小川雅章個展「OSAKA LONESOME ROAD」at オソブランコ
これも少し前になりますが、
難波のオソブランコさんで開催されていた
小川雅章さんの個展「OSAKA LONESOME ROAD」へ。
2018年の1月に惜しまれつつも閉店した
「楽天食堂」をやっておられた小川さんが、
愛犬テツとともに描き出す、
かつての大阪の港湾地区を舞台とした、寂寥と追憶の世界。
ご本人のSNSでも紹介をされていて、
その確かな画力の素晴らしさとともに、
絵からじんわりと滲み出る豊かな物語性に心打たれておりました。
これはぜひ実物とじっくりと向き合って観てみたいということで
お邪魔したのですが、一度目は子どもたちと一緒だったので、
バタバタと通しで鑑賞することしかできずに、
閉展ギリギリのタイミングで、仕事終わりに再訪しました。
絵の舞台となっている大阪の港湾地区は、
小学生の頃から自転車で工場群を走り回ったり、渡船を渡ったり、
自分の原風景の一つでもあり、
まだ大きな橋が掛けられたり、
北欧の某大型家具屋がまだやってくる前の
煤こけた裏寂しい地帯でしかなかったあの頃へと記憶がワープする。
今はもうなくなってしまった赤白の大きな煙突やら、
鈍色の水面を進みながらぶつぶつと低い唸り声を上げる渡船のエンジン音、
照り付ける日差しにすっかりと打ち負けて、
もう何時間前からそうしているのだろう、
首からだらしなく白いタオルをかけてうなだれたまま動かない工員の姿、
といったものが生々しく脳裏を通過していきます。
僕にとってはそれらは世界から忘れ去られた廃墟などではなく、
実に愛すべき風景だったのです。
この薄汚れた愛すべき世界の、実に複雑な情緒が、
青みがかったグレーの絵の具で埋め尽くされた水路に、
枯れた赤色に施された煙突に、そして淀んだ空を映す水たまりの具合に、
見事に描き出されていて、実に泣けてくる。
そして、この風景の水先案内員として
画面の片隅に優しく寄り添うテツの存在が、
イメージの結晶が文学的なまなざしをつれてきて、
絵を見るという行為を越えて、
小さな物語を読むといったほうが正しいような、
そんな体験でした。
本物の絵というのは、きっとそういうものなのだろう。
つまり、上手に描けているかどうかといったような、
印画された表面を眺めるのではなく、
絵に込められたメッセージや情念や怨念といったものを、
絵と対峙する刹那に
どれだけ交わすことができるのかということなのか、
ということなのだろうと思う。
ご本人が在廊されていたので、
絵のことや楽天食堂のことなど少しだけお話しできてよかったです。
またぜひ生で見れる機会を作ってほしいなあ。