記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

1.17鎮魂ウォーク2019

今年もあの日がやってくる。

1.17。

あれから24年の歳月が流れた。

それでも忘れられない日。

 

このブログを始める以前からだから、

もう10年以上前から、体調不良で断念した年もありつつ、

ほぼ毎年恒例で行っている鎮魂ウォーク。

前夜に出発をして、地震が起こった5:46までに

追悼セレモニーの行われている東遊園地へ徒歩で目指す、

ということを続けてきました。

 

震災であらゆるライフラインが寸断され壊滅的な被害を被り、

JRが再び運行を開始したのが4月、

よりダメージの大きかった阪急・阪神は6月に復旧しました。

今考えれば、その復旧のスピードは驚異的としか言いようがありませんが、

それは誰もが被災し絶望の淵にありながらも、

1分でも1秒でも街を再び立ち直らせるのだという信念の賜物だと信じています。

その復旧が果たされるまでの間、

あの地獄のような光景が広がる被災地を脱出する人、

あるいは救助へ向かう人や支援物資を運ぶ人はみな、

電車通じている最後の地点であった西宮を起点に

徒歩で神戸を目指すしかありませんでした。

 

今年ももちろん鎮魂ウィークを実行するのですが、

毎年は、震災当時になぞらえて西宮を出発地として、

震災当時の思い出や 、震災以前の街の様子に思いを馳せながら、

夜通し歩いて東遊園地を目指していましたが、

今年は初めて、西側からスタートし、

被害の大きかった須磨区や長田区を通るルートを選んでみました。

 

ただ夜の街を歩いて、あの日の事を思い出すことは、

正直言って、誰の何の役にも立ちません。

でもそうやってただ黙々と暗がりを歩くことで、

当時の人の苦労・悲しみ、色々な感情に思いを馳せることに

集中する時間を設けること、

そして色々な課題や積み残しはありつつも、あの瓦礫と焼け野原から、

一応は復興を遂げた街の痕跡を歩き、

街と対話することで見えてくるものがあり、

様々な感情や思いをめぐせながら、歩き終えたからこそ、

竹灯籠の火に復興や防災の念を心から祈ることができるのです。

それが自分の弔い方なのだということを

はっきりと言うことができるようになったのは、

9年前、震災から15年を記念して製作された

NHKドラマ『その街のこども』という作品でした。

音楽を担当された大友さん(今ちょうど大河ドラマ『いだてん』でもご活躍中)とは

アンサンブルズ東京のご縁もあって、年に何度かお会いするようになりましたが、

いつもお忙しく色々な方と接しておられるので、

なかなかこのことをお話しできていなかったのですが、

去年の震災直後にちょうど大阪でライブがあって、

その時にゆっくりお話しする機会があって、

この活動についてお話するとともに、あのドラマへの感謝をお伝えできました。

その時に、後押ししてくださる言葉をかけていただいて、

本当に救われたような気持ちになれたのでした。

 

さて、終電間近の電車に乗り、0:09に舞子駅に降り立つ。

すでに大阪方面の電車は終了している。

ここから約20km先の東遊園地まで約5時間、神戸の街を歩きます。

今回ここをスタートとしたのは、

震源地である淡路島を眼前に歩き始めたいと思ったからだ。

(もちろん時間までに東遊園地にたどり着ける範囲でという制限はある)

 

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駅舎を出ると、すぐ目の前には大きなコンクリートの塊、

明石海峡大橋のアンカレイジだ。

震災当時はまだ建設中であったが、

地盤が変位したことで全長が1mも伸びることになった。

暗がりにぼんやりと浮かび上がる橋脚はとてつもなく威圧的に感じる。

 

そういえば、去年は前日からしとしとと冷たい雨が降りしきり、

身も心も凍えるようなウォークだったが、

今年は月が明るく闇夜を照らし、風もなく穏やかな夜。

 

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舞子公園からしばらくはR2をしばらく歩く。

こんな時間でも大型トラックがバンバンと横をかすめていく。

垂水駅で線路をまたいで山側へ向かう。

福田川を渡り、複雑に入り組んだ丘の上の住宅地へと迷い込んだ。

いつもこの辺りは自転車で国道を目いっぱいのスピードで

駆け抜けていくだけだが、1歩脇道へと入り込むと、

暮らしの匂いが漂う魅力的な町並みと、高台からの景色があった。

この辺りは地震の被害がどうだったのか知らないが、

込み入った地形的に合わせて、複雑で細かな町の造りが残っていて、

そのリズムを感じ取れるから、足取りも軽い。

ちょうど線路の上部が公園となっていて、

そこからは大阪湾とその向こう側の泉州の灯りが見渡せる。

海と坂と風のある町には味がある。

 

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東垂水~滝の茶屋と歩き、塩屋へ抜けるのに国道を嫌って

さらに急な坂を上っていく。

さすがに息が上がる。

坂の途中見覚えのある小さな公園が目に留まる。

塩屋のまち歩き回り音楽会で練り歩いた公園だ。

ここから住宅街の細い階段を下っていく。

 

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おなじみの塩屋の駅前にたどり着く。

山陽電車をくぐり、旧グッゲンハイム邸の前へ。

町は静かに眠っている。

 

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そこから須磨では海岸に沿ったR2に出る。

時折轟音を轟かせながら鉛のような貨物列車が真横を過ぎていくが、

よく耳を立てれば、果てしないほどの闇の広がりの方から、

小さく波の打ち寄せる音が聞こえる。

誰もいない国道。一定間隔で自分の影を映し出すオレンジ色の外灯。

夜に包まれて、ただ歩く。

 

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須磨駅を過ぎ、高架を避けて、踏切を渡り、

そのままJR線に沿って歩く。

保線工事の人たちや警備員が、

煌々としたライトに照らされながら作業をしているのを横目に鷹取駅にたどり着く。

この時点で、睡魔と空腹と疲労が一気に押し寄せてきたので、

近くの牛丼屋に飛び込んでしばしの休息。

 

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時刻は3時を回ろうとしている。

こちら側からのルートを歩くのが初めてで、

時間配分がしっかりと頭に入っておらず、

ここからは少しペースを上げて歩く。

鷹取から長田までは、きれいに区画が整理された簡素な町並みをゆく。

この一帯は、あの震災で多くの家屋が倒壊し、焼けてしまったのだ。

 

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しばらく歩いていくと、高層のマンションが何棟も建ち並ぶ新長田へたどり着いた。

ここの広場には、新長田にゆかりの深い横山光輝さんの

鉄人28号」の巨大モニュメントが威勢よく拳を天に突き上げて立っている。

 

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鉄人に元気をもらい、さらに東を目指す。

湊川を渡り、兵庫駅のところで線路より山側へスイッチ。

そこからいったんJR線を外れるように斜めに伸びる大通りを経て新開地へ。

そこからJR神戸駅へ向かう。

 

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神戸駅からは、いわゆるモトコー(元町高架通商店街)をゆく。

ここは強固な造りで、1店舗ごとの面積も小さく造られていたため、

地震の被害が比較的軽微で、他に先駆けて営業を再開し、

被災地の復興にも貢献した。

近年では昭和の匂いの残る、怪しいジャンク街として

マニアックな人気を博していたが

耐震工事に伴ってJRからの立ち退き依頼があり、

そこから寂しいシャッター通りと化してしまっている。

 

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花隈でモトコーを外れ、神戸元町商店街を歩く。

そして人気のない南京町へ。

春節祭の飾りつけが、ランタンを模したオレンジ色の外灯に照らされ、

まるで上海の路地裏にでも迷い込んでしまったかのように雰囲気が醸し出され、

もはや中華とは関係のない店舗が侵食し

凡庸な観光名所のひとつとなりつつある昼間とは全然違う顔をのぞかせている。

 

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南京町を抜け、重厚な西洋建築が立ち並ぶ旧居留地を進んでいくと、

いよいよその先に東遊園地が見えてくる。

時刻は5時を少し過ぎた辺り。

無事に今年もお祈りに間に合うことができたようだ。

 

公園へ入る階段の手前とその先とで、明らかに空気の重さが違う。

いつも感じるあのピーンと張りつめた空気だ。

昼間の東遊園地の、子ども達が駆けまわったり、シャボンが飛んだり、

コーヒーを飲みながらのんびり過ごしている若者たちといった、

あの牧歌的な憩いの場としての表情はこの日だけはすっかり消え、

いつもその激しいギャップに、広場へ入ることを躊躇してしまう。

それくらい特別な場所、特別な時間なのだ。

ここまで夜通し歩いてきて、地震のこと、亡くなった人たちのこと、

そして24年間の歩み、色々なことを考え、思いを馳せてきたこと、

それが自分の背中をそっと後押しをして、広場へと足を踏み入れる。

 

記帳所で名前を書き、白い菊をいただく。

そして、大きなろうそくをもらって、時間まで、

まだ火が灯っていない竹灯籠に火を灯してゆくのをお手伝いする。

去年は冷たい雨にろうそくが水没し時化ってしまって、

なかなか苦労したのだが、今年は優しい火が1つまた1つと広がっていく。

この火はあの日亡くなった人たちや破壊された街の記憶を宿す火でもあり、

この先の私たちの暮らしを灯す希望の火でもある。

同時に、たくさんの人たちの命を奪った火でもあることを決して忘れてはいけない。

この火をじっと眺めていると、悲しさ、寂しさ、温かさ、安堵、

言葉では到底説明のつかない色々な生の感情が沸き起こってしまって、

その場から動けなくなる。

5:40を過ぎると、広場のアナウンスから時報が流れ、

誰もが静かにその時が来るのを待ち受ける。

そして5:46。黙祷。

 

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きっと来年も再来年も、ずっとずっと、この1.17を迎えるたびに、

夜の街をひとり歩き、絶景でも名所でも何でもない

ただの日常の1コマを写真に収め続けるだろう。

センセーショナルなものなどはいらない。

市井の人たちの何でもない暮らし、

一度はあの震災で根こそぎ失われてしまった

その何でもない暮らしにこそ、

自分がこの夜に抱いた様々な感情や思いに応えるものがあるから。

そして大きな記録にさえ残ることのない、

これらの街の表情や変遷を記録し、残してゆくのだ。

 

黙祷ののちは、追悼セレモニーがあるのだが、今年も平日だったため、

子ども達が目を覚ます前には帰宅をし、

もちろん仕事もあるので、これにて失礼する。

大阪に戻ってくる頃には

もうすっかり新しい朝がやってきていた。

 

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