記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

シオヤプロジェクトの勝手にまち探検 Vol.31 五色山編

カレンダーを遡って4月のお話。

 

今や愛する神戸の文化的発信基地となっている塩屋。

その中心はなんといっても森本アリさんが管理人を務める

旧グッゲンハイム邸なわけですが、

その界隈もまたいろいろと、面白い人、面白い場所にあふれています。

音楽やアートといった分野が盛んなのはもちろんですが、

場所の在り方や、まちづくりといった

より面的な捉え方で色々な活動もされています。

 

その一つがこのシオヤプロジェクト。

塩屋を拠点として、自分たちが暮らし、自分たちの文化が根付いている

”まち”のあれこれに注目し、

”まち”を歩いたり観察したり遊んだりすることで、

自分たちの生活の中に様々な気づきや再発見をして、

それを再び”まち”へ還元する、そんな取り組みです。

 

今では、神戸市の文化事業となって、

塩屋というホームを抜けだし、神戸のあらゆる場所へ出かけていって、

活動の場を広げていっています。

 

地理、まち歩き、まちづくりをずっとメインでやっている自分にとって

これほど魅力的で面白そうな企画はありません。

このプロジェクトには前々からずっと注目をしてきたのだけど、

いかんせん、平日ど真ん中の開催という、

会社勤め人にとっては大きすぎるハードルのせいで、

ずっと参加が叶いませんでした。

このコロナの影響で、業務形態が変わったこともあり、

31回目にしてようやく参加と相成りました。

 

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今回の舞台は、五色山、西垂水エリアになります。

神戸市の西の端、

六甲からずっと山並みが続いてきて、

いよいよ瀬戸内海へと山が没する際の部分で、

起伏にとんだ丘陵地には、いくつもの斜面と階段と坂道があり、

実に楽しみな町です。

 

集合場所は、JR垂水駅(=山陽垂水駅)。

集合時間に向かうと、ド平日というのに、

20人ほどの参加者がいてびっくり。

まずはシオプロの小山さんとアリさんにご挨拶。

ざっと、レクチャーがあって、早速出発します。

 

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まずは駅の北東に広がる垂水廉売市場へ。

駅前再開発の対象区域となったため、

残念ながら今年中に90年もの歴史に幕を閉じることになりました。

ここは昭和9年に24店舗が集まって始まった市場で、

当時は別荘地であったため、

そちらへの御用聞きが主たる営業スタイルだったそう。

それから戦後の高度成長期には、神戸のベッドタウン地となり、

最盛を迎えます。

2000年に入り、駅の東西の再開発事業が活発化し、

両サイドを挟まれるようにして残ってきたこの市場も

ついに解体されることになりました。

 

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市場の内部は迷路のように通路が張り巡らされ、

両脇には店舗がひしめき合っています。

さすがに老朽化が著しく、多くがシャッターが閉じられていましたが

それでもまだ頑張って営業されている店舗もありました。

 

この市場は、1995年の阪神淡路大震災の際に

ダメージは奇跡的にほとんど受けなかったそうで、

こういうど昭和な空間が今もなお残っているわけですが

子どもの頃に、同じような地元の商店街に

お使いに行っていた自分としては、

とても懐かしく、妙に落ち着くのです。

 

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市場を後にし、小学校の脇を北上すると、四つ辻に出ます。

ここには池姫地蔵尊が祀られています。

これは北東の台地に2つの池があり、

昭和の初めに埋め立てられた際、

池の底から発見されたお地蔵さまに池姫と名付けて祀ったところ、

行き場を失ったお地蔵さまが集まってくるようになって、

現在のようになったそうな。

色とりどりのニット帽をかぶってかわいらしい。

 

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その辻を西に取り、陸ノ町へ。

ちなみにこの地名「くがのちょう」と読み、かなりの難読地名です。

この辺りは平地と山地とのちょうど境目辺り。

 

この先にある児童公園で、一度集合して、

今回の参加者の顔合わせ的に自己紹介タイム。

ほぼほぼ参加しているつわものや、

遠く東京から旅行の都合に合わせての参加者まで

バラエティに富んだ方々が参加されていました。

 

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さて、公園をリスタートして旭が丘方面へと登っていきます。

この日は4月とは思えぬ陽気で、汗だくです。

マンションや寮のある一帯を越えて、

その先の階段を上り詰めると、

とても見晴らしの良い場所に出ました。

 

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色とりどりの屋根の向う側には明石海峡大橋が顔を出し、

海を渡って淡路島へと連なっています。

まるで青春の1コマでも走り出しそうな、素敵な風景ですね。

 

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ここから一旦急な山道を降りて、再び登り返して、

丘陵地ならではの地形を味わいます。

山並みの末端という立地に加え、

人工的に削り取られたり埋め立てられたりして、

実に複雑な地形となっています。

そのうえで、神戸市という大都市が抱える人口問題に対応すべく、

海と山に挟まれた限られた土地を、最大限有効に利用しようと、

地形に合わせてびっしりと家屋が立ち並んでいて、

おもしろい景観を形作っています。

 

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旭が丘を後にして、

商大筋(かつて沿線にあった神戸商科大にちなむ)を渡って

西側の霞ヶ丘一帯へ向かいます。

地形を生活に合わせて巧みに利用して、

道をつけたり、家を建てたり、庭を造ったり、

そういう人間の営みのバイタリティだったり、

創意工夫ぶりが町並みのいたるところに露出していて、

そういうのを発見するのが楽しいですね。

 

途中、主催の方のご実家のお庭を拝見させていただきました。

こちらも斜面の脇の土地をうまく活用して、

見事な緑のガーデンを造られていて、

実に居心地の良い空間でした。

 

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車が通ることのできる坂道のほかに、

住居と住居の間を生活通路としていくつもの階段があります。

段差も凸凹、道幅もまちまち、

すき間を縫うようにして存在する階段は、

複雑な地形や区画をうまく穴埋めする

調整弁的な役割も果たしていて、

それがこの界隈の景観の重要なファクターになっているようでした。

 

そして景観を彩るもう一つの要素は、

各住戸に植えられた花や緑たち。

これらはまるで、もともとは自然の山だった斜面を、

人工の建造物で埋め尽くしてしまった、

その埋め合わせをするかのようです。

 

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さらに、斜面にへばりつくようにして建ち並ぶ住宅地を縫っていきます。

南側に向かっては、海へとまっしぐらに続く直線的な道が走り、

その通りを中心として、左右に住宅街が、階層的に連なって、

それが谷筋にぶつかる際の部分では、

地形に合わせて道も土地も複雑に組み合わされているようです。

 

霞ヶ丘の東端からは、商大筋の向こうう側の旭が丘の街並みが、

山にびっしりと張り付いている様がよく見て取れます。

色とりどりの屋根がまるで

イタリアのアマルフィ?のようだというと少し大げさですが、

人間の営みが作り出す景観の面白さがよく表れていますね。

 

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さて、そうこうしているうちにも随分と山の上の方まで登ってきました。

いくつも横道、抜け道を発見しては、そちらへと折れて、

町の奥深くまで探検しながら、いよいよ台地の上までやってきました。

星陵台と呼ばれるこの一帯は、非常にフラットで広々とした住宅地で、

そこを走るバス通りは、予想以上に栄えた場所になっていました。

場所的には、各駅からも離れているうえに、高台の上で、

主要な幹線道路からも離れた場所ですが、商店やレストランなどが充実し、

一つの独立したコミュニティを形成している様子でした。

ここでちょうどお昼時、いったん解散をしてそれぞれに昼食を取り、

参加者のお一人のアトリエに再集合することになりました。

 

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ここまでで結構な距離を歩いて、アップダウンもあり、

なにより暑さで結構お疲れモードだったのですが、

めったに来るエリアでもないので、休憩を惜しんで、

今回の範囲外の所まで少し足を延ばして、散策。

星陵台の西側にある舞子台の方へ向かい、

途中にあったパン屋さんで買ったパンをかじりながら散策。

この辺りはちょうど住宅地の真下を

あの神戸淡路鳴門自動車道のどでかいトンネルが貫いているのです。

舞子台緑地の辺りをうろうろしてから、

星稜高や神戸商高辺りまで足を延ばして

時間までに集合場所へ向かう。

その道中、はるか向こうで、

あっちこっち出入りしている見覚えのある姿があり、

近づくとやっぱりアリさん。見るからに怪しい笑笑。

そのままおしゃべりをしながら集合場所に戻ってきました。

 

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さて、午後の部です。

バス通りをまたいで、再び霞ヶ丘の南側の斜面へ向かい、

山のてっぺんと海とを一直線でつなぐ主要道と主要道の合間を

東から西へ、路地をローラー作戦で埋めていくように、

ジグザグと縫っていきます。

 

そうして一本の大きな通りに出ます。

ここは市道西垂水249号線で、通称”愛徳坂”と呼ばれる通りです。

ちょうどてっぺんにある愛徳学園高校のすぐ東を通ることから、

そういう愛称で親しまれています。

(JRや山陽の車窓からも愛徳学園の看板がよく見えます)

 

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この愛徳坂、坂の街神戸でも屈指の激坂で、

勾配はなんと17.3%(100mで17.3m高くなる)。

この坂が有名なのは、山側から海側へと下る際、

いったん先ほどのバス通りから

坂のてっぺん(愛徳高校の玄関)まで登ってから、

南側斜面へと折り返す形状になっているため、

下り口の向う側がいったんブラインド状態で見通せません。

つまり、まるでジェットコースターのように、

一度トップまで登りきって、

一気に真下に急降下するような、

スリリングさが味わえるとして、

TVなどのメディアでもよく取り上げられる名物坂なのです。

もちろん、そういった面白さとは別で、

まっすぐに海まで伸びる一本道と、

その先に広がる絶景は、それだけでも一見の価値があります。

 

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愛徳坂を過ぎ、歌敷山のブロックに入ります。

ここのとあるお宅のステンドグラスは、

なんとアリさんが手がけたものだと教えてくれました。

少し大きな通りに出ると、

ちょうど真横あたりが神戸淡路鳴門自動車道で、

下った先から明石海峡大橋が顔を出しています。

日常の風景に、こんな巨大な建造物が当たり前のように存在するというのは

いったいどんな感覚なんだろう?

いや、自分も大都会の真ん中に暮らしていて、

高層ビルや巨大建造物に囲まれて暮らしてはいるけれど、

やはり明石海峡大橋はあまりにスケールがでかく、

そしてこの住宅地が連なる風景の中にあってはやはり唐突な存在なのです。

まあ、住民にとってはこれが当たり前の風景なのだろうけど、

やっぱり面白い。

 

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坂を下って、もうひとつ下、中腹を通るバス通りへ出て、

今度は西から東へと歩みを進めます。

歌敷山中学の脇で、

個人所有なのかな?小さなプラネタリウムを発見しました。

 

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バス通りをさらに進み、愛徳坂をまたいで再び霞ヶ丘地区へ。

いったん中腹の児童公園で休憩が入りました。

 

こういうフィールドワークは慣れてはいるし、

もともと距離を歩くのも平気けれど、

それにしても、シオプロのみなさん、

ここまでの本気度、好奇心旺盛ぶりとは思っていませんでした。

いやあ、よく歩く、そしてタフです。

そして、よく細かいところ(家の軒先の様子やトマソンなど)に目が行く

観察眼も素晴らしいです。

町は、一見してどんなに平凡で退屈な住宅地だったとしても、

よくよく目を凝らしてみれば、必ず何かが見つかります。

なぜなら、どんな町や景観でも、

誰かの意図で何かの目的で造られた以上、

必ずその痕跡や念が刻まれるからです。

その些細な痕跡、わずかな目印に気付けるか気付けないかで、

”まち”を遊べるかどうかが決まります。

 

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さて、西から東へと中腹を進んで、

星陵台の交差点から海へと下りる一番東の筋に出て、

海側へと下ります。

途中には、江戸前期の播磨国明石城主の松平日向守信之公の供養墓がありました。

この播磨一帯はもともと台地で水に乏しい土地であったのを、

信之公が積極的に新田開発、掘割開削に尽力し、

この一帯を豊かな土地にしたことから、

「日向さん」と親しまれているようです。

 

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坂をずずっとまっすぐに海へと下っていくと、

その突き当りに広い空間が現れます。

これが今回のゴール地点となる五色塚古墳です。

小さい頃に遠足か何かで訪れて以来、久々にやってきました。

 

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日本全国には約16万基の古墳があるといわれていますが、

実は全国で最も古墳が多い都道府県は実は兵庫県で、

19000近い数が存在しています。

その中で、県下最大の古墳がこの五色塚古墳で、

全長が194m、前方部の幅82.4m、高さ13m、

後円部の直径125.5m、高さ18.8mの規模を誇り、

周囲に周濠を巡らしています。

 

4世紀の終わりから5世紀の初めに築造されたとされる前方後円墳で、

立地的に見ると、明石海峡とそこを行き交う船を

見下ろすようにして築かれていて、

海上交通の要所を支配した有力者がその権威の大きさを示すために

このような墓を築いたのではないかと推測されています。

 

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たまたま、この日どこかの遠足があったようで、

そのために学芸員の方がおられたので、

せっかくなのでと色々と解説を聞くことができました。

 

3段に築かれた墳丘のうち、下段は元々の山を前方後円形に掘り返していて、

中段・上段は盛り土をされています。

使用された石の総数は、223万個・総重量2784tと推測されています。

当時は、2000体以上もの埴輪が周囲に張り巡らされていたそうです。

 

この古墳は、国の史跡整備の第1号として補助金を得て、

昭和40年から10年の歳月をかけて現在のような形に整備されたそうです。

多くの古墳が敷地の中に入れないことが多いのに対して、

この五色塚古墳は古墳の敷地内に入れるどころか、

てっぺんにまで登って景色を楽しむことができます。

 

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古墳の上に上がると、すぐ目の前には明石海峡と淡路島をのぞむ

絶好のロケーションです。

そして真下にはJRと山陽電車が東西に走っています。

綺麗に整備が行き届いた古墳で、海から風が吹き抜けて

とても心地の良い場所です。

 

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翻って、山の方を見渡せば、

この日歩いてきた霞ヶ丘や歌敷山の様子を一望できます。

また東の方には六甲山地が少しずつ海から隆起して

奥へ奥へと延びていく様子も見えます。

ちょうど山のてっぺんに白い建物が見えているのが、

須磨山上遊園のある鉢伏山なので、その手前を降りていけば塩屋です。

 

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五色塚古墳のすぐ真横には、

もう一つ小さな芝生に覆われた小壷古墳があります。

五色塚古墳の別名が「千壷」なので、

その対比的に名称がつけられているようで、

その名の通り、本当に小さなかわいらしい古墳です。

こちらも五色塚古墳と同時期に築かれたものだそうですが、

五色塚古墳と異なり葺石は葺かれておらず、

こんもりとした丘のようです。

五色塚古墳の周囲にはこのような小規模な古墳が

いくつも点在していたようです。

 

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思った以上に、感動的というか、素敵な場所でした。

さて、一応今回のまち探検の目的地に無事到達しましたが、

残り垂水の駅まで戻りながら、さらに探検を続けていきます。

 

近くに 面白い場所がありました。

なんと、暗渠が一般の住宅の中を貫いていました。

小さいながらも川が庭の間を抜けていくというのは、

あまり見ない光景です。

ひょっとして、川が付け替えられた影響だったりするのかな?? 

 

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それから、参加者の中には数十年前からこの地域に住んでいる方がいて

この辺りには昔小さいけれど牧場があって、

そこから牛乳が配達されていたんだよというお話をされていたのですが、

なんと、その牛乳がいまもなお健在していました。

さすがにもう牧場はなく、牛もいませんでしたが、

今は牛乳の集配施設が建っていました。

形は変わっても、歴史は受け継がれていくのだなあ。

 

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五色山を後にしていよいよ垂水駅方面へ向かって進みます。

商大筋を少し山へ戻ると、遊女塚なるものがあります。

これは、沖合で船から転落した遊女を不憫に思い、

建てられた供養塔と言われています。

元々はもっと海側の西国街道沿いにあったものを、

鉄道開通の折にこちらへ移されたのだとか。

このような特殊な形の塔を宝篋印塔(ほうぎょういんとう)といい、

峠や村境に、安全を祈願するものとして建てられたものなのだとか。

 

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さてさて、いよいよ垂水駅付近に戻ってきました。

今朝方、自己紹介をした児童公園でお開きです。

朝の10時に出発して16:30まで、

みっちり歩いて西垂水エリアをまち探検してきました。

こんな機会でもなければなかなか歩くことのないエリアで

色々と新鮮でした。

そしてそして主催のシオプロのみなさんも、参加者の皆さんも

なかなかの健脚ぶりで充実した1日となりました。

ありがとうございました。

 

 

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解散後、元町へ出て、もう一つのお目当てへ。

一度、コロナの影響もあって閉店してしまった、

神戸ぎょうざの名店「ひょうたん」さん。

閉店のニュースを聞いた時は心底がっかりしたのだが

その後、常連客やファンからの声に後押しを受けて、

復活再開されました。

復活後、すぐにでもあの味を楽しみたかったのだけど、

緊急事態宣言などでなかなか神戸に行けず、

悶々としていました。

久々に味わうぎょうざに感無量です。ああ、会いたかったよ@@

神戸は味噌だれで味わうのですが、これがもう最高すぎます。

末永くこの味を守ってほしいです。ごちそうさま!!
 

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ということで、シオプロのみなさんと行く、

西垂水・五色山エリアのまち探検でした。

平日開催なので、なかなか毎回というわけにはいきませんが

チャンスがある時はまた参加しようと思います。

 

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