記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

1.17鎮魂ウォーク

年に一度、あの日がまたやってくる。
あれから23年目。
忘れられぬ一日。1.17。


かれこれ10年ほど、体調不良で断念する年もありつつ、
毎年この日を自分なりのやり方で追悼している。
西宮から神戸三宮までの約15km、夜通し歩いて、
追悼セレモニーが行われる東遊園地に向かい、
地震発生時刻の5:46に祈りをささげる鎮魂ウォーク。
今年も行ってきました。


年によって歩くルートを変えながら、
今なお残る震災の傷跡や、
復興を遂げた阪神間の街並みをめぐってきましたが、
決まって西宮を出発の地としてきました。
それは、当時、地震によってあらゆる交通網が破壊・寸断され、
鉄道で最も神戸に近くに入れる地点が西宮だったからです。
JRが再開したのが4月の時点で、
阪急・阪神は被害が大きかったこともあり6月に復旧しました。
その驚異的なスピードでの復旧は
被災者にとって大きな希望をもたらしましたが、
それまでの間、あの地獄のような被災地から脱出する人、
救援物資をもって被災地に駆けつける人はみな、
西宮から徒歩で神戸を目指すしかありませんでした。
その道のりを今一度、自分の足で歩いて追体験し、
当時の人たちの心に寄り添い、神戸の街に思いを馳せながら、
追悼の地にたどり着く、ということが自分なりの鎮魂となっています。
人によっては夜通し歩いて
何の意味があるんだと馬鹿にする人もいるでしょう。
確かに、夜通し歩いたからと言って誰も救うこともできません。
でも、そうすることが、
あの日亡くなっ方々や、生活を失った方々への
自分なりの祈り方なのです。
これは決して、自分の中では遊びでもイベントごとでもなくて、
極めて個人的な一種の儀式。
誰から強制されるわけでもなく、ただ自然と歩きたい。
そうすることで、なんだか自分自身が救われるような気がするのです。


これは余談ですが、2011年にNHKで、
阪神大震災を経験した当時の子供が
大人になったその後を描いた『その街のこども』というドラマがあります。
劇中、佐藤江梨子森山未來演じる2人の若者が、
夜通し、ただ神戸の街を彷徨い歩くのですが、
そうすることで彼らは震災という呪縛からほんの少し救われていきます。
そのラストシーンは、ドラマ放送当時、
そこだけリアルタイムの放送で、
主人公の女性がセレモニーが行われる東遊園地に向けて
信号を渡ってゆくところで物語は終わります。
これを観たとき、ああ、これはまさに自分のことだ、
自分のような祈り方があっていいんだと、
安堵にも似たような感覚を覚えました。
そして、はっきりと、
この鎮魂ウォークを自分のライフワークにしようと決めました。
ちなみにこの音楽を担当していたのが大友良英さんで、
実はすでにこのころから大友さんには救われていたのだなと
今更になってしみじみ感謝しています。


さて、歩きについて。
自宅を出たのが23:30。阪急の乗り場に着くと、
次の電車が0:00発。
15分ほどで西宮北口駅に到着すると、
各改札には駅員さんがスタンバイをしていて店じまいを始めていました。
いそいそと改札を出て、北口に出ます。
予報通り、しとしとと雨が降っている。
毎年の経験でいえば、1月16日の未明には
必ずどこかでさっと降られることが多いのだが、
さすがにこれほどの本降りは珍しい。
冷たい雨は難儀だが、幸い気温は高く寒くはない。
傘をさして、駅を飛び出し、神戸へと歩き出す。
時刻は0:20。リミットは約5時間。


↓阪急西宮北口駅


北口を出て細かい路地を縫っていきます。
ここ一帯は昔から進学塾のメッカみたいなところで、
自分も小中学校の頃、電車に乗って通っていました。
路地を抜けると津門川に出て、
そこから先は一転して静かな住宅街。
駅方面からどんどんタクシーが追い抜いていく中、
静かで暗い夜道を淡々と進みます。
すでにはっきりと雨が降りしきっています。
御手洗川を渡り、さらに進むとR171にぶつかる。
幹線道路は避けたいので、阪急の高架下まで下っていく。





越水でR171をまたいだ先から、
高架下がアーケードになっていて、
雨をしのぎながら進む。
いつもは歩きながら、夜の街を撮影するのだが、
前がひどく、傘もさしているので、
なかなかカメラの出番がなく、黙々と進むだけ。
次の夙川駅に着いたのが1時ちょうど。
誰もいない。


↓阪急夙川駅


夙川まで来て、そこからルートを思案。
最近は海側の方へ寄り道することが多かったので、
今回は山の手を進むことにする。
駅のロータリーを過ぎ、いったん阪急線をくぐる。
すぐに左折をして高級住宅が立ち並ぶ雲井町を進む。
そこそこアップダウンがあって、
上ったり下りたりしているうちに、
方向感覚がわからなくなってきた。
住宅街を進んでいくと前方が開けるところがあり、
見渡すと明らかに山の方へと進んでしまっている。
とはいえうかつに道を折れてしまって、
住宅街の袋小路から抜け出せなくなると厄介なので、
ある程度大きな道に出るまで、雲井通を進む。
すると、見覚えのあるトンネルが出てきた。
岩園隧道だ。
ここは短いながらきつい上り坂があることで有名で、
地元ローディーにとってはちょっとした腕試しのスポット。
そこをエイヤと登り、隧道直上の休憩所から西宮の街を見下ろす。
平和な町が静かに眠っている。




↓岩園隧道


隧道を越え、そのまま一般市道をなぞってゆく。
高台からゆっくりとカーブしながら、
そのうち阪急線まで下ってきました。
そこからは線路わきの道を詰めていきます。
一度、線路保守の車両が、
ゴロゴロと鈍い音を立てて脇をかすめていく。
しばらくして見慣れた駅前にたどり着く。
芦屋川駅到着が1:50。
少し回り道をし過ぎてしまったようだ。
さすがにこの時間にハイカーの姿はおらず、ひっそり閑。






↓阪急芦屋川駅


駅を過ぎて、そのまま阪急の北側の道をなぞってゆく。
雨が一段と激しくなってきた。
2時間ほど歩いて、少し空腹を覚えたのと、
どこかで腰をお付けて休憩を入れるため、
甲南山手の当たりで、山手幹線へと下るが、
あいにくこの辺りには店がなく、
とぼとぼと摂津本山まで向かう。


↓JR摂津本山駅


駅前にあった牛丼屋さんでようやく休憩を取る。
空腹を満たし、汗と雨の混じった不快感をぬぐう。
店内では酔っぱらったサラリーマンのグループが、
大きい声で騒いでる。
これも平和のうちかと思いつつ、
そそくさと退散。
再出発したのが2:40。
そこからまず阪急岡本駅まで戻る。
震災直後に阪急が未復旧だった間、
この岡本駅と摂津本山駅で阪急⇔JRの乗り換えが行われていたので、
復興において一定の役割を果たした町でもあります。
その名残で、今もこの小さな岡本駅には特急が停車します。


↓阪急岡本駅


岡本駅から目抜き通りを進み、
川を渡ると、再び静かな住宅街。
そこを抜けていくと、住吉川にぶつかる。
阪急線のすぐ北側の橋で渡り、
線路沿いの道を進んで、
御影駅にたどり着いたのが3:16。
そろそろ眠気が襲ってくる。




↓阪急御影駅


小綺麗な駅前を抜けて、線路沿いをひたすら進む。
小さな川にぶつかって道なりに下っていくと、
デルタ地帯に出る。
ここで2つの川が合流して石屋川となって海へと注ぐ。
このように阪神間は六甲山から幾筋もの短い川が流れ出ている。
そのまま住宅街を抜け、六甲へと登っていくバス通りを詰めて
阪急六甲駅に到着。3:44。
そろそろ朝刊を配る新聞配達の原付がちらほらと動き出した。


↓阪急六甲駅


六甲駅からも線路沿いの道を進んでいくが、
時間を追うごとに雨脚がひどく、
それを嫌って、いったん南下し、
水道筋商店街のアーケードへと逃げ込む。
朝が早いパン屋さんや魚屋さん、豆腐屋さんが
既に店を開けて、あわただしく準備をしている。


↓水道筋商店街


アーケードの屋根は時期に途絶え、再び雨の中へ。
果てしなく続く商店街の外灯にいざなわれて、
王子公園駅にたどり着く。
時刻は4:12。



↓阪急王子公園駅


駅前の大通りを跨ぐ原田拱渠を渡り、
そのまま近代建築遺産である
神戸高速鉄道の高架軌道をなぞっていく。





やはりこの辺りでも雨脚が強いので、
大通りをいったん渡って、
日商店街へとエスケープ。
そのまま春日野道まで濡れずにたどり着く。


↓大日商店街



↓阪急春日野道駅


春日野道からは再び高架線沿いに進んで、
生田川を渡り、三宮に到着したのが5時ジャスト。
今回はほとんど撮影のチャンスがなく、
雨のせいで寄り道もできずに、ほぼ最短で歩いたので、
思ったよりも早い到着でした。


↓阪急神戸三宮駅


三宮駅でトイレ休憩や身支度を済ませたら、東遊園地へ。
平素は、ここもファミリーが憩う緑のスペースなのだが、
この日だけは、なんともピリッとした空気が張りつめて
身が引き締まる思いがする。
この雨で、平日なので、きっと人が減っているだろうなあと思ったが、
予想以上の人出。
なかには、当時のことを知らないであろう若者や
小さな子供たちの姿も多数あり、
神戸の復興がわずかでも間違いなく、
次の世代へと受け継がれているのがわかる。
まずはテントに寄付を収め、ロウソクを1本いただく。
そして雨でぬかるんだ地面に苦戦しつつ、
自分はいつものポジションへ。


↓1.17のつどい at 東遊園地



ところが、どうも様子が違う。
いつもなら、あの温かくも身の引き締まる思いに駆られる竹灯籠の灯。
夜の闇を煌々と照らし出すあの一面の灯がほとんど点灯していない。
付近で明かりを回している人に尋ねると、
どうも昨夜からの雨で、ろうそくの芯が湿気てしまったり、
竹筒の中に雨水が溜まりすぎて、火が一向に着かず、
ようやく付いたとしてもすぐに消えてしまって、
困っているとのこと。
これでは時間までに到底間に合わないので、
自分も加勢して、手当たり次第に火を分けるのだが、
1つ付ければ、1つが消えるといった風でらちが明かない。
これはもうすべてを回るのは難しいので、
せめて自分の付近のものだけはと、傘をかざして火を守る。





そうこうしているうちに、会場に時報のアナウンスが鳴る。
5:46。
静かに祈ります。
安らかに安らかに。そして、僕らを見守りください。


↓黙とう


黙とうを済ませたら、足早に会場を後にします。
本当はセレモニーにも出て、献花したいのだけど、
娘の保育園の送りがあるので、それまでに帰宅しないといけない。
確かに感じたあの日への思いと、
間違いなく再びやってくるであろう大災害への改めての意識とを
大事に持ち帰りました。