一回本格的な休憩とと作戦会議が必要だと感じます。
つまり、コンビニの軒先でのショート休憩ではなく、
一度どこかで腰を落ち着けてという意味です。
米原に着くころには養老で休憩を入れてから、
登りありで40kmになるし、
ちょうど晩飯時でタイミング的にも合う。
自身の立て直しもそうだが、
野菜さんがどうするかの判断等も含めて話したい。
チームとしてベストな選択を慎重に選ぶ、
そうして完走の確率を少しでも上げるべく、
作戦会議をうめさんに申し出ました。
ところが、うめさんはちょうど今がイケイケのタイミングなようで
その勢いで一気に行きたいような感じが見て取れます。
焦りとまではいかないんだけど、
野菜さんのリタイアの件をあまり引きずらず
払拭したいようなそんな感情と、
やはり完走という観点から、
調子がいいうちにできるだけ距離を稼ぎたいという風でした。
確かに、そういう気持ちももちろん身に染みてよくわかります。
でも、この段階で仲間が一人いなくなるという、
チームとして最大の危機に直面している状況で、
チームとして少しちぐはぐな空気が漂い始めているなか、
そこをごまかして、モヤモヤした気持ちで走る方が
きっとこの先色々なトラブルのもとになるだろう…。


そしてもう1つ。
超ロングをたくさんこなしてきた経験から言って、
最も事故やトラブルが多発するのが、
ようやくなじみのエリアに入って、
もう何とかすればゴールに手が届くというようなタイミング。
不慣れで見慣れない景色の中を走る場合は、
自動的無意識的に程よい緊張感が走っている状態を維持できるのですが
そこからなじみのある景色へと移っていくと、
どうしてもある程度の油断というか、
まあどうにかなるだろうと気持ちが一瞬でも緩みます。
逆算してある程度の計算が成り立つのですが、
それがもっともらしく感じてしまうのです。
そしてまた、疲労や睡魔などいろいろなものを背負っている状態ですから、
もうゴールが実感としてイメージできてしまうと、
早くその背負っているものから解放されたい、
さっさとゴールに着きたいという気持ちに覆われます。
そこにちょっとしたスキや焦り、
意識的にははっきりと認識できないほどの
ほんのちょっとした意識の落差が生まれてしまうのです。
そしてそれがそれが突如として甘い罠として牙をむく、
ということを超ロングでも山行でも、
何度も経験・目撃してきました。


この頃、ある苦い経験がずっと頭の中に浮かんでいました。
あれは、4年前、仲間と一緒に300km超のライドの帰り、
もうあと小さい峠を1つ越せば難所をすべてクリアし、
自宅までほんの30km程度というところ、
ようやくラストの登りを終えて一息つき、
ちょうど下りへ差し掛かったところ、
本当に全く危険の気も感じられない普通の場所で、
仲間の一人が車との事故に遭いました。
あれだけの衝撃で、奇跡的に大事には至りませんでしたが、
下手をすれば最悪の事態も考えられるような事故。
ほんの気の緩み、わずかに警戒心が揺らいだまさにそのタイミングでした。
もうゴールが手に届くという状況で、
他のメンバーが色めき立ってイケイケの状況で、
事故に遭った彼は、最年少で体力的な限界を迎えていたのに気づかず、
彼自身も他のメンバーの足を引っ張らないように、
あとゴールまであともう少しの我慢だと、
少しだけ一線を越えて無理をしていた結果でした。
リーダーとして事故を防げなかった後悔と、
事故の大きさのショック、その後の対応のまずさも含めて、
自分が自転車の世界から離れる、
少なくとも人とつるんで走るのをやめるきっかけの1つとなりました。
あの事故も、チームとしてもっとちゃんと
足並みをそろえるということをしていれば防げただろうし、
もっと言えば、彼がソロで走ってたなら、あんな無茶もしなかっただろう。
人と走る、チームとして走るというのは、本当に難しいことなのです。
すでに起こってしまったことは取り返せません。
であれば、少なくともあの事故を真の教訓として
二度と同じような事故を起こさないように努めるしかありませんし、
それは彼との固い約束でもあります。


そんな記憶をオーバーラップさせながら、現状を顧みれば、
仲間が一人離脱するという決定的なショックが迫っており、
加えて、ちょうど見慣れぬ景色からテリトリーへと突入し
もうゴールできるだろうという気の緩むタイミング、
そしていよいよ夜が深くなり、
夜間〜早朝と身体的にシビアな時間帯に突入するところ、
おまけに仲間の一人がイケイケ状態、
一人がどん底というギャップが生じている。
これはもう自分からしたら
いくつもの死亡フラグが立っているようにしか見えませんでした。
この先、まだ150kmの道のりで、
今のテンションやモチベーションがずっと続くはずもなく、
それが低下したり、変化したタイミングで間違いなく事故は起こりうる。
ここはやはり、スタート時でも、道中でもゴール1km手前でも、
ペースや意識を乱高下せず、
同じスタンスで臨むことが大事なのだということを
改めてチームの総意として共有しないといけない。
もしそれができないのであれば、
それはもうチームの体をなしていないことにもなるし、
自分個人としても、その理念を無視してまで走ることは、
これまでの経緯(自転車を廃業し、またサドルにまたがることを決めたこと)からしても
全く意味のないことなので、
ここは少し強くお願いをして、休憩タイムを取ることにしてもらいました。


醒ヶ井を抜け、米原ICを越えたくらいから、
もはや野菜さんの足が完全に止まり、
いくらペースを落としてももう追いついてくる様子がありません。
どうにかこちらの姿が確認できる程度の距離は保ちつつ、
西円寺の三叉路からR8に入ります。
ここから交通量が少し増えるので、とりあえず抜けてしまうことにし、
米原警察署前の交差点で野菜さんを待ちます。
そして、そこで右折をしてJR線をまたぐオーバーパスを登る。
野菜さんはもう精も根も尽き果てたという風にして登り、
対岸の下多良で左折をして、
米原駅のロータリーへたどり着いたのが20:20。


そこで、野菜さんとお別れです。
ここまで2日間400kmをずっと苦楽を共にしてきた仲間が
本当にいなくなるのかと、まだ全然実感がわかないというか、
信じられない気持ちのまま、野菜さんと固い握手と抱擁をしました。
ここでDNFするからといって、
ここまでの道のりが嘘だったということにはなりません。
色々な困難がありながら、東京からここまでたどり着いたことは
それだけでも立派なこと。
何より、色々刺激的な話題を振りまいて
チームを大いに盛り上げてくれました。
そして、そもそも今回の大冒険を
プランにとどめるのではなく、
実行に移すことができたのも野菜さんのおかげ。
ありったけの感謝と、くれぐれも寝過ごさないようにとお伝えして、
うめさんに促されるようにして、
お別れをして、リスタートしました。
本当にセンチな気分になってしまってて、
今回のライドにおいて最大の出来事だったにもかかわらず、
さすがの自分も、すっかりお別れの写真を撮ることを失念していました。


ロータリーを発ち、暗い県道329号を残された2人は黙々と。
どこかで休憩をすると言ったものの米原の近辺には何もなく、
ひとまず彦根を目指します。
どうも湖側から雨を伴った風が吹きつけてきていて、
よく見ると、そちら側にはどんよりとした黒い雲が垂れ込めている。
降らないはずの雨がまたしてもこのタイミングでやってくる。
気分はどん底でした。
R8のバイパスと合流し、
小さな橋を渡って市街地方面へ進んでいくと
前方に丸亀製麺があったのでそこにピットインすることにしました。


温かいうどんを食べながら、まずは野菜さんの件を色々と話す。
それぞれ思いはあるけど、
それをため込んでしまうとあんまりよくないので、
こうだよねえとか、こう思うよとか、
口に出すだけで少し気が楽になるというか、
うめさんの気持ちもわかるし、自分自身の思いにも気付ける。
そうやって客観的に冷静に受け止めることができる。
それにしても、もうゴールが目の前のタイミングで
あんなさわやかにDNF宣言しちゃう野菜さんは
やっぱりユニーク過ぎるなあとか
でも2人とも、悔しい気持ちは当然ありながらも、
ちゃんと自分で見極めてDNFをした野菜さんの判断を
肯定的に受け止めることができました。


さて、野菜さんの離脱について
とりあえずは2人とも消化することができたら、
つぎはこれから残りの120kmをどうこなしていくかの作戦会議。
当初のプランでは、
彦根から県道25号(湖岸道路)を
ひたすらトレースする予定を組んでいました。
それは、時間帯的にもっと早く到達している想定でしたし、
交通量の多いR8は避け、暗い田畑を突っ切る中間の県道2号よりも
フレッシュのコースをなぞる方がよいだろうという判断でした。
しかし、ゴールテープを切るという目的を第1とすれば、
無駄に大外を回り距離が延びるルートを選ぶ必要もないし、
湖岸へ行けば、さっきの雨風が内陸よりも強いだろうから、
今となっては湖岸道路は避けたい状況になってきたので、
より確実に完走をするべく、ルートの変更を提案します。
ここからは少し見通しが暗い区間が多いけれど、
やっぱりいつも使っている県道2号を進むことにしました。


彦根で晩飯


温かいものを食べ、しっかり腹ごしらえをして、
いよいよラストスパートに入るぞ!と
出発の準備に入ったら、どうも前輪が凹んでる…
おおう、まさかまさかのパンクです。
野菜さんの一件などで頭がいっぱいだったせいか、
全く気付いてませんでした。
どうもバランスがとりづらいし、
走りが重たいなあと思っていたのですが
てっきり自分がいっぱいいっぱいだったのかと思っておりました。
早速リペアをするのですが、わたくしタイヤ交換が大の苦手。
メンテナンス自体が好きではなく、結構いい加減なのですが、
中でも固いタイヤをはめるのが本当に苦手。
自転車の基本中の基本なんですが、嫌いなものは仕方がない。
飯を食べた直後、温かい室内から寒い屋外に出て
手元もおぼつかない状態で、
モタモタしながら作業をしていると
業を煮やしたメンテの鬼うめさんが、
このヘタクソめっとばかりに呆れて、手を貸してくれました。
一度、うめ教官のパンク講座を受けねば、シバかれる@@


まあ、思いがけない間抜けな状況に、
今までなんとなく張りつめていたテンションが破れ、
その勢いに乗ってリスタートします。
時刻はもうすぐで22時。
ひとまずは大津に向けて走り出します。
県道329号を進めば、彦根城のところに出て、
お濠をなぞりつつキャッスルロードへ。
本町から県道2号に入ります。
この辺ではベルロードと呼ばれている目抜き通りは、
まだ夜間営業のお店がにぎわっていて、
タクシーや代行の車の往来が激しい。
結構ぐいぐい来る車もあるので、慎重に彦根ニュータウンを抜け、
南青柳橋をわたって、彦根市街地を脱出します。


彦根城


そこから先、外灯がほとんどない田んぼど真ん中の道を
えっちらおっちら進みますが、
県道2号はまっすぐつながっておらず、
何度か曲がる必要があるので自分が先頭で道案内。
賀田山町の信号で右折し、新大山橋で宇曽川を渡り、
ゆるかかな左カーブを描く。
雨の具合はどうにか止みましたが、
路面が濡れて、跳ね返りがあり、少し不快。
八幡橋で愛知川を渡ると能登川の集落に入ります。
この辺にはうめさんも仕事で来ることがあるそうで、
ああ、この辺はわかるわかると言いながら走る。
能登川の集落を抜けると、ほんのちょびっとですが峠越え。
北腰越を登り切り反対側へ下るが、結構路面がスリッピー。
安土城址の横を通過し、安土の集落を抜けます。
そうして近江八幡の市街地へと入ります。
うめさんは彦根〜瀬田の湖東エリアは
もっと短いものだと思っていたようで、
まだ中間の近江八幡ということでガックリしてましたが、
静岡に次いで長さを感じるのがこの滋賀の湖東エリアなのです。
交通量もずいぶん少なくなった県道2号をひたすらトレースし、
近江八幡を抜け、日野川を渡る橋を登ると、
ようやく前方に草津や守山のマンション群の明かりが見えてきました。
野洲の手前のセブンイレブンで、少しばかりトイレ休憩。


リスタートして、すぐに野洲駅前を通過。
野洲川を渡る大橋のアップダウンをやっつけて、守山へ。
周囲が田畑から、建物が密集する住宅地となり、
わずかばかり寒さが小マシになります。
守山の住宅地を抜けて、霊仙寺でドンツキ。
ここを左折して、霊仙寺5丁目で再度左折し、生活道路へ。
草津駅を左手奥に認めながら、人気のない道路をえっちら進む。
この道は草津川のところからさらに大通りが延伸されていて
川の下まで進んで、右折し県道18号に入る。
しばらく進んで矢橋中央から大通りに入ります。
ここは昼間は幹線道路でひっきりなしに車が行き交う道ですが、
この時間帯は貸し切り状態。
少し登ってから、新浜町まで緩やかに下れば、
あとは近江大橋までは一直線。
昔、この交差点で、跳んできたビニール袋が
ディレイラーに絡まってロックし、
それをうめさんが手際よくリペアしてくれましたねと思い出話もしつつ
ストレートの道を進めば、
道の反対にイオンモール草津がみえてきました。
そして近江大橋
少し前まで有料の橋でしたが、
今年の春に無料化されて、料金所も撤去されていました。
なじみの近江大橋ですが、
ようやく我らが庭に入ってきたなあという実感を改めて噛みしめながら、
ちょっと停車して写真撮影。


近江大橋


近江大橋の歩道をそのままトレースし、湖岸道路へ出ます。
若干交通量もあり、路肩を慎重に走ります。
浜大津に到着が1:15。


浜大津


浜大津からは、県境の峠越え。
今回は無難にR1の逢坂を抜けることにし、
路面電車がの軌道があるR161の上りをえっちらと。
京阪の踏切辺りは、丸ヌキのコンクリ坂で、
必死のパッチで上り詰めます。
逢坂一の交差点で、R1に侵入。
R1との再会は、野菜さんがメカトラで苦しんでいた長島以来なので、
随分お久しぶりです。
この区間は昼間でもすごい勢いで車が往来していて、
自分もうめさんも苦手。
こんな時間だと、乗用車は少ないけれど、
トラックなどの大型車が我が物顔でぶっ飛ばしているので、
昼間以上にシビア。
少しペースを上げて一気に切り抜けて、逢坂のピークを越えます。
てっきりここが県境だと思って、
京都府の看板を探すのですがなく、
住所表示を見るとまだ大津市
県境の表示を見落とさないようにしながら、
山科側へ一気にダウンヒル
この区間は結構な斜度がありスピードがよく出る上に、
交通量が多く、車からのあおりなどで結構シビアな下りですが、
ちょうどタイミングよく交通量が少なかったので事なきを得ます。
いつもなら、できるだけ早く危険なルートを離脱すべく、
名神高速の高架のところで脇の県道35号に素早く入るのだが、
細い道だと県境の表示が立てられているかわからない。
せっかく新しい県に入るごとに標識を収めてきたのに、
見逃すわけにはいかないよねという話になり、
交通量もほとんどないことから、そのままR1をトレースします。
この先、西大津バイパス(湖西道路)のJCTと、
名神京都東ICの出入り口が複雑に渦巻く区間に突入します。
昼間ならそんな自殺行為はしませんが、
時間的に車が来ておらず、そのすきに、
京都府の看板を発見し、手早く撮影。
ここまでが大津というのがちょっと意外ですね。
何はともあれ、8つめの都府県、京都に突入!!


京都府突入


そこから三条通りへは行かずに、
裏道の旧東海道を進んで山科駅へ。
そこから京都外環道で南下をスタートします。
R1をまたぐと、なぜだか交通量が増し、
大型車が何台も脇をかすめていきます。
それでも順調に南下していたのだけど、
名神をくぐった先辺りで
全く突然、脈が飛んで途端に気分が悪くなり、
緊急ストップ。
ちょっと焦りました@@@
すぐに収まって、リスタート。


醍醐、石田と過ぎて、六地蔵でドンツキを左折。
県道7号へ入り、
JR線をくぐった先にあるセブイレでいったん休息します。
なんか、店先の道路で夜間工事をしていて、
悪質なドライバーが交通整理の警備員に
怒鳴り散らしてうるさいのだけど、
ここで本格的な休息はラストの予定で、カップ麺をすすります。
うめさんは、ここで野菜さんの思いを連れていくということで
”野菜のタマシイ”を購入。


そろそろ屋外での休憩も寒さ厳しくなり、リスタート。
引き続き県道7号(京都外環道)を進みますが、
観月橋の手前でトラックがスレスレ走ってきて怖い。
そこから裏道で趣ある伏見の街を流します。
ごにょごにょと曲がって曲がって、中書島駅前に出て
県道124号で西へ。
高瀬川に出て、そのまま土手下の道を行きます。
第2京阪をくぐり、R1(京阪国道)まで。
そこから宇治川大橋を登って、
川を渡らずにド土手道と化した県道124号をトレースして
京都競馬場の裏手を抜けて能所の六差路に出ます。
そこをまたいで、ぐいっと桂川CRまで登れば、
もう本当に勝手知ったる散歩道。
うめさんも非常にリラックスした様子になり、
遅ればせながらの月を愛でながらランデブー。
京滋バイパスをくぐり、グリンと回って
おなじみの御幸橋に到着!時刻は3:25。


御幸橋


おなじみのショットを撮影して、
そのまま県道13号を進んでいきます。
この道は本当に頻繁に利用するけれど、
そういえば県境の標識なって立ってたかな?
どうだろう?大丈夫?と心配していたら、
橋本の新しい宅地への導線が設けられているところに、
ちゃんとありました!ラスト9個目の都府県、大阪府!!


大阪府突入


そのまま県道13号をトレースしていきますが
牧野を過ぎたあたりで、急にサシコミがっ!!
最寄りのコンビニに緊急ピットインして、事なきを得ますが、
うめさんが早くしようよと言ったことに、
ちょっとムッときて、軽くいざこざ。
まあ、ざっくばらんに言い合える仲だからこそなのですが
この時は受け止めるこちらももう完全に余裕なくて…
こういう時、野菜さんがいたら、
きっとええ加減でクダけるのだろうなあ。
やっぱりあの稀有なキャラクターは重要で、
この3人のバランスがちょうどええのやと思います。
まあここは書かなくてもよいエピソードなのかもですが、
きれいごとばかり並べた美談に仕立てても、
超ロングがいかに過酷ですごいことなのか、
その醍醐味が伝わらないし、
個人的に後になって振り返った時に、
当時の色々な感情がふわっとリアルに蘇った方が、
生き生きとした思い出になるので。


さて、気を取り直してラストスパート。
そのまま県道13号で枚方の関西医大前を通過し、
枚方大橋の手前で旧街道へエスケープ。
県道13号に再突入して、ダラダラとおしゃべりをしながら進む。
R1にぶち当たり、
ここから鳥飼大橋まではペースアップして疾走する。
鳥飼大橋からはトラフィックを避けて、
安全に淀川CRへと入ります。
若干風が舞っていますが、もう慌てることもなく、
色々と冒険を振り返りつつ毛馬まで。
土手までのショートショートTTはやっぱりやってしまいました。
毛馬橋を渡り、扇町公園を抜け、梅パの横の信号を渡って
5:30、R1の西の起点である梅田新道に到着!!
やりました!!長かった東京⇒大阪ライド、GOOOOOOOOOOOOOL!!


↓ゴール


まずは2人で記念撮影をして、
それから野菜さんの亡骸をお供えして合掌(笑)
うめさんのサイコンを確認すると、走行距離が579kmでした。
道路元標にはR1は520kmとありますから、
60kmあまり(大阪〜大津くらい)迂回をしてきたということになります。
金曜日0:00ジャストに日本橋を出発し、
雨の湘南を抜けて、早朝の箱根ヒルクライム
そこからエンドレス静岡の洗礼を浴び続けて、浜松でピットイン。
2日目は愛知の幹線道路で四苦八苦し、おちょぼさんへ。
米原での野菜さんとの別れを乗り越えて、早朝5:30の梅田到着。
53時間30分の激闘のなかで、山あり谷あり色々ありましたが
3人のチームワークがあったからこそで乗り越ることができました。
本当にとっても素晴らしい体験をさせてもらいました。
チームとしての一体感、苦労を共に乗り越えてゆく達成感と充実、
忘れていた感動を再び味わうことができました。
個人的には、まだロードバイク復帰とはいえ、
別にトレーニングをしているわけでもない状態で、
いきなり東京⇒大阪なんてホンマできるんかいという感じで
見切り発車的に飛び出し、苦しい局面も多々ありましたが
こんなに楽しく走り切れるとは思いもよらず。
ロングライドって本当に濃密な長編ドラマだなあと、
純粋に走る面白さを再確認するいい機会になりました。


で、ここで思いがけないサプライズ。
なんとうめさんの発信を見て、
わざわざTrekyさんがお出迎えのために来てくれました!
なんと。かれこれ4年ぶり?5年ぶり?の再会です。
誰かがゴールで待っていてくれるというのは
思いのほかうれしいものです。あざーす!!


ゴール後のセレモニーを終えると、
何かスイッチを切ったかのようにグワっと体が重たくなります。
もう走らなくてよい、サドルに跨がなくてよいと思うと、
一気に身体が弛緩して、思うように力が入らない!!
頭ももう酔っぱらっているのかというくらいに
ポワポワと意識が漂って、
一気に睡魔に引きずり込まれるような感覚。
ただ、家に帰るまでが遠足です!!
ふにゃふにゃの状態で、3人でおしゃべりをしながら帰ります。
10km以上先の自宅まで帰らないといけないうめさんを
trekyさんに託して、ひと足先にわが家に帰還したのが6時前でした。
久しぶりのお風呂でがちがちの体を癒し、
温かいお布団へドボン。
その後数日はロボットのような
カクカクした動きになったのは言うまでもありません。
本当に、東京⇒大阪走り切ったんだろうか、
壮大な夢だったんじゃなかろうか、
そんな気持ちにいまだ酔いしれる日々です。


↓道路元標


↓579km


↓trekyさん現る


ということで、ブログ版も
どうにかこうにか年内に駆け込みセーフでゴールです。
これで本当になんちゃってキャノンボールを終えることができました。
また来年、この3人で、新しい刺激的な冒険ができることを!!


↓なんちゃってキャノンボーラーの雄姿


↓おしまい!