記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

「幽霊たち」 P・オースター

私立探偵のブルーは、ある日ホワイトと名乗る依頼人から仕事を依頼される。
その内容は、ブラックという男を監視すること。
来る日も来る日もブラックを監視するうちに、ブルーの脳裏にはある疑念が湧き起こる。
何のために私はブラックを監視しているのか?
実は私がブラックを監視しているのではなくて、私が監視されていのではないのか?
その疑念を払しょくするためブルーは行動に出る…


「ガラスの街」に続くニューヨーク3部作の2つめ。
同じく探偵小説のような設定はされているが、決してミステリー小説ではない。
「ガラスの街」では社会的関係の希薄さについて描かれていたが、
今作では、もう少し根源的な存在、つまりアイデンティティの基本的なモデルを提示している。
つまり鏡像段階について。
これは大学時代、木村ゼミで学んでいたソシオン理論の、非常にわかりやすいたとえ話だ。


私は私の考える「わたし」こそが「わたし」だと思い込んでいるが実はそうではない。
「わたし」というのは、
他者へ写り込んだ私Ⅰ、他者から差し示された私Ⅱ、そして私の中の私Ⅲ、
の3つの私によって構成されている。
そしてこれらの私は常に他者との関係性と密接に連携している。
私は鏡という一種のフィルターを通じてしか私の顔を見ることはできないのと同じで、
「わたし」を規定するのは、他者の現前なのであり、
他者は「わたし」を写し出す鏡なのである。


本作では、ブルーの目線から物語が進んでいくが、真の主役はブラック=ホワイトである。
彼はブルーという他者に自分自信を監視させることによってアイデンティティを模索する。
そしてブラックを監視するブルー自身もまた、
彼との関係性の中から自分自身(わたし)を見つめ直すことになる。


作者自身、この物語が鏡像ネットワークについての考察なのだということを
文中に書き記してる節がある。
全てをここで紹介するわけにはいかないので、一部だけ。
 

p21
想いにふける、スペキュレート。
見張る、傍観するという意味のラテン語スペクラトゥースから来ていて、
鏡を意味する英語スペキュラムともつながっている。
道の向こうにいるブラックを見張っていると、
ブルーは何だか鏡を見ているような気がしてくる。
事実彼は、自分がただ単に一人の他人を見ているだけでなく、
自分自身をも見つめているということに思いあたる。


p94
その男には私が必要なんだ、と目をそらしたままブラックは言う。
彼を見ている私の目が必要なんです。
自分が生きているあかしとして、私を必要としているんです。


難しいことは抜きで読んでも純粋に面白いのだが、
読み進めるうちに、自分が大学時代にテーマにしていた内容と、
思いがけずシンクロしだしたので
中断することができずに一晩で読み終えてしまった。



幽霊たち (新潮文庫)

幽霊たち (新潮文庫)