記憶の残滓 by arkibito

「マジメにアソブ、マジメをアソブ」をモットーに、野山を駆け、コトバを紡ぎ、歌う。

パンターニ 海賊と呼ばれたサイクリスト


マルコ・パンターニ
スキンヘッドに口髭を蓄えた型破りな容姿。
魔の山に単騎突進し、
スーパーマンのようにヒルクライムを駆け抜けたその超攻撃的なスタイル。
豪快さと力強さに加え、どことなく漂う危うさと脆さを兼ね備え、
長いロードレース史上でも稀有なユニークさで、
世界中を魅了した愛すべき海賊(ピラータ)。
その栄光と影の歴史である。


90年代フジテレビが毎年放映していた時代に
もっとも熱狂的にロードレースに熱をあげ、
もっとも自転車にのめり込んでいた自分にとってはもちろん、
あの時代を知っている人ならおそらく誰でも
パンターニは憧れのヒーローの一人だ。
インデュラインの登場で、ロードレースは個人と個人のぶつかり合いから、
ステマティックな戦術によって戦うという方式へと変わり、
その戦術はのちにランスによって不動の方程式となるのだが、
そういった形式的で、組織的なやり方ではなく、
情熱的で人情味にあふれ、
無鉄砲で型破りな一匹狼を人は愛するものだ。
時に後先も考えずに麓から容赦なくアタックを繰り返し、
ついには圧倒的な差で山頂ゴールをする。
独特の無茶な姿勢で自殺的とも思えるような猛スピードで山を駆け下りるその姿。
かと思えば山ではあれだけ無敵を誇りながらも、平地のTTはからきしダメという、
そういう欠点さえもがチャーミングに思えてしまう。
例えば、完璧なシューマッハよりも
セナやマンセルの方が魅力的だったりするのと同じで、
その人間臭さが誰もを魅了したのだ。
だから2004年に彼がオーバードーズで亡くなったと聞いたときは
かなりショックを受けたことを今でもはっきり覚えている。
それが直接の原因ということでもないけれど、
自分はちょうどこのころから自転車を降り、
30代になるまでの長い間自転車に興味を失ってしまうことになった。



選手時代に果たして本当に彼がドーピングに手を染めていたかどうかはわからないし、
この映画もどちらかというと遺族側の視点に立っているので少し公平性を欠くから、
どうかははっきりしない。(でも、ないと信じたい)
時代背景を考えると、
98年にフェスティナ事件という未曽有の大スキャンダルが起こり、
そこから数年は異常とも思えるほどの
ドーピング対策&ドーピングスキャンダルの嵐だった。
ツール・ド・フランス自体が大会存続の危機に瀕し、
UCIもASOもクリーンなイメージを打ち出す必要性と、
自らの正当性をアピールする必要があったし、
そのためには見せしめ的に誰かを吊し上げる必要があったのも事実。
組織に準じないパンターニは絶好のカモだったともいえる。


そしてチーム。
ロードレースに限らず、スポーツには常に2つの側面が存在する。
ひとつは、純粋に個人あるいはチームとしての力量を比べ、
速さと技、強さを極限まで追求し、勝利を目指す競技としての側面。
そして、もう一つは、それらを運営し管理し、
利益を生み出していくビジネスの側面。
国際的に巨額のマネーが動き出せばロクなことはない。
スポンサー様のために勝つ=儲けるためには、あらゆる手段を使う。
そこで導き出した一つの答えが、ドーピングであり、
そのドーピングシステムはより巧妙により組織的に構築されてきたというのは
明確に暴かれた事実である。


そして悲しいかな結果的に当時の多くの有力選手たちが、こののち、
悪しきドーピングシステムに従って薬物に手を染めたことを告白し、
ある者はペナルティーを受け、
ある者は引退に追い込まれる事態になったのも事実。
主催者側も、チームも、個人も、
どのレベルにあっても当時(そして今も?)はグレーゾーンであり、
自己保身に躍起になっていた。
そんななかで、時のスターだったパンターニ
様々な面で矢面に立たされてしまうこととなる。


ドーピングの真偽はいったん置いておくとして、
結果的に当時のすさまじいドーピングバッシングの真っ只中に放り込まれ、
警察につけまわされ、マスコミに追い立てられ、
しまいには世間から裏切り者とののしられる日々の中で、
誰からも味方されず、
仲間であるはずのプロトンからも卑下され(ランスからのひどい悪態)、
愛すべき自転車への情熱さえも失って、
いかばかりの闇を抱え込んだのかと想像してしまう。
そしてついにはその弱さに漬け込む悪魔の誘いに乗って、
本当に薬に手を出してしまったことは
(ジャストタイミングの清ちゃんのニュースが泣ける…)
決して許されるべきではない事実で、
言い訳にもならないのだけれど、
自転車と薬という切っても切れないロードレース界の闇の
スケープゴートになってしまったことは無念でならない。
そしてこの闇は今なおロードレース界に暗い影を落としたままなのだ…


この映画を見て決定的に悲しいのは、
作中に登場する人物のほとんどが薬物疑惑にまみれ、
実際に薬物使用によってペナルティーを受けることになる人たちばかりだということ。
1998年のあの忌まわしいフェスティナ事件のニュース映像で、
大粒の涙を流して悔しがったリシャール・ビランクも、
その騒動の最中、選手の代表として主催者側と毅然と戦ったローラン・ジャラベールも、
結局は猿芝居だったのだし、
当時(インデュライン時代とランス時代の狭間)総合を争ったライバルたち、
つまりヤン・ウルリッヒやビャルヌ・リースといった面々もみな
見せかけの強さを晒していたに過ぎない。
そして極めつけは、大金と名声に目がくらみ自ら進んで道化役を買って出た
忌まわしきランス・アームストロングという悪魔。
奴は白でさえも黒に染め、すべてを茶番へと陥れた。
極めて悲しいことだが、
これもまたロードレースの歩んできた紛れもない歴史なのだ。
歴史は歴史として受け止めざるを得ないが、
自転車を愛するものとしては心底悲しい事実である。


とはいえパンターニが残した超人的な記録、
つまりラルプ・デュエズ最速記録や、
史上7人目そして現時点では最後のダブルツール達成は今でも色あせることはない。
ただ…
もし、あのスキャンダルの中で一人でも支えれあげる人がいればどうだったろう?
もし、あの99年のジロで追放されずにマリアローザを獲得していたらどうだったろう?
もし、彼が欲望と疑惑にまみれたプロレーサーの道を進まなかったらどうだったろう?
大好きだった自転車競技を大好きなままでいてくれたであろうか。
邦題に、”ロードレーサー”ではなく”サイクリスト”と記されているところに、
製作側のパンターニへの厚い愛情を感じる。
つまり、純粋に速さと強さだけを追い求める自転車少年として…
享年34歳。
あまりに若すぎる、そして惜しい死だ。



最後に、話は少しそれるけれど、一番の驚きは、
あれだけハイペースな戦いをしていて、
ガードレールもないダウンヒルであんな無茶な姿勢でスピードを出しているのに
当時はヘルメットなし!
今なら完全にありえないだろうなあ。


第七藝術劇場


さて、今回久々に十三にある第七藝術劇場を訪れたのだが、
ここは思い入れのある映画館。
自分が学生のころは、
「トレスポ」「アメリ」といったミニシアター系映画がヒットし、
小劇場が盛況だったのだが、そのブームも去るころになると、
体力のない劇場が次々と閉鎖に追い込まれた。
この第七藝術劇場も一時休館に追い込まれたのだが、
その間、貸しスペースとして提供されていて、
何度かイベントをさせていただいた。
複数の大学の団体と一緒に学生映画の自主映画祭などもして、
自分の作品もこのスクリーンで流されたこともある。
あの時はゲストに犬童一心監督が来ていて、コメントももらった気がする。
立地的にはちょっと怪しいところにあるのだが、
細々とでもずっと営業を続けているのは素晴らしいですね。