記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

ひとまず無事です

朝、まだ爆睡している下の娘と布団で横たわっていると
真下から突き上げられるような衝撃。
とっさに、大声で「地震地震地震!」と叫ぶ。
集団登校にむけてリビングを出ようとしていた長女と、
見送ろうとしていた奥さんも寝室へ飛び込んできた。
寝室には何も置かないようにしているので、
モノにぶつかる危険もなく、何かあればすぐに庭に出られる。
子ども達に布団をかけて、揺れが収まるのをただじっと待った。
最初の衝撃は激しいものだったが、
幸い横揺れがそれほどでもなかったので、
家具が大きく動いたり落下したり室内にモノが散乱したりはせずに済んだ。
1Fだというのも大きかったと思う。


すぐに、出口を確保し、ガス電気などを締め、TVを付ける。
すぐにSNSで親族や友人の安否確認。
余震への警戒、家事・津波など状況に応じた対応も合わせて連絡を入れる。
風呂に水をため、懐中電灯などの非常装備をセッティングする。
そうやってバタバタしていると、
テレビから震源地は大阪北部と流れてきて唖然とした。
ほとんど真下じゃないか!
阪神大震災を経験している身としては、
あれほどの衝撃があったので、
街のそこかしこが壊滅的なダメージを受けて、
至る所で火災がと危惧していたので
テレビが映し出す街の様子を見ると、
目立った形では火災や倒壊がないようで少しだけ安心する。


外に出ると、子どもたちが集団登校に集まってきているところだった。
親御さんも集まってきていて、情報収集。
ひとまず避難所にもなっている学校へ子どもたちは向かうことになり、
うちも義母が付き添っていった。


いったん自宅へ戻ると、
次女はなんのこっちゃ?という寝ぼけまなこの顔で起きていて
奥さんに抱っこされていた。
周囲で火災や倒壊、重大な二次災害の危険性を及ぼすことが起こっていないか
とりあえず自転車で区内をパトロール
途中、お年寄りや子供らには声を掛けつつ、
街の安全を確認して帰宅。


とりあえず電車もすべて停まっているし、
保育園も自宅待機を推奨とあったので、午前中は3人で待機。
女の子や見守り隊の方が犠牲になったニュースを見て、心を痛める。
もう悲しいのはやだよ…


会社は自宅から徒歩で行ける距離にあるので、
ちょっと様子見と、安否確認も含めて自主的に向かうことにし、
娘のMTBを借りて淀川を渡る。
阪急線の踏切の遮断機がずっと下りたままになっていて、
中には無理やりバーを押し上げて渡っている人もいたが、
そんな危険で勝手なことはできないので、
アンダーパスのある所まで迂回したりしながら15分ほどで到着。
エレベーターは停止していたので階段で上がると、
すでに会社にたどり着いていた同僚が数人。
事務所もそれほど大きな混乱や散乱もなく一安心。
他の社員の状況確認等々を済ませ、ラッシュが始まる前に撤収。


帰りは様子見も含めて、新御堂の新十三大橋へ向かう。
いつも使っている通勤路だが、
これほどまでに人が往来しているのはいまだかつて見たことがなかった。
御堂筋線が中津までの折り返し運転で、
新大阪や千里方面への人が自力で歩いて帰る人の列だった。
30分ほどで無事に帰宅。


地震発生したのが、まだ家族が出かける前で、
安否がはっきりしていたから、心を平然と保つことができたけれど、
もしこれがそれぞれの教室や職場で起こったら、
本当にどれだけ自重してもパニック状態だったと思う。


まだ余震らしい余震が来ていないのが逆に怖いが、
しばらくは警戒の日々が続くだろう。
一見街も大方落ち着きを取り戻しているし、
自分も冷静なつもりだが、
ちょっとした振動や大きな音に、思わずびくっと反応してしまうので、
本当はどこかで恐怖心がぬぐえずに沁みついているのだと思う。
正直昨日は阪神大震災がフラッシュバックして、震えが収まらなかった。
でも、怯えても仕方がない。
経験をよりよい力に変えていくしかない。