記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

『シカゴ育ち』 by スチュワート・ダイベック

今年は全然読書する時間も環境も全く整えることができずほとんど本を読めていない。
(雑誌とかガイドブックとかは除く、純粋な読書という意味で)
その代わりにちょっと特殊な読み方をしていて、
ただ一冊の本をじっくりと一年をかけて読み続け、
行ったり来たり何度も読み返すということをしている。
実際その本にはそのような濃密な読書をするだけの魅力にあふれていて、
およそ自分が文学、あるいは文学的と思える
すべての要素がこの一冊に詰まっている。
翻訳を担当している柴田元幸さんが、
今まで翻訳した本の中で一番好きとおっしゃるのも深くうなずける。
それがスチュワート・ダイベックの『シカゴ育ち』である。



タイトルを見ればわかるように、
シカゴを舞台にした小説。
Windy city(風の街)と称されるアメリカ中西部の大都市には、
風に乗って、たくさんの人たちが流れ着き、そしてまたどこかへと去っていく。
そこには当然幾多のドラマが生まれるわけであるが、
そうやって絶えず出入りが激しく、
カルチャーが刻々と変化していく大都会の片隅で、
まるでエアポケットにはまり込んでしまったかのように
そこにとどまり続ける一井の人たちがいる。


高速鉄道の高架下、錆びついた鉄くず工場への引き込み線、
もう何年も雑草に支配された空地、退屈に連なる低層団地の群れ、
真夜中のコーヒーショップ、無機質にそびえる刑務所の壁。
これら”荒廃地域”で繰り広げられる絶え間ない日常の克明で繊細な描写が
思わずノスタルジーを掻き立て、
脳裏に理想的なシカゴの街並み、これぞアメリカといえる景色を立ち上がらせるのだ。
もはやこれは読書という範疇を超えた空想散歩であり、
その地図を手に入れてしまったのだ。


真綿のように柔らかい雪が世界をやさしく包み込むファーヴェルの町並み、
乾いた砂埃が舞い、スクラップ車が寂しく佇むダウンタウンのはずれ、
べったりと塗り固められた黒い夜に放たれる安食堂の煌々としたネオン、
あるいは夕日を浴びて刹那の輝きをみせる黄金海岸の初夏、
それらを想像するだけで、もう幸福な気持ちにでいっぱいになる。


いつかきっと本物のシカゴの町並みを歩いてみたい。