記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

さらば木村洋二先生

突然の連絡だった。
8/19、大学時代のゼミの恩師、木村洋二先生が亡くなられた。
21日の晩、トメから珍しくメールがと思ったら、悲しい知らせだった。
新聞の訃報欄をたまたま見て知って連絡してきてくれたらしい。
享年61歳。肺がんだった。
200歳まで生きても不思議じゃないような人だったから、
一報を聞いた時は嘘かと思った。
告別式のときも、ドッキリでしたと笑って本人が出てくるんじゃないかと本気で思った。
あまりに若く、惜しい人を亡くしてしまった。


学生時代にワライダケを食べ、3時間笑い転げた経験から笑いの社会学に目覚め、
最近では、笑いをah(アッハ)という数値で科学的に研究し、
笑い測定器なるものを発明したことがメディアにも取り上げられていたので
ご存知の方もたくさんいらっしゃるかもしれない。


見た目からして異端児で、とてもユニークでパワフルな人だった。
山や自然をこよなく愛し、湯谷岳のふもとに終の棲家を構え、
まるで北摂の仙人のような人だった。
六甲山でのゼミ合宿では、「ここから下山するぞ」と
いきなり茂みに突っ込んで行って、山歩きの楽しさを教えてくれた。
そして何より、酒を酌み交わしながら
学生と熱心に議論を交わすことが大好きで、
「まあ余談!」と話の輪をどんどん広げて
みなを木村ワールドへと引きずりこんでいく。
すさまじい目力でぎょっと覗き込んでは
その迫力で相手を圧倒するかと思えば、
とっても愛らしい笑顔で「ふぉっふぉ」と笑う。
喜怒哀楽が深いしわとなって味わいのある方だった。
僕が他の大学院、それも別専攻へ進学する際もとても心配してくれ、
行きたい道へ進めばいいと後押しをしてくれた。
結局卒業以来お会いする機会のないままだった。


くしくも自転車をはじめて、先生の住んでいる付近をよく走るようになった。
近くを走るときは先生の愛した湯谷の風景を眺めながら
先生と静かに語らいたいと思う。



視線と「私」―鏡像のネットワークとしての社会

視線と「私」―鏡像のネットワークとしての社会