記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

『Robert Frank:Books and Films,1947-2017』 at KIITO(デザイン・クリエイティブセンター神戸)

六甲から下山後、そのまま帰らずに神戸へ。
先日のスタンダードでもレコメンドされていた展覧会をのぞきに三宮へ。
神戸港まで歩いて、KIITO(デザイン・クリエイティブセンター神戸)まで。



20世紀の写真氏の中でも最も重要な写真家の一人であるロバート・フランク
その貴重なオリジナルプリントは今や世界遺産レベルで保存され、
作品展示が厳しく制限されてしまっています。
その実態に対して、もっと幅広い人々に作品に触れてもらうために
展覧会を実施するにはどうすればよいかが検討された結果、
きわめて安価で、どんな会場でもすぐに設営・撤収可能な
新聞用紙に作品をプリントし展示するというスタイルを取り、
美術市場や投資目的の外側で、展覧会を運営することに成功したのでした。
そのため、これらの展示物はすべて、会期後には廃棄されリサイクルさせるそうで、
展覧会も撮影OKなのだそう。



1959年に発表された写真集『the Americans』は、
アメリカのスピリッツを如実に描き出した作品として高く評価され、
以降の写真史の潮流を作り出していくのだが、
ここで極めて重要なのは、ロバート・フランク自身が、
スイスからの移民であるということ、
つまり移民である彼が、まさに”アメリカらしさ”を切り取り続け、
印画紙に焼き付けてきたということである。
アウトサイダーからみたアメリカという新大陸の人々の有象無象、
その雑然とした人々の生きざまが、
まるで見えない力に導かれるように”アメリカらしさ”を纏って
ただ1つのカルチャー、確固たる国家感へと収斂されていく。
その大きなうねりの只中に身を置いて、その光景を記録している合間に、
気づけば彼自身がその中に取り込まれて、
彼自身がまさしくアメリカ人、インサイダーとして新たな視点を獲得していく。
それだけアメリカという国、
アメリカンというカルチャーの持つ大きすぎる包容力が、
写真の端々にからにじみ出てくる。
あらゆる人間を許容し、あらゆるカルチャーを吸収し、
溶け合い混ざりあう、それがアメリカ。
YES!this is America!
今日、ロバート・フランクが再評価されたり、
あるいは生誕100周年をむかえた画家アンドリュー・ワイエス
再び脚光を浴びるという現象は、
トランプ政権の誕生と世界を席巻する全体主義の猛威によって、
アメリカの根幹が揺らぎ始め、
再び”アメリカらしさ”をとは何かというものを
人々が模索しはじめているということなのだろうと思う。





写真とはいわば”間”。
時間という不可逆的な流れの中からそのひと刹那を切り取る瞬間の、
撮影者のまなざしと被写体との”間”。
プリントには映し出されないが、
間違いなくプリントのその先に存在する時代や世界、
それを予感させる余白の”間”。
そしてその写真と対峙する鑑賞者と作品との”間”合い。
それらの”間”のなかに間違いなく存在するシークエンスをいかに表現するか、
そして読み解くかが写真の醍醐味だと思う。
その写真の本質をうまく引き出し、
かつこの開放感あふれる会場の持つ空気感を作品にブレンドしたような
とても心地よい展示方法が施されてあって、
キュレーターが優れた仕事をしているなあと感じました。
なかなか素晴らしい展覧会。