記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

妙高山 撤退戦

無事に火打山の登頂を果たし、まずまずの眺望も楽しんだのち、
ただちに下山を開始する。
この時点で時刻は12:15。日没を18:30とすると残りタイムは約6時間ほど。
これだけ序盤でマージンを稼いでも、結構ギリギリで予断は許しません。
山頂での昼食はあきらめ、ひとしきり写真をおさめたらすぐに下山を開始します。
下山では上ってくるときにパスした人たちが必死に上がっている最中で、
お互いに道を譲りながらガンガン下っていきます。
途中で、何度も「ええ?もう上ったの?」「早すぎるよ!反則だよ!」と
お声かけ頂きました。
いやいやゆっくり山登りを楽しんでください。
その方が絶対いいに決まってます!
自分も時間のゆとりがあれば、もっとのんびりしたいんですが、
なにせ帰れないと困るし、下山できないと困るのです@@
速さなど本来山では無用のもの、日々の喧騒を忘れ、のんびり、
ただひたすらにボゥ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っとする、それこそ最大の贅沢なのです。
しかし、その理想と現実の山行スタイルとのあまりに絶望的な乖離…
悲しいですねえ。
天狗の庭まで大急ぎで降りてきて、
今一度豊かな緑が美しい火打山にグッドバイを告げます。


↓今一度、火打山を振り返る


高谷池の分岐に戻ってきたのが12:50。
ヒュッテのスタッフさんには往復3.5hはかかるよと言われていましたが、
行って帰って2hで収めました。
とりあえずお腹も減ったし足も披露でしびれてきたのですが、
まだこの先読めるポイントまでは我慢を決めて、分岐を折れて、
黒沢池ヒュッテを目指します。
すぐにゴツゴツと大きな岩が転がる沢のような上りとなり、
でかい岩と岩の間の泥水と格闘しながら登っていきます。
しばらく進むと木道となって斜度も緩み、歩きやすくなります。
この頃からにわかに周辺がざわつきだします。
目の前の黒い岩がザワザワと動いているように見え、
疲れて目がかすんでいるのかなと思いながら、足を踏み出すと、
真っ黒だった岩が急にさあ〜っと白い岩に変身。
虫です。それもおそるべき大群。
そやつらが顔の周り飛び交い、はためいているのです。
特に耳の周りに集まってきて、中には耳の穴にまで突撃をしてくる。
どうにか手で払ったり、衣類で覆ったりするのだが、多勢に無勢。
まるで映画『マトリックス』のセンチネルのごとく、
圧倒的多数でアタックをしてきて本当にたまりません。
それでも先へ進まねば下山できません。
必死で虫と格闘しつつ上りきると中間地点である茶臼山のピークに到達。
そこから先しばらく歩くと、眼下にただっ広い湿原と、
その対岸に雲に護られた妙高山が不気味にそそり立っていました。
眼下をよく見ると、何やらユニークな建物が雪渓の脇に立っています。
あれが最後の中継点の黒沢池ヒュッテです。


↓いざ茶臼山


茶臼山


↓黒沢池が見えてきました


ここからはあそこのヒュッテまで一気の下り。
ヒュッテに荷物をデポして火打へ向かう人たちが増え、
行き違いをしながら、相変わらず虫だらけの山道をずんずん下ります。
そうしてヒュッテに到着したのが13:35でした。
ここからは妙高山までのぼりが続くので、しっかり補給するため、
小屋の前のベンチで小休止をして水分補給とおにぎりをむしゃむしゃしながら、
この先のプランを練る。
14:00までにここを発つとして、
安全地帯であるゴンドラの山頂駅までには18:00には到着していないといけない。
ちなみにゴンドラは16時ラストなのでそれはもう断念して、麓まではさらに歩く予定。
となると、ここからまず難所である外輪山のトラバースをして、
いくつかある雪渓を抜けて、急坂を登って妙高山のピークを落とし、
さらに向こう側にある長い鎖場を越える、
という行程を4時間でこなさないといけない。
すでにヒュッテの周りでは本日の宿泊の手続きを始める人たちばかりで、
この時間からさらにピークをめざし、
下山まで考えている人はさすがにいなさそうだった。
すると、おひとり、妙高山方面へと分け入っていく方が見え、
ああまだ向かう人がいるという安心を得て、
自分も大急ぎで支度をして後を追いました。


↓黒沢池ヒュッテ


黒沢池からまず外輪山をむこう側へ越えねばならず、
大倉乗越というところを目指します。
この道がまたかなりひどい。
通常でもかなりの劇坂なのだが、雨でぬかるみとかし、
泥の滑り台のような状況のところを
どうにか手も使いながら登っていく感じ。
相変わらずえげつないほどの虫がうじゃうじゃと飛来し、
顔の周りにたかりだすのだが、
それらをイチイチ構っていられないほどハードなのぼり。
とにかく何もかもがひどく悪い。
前進泥まみれと化して、ようやく大倉乗越に到着したのが14:05。
そこで先行されていた方に追いつきました。


↓大倉乗越


この方は埼玉から来られた方で、今から妙高山を落として
再びこの道をバックして笹ヶ峰の駐車場まで戻るとのこと。
そうなると完全に後半はヘッデン点灯覚悟だそうです。
しばらくお話をしつつ休憩をしていると、
妙高山のほうから大パーティーが続々と到着します。
先頭にいたプロのガイドさんにこの先の状況を聞くと、
あまり芳しくない。
いくつか急な斜面を横断する雪渓が横たわっていて、
その状態もあまりよろしくない。
特にひとつ急登にへばりついた大規模な雪渓は、
ヘタすると滑落の恐れがあるので、
くれぐれも慎重に進まないととアドバイスされました。
予想していた以上の難所が待ち構えているようで、
時間的猶予との兼ね合いもあり、進むべきかどうか悩みましたが、
とりあえずもう一方のAさんは進まれるということで、
自分もとりあえずその難所まで行って、自分の目で判断したいと思い、
前進を決めました。
大倉乗越からは本当に貧弱で急な道をロープを使って一気に下っていきます。
足場の具合も雨でかなり悪く、
また妙高から来られた人たちとのギリギリの行き違いなどで、
大混雑していました。
道がようやく垂直からトラバースするようになると、
斜面から突き出た木々の根っこたちが滑る滑る。
そこを進んでいくと、小さな雪渓を渡る個所が出てきました。
一応踏み跡があるのでそこに慎重に足を置いて進みますが、
雪はぐしゃぐしゃと腐っていて、安定感はまるでゼロ。
慎重にも慎重を重ねて進みます。


妙高山目前で暗雲が…


そういう個所をいくつか抜けていくと、
今度はいよいよ本格的な規模の雪渓が目の前に。
これは見ただけでもさすがに危険とわかる。
Aさんはなれた感じでポールをこなしていそいそと渡っていかれるが、
自分はまだ雪面の歩き慣れていないので、いったん躊躇。
一応念のため軽アイゼンを持ってきていたので、
それを装着してから渡ることにします。
すると対岸から結構なベテランのパーティーが、
アイゼンとピッケルを使いながら渡ってきたので、ちょっとお話。
ここ抜けてしばらく行くと、これの3倍はある雪渓があって、
そちらはもっと傾斜がシビアなのでかなり厳しいんじゃないかとのこと。
そして雪渓を越えてもかなりの急登が続くらしい。
この時点ですでに14:30を過ぎ、ペースが一気に落ちてしまっていて、
登頂はできても下山できるのかどうか、かなりシビアになってきました。
また、同時に雲行きがどんどん怪しくなり、
黒い雲が低く谷に垂れ込めて通過するたびに、
前後の視界が全く不明になるような状況。
これはどう見てもこの後再び雨が降り出すのは明らかでした。
ベテランさんを見送ったのち、ひとまず雪渓を渡ってみましたが、
この1つ目の雪渓ですら自分にはかなりハード。
この間の宝剣岳の岩場では感じなかった恐怖感がドワ〜っと襲ってくる感じでした。
こんなザマで、次の大雪渓はまず無理だろうし、
そこを強行突破してしまったら、もう後戻りはできない。
ここが今の自分にとってギリギリのラインだと判断して、雪渓を戻り、
アイゼンを脱いで撤退することに決めました。
自分は速さはあるかもしれないが、
難所を熟せるだけの技術と経験がまだないということを痛感させられました。
撤退といってもどこから下山するか。
本当は妙高の反対側に下るのがベストなのだが、
そちら側へ向かうのはもう無理そうな感じ。
これから雨が降り、日が落ちて暗くなる中、
安全を最優先するならば、来た道を戻るのがベスト。
ということで、引き返します。


↓雪渓ゾーンの入り口で撤退


大倉乗越で先ほどのベテランパーティーの方に追いつきパスします。
「恥を忍んで撤退しました(泣)」というと、
「最近の若いのは勢いだけで突っ込むけど、
判断することも重要。ナイス判断やで」と
慰めのお言葉をいただきました。
はい、精進します!
そこからペースを上げてぬかるんだ山道を下り、
黒沢谷ヒュッテに戻ってきたのが15:15。
もうどうしてもコーラが飲みたくて、
売店で買って一気に流し、すぐにリスタート。


小屋の脇の雪渓をグイっとのぼり、黒沢池の大湿原に入ります。
さすがにもう歩いている人はおらず、貸切状態で、
湿原に伸びる木道をトボトボと歩きます。
火打から越えてきた茶臼山と、
妙高の外輪山である三田原山に挟まれた湿原は
黄泉の国を彷徨っているかのように静まり返り、
ちぎれた雲がいくつも風に流されて幻想的でした。


↓誰もいない湿原をゆく


↓怪しい雲ゆき


湿原の端までくると、いよいよ本格的な雨が一気にやってきました。
黒沢岳の南端へともぐりこみ、富士見平まで鈍いのぼりが続きます。
このあたりからぬかるみがえげつなく、
もうどこに足を置いてもくるぶしまで水が浸かる状況。
ゲリラジャングルの行水さながらで、とにかくペースを上げて進みます。
富士見平からは今朝上ってきたばかりの登山道。
危険個所がないことは分かっているので、さらにペースを上げて下ります。
標高が下がるにつれてどんどん雲が厚くなるような感じで
あれだけうっそうとした森の緑の傘をいとも簡単に大粒の雨が突き抜けて
まさにバケツをひっくり返したような大雨。
台風がUターンをしてきたんじゃないかというほどのひどい雨で
ぬかるみから雨粒がはじけるほどの激しい降り方。
とにかく全身びしょぬれで、靴の中まで浸水している。
これはもしあのまま危険な個所を無理して突っ切っていたらと考えるとゾっとします。
あのまま単独で前進していったAさんは果たして大丈夫だろうか…


↓まさに地獄


戻れど戻れど道は尽きることなく、
途中からはもう意識朦朧としながらただ無意識に足を出している感じで、
これほど疲弊しきったのは初めてだ。
途中、何人かの方が下山をされていて、
皆一様に「地獄だ。地獄だ。」と念仏のように唱えている有様。
ようやく十二曲りの天辺まで来ましたが、もうかなり衰弱していました。
丁寧に急斜面を下って黒沢橋に降りたのが17時ジャストでした。
笹ヶ峰からの最終バスはもうとっくに間に合いません。


↓黒沢橋まで戻ってきました


ここからはもう安全地帯で、平坦な木道をひたすら進みます。
もうフラッフラの頭と、棒のように固くなった足をひきずるようにして進みながら、
登山口から駅までどうやって降りるのか、ひたすら考えます。
バスはもうない。まだ明るいので可能な限り歩くか?
でも、もうすでに満身創痍で、その上これだけの土砂降りではきっとたどり着けない。
なら身銭を切るのはとても痛いのだが、タクシーを呼ぶしかないなと思っていました。
そうして、登山口に降り立ったのが17:45。
9時間15分の厳しすぎる山行でした。
いやあ標高の割に、めちゃくちゃハードで、今までで一番ひどい状況でした。
もちろんお山はとてもいいお山でしたが…


↓無事脱出のはずが…


とにかく、まずは座って休憩させてください。
屋根のある東屋のベンチに倒れこんで、自販機でアンバサを買って一気飲み。
ザックを整理したり、着替えをしたりしたいのだが、
疲労がすさまじくて、そのまましばらく身動きできませんでした。
そうしてしばらく落ち着いてから、
タクシー会社に電話してピックアップをお願いしたのだが、
「今の時間からそんなところまでお迎えには行けません」という
あまりに冷たい一言を告げられてガチャっと切られました。
おいおい、それって一種の乗車拒否なんじゃないのかい?
しかし、そう嘆いても来ないものは来ない。
この時の絶望感といったらなかったです。
すでに満身創痍で全身ずぶ濡れ、
この付近には宿もなく(キャンプ場だけ)、
標高1000mの高地で寝具もなく一晩を過ごせというのか?
いやそれならいっそ、自力で歩いて降りるかと地図を広げてみたが
駅までのあまりの距離にもはや不可能なのことは明らかだった。
(例えるなら中房温泉から穂高駅くらいの距離がある…)


あかん、もうあかんとわが身の終わりを身に染みていたところ、
ちょうど目の前にあった車の方が下山されてきて、帰る準備をされています。
これはもうダメ元で、恥を忍んでお願いに上がります。
「すみません。ちょっとだけでもいいので駅方面まで乗せていってくれませんか?」
すると、「大丈夫ですよ」とOKをいただき、車に乗せてもらうことができました。
埼玉の山岳会に所属されているMご夫婦で、
これから帰宅するところだということでした。
いやあ、もう感謝しても感謝しきれません。
もう時間的にも下山者は限られていて、これを逃せばもう自力で歩くか、
あそこであのまま一晩野宿を強いられるところでした。
本当にありがとうございました。
Mさんはご夫婦でアウトドアが趣味ということで、
一緒に色々な山に登られたり、クライミングをされたり、マラソンもされて
アクティブな方で、車中楽しくお話をさせていただきました。
そして妙高高原駅まで送っていただき、車を降りました。
本当にありがたかったです。


さて、ここからは電車の手配です。
まずは本日中に帰宅可能か、駅員さんたちと話しながらいろいろ検討しましたが
ちょうど20分前に出た1本前の電車が、
最終のワイドビューに接続する最後の電車でした(泣)
ただ、ほかのルートがまだあります。
長野から新幹線で金沢へ抜けてサンダーバード
あるいは東京から新幹線を検索していただく。
東京経由だと最終の新大阪行のぞみに接続可能だということだった。
とりあえず長野まで出ることにして、JRのみどりの窓口でもう一度判断することにして
19:05の長野行に乗り込みます。
19:50に長野駅に到着(19:40がワイドビューの出発なので惜しい!)したものの、
車中から非常に具合が悪化してきました。
とにかく誰かに両耳を思いっきり引っ張られているような感覚があり、
後頭部がものすごく熱いのです。
この時にはまだ自分の顔や耳が腫れているのは分かっておらず、
一日雨に打たれたことと、あまりの疲労で発熱してしまったのだと思っていました。
一応、東京経由で日帰りも可能でしたが、
もう長距離移動できる体力が残っていなかったため、
長野で宿を取って休み、翌日の早い時間の便で帰ることにしました。


とはいえ、連休の中日。新幹線効果やインバウンド効果があって、
今の時間から部屋を取るのはあまり簡単なことではありません。
いくつか駅周辺の宿を回って、ようやく東口のほうにあるサンルートさんで
喫煙シングル部屋を確保できました。
部屋に転がり込み、すぐに消臭剤をまいてタバコ臭を消し、
その間に熱い風呂を入れるため、バスルームに入って何気に鏡を見て固まる…
なんと耳が真っ赤になった上に、いつもの大きさの3倍ほどに膨れ上がっていたのです。
おい!どうなってる?軽いパニックで鏡に近づいてみると、
もうどこもかしこもボッコボコ。これで虫にやられたのだと初めて気づきました。
噛まれた個所を何度も何度も容赦なく噛まれたようで、
もうグロテスクなほどにボコボコ。
触ってみるととても熱を持っていて、
まるで固いゴム製のおもちゃを触っているようにパンパンでした。
幸い噛まれたのは耳と後頭部だけで、鼻やその他の顔面、手足なども無事でした。
しかし、耳が腫れたことで、頭が非常に熱を持ち、頭痛がするし、
三半規管にも影響があるのか、どうもフラツキがひどくたまりません。
湯を入れ終わって、熱い風呂につかり、しばし失神。
命の湯ですなあ。
そして、全身さっぱりしてからベッドにダイブし、しばし仮眠。
寝返りを打つのだが、そうして耳が下になると激痛が走るため、横になれず、
仰向けかうつ伏せしかできません。
そうして熱にうなされ、苦しみました。


夜中に目覚めると激しい空腹を感じました。
よくよく考えると、9時間のハードな行程で口にしたのはおにぎり2個だけ。
もうおなかペコペコだったので、ホテルを飛び出し、
何ないかと探して駅前にあったラーメン屋に飛び込みます。
信州味噌を使った味噌ラーメンのお店でこれが大当たり。
味噌は当然ながら、麺に使用する小麦粉も地元長野産にこだわっていて、
しかも石臼挽き。
麺は太麺で、香ばしい味噌の風味とマッチしてめちゃウマでした。


↓らあめん みそ家


↓石臼ちゃーしゅーめん


たらふく食べて満足し、ホテルへ戻って再び爆睡。
次に目覚めたのはチェックアウトギリギリの9:30でした。
慌てて支度をしてホテルを出てみると、憎らしいほどの晴れ。
もうねえ、泣きたくなりますよ。
体調さえ戻れば、この日に別ルートから妙高山を登り返すつもりでいたが
朝見た顔の具合はさらにひどく、
これからまたあの虫たちの館に舞い戻るなんて言うのはさすがに無理でした。
おとなしくみどりの窓口でチケットを手配し、
駅ビルのみやげ物屋をちゃっと物色。
嫁子のみやげと自分用も買って大慌てで10時発のしなのに乗り込みます。
地酒のスタンディングがあったけど残念ながら利用できずまた次回にでも。


長野駅で見つけた試飲所


↓翌日憎らしいほどの青空…


ということで爽快な夏空の元、まっすぐ電車で大阪に舞い戻り、
帰宅したのが15時ごろ。
ドアを開けて開口一番「何その顔?」と大笑いされました。
「笑いごとじゃねえ〜」とすぐに顔を冷やす処置をして丸一日安静に。
翌日会社を早退して病院にかかり薬を処方してもらって、
ようやく腫れが収まってきましたが、まだ熱っぽく、
もうしばらく時間がかかりそう。
この週末も山を考えていたが、今週はちょっとお休みするつもりです。


↓本日のおみや