記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

1.17鎮魂ウォーク2016

今年もまた1.17を迎える。
去年20年という大きな節目を越えたが、
それで阪神大震災終結したわけではない。
去年も地震だけではなく、
集中豪雨による堤防決壊や土砂災害、
竜巻被害や火山の噴火など、
自然災害による被害が出た。
当然、自然というあまりにも大きすぎる相手に対して、
あらがえない部分もあるかもしれないが、
事前の備えや十分な知識、防災意識があれば、
被害を最小限に抑えることはできるはずだ。
日々忙しい生活の中では、ついそんなことを忘れてしまうこともあるが、
せめてこの日だけは一度立ち止まって、
ゆっくりそのことについて考えをめぐらし、
記憶を呼び起こす。


前日はレッスンなどでとてもあわただしく、
そのなかでうっかり、プールでがっつり泳いでしまい、疲労がハンパない。
そして翌日の午前中にはコンクールが控えていて、
なかなかスケジュール的にも体力的にも厳しいのだが、
終電車に乗って、今年も東遊園地までの震災ウォークへと向かった。
今年も去年に引き続いて、阪神西宮駅からスタートする。
毎年ルートは変えていて、今年は湾岸を歩いていこうと最初から決めていました。
去年まではどちらかというと
今なお残された震災の傷跡を辿るようなテーマでしたが
節目を越え、今年は過去を振り返るというより、
これからの希望、新しいものを発見してみたかったのです。


阪神西宮からスタート


0:20に阪神西宮駅を出発する。
同じ電車から降りた乗客が、駅から暗方々へと散っていく。
ロータリーを過ぎて、西宮神社の参道を歩き、西宮戎にでる。
おなじみの「ひるね」さんのところからR43をまたぎ、
そのまま西宮浜のほうへと進んでいく。
去年は歩き始めから雨が降って相当寒かったが、
この夜は比較的暖かく歩きやすい。
テクテクとえべっさん通りを南下すると、白鹿の工場のところに出る。
震災時には酒蔵も相当ダメージを受けた。


西宮神社


↓白鹿


前浜町で県道193号をまたぐと、そこから先は堤防に仕切られた水辺を歩く。
ここで一眼レフを取り出しいつでもシャッター押せる状態に。
11月にスマホに変え、最初はiPhoneのカメラ機能って
意外といいかもと思っていたのだが、やっぱり所詮スマホのカメラだった。
iPhoneのカメラで撮った写真は一見発色がいいように見えるのだが
それはiPhoneのディスプレー上で見た時に限られ、
PCの大きな画面で見たり、プリントアウトすると、ザレザレで使い物にならない。
おそらく撮影の際に、自動的にISOを上げてくれているのだろうが、
そのせいで画質がひどい。
夜景など暗い場所で撮ったり、ズームアップ撮影には全く向かないことがわかった。
今回は初めからそれがわかっていたので、一眼レフをもってきた。
ただし小さなザックだったため、三脚を持ってこれず、
ちょっと苦戦してしまいました。


↓堤防沿いに歩く


話を元に戻すと、そのまま堤防沿いに進んでいくと、
小さな船溜まりがあり、海の匂いがする。
そのまま堤防沿いに行くと、目の前に西宮大橋が伸び、
橋のたもとにはたくさんのヨットが停留するマリーナ。
この辺りは、芦屋の裕福層たちの海の遊び場として有名で
なんとなく雰囲気が違う。
マリンクラブの脇をかすめていくと、
その奥には小さいながら西宮浜のビーチがあり、
ビーチの脇にはリゾート感たっぷりのバーやレストラン、
アメリカンなトレイラーが立ち並ぶ異国情緒たっぷりな空間。
こんな面白そうなところがあるなんて、
やっぱり地足で歩くと発見があります。
近隣では珍しいサラサラの砂浜で色々と撮影。


↓西宮浜


↓ヨットが多数


↓ビーチ発見


しばらくビーチで写真を撮り、そこから対岸の人口島へ渡ります。
堤防から内側の道路へ戻ると、西側に芦屋浜の有名なモンスターマンションが、
まるで水辺に浮かんでいるように暗闇の中に姿を現しました。
あそこは学生時代に自主映画を撮影したゆかりの地です。
昼間に訪れた方が実際不気味さのある建物ですが、
夜闇にきらめく遠景もまた別の味わいがあります。
三脚があればもうちょっと撮れたのだけど、それはまた別の機会に。


↓芦屋浜のモンスターを望む


そこから道なりに進んでいくと、歩行者専用の小さな跳ね橋。
こんなところにこんな橋があるというのも発見です。
トコトコと渡って湾岸の人口島へ渡ります。
そのまま湾岸線の高架に出て西へ転じる。
途中、神戸新聞の配達工場があり、
あわただしく配達員がトラックに荷詰めをしているところだった。
震災の時に、この神戸新聞が果たした役割は非常に大きかったのは言うまでもなく、
神戸が誇るものの1つだと思う。


↓跳ね橋


ここからは阪神高速湾岸線の側道的に並走する県道573号をトレースして行く。
この道はチャリンコでは何度も利用しているなじみの道。
人口島をいくつか繋いでおり、その度にアップダウンが伴うが、
その代り橋の上からは絶景が拝める。
まずは西宮浜から南芦屋浜まで1つ目の橋を渡る。
海沿いではあるがこの夜はとても穏やかで風はなく、寒さをあまり感じない。
パチパチと写真を撮るのだが、車が来るたびに橋自体が揺れて
うまくブレずに撮るのが難しい。ここは三脚があっても厳しい。
先ほど遠景にあった芦屋のモンスターマンションを対岸のそばに見ながら
次の深江浜まで進む。
ここは橋自体がかなり高度があり、登るのに一苦労する。
登りきると、前方には神戸の夜景が広がり、
そこからずーっと右へ視界をパンすれば、ひとつながりの街の明かりがあり、
その奥にはべったりと黒く塗りつぶされた六甲の山並みが見える。
もし21年前のあの日にタイムスリップしたとしたら、ここからきっと、
燃え盛る炎の嵐と、黒煙が幾本も立つ恐ろしい光景が広がっているのが見えるだろう。
橋の頂上からいよいよ神戸市に入る。


↓誰もいない


↓いくつも湾岸の橋を渡っていく


↓神戸市に入ります


↓眠らぬ港湾


深江浜に入ると、県道573号はおしまいとなり、山側へ戻らねばなりません。
大通りを北へと取り、深江大橋を渡る。
そのままR43も過ぎて、阪神電車に沿って歩くことにしました。
深江から青木の区間では線路の高架化の工事が行われている。
それは街の発展にとっては大事なことなんだろうけど、
ベルリンの壁のように地域と地域が寸断されてしまうようで悲しかったりもする。
魚崎、住吉とすぎ、御影まではずっと線路沿いに進んでいく。
誰もおらず町はひっそりと眠っている。


↓高架化の最中


御影駅に到着して広場で缶コーヒーを買って少しだけ休憩。
駅の脇にある商店街を抜けて、澤之井と呼ばれる井戸へ寄り道。
ここは古来からの湧水で、御影の地の由来でもあり、
灘の酒(御影郷)を育んだ名水です。
震災を経た今なお、コンコンと豊かな水をたたえています。


阪神御影の高架下の商店街


↓御影水


御影からは味わい深い高架下を歩く。
この駅前には名物の立ち飲み屋がひしめいているので
また別でリサーチしてみよう。
徐々に駅前のネオンから離れていき、
眠る街へと再び戻っていこうとしたとき、ふと高架を見上げると、
真っ暗な闇の中に怪しく真っ赤な物体が目に飛び込み、
思わずぎょっとする。
よく見ると、御影でこの日の営業を終了した阪神電車の特急が停車していました。
なんとなくちょっと不気味さを感じて撮る。


↓高架は味わい深い


↓突然火車が現れる


↓少しホラー


御影を過ぎ、石屋川まで来ると、そろそろお腹も減ってきて、
間に合うかと思ってR2のもっこすへ向かったのだが、
タッチの差で3時閉店。
そこからR2を疲労感たっぷりで歩く。
西灘で脇道に入る。
岩屋の手前で阪神線が地下へ潜るポイントをまたぐ。
その先、JR灘駅の南側から、一本の遊歩道が伸びている。
これは神戸港まで貨物を運んでいた旧臨海線の線路跡を利用したもの。
マンション群を抜け、R2の上をまたぎ、HAT神戸までを繋いでいる。
R2の陸橋のところ辺りは、当時線路だったころの遺構がちらほらある。


↓旧臨海線を歩く


臨海線を歩いたら、少し北側へ戻る。
春日野道の商店街を入り、そこから西へ折れて下町の生活道路をずんずん進む。
生田川を渡れば、まだ昔ながらの雰囲気を残した三宮の東側のエリア。
そうして4:30に三宮に到着しました。
阪急北側にある、この長らく仮設の売り場として活躍していた建物も
建て替えのため取り壊されると、つい先日ニュースになっていた。
まだ少し時間があったので、駅前の丼屋で休憩と補給を済ます。
そして30分前には東遊園地へと向かう。


↓春日野道の商店街


↓おっぱい山


去年は公園に入るだいぶ手前から人があふれて、
果たして入れるのかどうかというくらいの混雑ぶりだったが
今年は明らかに人手が少ない。
もっとも去年がすごすぎたのかもしれないのだけど。
すでに岳灯篭に入ったろうそくには火がともり、
キビキビと冷たい空気の中、不思議なほど静かに人が佇み、
その時を待っている。
自分は人ごみを分け入って、いつもの場所へ。
そうして、アナウンスと時報が鳴り始め、5:46を迎える。
黙とう。


↓竹灯籠


↓祈りよ届け


↓復興は続く…


今年もまたこの地に立てたことをうれしく思いながら、
震災への想い、防災への意識を今一度はっきりと心に刻み、
慌ただしく家路に着いた。