記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

日本三大作曲家

このあいだの日曜日だったか、
敬愛する作曲家・加古隆のドキュメンタリーをBSでやっていてなかなか興味深かった。
クラシックにとどまらず、フリージャズや現代音楽などのフィルターを通過するなかで、
常に進化してきた彼の音楽は、極めて厳格なディプリシンに従いながらも、
それらを遥かに超越、越境していくだけの躍動感と底しれぬ物語性を備えている。
彼の代表作である『パリは燃えているか』は、
NHKドキュメント『映像の世紀』のメインテーマとして作曲されたものであるが、
”ピアノの画家”と称される彼の真骨頂である。
この曲は激動の時代を生きた人々の宿命をメロディーの中に纏い、
その宿命に翻弄される人々の血のたぎりさえも
音の一つ一つに凝縮してしまったかのような、
激しくもはかない音色、研ぎ澄まされた緊張感に包まれている。
彼の作曲した作品を聴けば、音楽とは哲学や概念そのものなのだと再確認させられる。


パリは燃えているか


ちなみに日本の3大作曲家を選ぶとしたら、この「加古隆」に加えて
菅野よう子」「細野晴臣」を選出したいと思う。


菅野よう子といえば、アニメやゲームミュージックの印象があまりにも強いが、
彼女のすごさは、全方向的音楽活動とでも言おうか、
とにかくクラシックだろうがロックだろうがアイドル歌謡曲だろうが、
ジャンルの垣根など全て取っ払い、まさに”音楽”しているというところだ。
ときにはこれが同じ人が作曲を手がけたの?と疑いたくなるほど、
極めて幅広いフィールドで最前線を張れるのは、
まさに彼女の懐の大きさとバイタリティゆえ。
型にはまらずに、純粋に音に対してのみ勝負した結果生まれてきた名曲は数知れない。


↓I do


3人目に、この人の名を挙げないわけにはいかない。
細野晴臣
日本ミュージック界の父なる存在である。
もし彼の存在がなかったとしたら、
日本のロックは文明を開花させることはできなかったし(少なくとも数年は遅れていた)、
テクノ・エレクトリカルなミュージックが一般受けすることもなかった。
先の菅野よう子の主戦場であるゲームミュージックを確立したのも彼。
数々の実験的なスタジオセッションを通じて、
様々なレコーディング技術を成熟させてきたこともまた、
彼が残してきた偉大なる足跡である。
彼のたぐいまれなく嗅覚の鋭さ、
そしてそれを具体化せしめるだけの音楽的技量、
そのずば抜けた才能には脱帽するしかない。
淡々と地味にではあるが、
あらゆる日本のミュージックシーンの流れを間違いなく動かしてきており、
ほとんどの日本のミュージシャンに影響を与えている。
数えきれない彼の作品の中でもとりわけ評価が高いのが
映画『銀河鉄道の夜』のサントラ。
音楽が宇宙するという、まさに細野さんだからこそできる離れ業。


銀河鉄道の夜(ナレーションありver)


ちなみにこのナレーションは、宮澤賢治の『春と修羅』の序文。
このテクストもまた極めて宇宙的であり、素晴らしい。


春と修羅
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鑛質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです

これらについて人や銀河や修羅や海膽は
宇宙塵をたべ、または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新世代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一點にも均しい明暗のうちに
   (あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を變じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史、あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料といっしょに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたったころは
それ相當のちがった地質學が流用され
相當した證據もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大學士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を發堀したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます


あと、同じナレーション付きの音楽と言うことで一緒にこれも紹介したい。
岩村学の『テオレマ』に収録された『2085年』。
大好きなカルト俳優・伊武雅刀の低く濃厚なナレーションが、
まだ見ぬ未来の東京の夜を生々しくそしてスリリングに駆け抜ける一曲。


http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=isxBh0isER4