サントリー1万人の第九2019 フロイデへの道
2019年の大きなチャレンジの1つだったのが、
長女とともに挑んだサントリー1万人の第九への参加でした。
かなりの長大記事ですが、
レッスンから本番までを記事にしました。
それはフロイデへと続く1本の長い道。
まず1万人の第九に参加するようになったのは、
春先にたまたま募集を目にしたのがそもそものきっかけ。
もちろん、佐渡裕さんの指揮による1万人の第九が
年末の風物詩であるくらいは知っていましたが、
本当にそのくらいの情報しか知りませんでした。
長女も小学校高学年になり、
いよいよ中学生ともなれば、部活やら学業やらできっと忙しくなって、
親と一緒に何かすることは自然と減っていくと思われ、
まだ時間のゆとりのあるうちに、
何か一緒に新しいチャレンジができたらなあと思っていました。
(アンサンブルズ東京をはじめとして、
これまでも沢山してきましたが)
せっかくなら何か音楽で一緒に舞台に立てればと思っていて、
やってみる?と聞くとやってみる!ということで早速応募しました。
小学生以下は保護者のパートと同じでないといけないので
自分に合わせてテノールで申し込みをしました。
関西だけでなく、全国各地から、
老若男女問わず相当の応募があるそうで、
それがなかなかの倍率なんだとか。
まずはそこを突破しないといけないのだが、
7月に無事に参加OKの通知が来ました。
ということで、8月末から、
12月1日の大阪城ホールでの本番に向けて、
週一のレッスンがスタート。
初心者やビギナークラスの人は、全12回のレッスンのうち、
最低でも10回以上のレッスンの参加と、
本番間近に行われる”佐渡練”と呼ばれる、
佐渡さんご本人のレッスンへの参加が義務付けられていて、
それに満たない人は本番の舞台に立つことができません。
週一と言えど、色々な用事や仕事もあるので、
簡単そうでなかなかハードルの高い条件ですが、
逆に言えば、それだけの準備と覚悟がなければ
あの舞台に立つことはできないということなのです。
それくらいの本気が最初から試されるチャレンジ!!
と意気込んだはいいのですが、
なんとしょっぱっな初回のレッスンに出られず!!
最初から大ピンチでした。
不測の事態でも休めるのはあと1回きりという
イーシャンテンからのスタートです。
ということで、大事な大事な初回を飛ばして
2回目から我々の挑戦は始まりました。
全国各地にレッスン会場が設けられ、
時間も曜日もバラバラ、
講師もそれぞれでかなりユニークで特徴が分かれるようですが、
我々はもっとも通いやすい場所を選んで、
大阪梅田の大工大のホールでの
加藤先生のクラスです。
早速受付をしますが、
そこでスタンプカードを渡されて判を押してもらいます。
きちっと出欠を付けるのです。
それからその横で販売している
楽譜と練習用のCD(各パート別)を購入します。
パラパラっと楽譜を開きましたが、
見たこともないドイツ語の歌詞が延々続き、
パートごとにどこまでもオタマジャクシが続いて、
早速、頭がくらくらしてしまいます。
そもそも書かれてあるドイツ語をどう発音してよいかわからないし、
これだけの長い曲を全部暗記して
本当に歌えるようになるのかしらん@@
これまでのチャレンジの中でも相当に難易度が高そうです。
さて、いよいよレッスンですが、
同じ飛ばすのでも、
大事な初回で後れを取るのは結構なダメージ。
すでにある程度のクラスの空気が出来上がっていて、
座席の座り方(パートごとに分かれて着席)から、
歌う前の準備体操の決まり事とか、
そういうのから、見よう見まねになってしまいました。
当然、最初の歌のパートのレッスンも始まっていて、
そこも遅れてしまっているので、なかなか大変でした。
ベートーヴェンの第九といえば、当然耳にしたことがあるし、
メロディーも知っていますが、それはあくまで、
ソプラノのパートの主メロ、
それも最も盛り上がるパートの一部だけ。
我々はテノールなので、
それ用のメロディーのラインをなぞって行かねばなりませんので
なんとなく知っているから大丈夫などと油断していると、
まったくもってヤヴァイ!!
さっそく欠席した時にレッスンが行われた部分を歌うのですが、
同時通訳的に、カナに振りなおしたり、
メロディーを覚えたり、てんやわんや。
もう長女と二人、笑うしかないのだけど、
当然他の人は大まじめなので、
焦りながらもどうにかこうにか付いていく。
各パート単独を取り出しての個別練習で、
テノールが休憩の間に 、
なんども遡っては反芻していきます。
周囲にたまたま経験者の上手な方がいて、
その人の声をガイドラインとして後追いしたりなどして
必死でついていきます。
そんなこんなで初めてのレッスンは、
ただ慌てふためくだけで、
あっという間に終わってしまいました。
本番に我々が歌う約20分前後のうち、
ほんの最初のさわりの部分でこの有様です。
なぜ、これだけのレッスンが必要なのか、
初回から痛烈に実感しました。
しかもこれは、レッスンだけでは当然無理で、
各自で事前の予習をしないと、
レッスンについていくことはできないし、
レッスン後も復習はマスト。
週を追うごとに、尺も伸びる。覚える分量も増える。
ああ、これはまさしく挑戦です。
しかも、ただ歌えるようになればいいというものでもなく、
当然、楽譜も何もなしで空で歌えるようにならないといけないし、
歌詞はもちろん、
ドイツ語のイントネーションも頭に入れておかなければならない。
(それにしてもドイツ語の発音は舌を噛みそうだ@@@)
そらで歌えても、ただ念仏のように歌うわけではなく、
当然気持ちや思いを乗せて、
表現として歌わなければならない。
フロイデ(歓喜)、慈悲、怒り、
勇ましさ、アガペー(隣人愛)などなど、
ベートヴェンが第九の歌の世界に込めた、
場面場面で立ち現れる様々な感情を、
体全体を使って、声に変換して、歌い上げなければ、
感動は生まれない。
加えて、これは合唱。
自分のパートだけをただ上手に歌えるようになっても、
他の人やパートと声やタイミングを合わせて、
アンサンブルできなければ成立しない。
さらに、このレッスン会場の500人程度の大きさのホールでも、
声がずれたり、あるいはステージ上の先生から聴いても、
ピアノの伴奏と我々の歌声には若干ながら音のインターバルが発生する。
当日、大阪城ホールというはるかに大きな空間では、
その音のタイムラグはますます大きくなり、
ホール中央にいる佐渡さんのところで、
きちんと全員の声がオンタイムになるように歌わないといけないのです。
伴奏を聞いてから声を発しては遅いらしく、
常に頭の中で音楽を鳴らしていないといけないし、
自分のパートだけでなく周囲の声や音にも
常にアンテナを張っていないといけない。
なにより、それぞれがそれぞれのタイミングで計ってしまっては
ますますズレてしまうので、
一番大事なのは指揮者、つまり佐渡さんの指揮を
常にウォッチすることが大切なのです。
ただ歌うと言っても、
ざっとこれだけ乗り越えるべき課題は山積みで、
おそらく世界で最も大きい1万人での合唱というものは、
参加者1人1人の日々の努力やその積み重ねの上に
成し遂げられるのです。
8月から11月の間は毎週毎週、
怒涛のレッスン(予習・レッスン・復習)漬けの一週間で、
それはもう大変でしたが、自分も長女も、いつしか
この週一回のレッスンがとても楽しみな日課のようになっていました。
長女も途中からだんだんと、
歌うこと、声を合わすことの素晴らしさを感じているようで、
早くも、次ぜひやりたい、次はソプラノもやってみたい、
と、自分から口にするようにまでなってきました。
それもこれも、レッスンを担当していただいた加藤先生の
程よい緊張感の中、実に楽しく陽気に、
ご指導いただいたおかげです。
新しい課題が次々と飛び込んでくると同時に、
それまでできなかったことがうまくできて、
自分のものに回収されていくのは実にいい経験でした。
これまでの音楽活動で、
自分は歌うことを主としてやってきていましたが、
歌い方をこれほど本格的に習うのは初めての経験で、
例えば、丹田あたりを意識して腰から息を出すやり方や姿勢だったり、
頭のてっぺんから放物線を描くようにして声をポーンと遠くへ飛ばす、
口の開け方を変えて、より効率的に声を出す、
声を押し出すのではなく声を響かせることで音を増幅させる、
そうして喉を酷使せずにいくらでも歌えるやり方、
音階を駆け上がっていく or 駆け下りていく歌い方、
上あごの天井に当てて、高音をキープする歌い方など
ものすごく勉強になりました。
またレッスンでは、
ドイツ語の意味や、歌詞の文脈といった、
歌より深く解釈して、どういう風に歌うのか、
というところも詳しく考察が何度もありました。
つまり強く勇ましくとか、優しく羽が生えたように、
あるいはほとんど聞こえないほど小さくささやかな声から
少しずつ音が増幅されていくようにとか、
ただ単にクレッシェンドとかピアノとか
楽譜に示された記号に従うのではなく、
ベートーヴェンがその部分にどんな意図や思いを込めて、
そのように作曲にしたのか、
というところまできちんと拾いながら、歌を分析して、
それを下地として歌うことで、
より自然に感情を歌に込めるということが、
表現に繋がるのです。
限られた時間で、毎週、歌の細部にわたるまで、
非常にアカデミックで丁寧なレッスンをこなしていきました。
さて、ここからは少し余談。
とあるレッスンの終わりに、
急にMBSのスタッフさんにインタビュー良いですかと声を掛けられ、
OKしたら、向こうから、
今回のチャレンジゲストとして参加されている
タレントの朝日奈央さんがやってきて、
あれこれお話しできました。
残念ながら放送ではカットされていましたが、
一緒に頑張りましょうとアツい握手を交わして、
いい思い出ができました。
ということで、初回以外はすべてのレッスンに通うことができ、
すべてのパートを一通りレッスンして、
どうにかこうにか歌うことができるようになりました。
もちろん、まだまだ歌詞を覚えたり、
表現力を磨かなければなりませんが、
はじめてレッスン会場に足を踏み入れて、右も左もわからず、
呪文のようなドイツ語に面食らい、
あわわわっと他の人の歌声にただ必死でついていくしかなった
最初の頃を考えれば、不安や焦りといった感情よりも
当日歌えるぞという期待感やワクワク感が勝ってきました。
さて、いよいよ残すは、
佐渡練と、前日リハ、当日本番を残すばかり!!
↓レッスン最終日に、娘は先生に花束をお渡しする係でした
11月末の某日某場所にて、
いよいよ佐渡裕先生による直接指導、
通称”佐渡練”の日がやってきました。
これは複数のレッスンクラスが合同で行われる
最終レッスンの一環で、
いつものレッスンよりもはるかに多い、
1000人程度が続々とホールに集まってきました。
(我々は本日3回行われるうちの2回目に参加)
まずは、レッスンを受け持っている
先生方の紹介があり(加藤先生、遅刻~@@)、
それから準備体操と発声練習。
自分も含めて、いつも以上に皆気合いが入っております。
そうして、いよいよ佐渡先生のご登壇。
実にリラックスした感じで登場されます。
元々恰幅がよいこともありますが、
はっきりと世界を相手にしてきたオーラのようなものがあって、
ますます大きな存在として目に飛び込んできます。
具体的な合唱の練習に入る前に、
まずはこの一万人の第九にかける思い、
過去39回(そのうち21回が佐渡さんの指揮)
積み重ねてこられた歴史の重み、
当時のサントリーの会長であった
佐治敬三さんから受け継いだ
「やってみなはれ」のスピリットについて、
非常に力強い言葉で、
直接我々の心に語り掛けるようにしてお話しされました。
毎年毎年同じ第九をやるとしても、
そのどれもが同じではなく、
1回1回ごとの新鮮さや驚きや発見がある。
作品自体は同じでも、世界はめまぐるしく変わっていき、
作品のもつ意味や、感じ方は刻々変わっていく。
だからこそ、今この時、最高に響く音を創り上げていく
作業というものに終わりはなく、
それこそが音楽の良さであり面白さだと。
そして、もっとも強く主張されていたこと。
最終的にたどり着く「フロイデ(歓喜)」というものは、
歌う人それぞれ異なるもので、
その異なるものを異なるものとして互いに尊重しあい、
その上で歌を合わせる。
1万人が歌えば、1万通りのストーリーがそこに存在し、
1万人それぞれが主役であることが大切だということ。
そしてその1万人が、同じ方向に向かったそのとき、
ヴェートーベンが思い描いた、
極めて平和的で理想的な「楽園」が目の前に広がる。
そうやって共に手を取り合って歌うことで、
歌に込められた本来の意味やメッセージが、
立体的に立ち上がってきて、
黄金に輝く音楽の神殿を打ち立てることができる。
さあ、今こそ、
我々のフロイデに満ちた歌声を結集させて、
ケルプ(天使)に願い出て、
その重厚で堅牢な神殿の扉を、開こうではないか!!
そのことを証明するかのように、拳を”にぎにぎ”させ、
この事を決して忘れてはならない、
実際には本番で隣同志、手を取り合うことはなくても、
心の中ではしっかりと握りあい、
肩を組み合っているのだという意識を忘れてはいけない。
僕もそれを常に忘れないし、
みなさんがそれを保てるように、
いくらでも”にぎにぎ”の合図を出しますと、
誰もがすんなりと理解できるわかりやすい言葉としぐさで、
説いてくださいます。
そして、さあ、みんな隣同士肩を組んで歌いましょうと、
ステージを降り、両隣と肩を組み始め、
ホール全体ががっちりと大きなスクラムのようになって、
いよいよ喜びの歌を高らかに力強く歌い上げました。
年齢も性別も出身も全然違う様々な人たちが、
まさにそこで一つとなった瞬間に、思わず鳥肌が立ちました。
そこではっと我に返りました。
ここまで、ドイツ語に苦戦したり、
全ての歌詞を暗記したり 、
どこそこの部分ではこういう歌い方、
こういう入り方をしないとけない、という風に、
自分の未熟さをどうにか克服する事ばかりに追われて、
技術的な部分に目を奪われてしまっていたことを思い知らされました。
そもそも何のために歌うのか、
そもそも何を歌っているのか、
ヴェートーベンがこの歌に込めた思いや願いは何だったか、
何のためにこれだけの人が集まり、
そして声を合わせるのか、
練習の必死さゆえに、そういう最も重要な視点が
かき消されてしまっていたのではないかと。
本当に心の底からフロイデを願い、
そのために苦難や障害を乗り越える苦しみを
自分のものとして味わい、
そしてその果てに訪れる歓喜の時を実感する、
まさに歌のままに歌うこと、
それが何よりも今求められていることなのだと。
それが佐渡先生の言葉によって、気づかされた瞬間に、
これまで歌っている時とは全然違う、
新しい地平が浮かび上がってきたような気がします。
つまり、それまで平面的だった歌が、
すうっと立ち上がって
奥行きのある懐深いものとして現れたのです。
それがきっと佐渡さんのいう音楽の神殿なのかもしれません。
その扉をぜひともみなで開きたいと心から思いました。
その後も、各パートの細かい表現についても、
わかりやすく丁寧にご指導いただき、
あっという間のレッスンでした。
(途中、写真OKタイムが設けられたので、写真も撮影できました)
それにしても、力強く説得力のある「ほんとう」の言葉に、
まるで背中を押されるような思いで、
感動してしまいました。
きっと導く人というのはこうでなければならないのだ。
自ら楽器を演奏したり声を出して歌うわけではなく、
居並ぶオーケストラの面々、そして1万人もの声と、
たった1人で対峙しながら、
ただその音楽の全ての責任を一手に背負い込む、
指揮者いう究極の孤独を全うする。
そんな想像を絶するような責任と重圧を幾度も
自らの信念と仲間への信頼で乗り越えてきたからこそ、
1つ1つの言葉にゆるぎない説得力と信頼が宿るのだ。
さて、歌の準備と合わせて、当日の衣装も用意が必要です。
各パート(男女別)によって、
白に統一、黒に統一と指定があり、
我々テノールは黒のタキシードやスーツに、
黒の蝶ネクタイ、黒靴下に黒い靴になります。
日頃、滅多にスーツすら気なくなりましたが、
古いスーツを引っ張り出し、
幸いにしてサイズも変わっておらず。
ただ蝶ネクタイは持っていないので、
どうしたものかと思っていたら、
それくらいは簡単に作れるというので、
奥さんのお手製で娘とおそろいのものを用意しました。
そしていよいよ、前日リハーサルの日となりました。
本番と同じ大阪城ホールへ向かうと、ものすごい人だかりです。
この日は、関西からはもちろん、
東京、沖縄、北海道などなど 、
全国各地からの参加者が初めて一堂に会してのリハーサルなので
そこかしこで、団体さんが集まって記念撮影をされていたり、
すでに盛り上がりを見せています。
そしていよいよ開場すると、
どどどっと中へと人が吸い込まれホール内へ。
まずは自分の座席を確認してそこへと向かいます。
我々は舞台アリーナ南で、ちょうど入り口から真反対のところ。
通路からホールへ入ると、
まずその空間の大きさにハッと息をのみます。
何という壮観な!!
ここに1万人の人達が集うのかと想像するだけで鳥肌が立ちます。
我々の席はオーケストラのいるメインステージの
右側の角に位置する区画の最前列でした。
前がスドーンと抜けているので、
オーケストラの様子や指揮もしっかり見え、
なおかつホールのスケール感を目一杯感じられる好位置でした。
この日のリハーサルは、歌の最終チェックというよりも、
むしろイベントとしての進行や、セットの転換、
出演者の段取り・位置取りの現場合わせの方がメイン。
(リハの様子は撮影禁止なので写真はなし)
イベント自体の総合司会をMBSの川田アナが務め、
一方、出演者やスタッフの進行を
逐一アナウンスしてくれるサポート司会を
千葉アナが担当しておられました。
ホール全体に響くお2人の案内に従って、
いよいよリハーサルが進んでいきます。
総合司会とともにイベントを盛り上げる今年のゲストは、
この位置まで来て、このタイミングで話し始めて、
この順番で、これくらい話します、
その間にセット入れ替えをし、
出演者は待機してくださいなど、
段取りを確認しながら、演目を通していきます。
各演目については本番のところで書くので
ここでは割愛します。
一番大変だったのが、実は休憩時間。
1万人が一斉にトイレへと駆け込むため、
信じられないくらいの列に並ぶことになります。
まるで民族大移動。
特に女性の方は、定められた休憩時間に
間に合わないんじゃないかというくらいの混雑ぶり。
娘にも休憩毎にトイレに行かせるのですが、
なかなか大変でした。
さて、第1部のラストを飾るのが、
今回の歌のゲストである山崎まさよしさんと、
名曲『セロリ』の合唱。
これも週一レッスンの際に、みんなで練習をした曲です。
途中、間奏のところで、コール&レスポンスがあるのですが、
山崎さんが繰り出すのが、結構トリッキーで、
ちょっとみんな困惑気味でうまくそろわなかったり、
この日初めて1万人が声を合わせたせいか、
コーラスのタイミングが方々で異なって、
全然オンタイムにならない。
何度も繰り返して練習になりました。
これは困った状況ではあるのですが、
個人的には本当にこんな現象になるんだと
ちょっと面白がっていたりしました。
なにせ、1つの曲を1つの空間で
みんなで同時に歌っているはずなのに、
自分たちの声を乗り越えてくる勢いで、
後方から声の波が押し寄せたかと思えば、
右から左から別の声の波がやってきて、
さらにホールの向こう側の声が
別の波となって目の前からぶつかって、
4重にも5重にも声が交錯して、消波して、
こんな現象は今までに体験したことがなかったからです。
ただ、大事なのは、
最終的にはそれが佐渡さんや観客に届いた時に、
オンタイムになることで、
そのためには自分がその音の波に惑わされずに、
しっかりと指揮を見て歌う、です。
ここでまた余談なのですが、
今回のゲストが山崎まさよしさんだというのが
なんとも運命を勝手に感じてしまいました。
というのは、奥さんとお付き合いを始めたきっかけが、
山崎さんの名曲『僕はここにいる』だったのです。
あの曲があったからこそ、
今こうやって幸せな家庭を築くことができたのです。
そして今、長女と初めて参加した1万人の第九で、
再びその曲に再会するとは。
もうリハーサルで弾いているのを後ろで聴いていて
思わず泣きそうになっていました。
第1部のリハーサルが終わり、
休憩をはさんでいよいよ第2部。
それは本番のお楽しみ。
オーケストラの演奏の練習へと入っていきます。
ご存知の通り、ベートーヴェンの第九つまり、
『交響曲第9番ニ短調作品125』は第4楽章までの約74分もの超大作。
(CDの最長収録時間はこの74分をベースとされたという説も)
しかも我々合唱が入るのは最終の第4楽章からなので、
それまでの約1時間はオーケストラをただ見守るのみです。
途中ついウトウトしてしまう人もいますし、
実際佐渡さんも音を出さずに寝ててと冗談めかして言うほどです。
しかし、我々は自分の本番ではなくとも、
オーケストラにとってはまさに大一番なわけですから、
しっかりとリハーサルも聴き入ります。
そして我々の合唱にとってもまず一番最初の大仕事は、
立つこと!!
第4楽章に突入し、バリトンが歌い始める場面で、
一堂に立席をして、いよいよ合唱モードへと突入するのですが、
1万人がダラダラ、バラバラと席を立つと、
非常にだらしなくみっともないので、
きちんとタイミングを合わせて
キビキビと立たないといけない。
しかし、さきほど言ったようにそこまでが長く、
ウトウトぼんやりしているので、
少なくともその少し前からは、
きちんと緊張感を持っていないといけません。
ここ、このタイミングねと、何度かリハーサル。
そしていよいよバリトンのキュウ・ウォン・ハンさんの合図で
「フロイデ!フロイデ!」と高らかに宣言をします。
その声の響き渡る様たるや!!
そしてソリストのみなさんによって、
(並河寿美(ソプラノ)、清水華澄(メゾソプラノ)、西村悟(テノール))
歌の世界へと導かれていきます。
そこからはもう、これまでの練習の成果を信じて、
思いっきり楽しみながら歌い、
両隣の人とぎゅっと手をつなぎながら歌うだけでした。
リハーサルでは、やはり初めて1万人が声を合わせたので、
タイミングのずれだったり、各パートごとのバランスについて
細かくレクチャーが入ります。
また最初の「フロイデ!」の第一声など、
高らかに力強く響かせるようなところで、
まだ会場の大きさに負けてしまって迫力不足なところがあり、
そういった部分を重点的に指摘して、
意識的に声を出すようにしたりしました。
そんなこんなであっという間の前日リハーサルでした。
リハーサルではありましたが、もうすでに感動してしまっていて、
自分も娘も興奮が冷めやらないといった風でした。
そしていよいよ本番当日。
今年は大阪マラソンと同日開催という事で、
共に会場となる大阪城公園周辺は大混雑が予想される。
しかも大阪城ホールへの入場は
8:45~9:15のわずか30分に限られ、
それ以降は封鎖されてしまいます。
なので時間厳守で行かねばなりません。
しかも、全て終わるまで会場から出ることもできないので、
お昼ごはんも持参します。
奥さんが早起きをして
元気の出るお弁当をこさえて持たせてくれました。
無事に時間通りに会場へやってくると、
前日の私服と打って変わり、
白と黒の衣装で皆統一されて、より緊張感のある会場です。
まずは、自分の席に着席しますが、
どうしても当日参加できない方がおり、
その空席を詰めるための調整が入ります。
アナウンスに従って、会場の各所で移動が行われ、
時間をかけて最終的な場所が決まりました。
それから発声の準備体操や、
前日の課題のポイントをおさらいしたりなどで午前中は終了。
そして、お昼ごはんタイム。
こんな大阪城ホールのど真ん中で、
お弁当広げるなんてきっとなかなかできる経験じゃないなあ。
しっかりと声を出して歌うと、すっかりお腹も減るので、
あっという間に平らげてしまいましたが、
元気が湧いてきます。
そしてこの休憩タイムだけ、会場の撮影OKということで、
そのあとは娘と探検を兼ねて
会場内をあちこち歩きながらバチバチ。
(写真は全てその時のもの)
最後に長蛇の列のトイレをどうにか済ませます。
そして休憩明けから、いわゆるゲネプロと呼ばれる、
全く本番と同じように行われる
通しリハーサルが行われました。
徐々に緊張感が増してきました。
無事にゲネプロを終えて、
そこからいよいよお客さんが会場に入ってこられる時間となりました。
我々はもう一度トイレを済ませて万全の状態で
いよいよ本番を迎えます。
開演時間となり、正面が暗くなり、
波を打ったような静寂。
そこから雅楽師のみなさんが厳かにステージへと進む。
静かに調べが始まり、
舞台袖から東儀秀樹さんとご子息の典親くんが
ゆっくりと中央へと歩み出て、舞を舞う。
令和という新しい時代の幕開けを、
実に静粛に祝うかのようにして、
2019年のサントリー1万人の第九が幕を開けました。
引き続いて、スーパーキッズオーケストラを加えて、
QUEENの名曲たちをロックンロール。
先ほどまでの雅な装いから、大変身して、
まるでロックスターのように、
あの小さな篳篥(ひちりき)で大迫力の演奏。
そしてまだ始めてから1年足らず、
今日が初めて人前での演奏という典親君の圧巻のギタープレイ!!
会場全体がその熱狂に痺れました。
東儀親子、最高!!
それから若い女性だけのダンスチーム
「FABULOUS SISTERS(ファビュラスシスターズ)」による
世界を魅了した創作ダンス。
キビキビとディプリシンが効いたエッヂのあるダンスは、
実にスリリングでかっこよかった。
佐渡さんいわく、ようあんだけ体が早く動くもんやなあ(笑)
それにしても、典親君にしても、
ファビュラスシスターズの面々にしても、
スーパーキッズオーケストラにしても、
いわゆるteensと称される10代の人達の
この活躍ぶりには驚かされる。
そのスキルはもちろん、
これだけの大舞台でも堂々と本領を発揮して、心強い。
うちの娘も、彼/彼女らよりほんの少し年は若いが、
何か自分なりの道を見つけて、
それが形になるように日々精進したり、
自分で考えるようになってほしいなあ。
まあ、ここまでなってほしいとは思わないけどね。
さて、続いては、
ピアノ弾き語りでの『ハジマリノ鐘』。
伸びやかで優しい歌声が会場を感動に包み込み、
実に穏やかな時間でした。
そして第1部のラストは山崎まさよし!!
『onemore time one more chance』『僕はここにいる』と、
自分の人生に直接影響を与えてくれた大切な曲を
弾き語りながら、オーケストラとともに。
それをすぐ目と鼻の先の脇から、生で観れる聴ける。
これだけももう感無量でした。
やはり名曲は何年経っても色褪せないなあ。
そしていよいよ『セロリ』です。
前奏からAメロに入るところ、
ありったけのWOW!!で送り出し。
そしてコール&レスポンスも本番の大興奮で
轟くようなド迫力の声となり、
これ以上ない盛り上がりでした。
ということで、駆け抜けるようにして第一部が終了。
いよいよ、第二部、1万人の第九が花開く時が来ました!!
そして第二部のスタート。
学生時代からクラシックに傾倒し、
この1万人の第九にぜひとも参加したいと長年願っていたという
さっそう「1万回ダビングした小栗旬です」とひと笑いで
会場の心をつかむ。
そしてベートーヴェンが第九を作曲するきっかけとなった
シラーの詩を朗読するとともに、
その詩の内容と、ベートーヴェンが第九に込めた思いを
力強く解説していく。
そしてお笑い芸人としての特徴を生かし、
合間合間にフリップ芸をはさんでは、笑いを取りつつ、
どんどん自分の世界へと皆を引き込んでいきます。
さすがM-1王者。
そして…
『世界中の友よ! こんな音楽ではない。
もっと心地よい、もっと歓びに満ちた調べに、
声を合わせようではないか』
(中略)
それを実現する大きな第一歩が、
今日行なわれる『1万人の第九』だ!
と高らかに宣言。割れんばかりの喝采が会場に響き渡り、
いよいよ緊張感のあるオーケストラが鳴る。
会場全体が息をのむようにしてステージへと意識が集中する。
張りつめた空気が会場を満たしてゆく。
早くもスポットライトを浴びて汗をにじませる
マエストロの一振入魂のタクト。
まるで緊迫した駆け引きが行われているかのような、
指揮者とオーケストラとの密接な会話を、
固唾をのんで見守る。
時に強く、時に優しく、音楽に寄り添うようにして、
細かく細かく指示を出し、 演奏者はそれに応える。
まさに瞬間瞬間が真剣勝負。
クラシックオーケストラがこれほどまでのスリリングなものとは
恥ずかしながら今まで知らなかった。
人生の喜怒哀楽、
平和な社会への切なる願い、
にもかかわらず人類が一つになることの難しさと絶望感、
そしてそれを勇敢にも乗り越えていこうとするひたむきさ、
その先に見える輝かしき理想の楽園、
それらすべての感情や理念が、
音楽によって雄弁に語られてゆく。
そしてそれらの壮大な物語の先に、
我々の声が、1人1人の人生がいよいよ重なっていくのである。
機を逃すことなく、皆が一斉に立席。
その光景は圧巻としか言いようがない。
これほどの人が集う場で、
それまで長い時間をかけて、暗闇と静寂を保ち、
ただオーケストラだけがその中央で調べを奏でていたものが、
突如、音楽の合図とともに一斉に立つ瞬間、
それだけでもはや身震いするような感動が走る。
そしてバリトンが、先陣を切って、
会場の隅々までいきわたるほど、
魂を振り絞るような渾身の声で歌い始める。
O Freunde, nicht diese Töne!
Sondern laßt uns angenehmere
anstimmen und freudenvollere.
(ああ 友よ、この音楽ではない
そうではなくて もっと心地よくもっと歓びに満ちた歌を始めよう)
その号令に呼応するようにして、
一斉に響き渡る「フロイデ!フロイデ!」
力強く、高らかに。
Freude, schöner Götterfunken,
Tochter aus Elysium
Wir betreten feuertrunken.
Himmlische, dein Heiligtum!
(歓喜、美しき神々の火花 乙女の楽園
我ら 火の酒に酔い 足を踏み入れる 天なる 汝の聖殿へ)
そして、1万人の声が解き放たれ、
4層の羽衣のようにして重なり合い、響き合う。
その高揚感を羽として、しかし決して張らず荒げず、
伸びやかに力強く声を重ねていく。歓喜のもとに。
Deine Zauber binden wieder,
Was die Mode streng geteilt;
Alle Menschen werden Brüder,
Wo dein sanfter Flügel weilt.
(汝が魔力が再び結びつける
世の習わしがが厳しく分裂させたものを
そしてすべての人々は兄弟となる
汝の優しき羽交が憩いし下に)
そして我々の代表者であるソリストたちの
威厳あふれる歌声が、
平和の楽園の扉を開けるために力を合わせる
兄弟となる者たちを募る
Wem der große Wurf gelungen,
Eines Freundes Freund zu sein,
Wer ein holdes Weib errungen,
Mische seinen Jubel ein!
(一人の友の中の友となる
偉大な成功をおさめた人よ
美しい妻を伴侶にした人よ
歓喜の声を上げよ)
この場に居合わせたすべての者たちが、
その呼びかけに応じ、
強い覚悟を示すかのようにこう歌う
Ja, wer auch nur eine Seele
Sein nennt auf dem Erdenrund!
Und wer's nie gekonnt, der stehle
Weinend sich aus diesem Bund!
(そうだ、この地上のたとえたった一人の人間であろうとも
そして、それができないという者は、
涙ながらに我らの集いから立ち去れ)
我らはいかなる者であろうとも、
進むべき道は一つ。
天使ケルビムが護る神のもとを目指そうと
高らかに声を上げる。
「Küsse(接吻)」という言葉から始まるこの一節を
その言葉の持つ甘やかな優しさをイメージしながら
優しく丁寧に入るようにと、
佐渡さんは何度も指導されていて、
いよいよそこに差し掛かった時、
我々が声を合わせるのに最も大切な、
両隣手を取り合って歌おうという”にぎにぎ”の合図を出された。
今こそ1つになる時。
Freude trinken alle Wesen
An den Brüsten der Natur;
Alle Guten, alle Bösen
Folgen ihrer Rosenspur.
(自然の乳房から 歓喜を飲む 生きとし生ける者は
すべての善人もすべての悪人も 汝の歩む薔薇の径を辿る)
Küsse gab sie uns und Reben,
Einen Freund, geprüft im Tod;
Wollust ward dem Wurm gegeben,
und der Cherub steht vor Gott.
(汝は我らに接吻と葡萄の蔦と
1人の死の試練を経た友を与え、
快楽は虫(のような人間)にも与えられる
そしてあの天使ケルビムが神の御前に立つ)
そして勇ましく、胸を張って、
その道を進めよと仲間を鼓舞する。
ここは、テノールがもっとも力強さを発揮するパート。
怯むことなく行進を前へと進めるために、
力強く、大胆に、ホールの天井を突き破るほどの勢いで
堂々と歌い上げる。
Froh, wie seine Sonnen fliegen
Durch des Himmels prächt'gen Plan,
(喜びよ、太陽が汝れたちの大空、荘厳な天の軌道を駆るように)
Laufet, Brüder, eure Bahn,
Freudig, wie ein Held zum Siegen.
(駆けよ、兄弟よ、あなたたちの道を
喜びに満ち、英雄のように 勝利に向かって)
しかし、屈強ないで立ちで待ち構える天使ケルビムは
そう簡単に黄金の神殿の扉空けてはくれません。
我々が真に1つにならなければ、
天使ケルビムがその団結を本物と認めてくれなければ、
楽園への道は閉ざされてしまう。
しかしだからといって、ここで諦めるわけにも、
引き返すわけにもいかない。
今こそ抱き合おう。
全ての人たちがすべての人たちを認め合い、
肩を抱き合い、手を取り合い、
歓喜に溢れたキスで世界を満たそう。
そうすればあの天上の世界へときっとつながる。
平和の楽園はその先に間違いなく存在する!
Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kuss der ganzen Welt!
(抱き合おう、何百万もの人々よ!この接吻を全世界に!)
Brüder, über'm Sternenzelt
Muß ein lieber Vater wohnen.
(兄弟よ、星の天窓の上には、いとしき父(神)がきっと居る)
本当に平和という楽園が実現するのか、
人類が真に一つになれるのかという
半信半疑な思いが我々をあきらめの境地に陥れ、
心をくじく。
そんな時こそ信じるのだ。声を信じろ。
「Ahnest~」のところは、
まるで吹き飛んで消えてしまいそうなともしびのように、
小さな小さな点の音を出す。
ここも佐渡先生が、まだ大きい、まだ大きい、
ささやきよりももっともっと小さく、
それでも1万人のそれが集まれば、大きくなってしまう。
だから本当に声なき声のようにして、
想いを感じてと、何度も繰り返し練習をしたところです。
Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.
(あなたたちは ひれ伏すのか、何百万もの人々よ
あなたは 創造主を感じるか、世界よ
星空の上に創造主を求めよう
星々の上に、必ずや創造主は住みたまわん)
そしていよいよフーガへ。
絶望の淵へと追いやられたその時、
まるで神々しく輝く光のカーテンを纏って、
ソプラノの煌びやかな声が
たくさんの小さな天使を我々のもとへと導き、
再び歩むべき道へと引き上げてくれる。
そして我々は、絶望も歓喜も、全てを受け入れたうえで
再び歩き始める。
抱き合おう、何百万もの人々よ!この接吻を全世界に!
抱き合おう、何百万もの人々よ!この接吻を全世界に!
歓喜、美しき神々の火花 乙女の楽園
我ら 火の酒に酔い 足を踏み入れる 天なる 汝の聖殿へ!
そして声が幾重にも重なり、ハーモニーは拡張し、
歌はより強固なものへと増幅されていきます。
我々の歩みはますますと加速し、もう止まることを知らない。
偉大なる指導者はもはや、ただその流れを流れのままとして、
一心不乱にタクトを振る。
気が付けば、もう、歌を飛び越え、己の肉体を飛び越え、
ここにいる1人1人の魂が独り歩きして、
この会場を満たし、目の前に
キラキラと輝く黄金色の光が満ちた光景が広がっていました。
ああ、これが佐渡さんのおっしゃっていた音楽の神殿か。
我々が懸命になってたどり着こうとしていた楽園か。
そして今まさにその重厚な扉が少しずつ開かれようとしている。
歌声はおのずと力強くなる。
全身に電気が走ったかのような恍惚を覚え、
まるで浮遊感がする。
抑えきれない感情が、無遠慮にあふれ出して頬を伝う。
まばゆい光が我々を包んでゆく。
Freude!! Freude!!Freude!!
全ての思いを出し切り、全ての歌を歌い終え、
最後のゴールテープまでのレッドカーペットを
堂々と歩んでゆくオーケストラの誇らしげな響きと、
湯立つような出で立ちで、
全身全霊を込めた佐渡先生の表情や姿を目に焼き付け、心に刻む。
そして最後のタクトが振り切られ、
壮大なすべての物語が幕を閉じた。
ほんのひと刹那、感じるか感じないか程のわずかの静寂があり、
そこから割れんばかりに響き渡る拍手喝采と、
狂乱したブラボーの声。
まさしく全力をかけて歌い切った達成感と、
今まで見たことのない素晴らしい光景のただ中にいたことへの
想像し得ないほどの感動とで力が抜けて、
ほとんど膝から崩れ落ちそうなほどだったものを立て直し、
自分もまた喝采の輪に参加して、
どこまでもどこまでも拍手を鳴らす。
隣では長女も実に清々しい笑顔を見せながら拍手を送っている。
ここまでの感動が生まれるなんて、思ってもみなかった。
1万人の友と声を合わせることの素晴らしさ。
ああ、この瞬間この場に居合わせることができたことに、
ただただ深く感謝。
興奮冷めやらぬ中、終演後の支度をして会場を出る。
娘と二人、ただただすごいすごいと、
うわ言のように語り合い、
またきっと来年も、願わくばその先もずっと、
この素晴らしき光景に参加したいと思いながら、
帰路につきました。
その興奮は、一向に醒めることなく、
むしろ永久に消えることのない炎の如く、
今でも心の片隅で青白く燃え続けている。
年齢性別も関係なく、国籍もバックボーンも関係なく、
上手下手もなく、自分の得意なパートで声を合わせて、
歓喜の歌を歌い上げる。
誰か1人が抜きん出るでもなく、
だがしかし1万人が1万通りの主人公である。
これこそ真に民主的で平和的な場、
ベートーベンが真に理想として描いた楽園であり、
佐渡先生がこの1万人で実現させたいと願った風景だったのだ。
こんな音楽を、こんな経験を知ってしまったなら、
もう、この不穏な時代、
欲と悪意と嫌悪が我が物顔で蔓延る、
おかしな社会にあっても、
ほんとうに信じられるものは何か、迷うことなど何もない。
音楽がただ音楽として体験されるのではなく、
自分が歩むべき生き方、
世界の在り方にまで通ずるものとして享受できた。
それは間違いなく自分にとっても娘にとっても、
また参加したすべての皆さんにとっても
人生の糧になるものであった。
そこまでの境地へと導いてくださった佐渡先生や、
全てのレッスンの先生方、オーケストラの皆さん、
全ての出演者の皆さん、
そして共に肩を組み声を合わせた1万人の兄弟の皆さんに
ありったけの歓喜の声と心からの感謝をこめて、
フロイデ!!