記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

春ポタ & 毛馬閘門

まだ大物記事が2つ3つありますが、体力が続かないので。

先にこちら。4月のお話。

 

健康診断結果がよくなかったのを、

意外とずっと気にしていて、コロナ対策をしつつも、

今年はできるだけ健康重視、運動志向でいきたいなと。

とはいえ筋トレとか柄でもないので、

やはりお山と自転車中心なのだけど、

遠征とかはそんな頻繁にできるものじゃないので、

まずは、できるだけ近場で、

毎日時間があれば1時間でも2時間でも

歩いたり、ポタリングをするところから。

最近は、長女のマウンテンバイクをミニベロ代わりに拝借して

ぐるぐる。

 

4月に入って、ずいぶん気候も暖かくなって、

寒さに出不精も解消。

人出は確実に増えてきているけど、

平日の中途半端な時間ならそれもまばら。

桜をめでつつ、川沿いをお散歩。

 

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新淀川と大川の間にあるおなじみの毛馬閘門。

この日ちょうど通りがかったら、

土砂を運ぶ運搬船の一団がやってきた。

閘門が実際に稼働するのが見れるチャンスだったので

しばし見学。

 

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桂川宇治川、木津川の三川が淀付近で合流して、

大河となった淀川が、現在のように、

毛馬付近から河口部まで

直線的に大阪湾に流れるように開削されたのは、

明治期の大治水工事によるもの。

 

一方で、この毛馬から枝分かれする旧淀川本流である大川は、

堂島や道頓堀界隈といった大阪市街地の中心部を流れているため、

河川が氾濫しないように、常に水面管理されていて、

新淀川から流入する水量を調整する役割として

毛馬閘門が設けられている。

 

そのため、大川は淀川に対して、

約2~3mほど水面が低くなっているのだが、

現在でも、重要な水運機能を担っている淀川と大川の間を

船舶が航行するのに支障をきたします。

そのため、この毛馬閘門で、

2つの河川の水位差を調整することによって、

船舶の往来をスムーズに行えるようにします。

具体的には、閘室とよばれるスペースに船を引き入れ、

その両サイドを水門で閉鎖し、

閘室内の水を排水して水面を下げたり、

給水して水面を上げることにより、

進行する方向の河川との水面と一致させるという、簡単な仕組み。

これは、少し前に大きなトラブルとなっていたスエズ運河などでも

原則は同じ仕組みです。

 

今回は運搬船が淀川から大川へ向けて進んでいくので、

閘室内の水を排出して、水位を下げることになります。

下の2枚の写真を見比べてもらうとわかりますが、

1枚目は、船が閘室に入ってきたところ、

2枚目は、排出が済んで、大川内へと船が進行していくところです。

船の高さや、閘室の側壁の露出面を比べると、

実際に水位が大きく下がっているのがよくわかりますね。

 

ちなみにこの閘門・水門は、いくつか設けられていて、

東横堀川水門、道頓堀川水門、寝屋川水門などの働きで

常に水位を調整し、台風や豪雨、高潮による河川氾濫に備えています。

 

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この日はもう少し足を延ばして、淀川CRで太子橋まで。

途中、おやつに角屋さんのアイスモナカ。

それから目と鼻の先にある回転木馬に立ち寄って、

ひさびさに店長と班長と立ち話。

 

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それからもうちょっとだけ足を延ばして、

城北運河の先まで。

関目、今福あたりをのんびり進んで、寝屋川に突き当たる。

東大阪界隈も、水路が網の目のように張り巡らされているので

これらも探検してみても面白いかもしれない。

 

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この日はそのまま寝屋川を伝って大阪城に出て、

川崎橋で造幣局へ渡って、お散歩終了。

 

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