『梅田哲也/hyslom 船・2017』パフォーマンス・クルーズ
ブログ停滞で少し時間が経ちましたが、
『梅田哲也/hyslom 船・2017』パフォーマンス・クルーズについて。
以前から注目していたのだけど、
スケジュールがなかなか合わずにいたイベントにようやく参加できました。
日常のありふれたモノ・コトを使い、
環境や音、光、行動などについて新たな”現象”を引き起こす
ライブ・インスタレーションを行っている、
大阪在住のアーティスト梅田哲也さんと、
様々な冒険や旅を通じて得られた経験や新たなモノ・人との遭遇を
表現に昇華させるアーティスト集団・hyslomの面々が、
大阪の水路や河川・港湾で繰り広げる水上パフォーマンスクルーズです。
あいにく当日は寒の戻りと雨というバッド・コンディションでしたが、
20人ほどが屋根のない小さな船に乗り込んで
東横堀川にある本町橋船着き場を20時に出航しました。
乗客はヘッドホンを手渡され、
そこから様々なアナウンスとともに
言葉のパフォーマンスが流れるようになっています。
↓本町橋船着場
まずは、阪神高速の高架橋に閉ざされた
薄暗い東横堀川をゆっくりと南下していきます。
大阪の水路はちょいちょい船で行き来しているので、
比較的なじみの景色ではあるのですが、
夜中に通るのは初めてなので、また違った味わいがありました。
ふしばらくすると前方にhyslom隊の小さなボートが出現し、
船を先導していきながら、
ライティングやもろもろのパフォーマンスを繰り広げていきます。
↓東横堀川を南下
いくつもの橋をくぐり、
深緑に淀んだ水面に波紋を刻みながら進んでいくと、
不意に、梅田さんの無線の声が忘れられた水路の物語を紡ぎ始めます。
「ガタロ?何でんねん、そのガタロて…」
まるで怪談話のように低く垂れこめた声が脳天に直接流れ、
その薄気味悪さと、
目の前に広がる非日常の暗闇の世界
(煌びやかな陸の世界の裏側で、確かに存在する暗い水路)が相まって、
まるで異空間へと迷い込んだような錯覚を覚えてきます。
我々は今どこへ引きずり込まれようとしているのか。
まるで長い間川底で息をひそめていた亡霊が、
満を持して水面へ浮上して、
その深い業にまみれた姿を現そうとしているのだろうか。
そうやって徐々に、
現実と幻想のあわいに堕ちててゆき、
片道切符の黄泉の国への渡しを渡ろうかという矢先、
東横堀川はプツリと切断され、
矛先を直角に変えて道頓堀川へと続いていきます。
それまで明かりの刺さない薄暗い洞穴のようなところを
ぬるぬると滑り抜けていたのが、
日本橋を潜り抜けた瞬間に、
眩いばかりの光の世界へと放り込まれ、
ありったけの栄華を誇るネオンの輝きに、
ただただ魅了され、我を忘れる。
それはまるで三途の川を抜けた先にある
お花畑にたどり着いたのかもしれなかった。
走馬灯のように駆け巡る光と雑踏の渦のなかで、
耳元で念仏のように続く世迷言のような物語だけが、
現実と非現実の輪郭を保ち、
ワタクシという自我をどうにか繋ぎとめるのでした。
おとぎ話の竜宮城の如く煌く道頓堀の幻想が
儚い夢のように過ぎ去って、
目の前に冥界への入り口のように水門が現れました。
道頓堀川水門です。
道頓堀川は潮の満ち引きによって水位が変動してしまうので、
水位を一定に保つための調整弁として水門が設けられています。
門のこちら側と向こう側では水位が違うので、
船舶の通航時にはゲートを閉めて、
水位を調整する役割を担っています。
この門をくぐれば、いよいよあの世の境地かと、
固唾をのんで水位の調整を見守っていましたが、
実はこの門は”アフリカ”への入り口でした。
温かいサバンナの風が髪をそっと撫でたような、
いや、まさか…
↓道頓堀川水門
ゲートをくぐると、川の十字路へと躍り出ます。
今辿ってきた道頓堀川と中之島から下ってきた木津川がクロスし、
一方は岩崎運河を経て尻無川、もう一方は木津川が南下して、
ともに南港の海へと注ぎます。
一行はそのまま直進して、岩崎運河へと向かい、
環状線の味わいのある鉄橋をくぐっていきます。
この辺りはもう海が間近ということもあり、
雨と風が一層激しさを増してきました。
このしぶきを浴びながら、
ただ船舶の鈍いエンジン音だけを頼りに、
闇夜を切り裂いていく。
そこに自然と生まれる緊張感が、
この屋根のない低身の船をD-DAYの上陸用舟艇へと姿を変え、
今まさに死地へと赴くような錯覚を作り出し、
勢いを増す波の揺れとあべこべに高鳴る鼓動が加速してゆく。
↓ダンケルクかD-DAYのような緊張感
せめぎあう住宅地の合間を抜け、
水路は徐々に幅を広げて、水面と夜空が溶け合う頃、
前方の暗闇におぼろげにアーチ型の水門が浮かび上がってきた。
それはまるで、輪廻の環を模ったような出で立ちで、
生ける場所からの離脱を告げる場所として存在していた。
我々はなす術もないまま、
銀河鉄道の夜がいよいよ石炭袋へと引きずり込まれていく要領で、
そちらへといざなわれてゆく。
いよいよ、結界を越境して、
河川から闇の海原へ解き放たれると、
どこからともなくhyslom船が現れ、
まるで黄泉の水先案内人のごとく、
まばゆい光線を発しながら波を繋いでゆく。
その光は実に心強く、そしてまた
夜闇に確かな方角を与える北極星のように愛おしい。
少しずつ歩みを速めて、その光へと近づいて行く。
激しい波しぶきに抗いながら、
光の道を絶やすことなく前進し続けてゆくhyslom船は
次第に後方へと小さくなってゆく。
そうしていよいよ、
流れの堰き止められた大正内港へと孤独に歩み出す。
そこはまるで、かつて栄華を極めた面影を
いまだに引きずり続ける廃墟のように
ただモノクロームの世界が広がり、
切り裂く波と、気張り続ける船のエンジン音以外には
何も聞こえない。
無名の画家の描きかけの風景画の中に
突如放り込まれたかのような、
非現実的な時間の淀みを掻き分けながら、
出口を求めて彷徨い続けていると、
黒々とした建造物の塊の一角に刻まれた僅かな隙間を見つけ、
そちらへと身をねじ込んでゆく。
ゆっくりと水をかいて、反対側へと頭を出すと、
そこには黙々と煙を吐いて呼吸する鉛の街が広がっていた。
夜行性の獣達が、
もはや生者でも死者でもなく得体のしれない我々の気配を察して
じろりと眼を光らせているかのように、
毒々しい蛍光の明かりがそこかしこで点滅し、
何処からともなく漂うケミカルな臭いが、
ここに長く留まることを拒絶している。
我々はできるだけ彼らをこれ以上刺激しないように、
忍び足で遥か彼方に見える一筋の光に向かって進む。
その道すがらに、この廃墟の王国のかつての英雄を祀る
墓標のごとくそびえる鉄骨のオブジェが何体も空を突き刺し、
よそ者の我々が二度と侵入しないように見守っている。
しばらく静かな運河をゆっくりと遡上していくと、
前方が急に開けてゆく。
振り返れば、あの黄泉の世界の最前線に置かれた鉛の要塞が
少しずつ小さくなってゆく。
我々は再び生なる環を模したような橋をくぐって、
無事に生還を果たした。
しかし、一度目が覚めれば、もはや思いだせない夢のごとく
あの夜の世界はもはやなかったことのように記憶を抹消されてしまう。
煌々と照らし出された三軒家の水門が、
まるで迷子をしかりつけるような形相で我々を迎え入れ、
この小さな難破船は戻ってきた。
我々の無事を確かめるかのように、
hyslom船は水路の真ん中で役割を終えた光を水の中へと沈め、
今宵蘇らせた水都の記憶を手厚く供養する。
推進力を失ったhyslom船はこの後しばらくの間、力なく漂流したのち、
漆黒の海へと帰っていった。
沈殿する水都の記憶を頼りに、
普段立ち入ることのない水路をあてどなく巡る旅はこうして幕を閉じた。
伝道師の語りを道しるべに、頭の中で一夜限りの筋書きを浮かべて、
日々横たわっている風景を書き換えるというのは
とてもクリエイティブな作業で、
ただ単に風景を切り取ったり、工場萌えな写真を狙うのではない、
新鮮な境地を楽しむことができました。
↓大阪ドーム千代崎港にて下船